第二話 二.待ち望んでいたメール
次の日の朝、暑い一日の始まりを告げるように、リビングルームの窓から朝日が漏れている。ここ連日晴天が続いている東京では、水不足を懸念する声があちこちで囁かれていた。
そんなさわやかな朝を迎えたリビングルーム。オレも一日の始まりを告げようと、流し台で朝食の支度をしていた。
ウインナーソーセージをまな板に並べて、包丁で軽く切り込みを入れる。そして、そのウインナーソーセージを熱湯の鍋に放り込んだ。
茹で上がるまでの間に、オレは小型のトースターを準備するなり、食パンをセットして電源スイッチをオンにした。
「こういう朝食はいいね。朝食って面倒だから、ついつい抜いちゃうもんな。」
ここ数日、受験勉強のせいで夜更かしや寝坊を繰り返しているオレ。そんな不摂生な生活で体調を崩したら元も子もないので、今朝のオレはしっかりとした朝食を摂ることにしたのだ。
そんなことを考えているうちに、トースターから焼けた食パンが飛び出した。香ばしいトーストのにおいに、オレのお腹がグーグーと鳴りだした。
茹で上がったウインナーソーセージをトーストに挟んで、オレはその上から、ケチャップとマスタードをたっぷりと塗り込んだ。
「よし完成。お皿はどれにしようかな。」
台所の食器棚から、オレはトーストを乗せるお皿を探す。オレの記憶では、丁度いい大きさの丸くて白い洋風皿があったはずだ。
ところが、その洋風皿は食器棚の中から見つからなかった。戸棚や水切りバットの中、台所周辺も隈なく探してみたが、オレの記憶の中にあるお皿はどこにも見当たらない。
「おかしいな。住人の誰かが割っちゃったとか?」
そんなことも予想したが、もしそれならば、管理人代行のオレに一言あってもいいはずだ。念のため、オレは不燃ごみ専用のゴミ箱を覗いてみた。しかし、お皿の破片のようなものは捨てられていなかった。
「あれ・・・?」
その代わりに、ゴミ箱の中には以外なゴミが捨てられていた。それは、猫のラベルが貼られたペットフードの缶詰だった。当たり前だが、その缶詰の中身は空っぽである。
このアパートはペット厳禁なので、そもそも、この空き缶が捨てられていること自体不自然だ。万が一、住人が内緒で猫でも飼っているとしたら一大事である。
「とりあえず、今度みんなが集まった時にでも聞いてみよう。」
オレはやむを得ず、行方不明のお皿の捜索を諦めて、大きめのお皿で代用することにした。
トーストと一緒に、買い置きしていたトマトサラダをテーブルに並べて、オレはいよいよ待望の朝食をいただくことにした。
「いただきまーす。」
手作り感覚の朝食は、いつもよりもおいしく感じられる。面倒ではあるが、時々ならこういう朝食も悪くないだろうと、オレはそんなことを思いつつ、窓に映る明るい風景を眺めていた。
そんな落ち着いたひと時を楽しんでいると、それをぶち壊すような大きな振動が、轟音とともに階段の方から響き渡ってきた。その振動の大きさは、リビングルームにいるオレの足元まで伝わるほどだった。
やかましい足音がどんどん近づいてきて、ついに、ここリビングルームへと迫ってきた。
「マサ!聞いて聞いてぇー!!」
ボサボサな髪の毛を振り乱して、潤がものすごい形相でリビングルームに飛び込んできた。彼女はなだれ込むように、テーブル椅子に座るオレのそばへとやってくる。
「ど、どうしたんだよ?そんなに慌てて。びっくりするじゃないか。」
「ついに来たんだよぉ!ギャルマガの編集社から、メールが届いたのぉー!やったよ、これであたしもギャルモの仲間入りだぁ!」
そう叫びながら、潤は自分の携帯電話をオレに見せびらかした。
”ギャルマガ”に”ギャルモ”といった理解不能な単語に、オレの頭は混乱するばかりだ。パジャマ姿で舞い上がる潤に、オレは単純明快に説明をするよう諭した。
「ははは、ゴメンゴメン。つい嬉しくってさぁ。」
顔をほころばせながら、潤はギャルマガとギャルモについて解説してくれた。
ギャルマガとは、潤のようなギャル系の女の子たちが愛読している雑誌のことで、ギャルたちの間ではカリスマ本と呼ばれるほど人気があるらしい。
ギャルモとは、そのギャルマガの誌面上で活動するモデルのことで、ギャルマガモデルを略して、ギャルモと呼んでいるそうだ。
「そのギャルマガって雑誌の会社からメールが来たって言ったけど、それってどういうこと?」
「このあたしがギャルマガのモデルに選ばれて、写真とプロフィールが載るんだよぉ!どう、すっごいでしょう?」
興奮冷めやらぬまま、潤はルンルン気分でひたすらしゃべる続ける。
そのギャルマガという雑誌では、発行回ごとに特集コーナーを設けて、読者からモデルを募集しているという。読者モデルに選ばれた女の子は写真のみならず、プロフィールや自己PRまで掲載されるそうだ。
さらに、その特集の目玉企画として読者からの人気投票があるらしい。ここで得票数一位になった読者モデルは、そのままギャルモとしてモデル活動を続けることができるというのだ。
「ギャルモとして人気が上がればねぇ、芸能事務所からスカウトされたりするんだ。そうなったらさぁ、あたしも、いずれは麗那センパイみたいなカッコいいモデルになれるんだよぉ!」
潤は芸能界への道筋を手繰り寄せようと、毎回その読者モデル募集にメールで投稿していたそうだ。しかし、数百人という応募数の中から一人だけが選ばれる狭き門のため、これまでの努力が実を結ぶことはなかった。
そんな不運にも負けず、潤は投稿することを諦めようとはしなかった。そして今朝、ギャルマガの編集社から彼女宛てにモデル採用のメールが届き、ここまでの苦労がようやく報われたのだった。
「これね、すぐOKの返事しないとさぁ、次の候補の女の子にチャンスが回っちゃうんだよ。・・・ってなわけで、あたしは素早くOKのメール返しちゃったぁ。」
携帯電話に届いたメールをオレに見せては、はしゃぐように笑っている潤。待ち望んでいた編集社からの便りに、彼女は心の奥から喜びを噛み締めていたようだ。
オレはこの時、ようやくわかった気がした。潤が肌身離さず携帯電話を持ち歩いていたことや、メールを受信するたびに残念そうな顔をしていたのは、こういう事情があったからだということを。
「それでね、撮影とインタビューが明日に決まったのぉ。これからお買い物に行くから、マサ、一緒に付き合ってよ。」
「な、何でオレが!?」
理由など聞くまでもなく、潤の口から出てきた言葉はただの荷物持ちだった。あらかた想像はしていたけど。
「ちょっと待ってよ。明日って、潤の誕生日じゃないか。お楽しみ会のパーティーはどうするんだよ?」
カレンダーの花丸マークを指差すオレに、撮影とインタビューは午後1時からなので、夕方の誕生日パーティーには十分に間に合うからと、潤はにこやかな顔でそう返答した。
「そんなことよりもー、ほら、早く食べちゃいなよぉ!ちょっと遠出するんだから、もう出発するよぉ。」
急かすように、オレの腕を掴んでグイグイと引っ張る潤。住人からのお願いとあらば、住人には親切に接するようにと、しかめっ面したじいちゃんの小言が聞こえてきそうで、断りたくても断りきれないから厄介だ。
「わ、わかったから、潤。だから、このトーストだけは食べさせてくれ。」
そんなわけで、潤の仰せの通りにしますからと、オレは致し方なく白旗を上げた。
「マサ、あたし着替えてくるからさぁ、準備できたらここに集合ねー。」
そう言うと、潤はパタパタと足音を残しながら自室へと戻っていった。オレも冷めたトーストを口いっぱいに頬張り、おいしい余韻に浸る暇もなく食器を片付け始めた。
管理人室へ戻るなり、真夏の東京の空の下、どんな服装で出掛けるべきかと、オレは洋服ダンスを見つめながら頭を悩ませるのだった。
===== * * * * =====
「それにしても、あっついねぇ~。」
「そうだなぁ~。」
オレと潤は真夏の空を見上げた。雲一つない青空に浮かぶ燃えさかる太陽が、オレたちに容赦なく直射日光を降り注いでいた。
アパートの最寄駅から電車へ乗り込み、オレたちは電車を乗り継いで池袋までやってきていた。
午前中からぐんぐん気温が上昇し、今の気温は32度まで達している。そんな炎天下の都心を、オレたちは人ごみを掻き分けながら歩いていた。
「オレの田舎じゃ、ここまで暑くならないよ。さすがに東京の夏は暑いんだな。」
「というかさぁ・・・。あんた、その格好、ぜんぜん夏らしくないじゃん。」
そうつぶやきながら、オレのことを細目で見据える潤。ブルーの半袖ポロシャツにデニムのパンツ姿のオレに、彼女はもう少し夏っぽくしなきゃと注文をつけてきた。
一方の潤は、ピンクのキャミソールに丈の短いホットパンツを着こなしている。ファッションセンスに疎いオレから見ても、今日の彼女はいつもよりもおしゃれな装いだった。
「マサ、ここだよぉ。」
潤が指し示した先には、ショーウインドウが豪華さを印象付けるブティック風のお店があった。
「・・・オレも入るの?外で待っててもいい?」
「いいけどぉ。でも、ここにいると暑いんじゃない?」
渋々ながら、潤の後ろに続いてお店へと足を踏み入れたオレ。
ラメやスパンコールが装飾された煌びやかなドレスや、艶っぽい色したかかとが高いハイヒールが店内を華やかに彩っている。オレの小遣いでは手が出ない高級アクセサリーもたくさん飾ってあった。この雰囲気からして、このお店は夜に活躍する女性をターゲットにしているようだ。
潤はというと、オレのことなどまるっきり無視して、ドレス選びに夢中になっていた。孤立してしまったオレは、人目を避けるように隅っこで小さくなっていた。
「参ったな、時間の潰しようがないよ。潤のヤツ、早く買い物済ませてくれないかなぁ。」
戸惑いを浮かべつつ、心の中でそう願うオレ。ショッピングを楽しむ潤の姿を、オレは溜め息交じりで眺めていた。
待っている間にも、新しい女性客が次々とお店へとやってくる。一人、そしてまた一人と、ギャル風の女性客で店内が賑わい始めた。
いったい所持金はどれぐらいなのだろうか。女性たちは迷うことなく、高そうなドレスやアクセサリーを手にしては、レジカウンターへと運んでいく。美しさにお金を掛ける女性の価値観が、男性のオレには到底理解できなかった。
「そろそろかな?」
潤のもとへ目を向けてみるも、来店から30分過ぎたというのに、彼女はまだ服選びに悩んでいるようだ。いつまで待たされるのやらと愚痴をこぼし、気が滅入ってしまうオレだった。
それから40分ほど待ち続けて、潤が買い物を終えた頃には、オレの腕時計は正午12時を指し示していた。
「かなり悩んでたみたいだけど、いったい何を買ったんだ?」
「ドレスだよぉ。ほら、いい色でしょー?」
薄青色の光沢があるドレスを手にして、潤は自らの胸元に重ね合わせる。彼女は茶目っ気たっぷりに、オレに似合うかどうか尋ねてきた。
「うん、似合うんじゃないかな。」
当たり障りのないオレの答えに、潤はふくれ面して口を尖らせる。
「なーんか、感情こもってないじゃん。素っ気ないヤツー。お世辞でもさぁ、似合ってかわいいよ、とか言ってくれてもいいじゃん。」
「お世辞言われて嬉しいかねー。でもお世辞じゃなく、色はいい感じだよ。そんなに派手じゃなくて、潤には丁度いいんじゃないかな。」
色のセンスを褒められて、潤はルンルン気分でドレスを見せびらかす。このドレスを早くお披露目したい気持ちが、彼女の喜びいっぱいの表情から見て取れた。
「もうお昼だからさぁ、ランチ食べにいこうよ。」
「ああ、いいよ。お腹が空いてきたからね。で、どこに行く?」
「へへー、もう行くとこ決めてるよぉー。」
愛くるしい笑顔でそう言うと、潤はオレの腕を引っ張りながら走り出した。ドレスの入った買い物袋を揺らして、必死になってついていくオレ。ギラギラと輝いている太陽が、そんなオレたちのことを微笑ましく見下ろしていた。
===== * * * * =====
潤が本日のランチに選んだお店とは、若者の定番であるファーストフードショップだった。
正直なところ、ファーストフードに立ち寄る機会がないオレは、どういう食事メニューがあるのかさっぱりわからない。オレにとって、ここは未体験ゾーンと言っても過言ではなかった。
戸惑っているオレのことなど気にも留めず、潤は馴染んだ歩調で自動ドアを越えていく。
「いらっしゃいませー!」
営業スマイルを振りまいて、カウンター越しからオレたちを歓迎する女性店員。学生なのではと思うほど、童顔でかわいらしい女性だった。
メニュー表に目を向けることなく、潤は電光石火のごとくお気に入りのメニューを注文していた。
「てりやきチキンサンドのポテトセットと、バナナシェイクお願いしまーすぅ!」
女性店員が潤の注文をオウム返しに繰り返した後、次のお客様は?と、彼女はさわやかな笑顔をオレに向けてきた。
「あ、はい。・・・えーと、何がいいかなぁ。」
オレは慌ててメニューを選ぼうとするが、不慣れなだけに何を注文してよいかわからず、冷や汗をにじませながらまごついていた。
その見苦しさを見るに見かねてか、たじろぐオレを遮るように、潤がカウンターに身を乗り出して声を上げた。
「あたしと同じメニュー、もう一つお願いしまーす!」
呆然とするオレに向けて、潤はニッコリと微笑んだ。
「大丈夫、絶対においしいから。マサも気に入ると思うよぉ。」
注文したメニューを乗せたトレイを持って、オレと潤は空いている座席へと腰掛けた。そこは、街のざわめきが一目でわかる窓際の座席だった。
「それじゃあ、いただきます。」
暑さで渇いた喉にバナナシェイクを流し込むオレ。喉越しは爽快とは言えないが、冷やされたアイスのような食感で、少なからずオレの火照りが冷めていった。
「おいしいでしょ?ここのシェイクはねー、バナナが一番おいしいんだよぉ。」
ニコニコしながら、潤はバナナシェイクを吸い込んでいる。てりやきチキンサンドを頬張り、フライドポテトをつまんだりして、彼女は子供のように幸せいっぱいな顔をしていた。
「オレこういうのって、ほとんど食べたことなかったけど、結構おいしいもんだね。」
「でしょでしょー?マサが気に入ってくれてよかったぁ。」
他愛もない雑談をしながら食事を楽しむオレたち。潤はおしゃべりしながらも、買ってきたドレスを嬉しそうに見つめている。着ていく明日が、待ち遠しくてたまらないといった様子だった。
「それにしても、明日のことで頭がいっぱいみたいだね。」
「もっちろーん。読者モデルはあたしの夢だったんだもん。」
顔をほころばせながら、潤はモデルという職業について思いの丈を語り始める。
幼い頃から人より目立つことが好きだったという潤。物心ついた頃から、彼女は人に注目されることに憧れを抱き始めていた。
潤は学校を卒業した後、自立するために単身アパートへと移り住んだ。そこで、モデルを生業としている麗那さんと出会うことになる。
ファッション雑誌の第一線で活躍する麗那さんとの出会いは、潤にとってまさに人生の転機といえるものだった。人生の先輩でもある麗那さんに師事し、潤はモデルになりたい思いを日に日に募らせていった。
「・・・モデルになるきっかけなんて、道端に転がってるわけじゃないし、待っててもやってくるものでもないじゃん?あたしさぁ、モデル雑誌にいっぱい写真送ったりして売り込んだんだけど、ぜんぜんダメって感じでさ。世の中ってそんなに甘くないよなーって、実感させられちゃった。」
潤は自らの魅力を磨くために一念発起し、アルバイト感覚でキャバクラで働き始めたという。持ち前の明るさと愛くるしい笑顔を生かして、彼女はお店でもトップに登りつめるほどの人気者になっていった。
「憶えてるかな、お店のナンバーワンの子のこと。あの子ねぇ、昔はあたしより人気なかったんだけど、ギャルマガの読者モデルに載っちゃった途端、いきなり人気者になっちゃったんだぁ。だからさー、あたしも負けてたまるかって感じでぇ、ギャルマガへ投稿を始めたんだよね。」
ギャルマガに掲載されることで、夢でもあったモデルとしてデビューができるし、しかも、お店で人気ナンバーワンの座にも返り咲くことができると、潤は単刀直入にそう考えたわけだ。
ここからはすでに知っての通り、苦心を重ねたものの、潤は念願だったモデルデビューの切符をその手に掴むことができたのである。
「でも、ようやくスタートラインに立ったばかりだからね。いろいろ大変だけど、スター街道をまっしぐらに突き進んでみせるよぉ。あたしが大スターになったらさぁ、マサ、あんたをファン第一号にしてあげるね。」
「ははは、それは光栄だなぁ。」
すっかりスター気取りではしゃいでいる潤。ちょっと気が早いと思いつつも、オレは彼女のファン第一号の称号をありがたく賜ることにした。
それから30分ほど経過した頃、トレイに並んだ昼食を綺麗に平らげたオレたち。オレがこの後の予定を尋ねようとしたら、潤は甘えるような仕草で両手を合わせた。
「マサ、悪いけどさぁ、もうちょっとだけ付き合って。」
有無言わさず、オレの腕を掴んだまま逃がそうとしない潤。夏の直射日光などお構いなしに、彼女は元気はつらつに歩き始めた。暑さでバテバテだったこのオレを引きずりながら。
===== * * * * =====
次にオレと潤がどこにやってきたかというと、有名雑貨ショップが入居しているテナントビルだった。
ここまで足を運んだ理由を潤に問うと、目新しい商品があるかどうか見たいからと、彼女らしいシンプルな答えが返ってきた。
雑貨ショップへ入店するや否や、潤は目の色を輝かせて、勝手がわかっているかのように立ち回っていた。オレもせっかく来店したので、いろいろと店内を見て回ることにした。
「何かおもしろそうな商品はあるかな。」
オレが注目したのは、掃除清掃用具が陳列されたコーナーだった。侘しい生活感がにじみ出てしまって、ここに立ち止まった自分がちょっと悲しかった。
「これ便利だなぁ。お、これなんかも使いやすそうだぞ。」
さすがは、全国でも名の知れた雑貨ショップだけに、さまざまな便利グッズが豊富に並んでいる。近所のホームセンターでは見かけないような、珍しいアイテムが目白押しだった。
オレは好奇心いっぱいで、アパートの掃除に使えそうな便利グッズを物色していた。
「こんなじじくさいコーナーで、何をチェックしちゃってるわけぇ?」
いつの間にか、呆れ顔した潤がオレのすぐ横に立っていた。彼女のことに気付かないほど、オレはお掃除グッズに夢中になっていたようだ。
「いやぁ、管理人代行としての自分が出てしまって。何となく眺めてたら、つい見入っちゃってね。」
「あんたねー、管理人である前に二十歳の若者なんだからさぁ。このままだと、あっという間に老け込んじゃうよ。」
痛いところを突いてくる潤に、認めたくはないものの、真っ向から反論できないオレであった。
その後、ブラブラと店内を眺めながら、オレと潤はウインドウショッピングを楽しんだ。一回りした頃には、窓に差し込む西日が随分と傾いていた。腕時計に目をやると、時刻は午後3時を過ぎたあたりだった。
「なぁ、潤。もう3時回ったけど、時間大丈夫か?今夜仕事だよね。」
「そうだよ。もうこんな時間なんだぁー。そろそろ帰ろっかぁ。」
お化粧直しのためにトイレへ立ち寄るからと、潤の後ろについていくオレ。面倒くさがりのせいか、事あるごとに化粧直しをする女性を見て、オレはつくづく男性に生まれてよかったと思ってしまう。
フロア内の廊下をしばらく歩いていくと、化粧室の看板がようやくオレたちの視界に入ってきた。
「あそこみたいだね。この辺で待ってるから、行ってきなよ。」
「うん。すぐ済むから、ちょっとだけ待っててねぇ。」
潤が化粧室へ向かおうとする丁度その時、二十代の男性二人が男子トイレから出てきた。すると、彼女は立ち止まったまま、こちらにやってくる彼らのことを見つめていた。
「あれぇ?」
その男性二人も同じような反応を示して、潤のことを凝視し続けていた。
「あ!やっぱり潤ちゃんじゃないかー。」
「おお!こんなところで潤ちゃんに会うとはなぁ。」
潤とその男性たちはどうも顔見知りだったようだ。偶然の再会に、男女三人は揃って弾んだ声を上げている。
「こんなとこで会うなんて、グーゼンってすごいねぇ。」
「それよりもさ。・・・潤ちゃん、もしかして彼氏と一緒?」
そう問いかけながら、オレの方へ羨望の視線を送る男性たち。彼らの視線をなぞるように、潤もオレの方へチラッと顔を向ける。
「ううん、違うよ。アイツね、単なるお友達なんだぁ。今日は荷物持ちに付き合わせてるだけ。」
「へぇ、そうなんだぁ。ちょっとだけホッとしたな。」
見て見ぬ振りをするオレに、潤がこっちへおいでと手招きしている。内心構わないでと思いつつも、オレは彼女のもとへ渋々歩み寄り、見ず知らずの男性二人に簡単な挨拶をした。
「この人たちね、お店によく来てくれるお客さんなんだぁ。とっても仲良しなんだよ。」
潤曰く、週末になると頻繁に来店しているそうで、そのたびに彼女を指名してくれるそうだ。彼女にしてみたら、この男性たちは大切なお得意様と言えるだろう。
「そうだ、二人とも聞いて聞いてぇ!あたしね、ついにギャルマガに載るんだよぉ。」
ウキウキ気分の潤にそう告白されて、男性二人はびっくりした様子だった。ギャルマガへの投稿のことを知っていたらしく、彼らはすぐさま、彼女を祝福の言葉で褒め称えていた。
「へー、潤ちゃんやったじゃん!これで念願だったモデルデビューってヤツだね。」
「よかったね、潤ちゃん。ランキングの結果次第では、人気モデルになれるかもよ。」
男性二人からの激励に、潤は誇りに満ちた表情を浮かべている。買ったばかりのドレスを見せびらかしながら、彼女は廊下という名の舞台の上で舞い上がっていた。
「じゃあ、またお店でね。マサ、これよろしくねぇ。」
大切なドレスをしまった買い物袋をオレに持たせると、男性二人に別れを告げつつ、潤は女性用トイレへと入っていった。
「ねぇ、キミキミ。キミも、潤ちゃんご指名の常連さん?」
男性二人のうちの一人が、オレにそう問いかけてきた。潤の暮らすアパートの管理人代行ですなど、正直に答えると面倒なことになりそうなので、オレは当たり障りのない返答をしておいた。
「潤ちゃん、人懐っこいところとか、やっぱりかわいいよなぁ。一緒にいるとさ、なんか癒されるんだよね。昔、落ち込んでる時に彼女に悩み聞いてもらって、オレ救われたことあるしさ。」
「そうそう。彼女って、人の話を真剣に聞いてくれるし、相談にも乗ってくれるしな。あの明るさが気持ちいいっていうか、すがすがしいっていうか。それがいい感じなんだよな。」
男性たちはすっかり惚れ込んでしまい、潤のことをキャバクラ嬢の鏡のようだと褒めちぎっていた。
このオレも、潤の持ち前の明るさや人懐っこさは身をもって実感している。東京へやってきた当初、慣れないアパート暮らしのオレに、彼女は積極的に接してくれたからだ。
たまには意地悪をされたり、嫌味を言われたりするけど、潤は同じ歳のオレを気に掛けて、いつも元気付けてくれるような気がしていた。
「・・・でもさ、ギャルマガのこと。潤ちゃんには悪いけど、ちょっと残念なんだよね。」
苦笑いしながらそう囁いた男性たち。その真意について、彼らは寂しそうに語り始める。
「ギャルマガに写真が載るとさ、かなり人気が出ちゃうみたいなんだ。そうなると、潤ちゃんが潤ちゃんらしくなくなるというか・・・。何となく、遠くに行っちゃうような気がするんだよ。」
「潤ちゃんなら大丈夫だと思うけどさ、やっぱり、いろんな男たちに持てはやされて、ちやほやされちゃうと、いくら彼女でも高飛車になるんじゃないかって、そう思わずにはいられなくてなぁ・・・。」
どんなに人気者になっても、どんなに有名になっても、いつまでも明るく優しい笑顔を振りまいてくれる、そんな潤のままでいてほしいと、男性たちはやり切れない胸のうちを吐露していた。
「オレたち、そろそろ行くよ。潤ちゃんによろしくね。あと、荷物持ちも、がんばってな。」
その男性たちは別れの言葉を口にすると、オレのもとから立ち去っていく。オレは押し黙ったまま、彼らの姿が見えなくなるまで見届けていた。
「潤のままの潤、か・・・。」
しばらくして、女性用トイレから潤が戻ってきた。どうやら、オレの表情が沈んでいたらしく、彼女から何かあったのかと心配されてしまった。
「別に何もないよ。ただ、買い物袋を持って待ち続けた右手が疲れただけさ。」
「えー、ドレスしか入ってないのにぃ?フフフ、だらしないヤツぅ~。」
クスクスと微笑しながら、オレと潤は賑わいを見せ始めた池袋の街へと出ていく。
街並みはまだ明るかったものの、高層ビルの長い影がオレたちをすっぽりと覆い隠していた。少しだけ暑さが緩んだこともあって、ビルの隙間から抜けてくる風がやけに涼しかった。
ご意見、ご感想など、お気軽にお寄せください。




