第三話 二.砕け散った夢と希望
オレとあかりさんは雑談しながら、人ごみで賑わう駅東口までやってきた。アーケードまでは歩いて数分といったところだ。
「あかりさん、はぎ家とグッズ専門店、どちらから行きます?」
「この暑さだもの・・・。グッズ専門店からにしましょう。」
あかりさんの言う通り、ケーキを持ったまま、この猛暑の中を歩き続けるのは好ましくない。オレたちはまず、グッズ専門店で用事を済ませることにした。
「管理人代行、こっちよ。」
あかりさんは先導を切ると、駅の横から細い路地へと入っていく。彼女曰く、この路地を通り抜けた方が近道になるとのことだった。
オレは置いてかれまいと、あかりさんの後ろを追いかけていった。
「あかりさん。よくこの道歩いてるんですか?」
「ええ。アーケードの奥にあるお店に行く時はね。」
そこは道幅も狭く、雑居ビルのせいで日差しが届かない、夕闇のように薄暗い路地だった。自動車や行き交う人影も少なく、周囲は水を打ったように静まりかえっていた。
ゴースト化したようなこんな路地裏、極力通りたくないと思うのが心情だが、一人の時でも平然と通るというあかりさんに、オレは驚きのあまり面食らってしまった。
そんな薄暗い路地を歩いていくオレとあかりさん。路地の真ん中辺りまで来ると、薄気味悪さがより際立ってきた。
路地の途中には、枝分かれするような細い道がある。その細い道をチラッと覗いてみると、ラブホテルらしき建物が建ち並んでいた。ますます、ここはオレにとって無縁のエリアのようだ。
「あれ?」
そのラブホテルの前に、見覚えのある人の姿が映って、オレは思わず立ち止まってしまった。遠目ではあったが、茶色い髪の毛を垂らした丈の短いワンピース姿の女性が、二人の男性と何やら話し込んでいるようだ。
「あかりさん。あれ、潤じゃないですか?」
あかりさんは足を止めると、後戻りするなり、オレが指し示したその女性へと目を向けた。
「遠いから、はっきりそうとは言えないけど、背格好はよく似てるわね。でも、どうして潤がこんなところにいるの?あの子、今日はモデル撮影だったんでしょう。」
「潤から聞いた話では、編集社の人が、わざわざこっちに来ているそうです。たしか、駅東口のビジネスホテルで待ち合わせて、その後、移動して撮影だって・・・。」
オレとあかりさんに、予想したくない嫌な悪寒が駆け巡った。
「まさか、あのホテルで撮影するのかしら!?」
「時間からして、もう撮影は終わってるはずですよ。彼女、撮影は夕方には終わるって言ってたし。」
場所が場所だけに、オレたちの心中は穏やかではなかった。このまま放置することができず、オレたちはこの場から離れることができない。
潤と思われる女性に目を凝らしてみると、距離があるため話し声までは届かないが、何やら揉めているような不穏な様子だけは見て取れた。
「あかりさん、どうします?」
「どうしますも何も、あの子が潤だったら、このまま無視するわけにはいかないでしょう。」
思い悩み、行動の一歩を踏み出せずにいるオレたち。そんな矢先、潤と思われる女性の大きな叫び声が轟いた。
耳をつんざくような声が届いた瞬間、オレたちは顔を見合わせた。ラブホテルの前にいる女性は、紛れもなく潤本人だったのだ。
潤のもとへダッシュで駆け出したオレ。そのオレの横をすり抜けるように、猛スピードで追い越していくあかりさん。その様に度肝を抜かれつつ、オレは彼女の後ろ姿を必死に追走していった。
「潤!!」
あかりさんの呼び掛けを耳にして、潤は青ざめた顔で振り向く。すぐにオレたちだと気付き、彼女は真っ先にその場から逃げ出した。
「あかりぃー!!」
男性たちのもとから逃げ出してきた潤は、あかりさんの腕にしがみついた。かなり怯えていたのか、潤はドレスの入ったトートバッグすら放り投げていた。
「いったい、何があったの?」
オレたちのことを、疎ましそうに眺めている男性たち。
あごヒゲを生やした人相の悪い細身の男に、首からカメラを下げた肥満体の男が、愚痴をこぼすような口調でしゃべり始めた。
「けっ、こんな時に邪魔者かよ。こっちはさっさと仕事済ませて帰りたいのによぉ。」
「そうそう。報酬たんまりいただいて、六本木のキャバレーで騒ごうと思ってるのにさ。」
そう吐き捨てた男性たちを、あかりさんは鋭く尖った目つきで睨みながら、そばにいる潤の頭を優しく撫でていた。
血の気が引いた表情のまま震えている潤。そんな彼女に気遣いつつ、オレが事の次第について尋ねてみると、彼女は絹を裂くような声で叫ぶ。
「さっき撮影が終わったはずなのにぃ、この人たちが、これからが本番の撮影だからって、あたしをそこのホテルに連れ込もうとしたんだよぉ!」
怒り心頭のあかりさんは、突き刺さるような眼光のまま、まるで潤の身を案ずる姉のように、男性たちに激しい怒号を浴びせた。
「あなたたち、いったいどういうつもりよ!?この子が言ったことが本当なら、どういう事情なのか説明しなさい!」
あかりさんの問い詰めに、細身の男が冷めたような目つきで答える。
「本当のことさ。オレたちはこれから、大人向け雑誌に載せるセクシー写真を撮ることになってんだよ。」
「そうそう。さっきの撮影は単なるバイト。これからが、オレたちの本来の仕事ってわけ。へへへ。」
オレたちにシャッターを向けながら、肥満体の男はニヤニヤと不気味な笑みを浮かべていた。
「そんなの知らない!あたしぃ、そんなの聞いてないもん!!」
首を横に振り続けている潤に腹が立ったのか、細身の男は苛立つように口を尖らせた。
「あのな、ギャルマガのモデルを受け入れた時点でな、大人向け雑誌の撮影と掲載に関する許諾に同意したことになるんだよ!知らないんじゃなくてな、おいネーチャン、おたくがその規約を見ずに、軽々しく同意しただけだろうが!」
その意味を理解することができず、潤は完全に頭の中が混乱しているようだ。
「規約とか同意とか、もう少し具体的に説明しなさい!」
あかりさんの申し出によって、醜悪とも言える、ギャルマガの読者モデル募集のカラクリがあらわとなった。
「読者モデル採用っていう、ネーチャンたちに送信されたメールにはな、写真の撮影と雑誌の掲載についての同意書が載ってるんだよ。とはいっても、メール本文の一番最後の方に、ちょこっと載ってるだけだがな。」
同意書とはいえ、メール本文の最後部にインターネットのリンク先が貼り付けてあるだけで、実際にはそのリンク先にあるページに記載された規約を確認しなければならないのだ。この仕組みでは、浮かれていた潤ならずとも、誰もが見落としてしまうだろう。
「その同意書にはな、ギャルマガへ写真を掲載できる条件として、同じ編集社が出版している雑誌の写真撮影、掲載、転用を拒否できないという規約も盛り込まれているんだよ。どういうことかわかるか?」
つまり、ギャルマガの読者モデルを承諾した以上、それがどんなに卑猥で露骨な写真撮影であっても、編集社側からのいかなる要求にも拒否することができず、指示に従わなければならないということだ。
「・・・そんなぁ。」
あまりにも無慈悲な真相を聞かされて、事の重大さを痛感した潤は、ショックのあまり塞ぎ込んでしまった。
「ひどいわね。こんな詐欺まがいなことをして、あなたたちは恥ずかしくないの?」
日傘を握った手を震わせて、あかりさんは声を尖らせて憤る。そんな彼女の憤慨など気にも留めず、男性たちはヘラヘラとせせら笑っていた。
「言っておくが、オレたちは写真を撮る係だからさ。文句あるなら、編集社の担当に直接言ってくれ。まぁ、言ったところで、今更どうにもならないだろうけどな。ククク。」
「そうそう。そういうことだから、部外者はさっさと帰った帰った。オレたちはこれから、そのネーチャンのセクシー写真の撮影で忙しいんだからね。」
潤のもとへ忍び寄る男性たちの前に、あかりさんが果敢と立ちはだかる。
「潤をあなたたちの好きにさせるわけにはいかない。今日のことすべて、ここでキャンセルさせてもらうわ。」
「勝手なことほざいてるんじゃねぇ!簡単にキャンセルなんてさせるかよ!」
あかりさんに食って掛かる細身の男。今にも殴りかかってきそうで、オレは怖さのあまりすくみ上がってしまった。
細身の男とあかりさんが対峙し、まさに一触即発となった瞬間、沈み込んでいた潤が小さい声を漏らした。
「待って、あかり。あたし、キャンセルしたいなんて言ってないよぉ。」
「えっ?」
オレとあかりさんが唖然とした顔を向けると、無理にこしらえたような笑顔で、潤は悲壮な胸中を打ち明けた。
「ギャルマガに写真が載るせっかくのチャンスだもん。キャンセルしちゃったら、ここまでの苦労が報われないもんね・・・。それにさぁ、人気投票で一番になれば、本当のモデルになれるかも知れないんだよぉ。」
「潤、あなた・・・。」
苦労の末に掴んだモデルへの道、それを自ら摘み取ることなどできるわけがない。そんな潤の気持ちを知っているだけに、あかりさんは無闇に思い止まらせることができない。そして、このオレも戸惑いを隠せず、投げかける言葉が思いつかなかった。
「ククク、おめでたいねぇ。ギャルマガの人気投票でトップになったら、ホントにモデルになれるとでも思ってたのか?」
「ど、どういうことぉ・・・?」
ふてぶてしく笑う細身の男の一言に、潤の表情が一瞬のうちに強張った。ついに、彼女にとって信じられない事実が明らかにされる。
「人気投票でトップになったらモデルになれる。ククク、それはな、ネーチャンたちみたいなおバカさんを釣るためのエサだよ。」
人気投票の結果次第で本物のモデルになれると期待させて、潤のようなモデル志願者を募らせる。編集社は選んだ女性にメールを送り、詐欺まがいな規約に同意させた後、半ば強引に卑猥で露骨な写真を手に入れる。
ギャルマガの編集社の真の狙いは、ギャルマガの読者モデルを募集することで、他の雑誌に掲載する写真をタダ同然で入手することだったのだ。
「でもぉ、ギャルマガに載った女の子で、実際にモデルになった子もいるよぉ・・・?」
顔色が青ざめていく潤を、細身の男はいやらしくなめ回すような目で見つめている。
「それはネーチャン次第だろう。ククク、編集社のお偉いさん相手に、そのピチピチとした肌をあらわにすれば、チャンスはあるんじゃねぇか?モデルになった女は、どいつもこいつもしたたかだったぜ。早い話、人気投票が一番だろうが百番だろうが、情に通じた者が勝ちっていう世の中なのさ。」
あまりにも衝撃的な現実だった。オレとあかりさんは受け止めることができず、悔しさのあまり唇を噛み締めていた。
潤はうつろな目で放心状態と化していた。茫然自失し、彼女はその場に崩れ落ちると、まるで抜け殻のようになってしまった。
許せない。いや許しはしない。潤をこんな目に遭わせたこの男たちを、汚れなき天使をむさぼる狡猾な悪魔をオレは断じて許すことはできなかった。
「潤が・・・。彼女がこの日をどれだけ待ち望んでいたか。新しいドレスまで買って、この日をどれだけ夢見ていたか。・・・それをうす汚い言葉で踏みにじるなんて。潤に頭を下げるまで、土下座して謝るまで、オレは絶対に許さない!」
激しい嫌悪感を抱くオレのことなどお構いなしに、男たちは悪気も感じずただ失笑している。潤に対する謝罪の気持ちなどなく、侮辱する暴言まで口にする始末だった。
「もう冷めちまったぜ。今回はそのカメラに収めた写真で勘弁してやるか。写真ちょいちょいと加工して編集社に持っていこうぜ。」
「おう。顔はそのままで、体の部分だけ裸の写真とくっつければ、アダルト向け雑誌には使えるだろうし。報酬は冴えないだろうけど。」
失礼極まりない毒舌を吐き捨てると、男たちはオレに背を向けて立ち去ろうとする。呼び止めようとしたオレよりも早く、あかりさんが一歩前へと飛び出した。
「待ちなさい!!」
あかりさんの大きな怒鳴り声に、男たちは怯むように立ち止まってしまった。
「潤には申し訳ないけど、今回のこと、やはりキャンセルさせてもらうわ。潤の写真、一枚残らず消去してもらうわよ。」
勇ましくそう言い放つあかりさん。モデルの夢を絶たれて、憔悴しきっている潤はもう、あかりさんにすべてを委ねるしかなかった。
勇敢に立ち向かうあかりさんをバカにするように、男たちは嘲笑しながら戻ってきた。彼女のそばまでやってくると、細身の男は憎たらしい顔を目一杯近づけてくる。
「消去してもらうだぁ?何、寝ぼけたこと言ってんの、おねえさんよー。本来なら、無理やりでもそのネーチャンに協力してもらうところを、オレたちの粋な計らいで許してやってるんだぜ。これ以上、わがまま言っちゃいけねぇなぁ。」
細身の男の威嚇や脅しにも、あかりさんは物怖じすることなく堂々としたままだ。
このままでは、あかりさんの身が危険にさらされてしまう。そう思ったものの、この切迫した状況に足がすくんでしまい、オレは情けなくも黙って見ていることしかできなかった。
「あなたの計らいなんて関係ないわ。有言実行、わたしが言ったからには、写真は一枚残らず消去してもらうからね。」
そう言い返した次の瞬間だった。あかりさんは太った男の胸元目掛けて、持っていた日傘の先端を突き立てる。すぐさま日傘を器用に操って、ぶら下がっていたカメラのベルトを引っ掛けたと思ったら、いつの間にか、そのカメラは上空へと舞い上がっていた。
「ハァッ!」
あかりさんは掛け声一つ発して、しなやかな右足を高らかに振り上げる。宙を舞うカメラは彼女の回し蹴りの衝撃とともに、砕けた破壊音を周囲に響かせて、バラバラになった破片もろとも落下してきた。
「な、何があったんだ・・・!?」
このあまりの一瞬の出来事に、男たちもこのオレも、事態が把握できずに絶句していた。
足元に転がったカメラのフィルムを手にするあかりさん。フィルムからネガを引き抜くと、彼女はニヤッと不敵に微笑んだ。
「煮え切らないから、写真はわたしの方で消去させてもらったわ。潤に対する謝罪は、カメラの破損で勘弁してあげる。」
この事態にようやく気付き、太った男はカメラの破片を手にして涙目で叫んでいる。細身の男は恐れをなして、泣いている太った男の服を掴んだまま後ずさりしていた。
男たちがおののくのも無理はない。重量感のある一眼レフのカメラを、回し蹴り一発で仕留めたあかりさんを前にしたら、誰だって腰が抜けるほど圧倒されてしまうだろう。このオレも、この状況に現実味を感じることができないでいた。
負け犬の遠吠えのように罵声を浴びせながら、男たちは逃げるように走り去っていった。
「あの、あかりさん・・・。あなたはいったい何者なんでしょうか?」
「失礼な質問ね。わたしが怪物にでも見えるのかしら?」
いつもの調子でそう答えると、あかりさんは潤のそばへと歩み寄る。
恐怖心から開放されたのか、潤はあかりさんの腕の中で大粒の涙を流していた。あかりさんは潤の頭を撫でながら、もう大丈夫だからと優しく慰めていた。
「管理人代行、わたしは潤をアパートまで送っていくから、悪いんだけど、あなた、はぎ家までケーキを受け取りに行ってきてくれる?」
「あ、はい。わかりました。」
あかりさんにそう返答したその刹那、オレはもう一つ大切な用事があることを思い出していた。
「あー!!」
慌てて腕時計に目をやると、時刻は午後6時を過ぎていた。大急ぎではぎ家でケーキを受け取って、グッズ専門店で潤の誕生日プレゼントを買わなければ!
「や、やばい!それじゃあオレ行きますね。あかりさん、潤のことよろしくお願いします!」
ココットのキーホルダーよ、売り切れないで残っていてくれと、オレは心の中で幸運の女神に祈りを捧げながら、女性二人を路地裏に残して一目散に走り出した。
===== * * * * =====
息を切らして、オレは流れる汗を腕で拭っている。駅東口アーケードまで辿り着くと、街灯が夕刻を告げるかのように、歩道のブロックを薄っすらと照らしていた。
駅へ向かう通勤帰りのサラリーマンたちを横目に、オレは誕生日ケーキを大事に抱えたまま、グッズ専門店まであと一歩というところまでやってきた。
ショーウインドウから光が漏れているところを見ると、営業時間終了までには何とか間に合ったようだ。
「はぁ、助かった・・・。」
安堵の笑みを浮かべて、オレはお店の自動ドアを越えていく。
この前と同じく、息詰まるほどに狭苦しい店内。乱暴に散らばっている商品が通路まで埋め尽くし、オレの行く手を阻んでいるかのようだった。
レジカウンターのそばには、投げやりな感じで商品を陳列している店員がいた。脂ぎった顔をした容姿からして、ココットのキーホルダーのことを教えてくれた、あの店員に間違いない。
「すいません、あの。ココットのキーホルダー、まだありますか?」
オレの呼びかけに、無愛想な顔つきで振り返る店員。オレのことを憶えていたらしく、彼はすぐさま応対してくれた。
「ああ、この前のお客さんですねぇ。ちょっと待っててくださいねー。」
そう言いながら、その店員は店内奥にある倉庫へと消えていった。限定入荷した商品だけに、店頭に並べていなかったのかも知れない。
レジカウンターを見てみると、”ココットのキーホルダー限定10個、早い者勝ち”と告知したチラシが貼られている。そのひと際目立つ宣伝から、ココットというキャラクターの人気ぶりが垣間見れた。
1分ほど経っても、店員の在庫確認は続いていた。待っている時ほど、この1分がより長く、とてもじれったく感じられる。店員が戻ってくるのを、オレは固唾を飲んで待ちわびた。
「お待たせしましたぁー。」
間延びした声を上げて、店員がようやく戻ってきた。しかし、残念な結果を物語るように、彼の手の中にココットのキーホルダーはなかった。
「申し訳ありませーん、ついさっき、売れ切れちゃったみたいですぅ。おしかったですね。」
あまりにも悲痛な答えが返ってきた。もう少し早く来店していたら、もしかすると・・・。そう後悔しても、今となっては詮無いことだろう。
「そうですか、ありがとうございました・・・。」
オレは力なく、ガックリと肩を落としていた。応対してくれた店員に感謝の言葉を述べると、オレは彼のもとから静かに離れていく。
「お客さーん、美少女戦士プリンちゃんのグッズならたくさんありますよぉ。いかがですかー?」
その店員は、割れんばかりに声を張り上げていた。その無神経なまでの彼の声は、虚無感に包まれたオレの心まで届くことはなかった。
店じまい間近のグッズ専門店から一歩足を踏み出すと、生暖かい風が吹き込んできて、オレの重たい足元にまとわりついてきた。
行き交う人通りも少なくなり、アーケード沿いの商店街にはシャッターの波が押し寄せている。立ち尽くしたまま空を見上げると、暗くなりかけた夜空に宵の明星が輝いていた。
「ん、電話が鳴ってる?」
ズボンのポケットに入れていた携帯電話が着信している。液晶画面を見ると、ジュリーさんの携帯電話の番号が表示されていた。
「もしもし、ジュリーさんですか?」
「マサ、今どこにいるの?パーティー始まる時間になったヨ。」
その電話は、早く帰宅するよう急き立てる連絡だった。麗那さんは遅れるものの、奈都美にあかりさん、そして主役である潤も揃っていると、ジュリーさんはせっつくように伝えてきた。
潤のことを気に掛けていたオレは、ジュリーさんに彼女の様子について尋ねてみた。すると、ジュリーさんは心痛していたのか、哀れむような声で答えてくれた。
「まだ元気ないワ。でも、お祝いしてくるみんなに悪いからって、パーティーには参加してくれるヨ。マサのことも気にしてるから、早く帰ってらっしゃいネ。」
そう伝え聞くことができて、オレは内心ホッとしていた。潤が沈み込んだまま、自室に閉じこもっていたとしたら、オレは彼女にどう接すべきか困っていただろう。
潤へのプレゼントが売り切れで買えなかったこと、これからケーキを持って、大至急アパートへ帰ることを、オレは電話越しにジュリーさんへ伝えた。
「わかったワ。パーティー、先に始めちゃうからネ。」
「了解です。ケーキは、もう少し待っててください。」
オレは話を終えて、携帯電話の通話を切った。
すっかり夜の帳が下りたものの、気温は一向に下がる様子はなかった。本当に急いで帰らないと、この暑さでケーキが参ってしまうだろう。そんなことを心配しつつ、オレは駅を目指して足早に歩き始めた。
「やっと駅まで来たか。もう、タクシーで帰っちゃおうかなぁ。」
そう思いつつも、懐具合が寂しいオレは自らの足で帰るしかなかった。
駅周辺は人だかりで賑わい、煌びやかなネオンサインが瞬いている。パチンコ屋にゲームセンター、ファーストフードショップにDVDショップが、広告ポスターで通行人たちを誘い込もうとしていた。ここはアーケードと違って、これからが夜本番といったところか。
通行人の一人であるこのオレも、いろいろな広告ポスターに目を奪われていた。
「あ。」
ふと、オレの目に留まった一枚の広告ポスター。DVDショップの窓に貼られたポスターには、”ココット”という文字が浮かんでいた。
「ニャンダフルと痛快な仲間たち、名場面DVD、アニメ未公開シーン収録、価格は千九百八十円か・・・。潤への誕生日プレゼント、これだったら喜んでくれるかも。」
そのポスターを眺めたまま、そう独り言をつぶやいたオレ。気付いた時には、オレはなけなしの二千円を財布から抜き取って、DVDショップへと駆け込んでいた。
===== * * * * =====
誕生日ケーキを抱えたオレが、アパートのリビングルームに滑り込むと、時刻はすでに夜7時30分を回っていた。
リビングルームのテーブルに並んでいるオードブルやドリンク、そして、それを取り囲む住人たちが、汗びっしょりのオレを暖かく迎えてくれた。しかし、ここにいるべき主役の姿が、オレの視界に映っていなかった。
「・・・潤は?」
住人たちは一様に浮かない表情をしている。みんながそれぞれ、寂しそうに口を開く。
「ついさっきまでいたのヨ。でも、ごめんなさいって言いながら、部屋に戻ってしまったワ。」
「あの子なりに、がんばって笑っていたけど、やっぱり、切なさはごまかせなかったみたい。」
「仕方ないよ。あんなに楽しみにしてたのに、まさか、あんなことになっちゃったんだもん。」
騒がしく賑やかさが売りのお楽しみ会が、静まり返ったお葬式のように寂しくひっそりとしていた。まるで、潤という太陽が影を潜めてしまい、真っ暗な闇夜の中に佇んでいるような気分だった。
「潤のこと、麗那さんは知ってるんですか?」
「ついさっき、予定よりも到着が遅れそうだと、麗那からテレフォンがあったのヨ。その時、触れる程度に話しておいたワ。」
撮影機材に故障があったそうで、麗那さんは仕事時間が長引いてしまっているらしい。そんな彼女に対して、慌てないでのんびり帰ってくるようにと、ジュリーさんはそう思いやったそうだ。
「マサ、あなたお腹空いてるでしょウ?ここに座りなさい。オードブルおいしいわヨ。」
そうは言ったものの、ジュリーさんは箸をテーブルに置きっ放しにしている。やはり食事が進まないのか、あかりさんと奈都美も、取り皿の上に食べ物が残ったままだった。
空いているテーブル席へと腰掛けたオレ。席に着くなり、テーブルの上にカラフルなリボンを巻いた白い箱をそっと置いた。
「このケーキ、どうしましょうか?」
この箱の中には、潤が大好きなベイクドチーズケーキが入っている。ゆっくり取り出してみると、焼けたチーズの芳醇な香りが、皮肉なぐらいにオレの食欲をそそってきた。
「わたしたちだけでは食べられないわネ。だけど今は、潤のことを誘えるような心境じゃないワ。」
「そうね。今はそっとしてあげた方がいいでしょう。明日になれば、少しは落ち着くでしょうし。」
「うん、潤の大好物だもんね。潤が元気になるまで、ケーキは冷蔵庫に入れて保存しておこうよ。」
形を崩さないように、芳しい香りが逃げないように工夫して、オレは丁寧にケーキをラッピングすると、冷蔵庫のチルド室へと仕舞い込んだ。
「それじゃあ、オレもいただきます。」
それほど空腹ではなかったが、オレはお腹を満たす程度に食事をいただく。さすがにお酒を楽しむ気分になれず、ウーロン茶相手においしい料理を口にしていた。
箸を動かしている最中も、オレたちの会話は弾むこともなく、とても空しいお楽しみ会となってしまった。主役のいない誕生日パーティーは、切なさというしこりを残したまま閉幕へと向かっていく。
「そろそろ、お開きにしましょうか。」
お腹を程よく満たしたところで、テーブルの後片付けを始めるオレたち。残っている料理は、麗那さんが帰宅後に食べられるようにと、タッパに取り分けて保存した。
「あとはオレがやっておきますから。みなさんはもう休んでください。」
いろいろと準備を手伝ってくれた住人たちを労うように、オレは残った食器類の洗浄を買って出た。食器類を一通り運び終えた住人たちは、おやすみを告げながらリビングルームから出ていこうとする。
「マサ、潤があなたのことを気にしてたワ。それが終わってからでもいいから、帰ってきたことだけでも、あの子に伝えてあげてネ。」
「わかりました。後で一声掛けてみます。ちょっとした用事もあるんで。」
そうは言ったものの、オレは不安でいっぱいだった。自室で一人落ち込んでいる潤が、オレからのプレゼントを快く受け取ってくれるのだろうかと。
潤の悲しみに打ちひしがれた表情が脳裏に焼き付いて、オレは胸が締め付けられるような思いだった。
「よし、行こう。ダメでもともとだもんな。」
これを受け取って、少しでも元気を取り戻してくれたらと願いつつ、オレは潤へのプレゼントを手にして、照明を落としたリビングルームを後にした。
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