第四話 三.プロテストの結果報告
数日経ったある日の夕方のこと。日も暮れてきたせいか、吹き抜ける風がにわかに涼しくなり、肌に当たると心地よさを感じさせた。
オレはここ数日間、苦手科目の短期集中講座を受けるため、はるばる予備校まで足を運んでいた。
この時期になると夏期講習が実施されるため、高校三年生といった現役だけではなく、オレのような高卒者たちも多く見受けられた。
久しぶりに勉強に集中したばかりに、足を引きずるぐらい疲れ果てていたオレ。こんな調子のままで、これから訪れる冬期講習や直前講習を乗り切れるのかと、オレは不安のあまり頭を悩ませていた。
「・・・はぁ、さっさと夕食、食べてしまおう。」
予備校からの帰り道、夕食を手軽に済ませようとコンビニエンスストアへと立ち寄り、オレは出来合い弁当一つだけ抱えてアパートまで帰ってきた。
アパートに到着するなり、オレは真っ先にリビングルームまでやってきた。すると、そこにはすでに先客がいた。平日の夕方はほとんど外出しているはずの、多忙な日々を送っている麗那さんだった。
「こんばんは、麗那さん。」
「あ、マサくん、こんばんは。」
帰宅したばかりなのか、それともこれから出掛けるのか、麗那さんは亜麻色のスーツを着ていて、襟元には萌黄色のスカーフを巻いている。彼女は真っ白な陶器製の花瓶の中に、薄紅色した可憐な花束を飾っていた。
「そのお花、綺麗ですね。」
「フフ、そうでしょう。これね、グラジオラスっていうお花なの。」
微笑みながらそう言うと、麗那さんは丁寧に飾り立てた花たちに見惚れていた。この花束のおかげだろうか、飾り気のないリビングルームが不思議なほど華やいでいるように見えた。
「もしかして、ここに飾るために、わざわざ買ってきてくれたんですか?」
オレがそう問いかけると、麗那さんは首を小さく横に振った。
「仕事帰りにお墓参りをしてきてね。これ、その時に余ってしまったお花なの。捨ててしまうのもったいないから、アパートに飾ろうかなと思って。」
「そうだったんですか。こうやって飾ってあげた方が、お花たちも喜ぶでしょうしね。」
麗那さんが言うには、これまでも、じいちゃんが庭先に咲いている花を、時々リビングルームに飾ってくれていたそうだ。そのことが大学ノートに載ってなかったところを見ると、管理人の職務とは関係なく、じいちゃんの好意で行っていたのかも知れない。
「仕事帰りってことは、今夜はお仕事お休みですか?」
「残念ながら、もう少ししたら出掛けちゃうの。でも、今夜は簡単な打ち合わせだから、いつもよりは早く帰れると思うよ。」
ファッションモデルという業界で活躍する麗那さんに、のんびりとした休息の時間は思いのほか少ない。それでも、彼女は弱音を吐いたり仕事を投げ出したりはしなかった。
ひたむきに打ち込んでいる麗那さんはまさにプロの鏡で、そんな彼女を見ていると、オレは尊敬というより憧れという感情の方が強かった。
「麗那さん、すいません。これからここで、夕食いただいてもいいですか?」
「ええ、どうぞ。わたしも、もうちょっとしたら部屋に戻るから。」
麗那さんから了解をもらって、オレはテレビのリモコンスイッチをオンにする。すぐさま、出来合い弁当を電子レンジに入れてタイマーをセットした。
弁当を温めている間に、冷蔵庫から麦茶を取り出して、オレはグラスと一緒にテーブルの上に並べていく。そして十数秒後、待ちわびるオレの耳に、温め完了を知らせる電子音が聞こえた。
「おかしいな。電子レンジが止まってない。」
電子レンジとにらめっこしているオレに、麗那さんが微笑しながら話しかけてきた。
「マサくん、玄関のチャイムの音だよ、きっと。お客さんが来たんじゃないかな?」
「そうか。・・・玄関チャイムと電子レンジの音って、よく似てるんでしたよね。」
そんな紛らわしさに不満を言いつつ、オレはお客が待っているであろう玄関へと向かう。
玄関に近づくオレの足音に気付いたのか、そのお客は呼びかけるような声を上げた。響いてきた声色からして、そのお客は男性だと特定できた。
「すいません、お待たせしました。・・・え?」
玄関に直立不動で佇んでいたのは、オレが予想もしなかった白髪交じりの初老の男性だった。袖をまくったダンガリーシャツにジーンズを履きこなした姿に、オレは間違いなく見覚えがあった。
「・・・あなたは、パンジー楽器店の。」
「ははは、驚かせてすまないね。突然の訪問で申し訳ない。」
パンジー楽器店の店主、かつローリングサンダーのリーダーでもある男性は、ばつが悪いと思ったのか、面目なさそうに笑っていた。
アパートの名前は知っていても、住所までは知らないはずだったリーダー。聞いてみると、アパート名を頼りに、十数人という通行人に道を尋ねながら、ようやくここまで辿り着いたとのことだった。
「わざわざ、ここまでいらっしゃったってことは、何かあったんですか?」
オレがそう尋ねると、リーダーは困惑したような顔を浮かべている。
「ああ、ジュリーのことで相談があってね。・・・彼女は今、部屋にいるかな?」
「この時間だと、まだアルバイトから戻ってきてないと思います。」
久しぶりの再開に迷いがあったのだろうか、リーダーは残念そうな顔をするも、少しだけホッとしたような表情をしていた。
「・・・もしよければ、きみが話を聞いてくれないかな。」
「オレがですか?でも、ジュリーさん宛てのご用件なんですよね?」
「そうなんだが、いきなりジュリー本人だと気まずくなってしまうだろうし、お互い遠慮してしまうこともあるだろう。・・・どうだろう、話だけでも聞いてはもらえないだろうか?」
お節介ばかり焼いて、ジュリーさんにまた叱られるのかと思うと、オレは内心戸惑いを隠せないでいた。とはいえ、事態の深刻さを匂わせるリーダーを前にしては、オレに断りの意思など示せるはずもなかった。
「わかりました。オレでよければお話を伺います。ここじゃ何ですから、中へどうぞ。」
「よかった、ありがとう。お言葉に甘えて、お邪魔させてもらうね。」
長話になる予感もあって、リーダーにはリビングルームまでご足労いただくことにした。
オレたち二人がリビングルームまで戻ってくると、お客が誰か気になっていたのか、麗那さんがまだ残ってくれていた。
「よかった。麗那さん、少しだけお付き合いいただけませんか?」
「え?」
ジュリーさんが絡むことだけに、一緒に立ち会ってもらうようお願いすると、麗那さんは出掛けるまでの間でよければと快諾してくれた。
「初めまして。わたし、パンジー楽器店の店主を務める者です。」
麗那さんにそう自己紹介したリーダー。この人こそ、ジュリーさんをバンドにスカウトした張本人だと知ると、麗那さんはこの偶然の出会いに驚いていたようだ。
「どうぞ、椅子に腰掛けて楽にしてください。麦茶を用意しますから。」
「どうもありがとう。先日とは逆の立場になってしまったね。」
小さく微笑みながら、リーダーはゆっくりとテーブル椅子に腰掛ける。麦茶をテーブルに並べ終えると、オレと麗那さんもテーブル椅子へ腰を下ろした。
「それで、ジュリーさんのことで相談というのは?」
オレの問いかけに、リーダーは長くなってしまうと前置きしてから、重たい口振りで語り始める。
「きみは知っていると思うが、わたしたちのバンドは、細々ながらも活動を続けているんだけどね。丁度、来週の日曜日の夜に、駅の近くにあるライブハウスでライブが入ってるんだよ。」
そのライブのことは、パンジー楽器店に貼り付けてあったポスターでも告知されていたため、オレも承知していたことだった。
「ところが、今日になって、ちょっとしたトラブルが起こってしまったんだ。」
そのトラブルとはいったい何か?リーダーは困り果てた様子で話し出した。
今日の午後、リハーサルを兼ねた練習をすることになっていたメンバーたち。そこで、全員がパンジー楽器店の中にあるミニスタジオに集合したものの、ボーカルを務めるはずの女性の姿だけなかったという。
メンバーたちがしばらく待っていると、その女性から電話が掛かってきた。その電話は、リーダーや他のメンバーたちにとって衝撃的な内容だった。
「一昨日のことらしいんだが、彼女が仕事に向かう途中、交通事故に遭ってしまい病院に入院してしまったんだよ。幸い命に別状はないんだが、手足を骨折してしまったらしく、少なくとも全治一ヶ月ほどかかるそうなんだ。」
退院後は、通院で加療しながら職場復帰も可能だが、その退院までに最低二週間はかかってしまうそうだ。それでは、ライブが開催される来週の日曜日に間に合わないことになってしまう。
この窮地をどうにか打破しようと、リーダーは馴染みのバンドのボーカリストに代役してもらえるか当たってみたが、スケジュールの都合からか、誰一人として承諾してくれる者はいなかったという。
「演奏がメインのライブなら、われわれメンバーだけで凌げなくはないんだが、困ったことに、日曜日のライブは、最初の一曲だけ歌詞付きのジャズソングなんだよ。しかも、今回はその一曲目を売り文句にしているから、今から断りを入れて、お客さんをがっかりさせるなんてできないし・・・。」
力なく嘆きながら、リーダーは苦しそうに頭を抱えている。そんな彼のことを、慰めるような瞳で見つめている麗那さん。
ここまで説明してもらえれば、リーダーがどんな相談をしたかったのか、もうオレには察しがついていた。
「・・・それで、相談というのは、ジュリーさんに代役をお願いしたい、というわけですね。」
「・・・ああ。もう、八方塞がりでね、彼女以外に頼める人がいないんだよ。」
リーダーにとっては、ジュリーさんが代役としての最後の砦だったのだろう。彼は藁にもすがる思いで、彼女にボーカルの代役を頼んでほしいとひれ伏しながら懇願してきた。
ライブを成功させたいというリーダーの思いが、オレの心の中に痛いほど伝わってくる。しかし、ジュリーさんの胸中にある事情を知るだけに、オレは受け入れるも受け入れないも、その返答すらできないでいた。
「マサくん。こんなに頭を下げてくれてるんだし。わたしたちから、ジュリーに頼んでみようよ。ライブが無事に開催できるよう、わたしたちも何かお手伝いしない?」
戸惑っているオレの背中を押してくれた麗那さん。このオレも、彼女と同じ気持ちに変わりはないが、素直なままに首を縦に振ることができなかった。
「・・・ジュリーさん、観衆の前では、もう歌うことはないだろうって。リーダーにそう伝えてほしいと言ってました。・・・だから、頼んだとしても、快く引き受けてくれるかどうか。」
オレからの伝言に、リーダーは大きな溜め息をついてしまった。落胆することなく受け止めたところを見ると、彼なりに覚悟の上でのことだったのだろう。
手助けしたい気持ちはあるものの、つい弱音を口にしてしまったオレ。麗那さんはそんなオレの肩に優しく触れて、簡単に諦めないよう励ましてくれた。
「マサくん、頼みもしないうちにそんなこと言っちゃダメ。もちろん無理強いはできないけど、頼むだけ頼んでみようよ。諦めるのはそれからでも遅くないでしょ。」
できる限り説得してみるが、最終的にはジュリーさんの気持ちを尊重すると、麗那さんはそれでもよいかとリーダーに同意を求める。それ以外の選択肢がないリーダーは、感謝の言葉を口にしつつ同意した。
こうなってしまうと、このオレがいつまでも留保できるはずもない。ダメでもともとと割り切って、オレも麗那さんの提言に賛同することにした。
「どうもありがとう。ジュリーのこと、よろしく頼みます。それじゃあ、わたしはこれで。」
リハーサルの途中だったらしく、リーダーは風を切るようにリビングルームから出ていった。あの焦りようだと、メンバーたちをかなり待たせていたのかも知れない。
リーダーを見送った後も、リビングルームに残っていたオレと麗那さん。何をしてみようもなく、オレたちは言葉なく顔を見合わせるだけだった。
「リーダーがいる手前、カッコいいこと言っちゃったけど、ジュリーに断られたら、すごく負い目を感じちゃうだろうな。」
麗那さんは思わず不安な心境を吐露した。彼女を巻き込んでしまって、オレは申し訳ないばかりにただ謝るしかなかった。
「本当にすいません。お忙しいところ、無理やり引き止めてしまったばかりに。」
「ううん、気にしないで。・・・それよりも、ジュリーにお話する段取りとか決めなきゃだね。」
「それなんですけど、こんなのってどうですか?」
オレの思いついた段取りはこうだ。お酒でも一緒にどうかと、ジュリーさんを「串焼き浜木綿」へ誘い出す作戦だ。これなら警戒されることなく、彼女に付き合ってもらえる可能性が高いだろう。
いいアイデアだと納得してくれた麗那さん。彼女との話し合いの結果、この作戦で計画することになった。
「そうと決まれば、近いうちに、夜をオフにするよう調整してもらうわ。日にちが決まったら教えるね。」
段取りが決まった丁度いいタイミングで、アパートのそばに一台の乗用車が停止した。どうやら、麗那さんのマネージャーが迎えに来てくれたようだ。
「それじゃあ、出掛けてきます。」
「いってらっしゃい。気を付けて。」
麗那さんは元気よく、夜の仕事へと出掛けていった。一方のオレは、電子レンジに放置されままの出来合い弁当を温め直して、待ちに待った夕食にありつくのだった。
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雲が広がっているものの、時折太陽が顔を覗かせる晴れやかな日曜日。
アパートのリビングルームには、朝早くから、オレを含めて住人全員が集合していた。今朝はいつもと違って、他にもう一人ゲストが参加していた。
「あたしのために集まってくれてありがとう。どうしても、みんなと一緒に結果を知りたかったから。」
そのゲストである奈都美が、住人たちの前で控えめに挨拶をした。プロサッカーチームへ無事に入団できるかどうか、これからいよいよ彼女の口から明かされることになる。
ウエストポーチから一枚の封筒を取り出した奈都美。彼女の命運を分けるテスト結果が、この封筒の中に入っているのだという。
封筒を握り締めたまま、奈都美は落ち着かない様子を見せている。彼女にとっては重大な発表だけに、それなりに緊張しているのだろう。
「奈都美。・・・もし、結果がダメだったとしても、オレたちみんなは今まで通りなんだからさ。どんな結果であっても、何も気にすることなんてないからね。」
奈都美の緊張をほぐそうとしたオレに、テーブルを囲んでいる住人たちが物言いをつけてきた。
「ちょっとマサ、何言ってるのヨ!まるで、奈都美が不合格みたいな言い方じゃない。」
「そうだよぉ!あんた、奈都美は合格するだろうって言ってたくせに、何よそれぇ。」
「まったく、あなたにはデリカシーというものがないのかしら。正直呆れてしまうわ。」
慌てて弁解するオレをかばうように、麗那さんがその渦中に割って入ってきた。
「そうじゃなくて、マサくんは、結果がどっちだったとしても、わたしたちみんなは今まで通り、奈都美のことを暖かく見守って、これからも応援していくっていう意味。そうだよね、マサくん?」
「そうです!麗那さんのおっしゃる通りです。」
麗那さんの援護射撃のおかげで、住人たちの怒りがようやく収まった。事あるごとにお世話になりっ放しで、いつも彼女の前では、オレの頭は下がりっ放しだった。
周囲がざわついたせいもあって、奈都美の表情がちょっぴりほころんでいる。結果オーライとはいえ、オレのフォローもまんざら無駄ではなかったようだ。
「それじゃあ、封筒を開けるよ。」
大きく唾を飲み込んで、奈都美は封筒の先端を指でちぎる。そして、彼女の手によって、封筒から一枚の白い用紙が抜き取られた。
固唾を飲んで見守るオレと住人たち。折りたたまれた用紙には、奈都美の将来を左右するメッセージが書かれているはずだ。
期待と不安が交錯し、オレの鼓動が波打つように高鳴りだした。奈都美本人も、そして住人たちも、オレと同じ心境だったに違いない。
奈都美は用紙を裏返しに広げると、みんなから見えないようテーブルの上に伏せた。
「みんなで、いち、にの、さんって言ったらめくるね。」
奈都美の申し出に、オレたちみんなは無言でうなづく。
「奈都美、心の準備はできてる?」
「・・・うん。」
いよいよ覚悟を決めたのか、凛々しい表情をして見せた奈都美。彼女の決意からは、もう迷いというものを感じることはなかった。
心の中で勝利の神様に祈りを捧げながら、オレたちは声を合わせる。
「いち・・・、にの・・・、さん!」
オレたちが取り囲むテーブルの上に、ついにテスト結果が公開された。
誰もが息詰まり、水を打ったように静まり返ったリビングルーム。この沈黙を破ったのは、見開かれた用紙に一点集中していたこのオレだった。
「おい、奈都美!合格って書いてあるぞ!」
ふと辺りを見渡すと、なぜか一人で盛り上がっていたオレ。奈都美も住人たちも、結果を知るのが怖かったのか目をつむったままだった。
オレの叫び声におののいて、奈都美はようやく目を見開くと、テーブル上の用紙に釘付けとなった。
「・・・各判定種目の採点の結果、一次・二次審査とも合格といたします。・・・ホントだ、あたし合格してる。」
奈都美にとって合格という二文字は、夢をその手に掴んだことを証明していた。しかし、まだその現実を受け止めることができず、彼女は口に両手を宛てて呆然としている。
「奈都美、やったわネー!またプロフェッショナル選手としてのスタートね。」
「おめでとー、奈都美!今度こそ、テレビで活躍できるようがんばってねぇ。」
「本当によかったわ。奈都美のここまでの努力が無駄にならずに済んだわね。」
住人たちから湧き上がる拍手喝采に、奈都美は涙を浮かべて喜びを噛み締めていた。
「奈都美、本当におめでとう。これからが大変だと思うけど、今度は負けずにがんばってね。」
「ありがとうございます、麗那さん。」
感極まってしまい、涙ぐんでしまった奈都美。彼女は目を潤ませながら、住人たちと手を取り合って喜んでいた。
そんな奈都美のことが、まるで自分のことのように感じられて、このオレも感激のあまり胸の中が熱くなっていた。
「とっても嬉しいワー。よーし、これから祝杯を上げちゃおう!」
「お、いいねぇー。あたしも祝杯上げるー!」
ジュリーさんと潤は興奮しながらそう言うと、冷蔵庫から缶チューハイを持ち出してきた。こんな明るい午前中から、まさかお酒で乾杯でもするつもりだろうか。
「ちょっと二人とも。こんな時間から、お酒飲んで大丈夫なんですか?」
「だって今日は日曜日だヨ。わたしたち、お仕事お休みだもーん。」
ジュリーさんと潤はご満悦な様子で、奈都美の合格を口実に賑々しく乾杯していた。いつもなら、この二人の行き過ぎた行動を窘めるあかりさんだったが、今回ばかりは苦笑しながら容認していたようだ。
「あー、いいなぁ。わたしも喉渇いたから、一本いっちゃおうかな。」
とうとう、麗那さんまでそんなことを言い始めてしまった。仕事は夜からだから一本ぐらい平気だと、彼女は平然とした顔で缶ビールを手にしていた。
「やれやれ。奈都美の合否発表会が、そのまま合格祝賀会に変わってしまった。」
呆れ返っているオレのそばに、奈都美がそっと駆け寄ってくる。
「マサ、キミにはいろいろと面倒掛けちゃってゴメン。心からお礼を言わせて。」
「今更お礼だなんて、奈都美らしくないなぁ。そんなこと気にするなって。」
照れくさそうに顔を見合わせるオレと奈都美。猛練習していた頃を振り返って、その時の汗と涙の結晶が実って本当によかったと、オレたち二人は改めて喜びを噛み締めていた。
そんなオレたちを冷やかさんばかりに、ほろ酔い加減の小悪魔たちがズカズカと近づいてきた。
「こらこらぁ、奈都美ぃ。マサと随分仲よさそうじゃないのよぉ!」
「そうヨ、奈都美。わたしたちに、堂々と見せ付けるなんて許せないワ!」
真っ赤な顔をして、奈都美は違う違うと弁明するも、小悪魔たちはさらにエスカレートして、彼女を生贄の祭壇へと引きずり込もうとする。
「奈都美のお祝いなんだよぉー。今日だけは、一杯付き合うまで帰さないからねぇ!」
「えぇ!?ダ、ダメだって。あたし、お酒、飲めないのに~~!!」
オレの心配もよそに、奈都美の祝賀会は想像以上の盛り上がり(?)の中で進んでいった。あまりのやかましさに、近隣の方々から苦情が来ないか、管理人代行としてヒヤヒヤしながら状況を見守るオレだった。
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「奈都美、ぐっすり眠ってるわね。」
「無理やり飲まされましたからね。もう少し寝かせてあげましょうか。」
ソファに横たわって寝息を立てている奈都美に、オレはそっとタオルケットを掛けてあげた。
奈都美の合格祝いは盛大のうちに幕を下ろして、ジュリーさんや潤、それにあかりさんといった参加者たちは、それぞれ自室へと帰っていった後だった。
麗那さんだけはリビングルームに残ってくれて、後片付けをするオレの手伝いをしてくれていた。
「奈都美、本当に嬉しそうだったね。わたしもつい、自分のことみたいに胸が躍っちゃったもの。」
「そうですね。合格をみんなで祝えたことが、奈都美にとって一番嬉しかったんだと思うんです。」
時には慰め合い、また時には喜びを分かち合える、奈都美にはそんな気持ちの通い合った仲間たちがいてくれる。住人たちの心温まる友情を目の当たりにして、オレはそんな彼女が羨ましく思えていた。
「マサくんの言う通りかもね。マサくんが来年、大学に合格したら、今日みたいにみんなでお祝いしなきゃだね。」
「その際は、よろしくお願いします。」
そんな言葉を交わしながら、クスクスと笑い合っていたオレたち。すると、ソファの辺りから、奈都美の寝言らしき声が聞こえてきた。
「ん・・・。いくよ、弾丸シュートォ・・・。ムニャムニャ・・・。」
その寝言を耳にして、オレたちは顔を見合わせて微笑んでいた。
「奈都美ったら、寝言にまでサッカーのことを。フフフ、どんな夢を見てるのかしらね。」
奈都美は今、エースストライカーとして、華々しく活躍している夢でも見ているのだろうか。とても幸せそうで、穏やかな寝顔をしている彼女を、オレは晴れやかな気持ちで見つめていた。
第四話は、これで終わりです。
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