27.お祭り騒ぎとぼっちの君と 1
いつの間にか、彼女は狂ってしまった。
もともとは高い能力を持って生まれ、血族でも突出した存在だったはずだ。当代の「巫女姫」と謳われ、家の誉れとして敬われていた……そんな彼女が、何故。
黒い靄に囚われたあの日から、彼女は静かに破滅へと向かって行った。それに気づいたときは最早すでに手遅れだった。攻撃意思は容赦なく周囲へと及んだ。
彼女は不幸にも、愛しい者すべてを傷つける「呪い」を負ったのだ。家族も友人も、愛する男も……何よりも大切な最愛すら、我を失った彼女には殺意の対象でしかなかった。
いったい何が、誰がこの悲劇を生み出したのか。
彼女をこんな目に遭わせた原因は何なのか。
――何故。
葛藤が消えない。
無謀にも敵を侮ってしまった彼女も。
何もできなかった自分も。
ろくでもない宿業を継いだ家も。
何もかも許せないでいる。
不可抗力でも彼女を死なせてしまった自分こそ、深く呪われた身に違いない。いいや寧ろ、呪ってほしいとさえ欲している。罰を、必要としている。
『私は思わない』
脳裏をよぎるのは、黒髪の少女の幻だった。
華奢な肢体は弱々し気で、とても戦える印象ではない。なのに凛としたその瞳には、清らかで研ぎ澄まされた力を感じた。
『たとえ私が負けても、希望は残しています』
……ああ、どうして自分はあのとき。
共に立ち上がり、一歩踏み出せなかったのか。
情けなくも置いて逃げてしまったのか。
『大丈夫。諦めないで、待ってて』
少女の後ろ姿に手を伸ばす。
幻は消え、決して届かないことを実感させる。
最期に少女が言った科白は、自分に向けられたものではなかった。
『……行ってきます』
◆ ◆ ◆
貴木遥真が不慮の事故に遭い、御木雷から呼び出しを受けた病院からの帰り際、空木青花は会いたくない……と言うより見つかりたくない相手に、うっかり出くわしてしまった。
病院の受付付近で互いの姿を認めると、よく似た兄妹は揃って同じ表情で驚きを見せた。
「……青花?」
「!」
「何やってんだ、こんなところで」
「って、兄ちゃん!?」
「どっか悪いのか、お前?」
「え……いや、別に」
完全に想定外の遭遇に、青花は狼狽した。
考えてみれば、星辰学院の教員である兄の忍が、生徒の付き添いやら後処理やらでこの病院にいてもおかしくはない。予測していなかったのは迂闊と言える。部外者の青花がいる方が不自然なのだ。
「お……見舞いだよ! 友達の!」
「なんだ、そっか」
上擦った声で拙い言い訳を口にする青花だったが、忍は特段怪しんだ様子はなかった。
「お友達入院したのか。そりゃ大変だな」
「うん、まあ。でももう帰るところだから。兄ちゃんは……その」
「俺はお仕事。今日も帰り遅くなりそーだわ」
忍は曖昧に苦笑した。
表向き突っ込むこともできず、青花はすっとぼけて妹らしく労いの言葉をかけるしかない。
「へぇー……そうなんだ。兄ちゃんもなかなか頑張ってるじゃん。お疲れ様ー」
「くっそ他人事だな、お前」
「えぇぇぇえ? 他に何を言えと」
「心配くらいしてくれよー。お前の愛しのお兄様じゃないのか」
「何それキモい」
いつも通りにおどける忍にシラケた青花は、同時に不審に思われなかったことに安堵する。
もし青花が妙な事件に巻き込まれていると知ったら、おそらく忍は兄として見逃さず叱るだろう。普段はどうあれ、年齢の離れた妹を溺愛……とまではいかないが、それなりに可愛がっているのは事実である。
(兄ちゃんはなー……ああ見えて結構ちゃんと大人だから)
外見や態度こそ現代的で軽薄な印象の忍は、意外にもモラルに厳しい一面がある。特に仕事に関しては、アルバイト時代から真摯だった。
もちろん杓子定規でないのは以前に見せた天木玲生への対応から察せられる通りだが、融通が利くというだけで、その本質は社会常識に寄っている。
(言える訳がないよ)
そもそもこんな浮世離れした話を聞かせて、身内に心配をかける気はない。青花自身は適当にスルーされるのであれば、それで良かった。
だが……事は都合のいいようには運ばない。
忍は気がついてしまった。
可愛い妹の傍らに、同じ学校とおぼしき男子生徒がいることに。
「ん……? そっちの子は」
「え? えと……いやあのその」
星乃の存在を見咎められ、青花はいつになく慌てふためいた。
「あー彼氏か?」
妹の動揺に気づいた兄は、にやにやと面白そうに含み笑いを滲ませて揶揄う。
「やるなあ、青花」
「ちちち違います! 先輩です!」
「ほぅ、歳上か」
「しししし失礼だから! もう行きましょう、星乃先輩」
「あ、おい」
顔を真っ赤にして、青花は忍を振り払い、駆けるように病院を後にする。星乃は特に口を挟まず、無言で忍に一礼すると青花を追い掛けた。
病院の外に出て駅までの道をしばらく歩くと、ようやく照れが引いて落ち着いた青花に、星乃がぽつりと話し掛ける。
「お兄さん、ご挨拶できなかったな」
「すみません……まったく紹介もせず。あれが兄の忍です。なんつーか、いつもあんな感じです。ごめんなさい」
「仲良いんだね」
以前に玲生が兄妹の会話を聞いた際と同じ感想を、星乃は述べた。別に否定する訳ではないが、青花は何となく微妙な気分になる。
「ほんと、すいません」
「いや、いいよ別に」
星乃はくすりと笑う。そして上目遣いで詫びる青花の頭を、あやすように軽くぽんと叩いた。




