懐かしき遠方の地
新章開始!
そこは、ひどく懐かしかった。
しかし……この異界の、この情景の何が懐かしいと思わせるのか……いや、なぜ懐かしいと感じるのかさえ分からなかった。
ただ、何となく……懐かしく思った。
管理官候補として選定され、局に招集されるまで住んでいた遠い故郷の星……少なくとも、あの辺境星系の端っこの片田舎よりは。
自分が管理局へ移って以降、他に住む者も立ち寄る者もなく……とうに荒れ果て、あるいは朽ち果てただろう田舎町の実家よりは。
メイは異界へ侵入して早々、強いノスタルジーに侵されながら……それでいて何の記憶も思い起こせないでいる。
懐かしい気がするのに、昔のこと……管理局に来る前のことが、何も思い浮かばない。
本当に、懐かしい気分になっているのだろうか?
もしかしたらこれは、私自身、固有の感覚というよりも……『識見外挿』されてる人物の知識や思考が影響してるのかもしれない。
あ、いや……それは別に関係ないのか。
いま懐かしい気分になってるのと、そんな気分なのに昔のことをまるで思い出せないのは……少し意味合いが違う。
なぜだろう。改めて思い返してみると、昔からそうだった気もする。
マリエやレイナとおしゃべりしてるときも、あの子達の故郷や局に来る前の話題になると……いつも話すことが思いつかなくて、黙って聞いていた。
そうだ、局に来たばかりの頃でも……確かそんな感じだった。
局に来たばかりで、記憶が鮮明なはずの頃でもそんな感じだったな……そういえば。
しかし……うーん、これはたぶん良くない。ちょっと考えるのやめよう。
異界へ来たばかりなんだし、そんなことを考えてる場合じゃない。
どうせ考えるなら、この異界のことを考えたほうが仕事の役にも立つ……かもしれないし。
そのためにもまずは、ここから外へ出よう。
メイは侵入していた異界の廃墟……『礎界』の建築物よりは少し時代の古そうな、ただし見方を変えれば『礎界』の文明進化と似ているような印象を受けるボロ部屋から、外へ出てみることにした。
部屋に一つだけあったドアは、廊下らしき細長い通路に繋がっていた。その通路の端には、最初の部屋と同様になにかの廃材や残骸が散らかっている。
予定通り、辺りに霊長の気配はない。時々残骸が揺れて、ネズミのような小動物が逃げていくのが見えるだけ。
おそらくここには、有用なものはほぼ残されていないのだろう。
メイはときおり壁に絵や写真と、短文らしき記号が掲示されているのをデータで拾いつつ……建物の出口を目指して歩く。
途中階段を上るべきか下りるべきか迷ったり、作業室? らしき部屋に転がっていた精巧な人形模型に驚かされたりしながら……メイは建物のエントランスホールまでたどり着いた。
そこにはカウンターや看板、椅子などの朽ちた残骸が転がっていた。何らかの商業施設や事務施設、または医療施設のようなもの……が破却された跡なのだろうか。
といっても、それらの施設……の跡地であれば、今回の任務には関係しないだろう。
メイは現地の文字が記されているらしい看板だけを一目確認してから、外へ出ようと出入り口へ向かった。
建物と外界を隔てる出入り口では透明な……ガラス戸? が閉じられている。
戸にはドアノブが付いておらず、代わりに引き手らしき灰色のバーが二つ中央部に付いていることから、引き戸だと思われるが……それらを左右に軽く引いてみても、ドアは動かない。
メイは、ならばと引く力を強める……と、引き手が動いた!
バキッ、と鈍い音をさせて。
しかし戸は開いていない。そう、戸から外れた引き手だけが視界の外へ飛んでいったのだ。
戸が開かぬうちに引き手が壊れた。これは困った。
……見た目はガラス。誰もいないようだし……割っちゃうか。
それほど厚みはなさそうに見える。ガラスなら、あまり強い力も必要ないだろう。やってしまえ。
どうしようもないほどの懐かしさが、警戒心や慎重さを薄れさせていたのかもしれない。
メイは何となしに右拳をドアに叩きつけた。
軽めの一撃で、小気味よい破裂音が辺りに響く。しかし一撃ではメイが通れるほど大きな穴は開かなかったため、穴の周りの亀裂に打撃を加えてドアを破った。
建物の外に出ると、平らに舗装された地面のあちこちにヒビ割れができており、その隙間から草が生え出していた。
舗装材の材質、耐久性などはよく分からないが……草が生え出しても取り除かれない程度には、整備をされていないということだろうか。
この異界のヒトが、あまり草を除こうとしないだけ……という可能性も有り得るが。
メイは辺りを見回して、建物の外にも誰もいないことを確かめた。また見回した感じでは、建物の外周が柵で囲まれているらしく……柵の手前まで歩いてみた。
柵へ近づくと、丘の上から一方を見下ろす格好になっていた。眼下には、拓けた平地と……その上に数々伸びた、四角い建造物の集合が見える。おそらくあの建造物群の辺りに、ヒトが住んでいるのだろう。
となると……この施設は高台に建てられたものらしいが、あの建造物群からこれほど離れていて、意味があるのだろうか?
いや、意味が薄いから廃墟になった……?
などとメイは考えを巡らせようとしたが……見るもの、感じるもの、それらから受ける懐かしさで思考がまとまらない。
ま、こういうとき……あまり拘っても上手く行かない。
メイは気持ちを切り替えて、少しの間雰囲気を受け止めてみることにする。
どこからか吹く、朝露混じりのように香る風。
青い空から照りつける、少しまぶしい日差し。
眼下一帯に広がる、角ばった建造物群の密集。
内で外で触れるあれこれが、ひどく懐かしい。
やはりここは、何もかもが……とても懐かしい。
メイはこの異界で触れるさまざまな事象に心を引かれながら、いちど丘を降りてみようと軽やかな足取りで柵の出口を探しはじめた。
このときメイには、本件──ここでの任務が、管理官として受ける最後の任務になることなど……知る由もなかった。




