31.お祭り騒ぎとぼっちの君と 5
(私がその……巫女姫的な立場だったから、消えたゲームの記憶があった?)
星乃の言葉の意味は理解できるが、納得感は少ない。そもそも遥真たちの認定が正しいものなのか、青花には甚だ疑問であった。
(まさか未プレイなのに現実でゲームの本筋進めろって? それなんて無理ゲ)
物語は主人公が亡くなるというイレギュラーが発生した時点で詰んでいる。それでも空想と異なり世界が終わる訳にはいかないから、何らかの補正が働いた――そう推測するのは不自然ではない。
ないのだが……青花の立ち位置からすれば不条理でもある。いったい何をどうしたらいいのか皆目想像もつかない状況下で、責任だけを課せられるのなど御免だ。
「私に何ができるとも思えないんですが」
「多分、……いずれわかるよ」
星乃は少しも笑わずに青花を見つめた。
「尤もそれが必ずしも良い方に転ぶとは限らないけどね……」
+ + +
「……青花ちゃん?」
先日のやりとりを抱えた不安ごと思い出していた青花は、不意に呼び掛けられてはっと我に返る。
「先輩……」
「ぼうっとしてたね」
「あー、ちょっと考え事を」
「うん、まあ心配だよね」
何もかもお見通しといった風情で星乃は声を低め、青花の顔を覗き込んだ。
「大丈夫?」
「へ……平気ですよ! それよりも貴木くん遅いですよね!」
13時過ぎ、二人は玲生の計らいで開錠された出入り口からこっそり東校舎の中に入り、約束通り遥真が来るのを待っていた。
閉め切っていると明らかなため周囲に生徒や来客は殆どおらず、文化祭の喧騒とは無縁である。とはいえ、渡り廊下側でない出入り口は校庭からも見える位置にあり、忍び込むのには気を遣った。
悪事を企んでいる訳ではないが、他校の人間が好き勝手をしている後ろめたさはある。
そうまでしても東校舎に――神無木命が追い詰められた現場に赴く意味を、星乃は未だはっきりとは語らないでいる。
「ここで……何が、あったか」
疑問は知らず口をついて出た。校舎の内壁に寄り掛かりながら腕を組んだ星乃が、青花の言葉を聞き咎めて続けた。
「或いは、ここに何があったのか……だね」
「……あった?」
「君しか記憶していない過去の中で」
そう告げられて、青花は首を捻る。
自分だけが憶えている事実と言うならば、この場所にはそもそも星辰学院など存在していない。
「森林公園、だったよね」
「って言っても、小さい頃そこで遊んだとかもないんですけどね。よく親が、危ないから子どもだけでいっちゃダメって」
「迷子になるとか?」
「そうですね。後は噂っていうか都市伝説的な話で、大昔に事故だか殺人だかがあって、幽霊が出るとかそういうの」
「……興味深いね」
詳しく、と星乃が新聞部らしい好奇心を示したそのとき、突然出入り口の外側で大きな音がした。
「――!?」
どどどど、と地面を蹴る振動が伝わってくる。地響きに近い音の中に、唸るような人間の声が混じっていた。
ただならぬ事態に二人は驚いて顔を見合わせる。
「え? え?」
「何かあったのか?」
星乃が嵌め込みの窓の外に目を遣ったと同時に、出入り口が開いた。
「貴木くん?」
「……緊急事態だ」
校舎に入ってくるなり、遥真は扉を乱暴に閉めた。ばん、という衝撃音と共に、何かを弾き飛ばしたように空気が揺れる。
遥真は指先で空中に何かの文字を綴り、掌を扉に向けた。白い光が発せられる。微かに外から複数の呻き声が聞こえた。
「何が」
「1階全体に邪気払いの障壁を張った。これで暫くは入って来られない」
「だから、何が」
「生徒たちが」
ぱんと手をはたくと、遥真は唖然とする青花たちに向き直す。普段から愛想のいいタイプではないが、表情は更に険しい。
「例の黒い靄で、また生徒たちが暴走している」
「えっ」
「どういう状況なんだ?」
星乃は再び窓から外と覗き見た。嵌め込み式のため開けることはできないが、景色を遮るカーテンも雨戸もないため見通しは良い。
「な……」
「……!」
真似をして目を凝らした青花も息を呑んだ。
そこには異様な光景が広がっていた。
校庭を埋め尽くすかのような黒い靄の海と、焦点の定まらぬ目でゾンビのごとくふらふらと歩く生徒の群れ――明らかに尋常な様子ではない。
「……襲われて逃げてきたのか?」
「ええ。つい先刻、あの黒い靄がいきなり本校舎を包んだ」
遥真は目撃した光景を誇張なく語った。
人波を泳ぐように黒い靄は校舎から校庭にまで伝播した。一瞬の間だったという。中には生来その手の悪意に抵抗力のある人間もおり、学内の異常を察知して騒ぎ出した。しかしパニックに陥っている隙に操られた生徒たちに囲まれ、拘束されてしまったようだ。
「すでに『呪い』は生徒だけでなく教員や来客にも及んでいる。校内に正気の人間はもうあまり残っていない」
特殊な力を操れる遥真だからこそ、何とか東校舎まで逃げ延びたのだ。それでもぎりぎりの攻防だったと彼は語る。
閉鎖され人気のない東校舎だけは、未だ汚染に巻き込まれず無事だった。
隙をついて駆け込んだ遥真だが、即席で張った結界だけでは安全を担保できないと自覚している様子だった。
「どうするんですか、これから」
まさか全校生徒を相手取ってお祓いを決行しろとは言わないだろうが、青花は念のため確認する。
「さすがにあれをどうこうって無理ですよね?」
「わからない」
「六根が揃えば、或いは」
「天木くんや、他の生徒会役員はどこに?」
狙われるとしたら彼ら全員が標的だろう。当然に思い至って星乃が尋ねた。
遥真は首を振る。
所在も何もかも不明ということだ。打つ手がないと青花は落胆する。もし全員で協力し合えれば、ストラップの力を借りて、再び打開できる可能性があったかもしれなかったのだが。
半ば孤立した状況に置かれ、青花もさしもの星乃も当方に暮れる。豪胆に見える遥真とて、焦燥がない訳ではないだろう。
(絶体絶命とか……ないよね?)
青花は無意識に星乃を見上げた。
いつだって危機に対処してくれたのは、頼れる先輩である星乃だった。今も動揺しながらも、頭脳を回転させているのがわかる。
「先輩」
「……黙って」
「へ?」
唐突に、星乃は人差し指を口元に置いた。
青花に沈黙を指示すると、その視線と意識を上方に向ける。
(2階に何か……?)
「誰かいるようだ」
遥真も同様に上階に注意を傾け、結論を述べた。
「ええ?」
「足音がするね。複数だな」
「誰かって、まさか憑りつかれたひとたちが!?」
「そういう気配ではないが……」
悩むように首を傾げて、遥真はやや迷いながら言った。
「多分、生徒会の誰かだ」
人物の特定まではできないが、肌に引っ掛かる気配を感じる。そう遥真は告げた。おそらく特殊な家系に生まれた者同士、時に仲間内でのみ通じ合うセンサーが働くのだろう。
「生徒会の? じゃあ……」
「とにかく行ってみよう」
三人は2階に上がるべく階段に向かう。
時折嫌でも目に入る窓ガラスの外側には、不気味な黒い幻影がゆらゆらと蠢いていた。




