しめやかに
可能な限り優先……か。
と言ってもこちらの用なんて……管理局の緊急事態か、タムのことくらいしか無いだろうけど。
「何か火急の用件があれば、そちらはペドロ課長に任せてもよい、と……?」
「いや、代行どのが来られぬようなら……こちらは延期しますゾ」
延期……?
明日でなければならないというわけじゃないが、なるべく早く行いたい……くらいのニュアンスなのだろうか。
にしても……私が研究施設に来ないなら後回しにするなんていうほど、私の参加に意義がある用事……なんてあるだろうか?
「私がいなければ延期? それは一体どんな……」
そんな用、第六課で私が立ち会うべき件、なんて……
まさか、あの子の?
いや、一昨日「進捗は四割くらい」と言っていたはず……それにはまだ早いはず。
けど、いまペドロ課長を問い詰めてもはぐらかされる……何となく、そんな気がする。
「いえ、失礼……承知いたしました、ペドロ課長」
メイは口に出してしまった疑問をひとまず飲みこんで、ペドロの意に従うことを告げる。
「ええ、よろしくお願いしますゾ。それではそろそろ仕事に戻りましょうかナ」
と、ペドロが話を切り上げようとしたところ……レイナが屈託のない笑顔で勢いよく立ち上がった。
「あ、んじゃあたしそろそろ帰るね、おっさき〜」
立ち上がった反動で赤い横髪が上下。
レイナがメイに向けて振る手は左右。
「うん、またねレイナ」
メイは右手を上げて挨拶を返してから、時計に目をやる……夕方頃。
「さて、仕事に戻るとは言ったものの……連絡もなければ、急ぎの案件もなさそうですナ」
レイナが去ったあと、仮設司令部にはとくに来訪者も業務連絡もなく、静かに日没を迎えていた。
日没前から日没後しばらく、会議室に残っていた二人はいろいろと雑談していたが……メイはその内容をよく覚えていない。
とくに興味を惹かれる内容の話はなかったはずだが、それ以上に……睡眠装置の前での、謎の女声について触れるか否か……そのことを悩んで、いや止めておこうと結論付けて……それらを態度に出さないよう気を付けていたから。
と、少し会話が途切れたところでペドロは手元のデバイスに顔を向けていた。
「ふむ……この時間なら、そろそろ店じまいですかナ。代行どの、それでよろしいですかナ?」
「分かりました。では、明日は第六課へ……朝一で伺えばよいですか?」
わざわざ了承を得ようとするかのようなペドロのもの言いを流して、メイは明日の予定を確かめておく。
朝早くに向かうなら、早めにタムを寝かしつけときたいな……
などと考えていたメイに、今日もペドロは妙な事を言い出した。
「いやいや、代行どのにご足労いただいては体裁がよろしくありませんからナ……迎えに来ますゾ」
体裁がよくない?
私が第六課を訪ねる程度のことで、なぜ体裁がよくないと? そもそも、なぜそんなことを気にする?
「しかし、そこまでさせては……」
「明日は朝も早いですからナ、娘さんに無理がないように……とも考えましてナ」
「……そういう、ことでしたら」
メイはペドロの申し出を断ろうとしたが、娘を引き合いに出されては……強く拒めなかった。
ペドロの退出後、夜は家族水入らず……穏やかなひとときではあるが、早めに夕食と入浴を済ませて眠ることにした。
翌朝、先に起きたメイは身支度を整えて、枕を抱きしめてベッドの下に落ちてしまっていたタムを起こして、ペドロの迎えを待って……
と、メイたちを訪ねてきたのはペドロではなかった。
「おはようございます、朝早くにすみません、ペドロ課長の指示で参りました」
インターホン越しに、ペドロとは別の……聞き覚えのある声がする。
「おはようございます、こちらは第九課のメイです……貴方は……ビッグ=グッドさん?」
「え、覚えていていただけたのですか、光栄です」
光栄……そんなことを言われるとは、メイは考えていなかった。
いなかったが……朝早くから、あまり気分のいいものではなかった。
あくまで局長代行の身、そんな扱いはされたくない。
「それで、今日のご用は?」
メイは朝っぱらから少し気落ちしつつ、それを表に出さないよう気を付ける。
「はい、作業中で手が離せないから、代わってお迎えに行ってくれますかな……とペドロ課長から指示を受けました」
メイたちはビッグ=グッドの運転する浮揚艇に乗り、第六課の地下研究施設へ入った。
「ようこそですナ、局長……代行どの」
「おはようございます、ペドロ課長」
「ワタシが約束したのに、お迎えに行けず申し訳ないですゾ」
丸眼鏡の奥に濃いクマを作ったペドロに案内されながら、メイたちは施設の奥へ進んでいく。
「昨日、準備を整えましたゾ」
「何の?」
「さあ、早速始めましょうゾ」
「何を?」
「今、貴女をここへ呼ばなければならない用向きなど……一つしかありませんゾ」
「……やはり、局長を? しかし、つい先日は進捗がまだまだだと……」
「それが、思いのほか順調に進みましてナ。そのため、昨日寝ずに突貫で準備したところですゾ」
話しながら内部を歩いて、何度かセキュリティロックを解除した先……飾りっ気のない扉の先にある設備を、メイは覚えている。
薬液で満たされている、大きなシリンダー。
その中に、小柄な裸体が一つ浮かんでいる。
シリンダー内は暗くて少し見づらいが、内部のその身体は愛する女性のものだと……メイは知っている。
前回と少し違うのは、彼女の身体に繋がれた多数の配線らしき管……
「さて、始めましょうかナ……再会の心づもりは、よろしいですかナ?」
メイは無言でうなずくことしかできなかった。
メイは、ペドロに目を向けることができなかった。
目線はシリンダーから微動だにさせられず、ただタムの手を取って握りしめていた。
タムの手が少し震えているように感じながらも……自分も震えているように、身体がこわばっているように思えて……




