36.真相 2
ある土砂降りの夕方、決意を決めた神無木命は東校舎に赴く。
直前に雷の下駄箱に手紙を置いた。途中の渡り廊下で蓮に出くわしたのは偶然だった。
二言三言会話を交わし、神無木命は胸を撫で下ろす。幸い、その時点で蓮には特段悪い気配は見受けられなかった。
まだ呪いの影響は限定的なのだろう。
残念ながら玲生はすでに明らかに様子がおかしく、隠してはいるが殆ど彼女を避けていた。
同学年の雷や遥真はどうか。今のところは平気でも、このまま時間が過ぎれば呪いに侵食される可能性はある。
ああ見えて強い性格の雷は、まだ大丈夫な感じがした。
遥真の内心は読み難い。部活中の負傷が悪化して放課後すぐに退出しているが、彼のダメージが故意や悪意によるものでないことを密かに祈る。
そして――先代巫女姫の子であり、生徒会長の聖也には端から抱える闇がある。彼は何を思い、何を諦めているのか。神無木命には未だ捉え切れない。
結局、誰の助力も得られずに、ただ独り、神無木命は渡り廊下から繋がる東校舎の扉を開けた。
鬱蒼とした森のように重苦しく薄暗い校舎の中を一巡する。そこには誰もいない。追い掛けていたと思った相手の気配を、彼女は見失ってしまった。
仕方なしに階下に戻ると、神無木命は異常に気づいた。
――鍵が。
入って来たドアは施錠されていた。反対側の出入り口も閉められている。
――出られない?
神無木命は焦った。
東校舎の窓は小さな喚起用を除けばすべて嵌め込み式のため、2箇所の出入り口以外から外に出るのは不可能だ。
いや、屋上に行けば非常出口はあったかもしれない。そう思い至って再び階段を昇る。しかし何やら嫌な予感がした。
いったい誰が、どうして鍵をかけたのか。
当直の教員が来るにはまだ早い時間だ。
神無木命の背に凍るものが走った。
このとき、本当に偶然だったのだ。
所用で東校舎内の準備室のひとつに篭っていた聖也が、仕事を終えて部屋から出てきたのは。
『斎木先輩?』
『何をしている?』
『……先輩こそ』
聖也は神無木命が東校舎に足を踏み入れるずっと前から、生徒会の仕事で集中して作業をしていたのだと言った。
学内でも目立つ存在の生徒会長が、この場所では極力警戒して気配を薄めている。なるほど、巫女姫の力をもってしても容易く捉えられないはずだ。神無木命は感心する。
逆に聖也は不審を抱いた。
夕方の遅い時間に生徒が残っているのは珍しいが、普段であれば特に不思議でもない。
だが聖也は神無木命の尋常でない様子をすぐに悟った。彼の感覚もまた鋭敏だった。校舎内に立ち込める不穏な雰囲気を感じ取り、眉を顰める。
『何があった?』
『鍵を、かけられました』
『……君は、まさか』
神無木命の素性や能力を熟知していた聖也は、自分の警告を無視する迂闊な行動を咎め立てた。
『危険については以前に忠告はしたはずだ。いくら君でも東校舎で相手を刺激すれば、どうなるかわからない』
『教えてくれたのは斎木先輩ですよ?』
『それは逆だ。君が下手に関わらないよう注意換気のために伝えたんだ』
『もう手遅れです』
聖也は一瞬だけ呼吸を止める。
神無木命はまるで見せつけるように強く清らかな笑顔を向けた。もちろんわざとだった。
『……っ』
――ごめんね、斎木先輩。でも。
儚くも深く、暗い淵を抉る。
たとえこの身が滅んでも、永遠に残る想いを彼の心に刻み付けたい。そんな望みすら抱く。
邪な感情かもしれない。
別に特別な気持ちがある訳ではない。
ただ……いつか伝われば良いと思っている。
逃げ続ける聖也に引導を渡したかった。
戦わぬ道を選んでも、その先には何もないのだと気が付いてほしかった。
『私もまた呪われました』
+ + +
「命……神無木は屋上に向かった」
それきり、聖也は彼女と分かれた。
何故と問う必要もない。神無木命は敵の気配を改めて追い、聖也は怖じ気づいて校舎から去ろうとしたのだ。
「いや……だが、お前にも聞こえたよな、神無木の悲鳴。俺は、外で聞いたんだ」
「ああ、聞いた」
第一発見者である蓮の疑問に、聖也は淡々と答えた。おそらくは意識的に感情を殺しているように見えた。
「なのに、見捨てたのか……? あいつがピンチだってわかってて、助けに行かなかったのかよ!?」
「行かなかった。そのまま外に出た」
「お前っ……!!」
蓮は激昂して聖也の胸ぐらを掴む。
そのやるせない気持ちが理解できる他の生徒会メンバーは制止しない。
「おい、落ち着け。校内での暴力行為は教師として見過ごせないぞ」
間に入ったのは忍だった。どんなに軽そうな外見でも、さすがに社会人としての良識は弁えている。
「あー……なんだ? 意味はよくわからん部分はあるが、要するに神無木の事故は、事故じゃない可能性が高いんだな? つまり不審者を追っていて襲われた……のか?」
「まあ近い感じはするけど、うーん……」
要約すると間違いではないが、ニュアンスは微妙に違和感がある。青花は曖昧に首を傾げた。
「言祝木くんが彼女の遺体を発見したタイミングで、斎木会長は渡り廊下側のドアを開けて校舎の外に出た……で、合ってるのかな?」
「そうだな。校舎を出た直後に蓮から何度か着信があった」
「君は出なかったらしいけど」
「ああ。正直動揺を隠す自信がなかった」
自身の考察と照らし合わせて詳細を確認する星乃にも、聖也はただ事実だけを述べる。
蓮は舌打ちして聖也から手を放した。
「……悪ぃ。八つ当たりだな。俺がお前の立場でもあいつを助けられた訳じゃねえだろうし」
「いや……」
「でもさー、こそこそ隠さず話してくれてもよかったんじゃない? 言祝木とか御木はお家事情に疎かったから仕方ないにしても。まー僕も病んでたけどね? 貴木あたりには言ってもいーじゃん」
やや責める口調で、玲生が愚痴をこぼした。言い分は尤もだったため、遥真も同意して問い質す。
「我々が信用できなかったと?」
「……違う、が……いや」
聖也は躊躇いがちに否定する。何かを憚っているのか、珍しく歯切れが悪い。
「信用……そうだな。確かに全面的に信じていたかというと、どうだろうな」
薄い口端が微かに揺れた。
(え……?)
青花は聖也の横顔を注意して見る。悟られまいとしているが、どこか張り積めた警戒の糸が縒っている。いや、東校舎で遭遇した当初から、ずっとそうだったのかもしれない。
「疑惑は常にあった」
長く培ってきた猜疑心と用心深さをようやく前面に表して、聖也ははっきりと告げた。
「学院のどこに敵の目が潜んでいるかわからない。だからいつだって……たとえお前たちでも疑っていたよ」
容赦ない科白の意味を解さない者はいなかった。
つまり彼はこう言ったのだ。
ごく身近に――敵がいる、と。




