35.真相 1
そうだね、君は嘘を吐いた。
何でもないと言った。
問題ないと言った。
ちゃんと戻ると言った。
行ってきますと言った。
お帰りは、言えなかった。
俺は今も疑問に思っている。
もしも――。
本当にもしもの話だ。
君が生きて、自分が死んだ世界と。
自分が残って、君がいない世界と。
どちらが嫌かと君が問われたならば、当然前者だと答えただろう。
だから本当はよかったんだ。
たとえこの世が虚構の果てでも。
移ろう幻の中に身を浸しても。
辛い現実よりも幸せな嘘の方がマシだった。
ああ、だけれども。
君が生き延びることで彼女が死に至るとしたら。
彼女が死を逃れることで、君の身が危うくなるとしたら。
俺は選べるだろうか。
……君を?
……彼女を?
片方は決して助からないのに。
どちらかを天秤にかけることなんて。
そうだね、できやしない。
だから俺は惨めにここにいる。
この手を摺り抜ける追憶の欠片に囚われる。
いつまで理性を手放さずにいられるのか。
だから歯止めと楔の役割を彼女に押し付けた。
君の身代わりにするように見守っている。
なんて滑稽だと自分でも笑える。
謝らないよ。
君にも彼女にもその言葉は伝えない。
でもそろそろ別れを告げよう。
世界を捨てた君に。
ただいまを言わなかった君に。
……さよならを、告げよう。
◆ ◆ ◆
自分が知っていることはすべてではない、と斎木聖也は最初に前置きをした。
飽く迄も神無木命を見捨てて去ったその時点までしか把握していない。聖也は断言する。特異な能力で偶然に彼の記憶を覗き見た空木青花も、その発言が嘘でないと知っている。
青花は自分の持つ情報で欠落箇所を補完しつつ、聖也の告白を聞いた。
事の起こり……と言うのだろうか。
学院内を調査していた神無木命は、六根の家系に伝わる敵の存在がごく近くにいることに気づいた。
そして実は東校舎こそが相手の支配する場の可能性が高いと伝えたのは、聖也自身だった。
――すべてはあそこから始まったんですね。
ひっそりと嘯いた神無木命の真意を、今も聖也は理解していない。ただ、まだ正気だった頃の母の科白を憶えていて、直系としていくらかの知識があっただけだ。
『あの場を起点として、奴はこの世界に顕現したのでしょう』
『一夜にして、あの地は塗り替えられました』
『放置することはできません。私は当代の巫女としてお役目を果たさねば』
(塗り替えられた?)
その言葉に引っ掛かったのは、おそらく青花と星乃だけだろう。
連想される事象はひとつ、消えた過去と異なる現在……即ち青花のスマホに今も残るあのゲームアプリと、突然現れた星辰学院の関係に他ならない。
先々代の巫女姫であるところの聖也の母親は、何を知っていたのか。
もしかすると青花同様、星辰学院のあった場所に別の風景を見ていたのかもしれない。
(星辰学院……森林公園。東校舎のあった位置には何があった?)
特に関心を持って注視していた訳ではない青花には、朧げな記憶だけでは地図情報を巧く構築できない。そもそも近所だったとはいえ、件の公園に足を踏み入れたことなど殆どなかった。
(なんでだっけ……そうだ、危ないから子どもは遊んじゃ駄目だって)
両親が口を酸っぱくして幼い頃の青花に注意していた。さすがに中学に入ったくらいで言われなくなったが、すでに野外で駆け回る年齢ではない。その頃にはすっかり興味を失っていた。
そう、数か月前森林公園自体が存在を消したその日までは、全く思い出しもしなかったのだ。
(わからない。斎木さんはお母さんから一体どこまで聞いてるんだろう)
青花は続く告解を神妙な面持ちで聞き入った。
しかし結論としては、幼少時の聖也は単語の羅列を耳に捉えたに過ぎなかったようだ。
長じてから家系の秘密や母の置かれた状況を知るにつれ、徐々に判った事実もあるが、なおも不明瞭な点もある。
疑念を抱きながら学院に入った聖也は、母の言った場所が東校舎だと見当をつけ、敵を探し続ける神無木命に告げた。意図があった訳ではない。母と立場を同じくする彼女を無下にできなかっただけだ。けれど協力する気は微塵もなかった。
やがて神無木命はひとりの人物を疑い始める。
だが、ほぼ同時に反撃を受けた。
敵は彼女を邪魔な存在と見做し、最も嫌がる方法で傷つけることにしたのだ。
神無木命は呪詛を刻まれた。
汝 美しきもの
清らかなりしもの
汝に消えぬ祝福を授けよう
永遠の真実を与えよう
汝 愛されしもの
さりとて汝を愛するものは
その傲慢に身を焦がし
自らを滅ぼすであろう
それが決定打となり彼女は疑惑を確信に変えるが、時はすでに機を逸していた。
敵の攻撃――「呪い」は密かに彼女に好意を寄せていた天木玲生を蝕んだ。惚けているとはいえ家系でも相当の実力者である彼が、防ぐ隙もなく闇に支配される。この事実は神無木命にかなりの衝撃を与えたらしい。
今はまだ他の生徒会メンバーには兆候は見られないが、今後はどうか。同級生であり最も気安い御木雷は、仲間として真摯に相談に乗ってくれる貴木遥真は、憎まれ口を叩きながらも面倒見のいい先輩である言祝木蓮は……皆いつまで無事でいられるだろうか、と神無木命は懊悩した。
結局これ以上周囲に影響を及ぼすのを恐れた彼女は、単身でも覚悟を決めて戦う道を選択する。
その悲愴で孤独な決意を、あのとき聖也も聞いていたはずだ。なのに。
彼は今もなお心に残る深い悔恨を、ありのままに語る。受け手は皆、思い思いに切ない情景を脳裏に描いた。




