第二十二話 巫女服の女
ここまでくれば、少し離れた位置で見ていた巫女服の女にも全貌は見えてくる。
第一世代の生き残りであるNo.5は最高峰の魔剣を木箱に入れて『隠して』いた。その魔剣には無敵や再生の無属性魔法さえも無力化する力があったが、普通に木箱から出して構えればどうなっていたか。いかに魔剣が強力だろうとも、それさえ警戒して避けるなり腕ごと吹き飛ばすなりされればNo.5は敗北していただろう。いいや、互いの力量差を考えればほぼ確実にそうなっていたはずだ。
なぜなら大男の使える無属性魔法は無敵や再生だけではない。流石に安全性を無視した第一世代とは違うので百とまではいかないが、三十もの魔獣の性質を取り込み、無属性魔法を扱うことができる。
もしも今回の『役目』がNo.5を殺すだけのものであれば、無属性魔法の連打で決着はついていただろう。あくまでアリアの魂に負の感情を誘発させるために戦況を調整していたのが仇になったということだ。
だからこそネネの演技が効果的に働いた。大男の油断を誘うためにわざと魔剣抜きで挑み、敗北し、もうこれ以上打つ手はないのに無様に足掻く負け犬という『キャラ』を演じて隙を作ったのだ。
No.5の狙い通り、油断という隙を晒した大男は真正面から『暗殺』された。殺す瞬間まで相手にその存在を気取らせず、敵に本領を発揮させることなく暗器を突き立てる。『暗器百般』にふさわしい腕前であろう。
だけど。
「次はあんたの番よ。ちゃちゃっと殺してやるからその首差し出しなさい」
「随分と強気デスね。ご自慢の『暗器』は隠してこそ本領を発揮しマス。そうして晒した以上、真っ向からの戦闘ともなれば『暗器百般』の本領は発揮できないはずデスよ」
巫女服の女──大男と同じく第一王子より『賢者』の遺産の一括管理権限を奪取する『役目』を受けた第二世代はそう言った。
あくまで暗殺や諜報を重視して性質を埋め込まれたNo.5にこうして面と向かい合っての戦闘は不向きである。それでも本来暗殺や諜報を円滑に進めるための能力を直接戦闘へと割り振り、大男を己の土俵に引き摺り込んで撃破してみせたが、それもここまで。
手品がタネが割れれば驚きが半減するように、『暗器』もまた隠した状態から取り出してしまえば単なる武器としての価値しかなくなる。
無敵や再生の無属性魔法を『払う』性質は厄介だが、わかっていればどうとでも対応できる。
「ああ、それなら問題ないわよ」
そのはずなのに、No.5は笑みさえ浮かべていた。大男の油断を誘うためとはいえ、相当のダメージを受けているだろうに。
「あんたも第二世代なんだろうけど、さっきの大男よりは弱っちそうだしね。あんた相手なら不意打ち狙わずとも真っ向勝負で殺せるわよ」
「……、へえ。型落ちの第一世代ごときがデカい口叩くデスね」
「いいから、さっさと来なさいよ。さっきも言ったけど、ちゃちゃっと殺してやるから」
「なら、そうして余裕ぶったまま死ぬがいいデス!!」
瞬間、巫女服の女はネネを取り囲むように魔法を展開しようとした。魔剣は一振りしかないため、全方位より魔法をぶつければ対応できずに押し切れるとの考えからだ。
上位の冒険者や騎士が使うような高度な魔法の具現化。点ではなく面で制圧する物量の暴力。炎の燐光、すなわち火種。そこから爆発的に膨れ上がるように炎属性魔法が発動する予兆が世界を舐める。
しかし。
ドッン!!!! と。
魔法が発動するよりも早く、魔剣が巫女服の女の心臓へと突き立てられていた。
数十メートルはある間合いを文字通り一瞬で詰める音速超過の挙動。すなわち『暗器』が炸裂した時には巫女服の女の肉体から生命反応は途絶していた。
ーーー☆ーーー
「が、ばうあ……っ!?」
巫女服の女の心臓を貫き、生命反応の途絶を確認したネネの口から血の塊が吐き出される。全身の筋肉の断裂。音速超過の『暗器』による反動だ。
「あと、すこし……長引けば、返り討ちだった、かも……」
正直言って、ギリギリであった。
後少し長引けば、ダメージの積み重ねから負けていたのはネネのほうだっただろう。
カナリアお手製の包丁からネネの手が離れる。支えを失った巫女服の女は胸に包丁が刺さったまま倒れた。
紛うことなき死。
どこからどう見ても生命反応は感じられない。
それでも、ネネの中から疑問は消えなかった。
「ネネ! 無茶しすぎです!!」
後ろからアリアの声がした。駆け寄ってきているのだろう、徐々に声は近づいていた。
──巫女服の女が放とうとした魔法は確かに強力ではあったが、それはあくまで普通の人間の中では上位というだけだ。相手は第二世代。たかが冒険者や騎士と比べられる領域に留まっているとは思えない。
「もう我慢の限界です。今すぐリアナの治療を受けてもらいますからね!!」
ネネの足から力が抜ける。左足が溶けることはなくなったが、怪我は治りきっていない状態で音速超過の『暗器』を解放したのだ。右腕だけで音速超過の挙動でもって斬撃を放った時のことを考えれば、反動が全身に巡った結果どれだけの負荷がかかるかは想像にがたくない。
──確かに音速超過の挙動でもって間合いを詰め、巫女服の女の心臓に包丁を突き刺した。だが、そんなにすぐ、生命反応は完全に途絶するものなのか? そもそも心臓を刺すよりも前に生命反応が消えていたような?
「ネネっ!!」
首に、衝撃が走った。
深々と刃が突き刺さっていた。
ネネが大男を油断させるためにがむしゃらに投げつけたナイフの一本だった。おそらくそれを拾って、ネネの首に突き立てたのだろう。
視線を向ければ、ナイフを握っているのはアリア=スカイフォトン公爵令嬢であった。
──大男は『脅威』の一角である魔獣の無属性魔法を取り込んでいた。であれば、同じ第二世代である巫女服の女も相応の力を持っていて然るべきだ。単なる冒険者や騎士と比べられるようなものではなく、それこそ人間離れした力を。
「ふっふ」
笑みが、広がる。
いつもの柔らかく、温かなそれではない。悪意を煮詰めたような、およそアリアが浮かべるはずのない笑みが。
「くひ、あひゃははははは!! 『あんた相手なら不意打ち狙わずとも真っ向勝負で殺せるわよ』デスって? よくもまあそんなこと言えたものデスよねえ!?」
「ごぶっ……こ、れは……人を操る、力? がぶべぶっ!? だ、けど、既存の人体操作能力が、使われた痕跡は……なかったのに……!!」
「そんなの当たり前デスよ!!」
言下にアリアの拳が飛ぶ。頬を打ち抜かれたネネは呆気ないほど吹き飛び、床に倒れた。
いかに第一世代の人間兵器といえども大男との戦闘で負ったダメージは大きく、加えて首にナイフを突き刺されたことで令嬢の拳一つで倒れるくらい弱っていた。……もちろん普通の人間であればとっくに死んでいるだろうが。
「『ファクトリー』は対象の魂に他の生物の性質を埋め込むデス。では、そうして他の生物の性質を埋め込む際に対象の魂と完全に混ざりきってしまえばどうなると思うデス?」
「……ま、さか……」
「そう、その混合は魂を変質させ、新たな力を生むデス!! 自然では生まれようもない、新種の力をデス!! ワタシ自体はエラーでしかなく、再現性はないデスけど、研究が進めば意図して性質を混ぜ合わせて、望む力を生み出すこともできるデスよ」
その踏み台として、そう、ネネのような第一世代のように実験台にされていることも……わかっているのだろう。
第一世代よりも性能が向上した第二世代。だからといって安定供給が確認されているわけではない。『製品』として完成していない以上、『本国』にとっては試行錯誤する上で使い潰すものでしかないのだから。
そのことに疑問を持つでもなく、むしろ誇らしく語るのは『教育』の賜物か。そういうものだとして受け入れ、幸福すら感じているのだろう。
第一世代で得たデータを活用することでより強力な『教育』を施し、決して裏切ることのない駒として完成しているのだ。
「憑依。これこそどんな『脅威』でも待ち得ない、ワタシだけのオリジナルの魔法デス!! 本来はアリア=スカイフォトン公爵令嬢が『賢者』の遺産の一括管理権限を獲得した後にこうして肉体ごと横取りする予定でしたが、多少前後しても問題ないデス。さっさと魂を必要なまで高めて、『役目』を果たすデスよ」
ある意味においてかつてのネネと同じなのかもしれない。それでいて、ネネは即断する。
それがどうした?
自分は正義の味方ではない。お嬢様をお救いする、それ以外はどうでもいい。
巫女服の女の死体が転がっていた。それに、正確にはその胸に突き刺さった包丁へと手を伸ばす。
魔力『払い』の性質を宿す包丁。
いかに憑依などという新種の力だろうとも、超常であればその本質は魔法。魔力さえ『払って』しまえば無効化できる。
だから、しかし、アリア(を操る第二世代の女)のほうが早かった。巫女服の女の死体を蹴り飛ばす。そう、ちょうど大男にネネが投げ飛ばされた時に穿たれた床の穴に落とすように。
「言ったはずデスよ。『ご自慢の「暗器」は隠してこそ本領を発揮しマス』、と。魔剣は確かに切り札となるかもデスが、わかっていれば対処は簡単デス」
「く、そ」
「さあて、それでは楽しい楽しい虐殺の始まりデス。アリア=スカイフォトン公爵令嬢の魂を輝かせるために存分に鳴くことデスよ」
ーーー☆ーーー
その時、リアナは状況を理解できてはいなかった。
憑依? なんだそれは。『ファクトリー』だのなんだの、そんな単語を出されてもさっぱりわからない周回遅れなリアナだが、それでもこれだけは言えた。
今のアリアは、アリアではない。
何かがアリアの本質を歪めている。
だって、あのアリアがネネにナイフを突き立てるわけがない。公爵令嬢のお手本のような笑顔とも、友人に向ける笑顔とも違う。ネネの話をする時にだけ浮かべるあの笑顔を思い出せば、例え何があろうともアリアはネネを傷つけないと断言できる。
「返すの……」
自分に何ができるかなど、わからない。
だけどリアナは決意して足を踏み込んだのだ。何が起きているかなど関係ない。今度こそアリアを助けるのだと。
だから。
だから。
だから。
「アリアさんを返すの!!」
踏み込む。
何をどうすればアリアを元に戻せるかわからないが、だからといって何もしない理由にはならない。
せめてこれ以上の凶行は阻止する。解決策を模索するのはその後でもいい。
「ああ、そういえばもう一人いたデスね」
瞳が、向けられる。
何の感情も見て取れない、アリアのものとは思えない無機質なそれが。
「これも殺しておけば、少しはアリア=スカイフォトン公爵令嬢の魂に負の感情を誘発できるデスかね?」
瞬間、紅蓮がリアナの視界を埋め尽くした。
炎属性魔法。それも人間一人丸々呑み込めるほどの猛火である。
アリアは魔法を使えない。膨大な魔力量を制御しきれず、魔法という形に整えることができないのだ。
そのことをリアナは知っていた。公爵令嬢としての箔を維持するために周囲には内緒にしていたが、アリアに魔法の扱い方を習いたいと頼んだ時に友人であるリアナにならと教えてくれたのだ。
つまり。
だから。
「やっぱり、こいつはアリアさんじゃないの」
直後にリアナは炎に呑まれた。
人間一人を丸々呑み込み、焼き尽くす炎に。




