第十五話 第一世代
レージスア王国、すなわちアリアたちが住む国より『脅威』蠢く魔境を挟んで東に進んだ先に『本国』はある。
正式名称をルーラント帝国。
魔法使いを主戦力とするレージスア王国と違って魔道具などの兵器を主戦力とする国家である。
そこで、ネネ──いいやNo.5は生まれた。
──No.5に両親との記憶はない。奴隷同士を交配させ、産まれた子供は即座に『ファクトリー』に運ばれ、多種多様な性質を注入されるのだから。
古代の遺産の一つである『ファクトリー』は遺伝子よりも深く、それこそ魂にまで影響を及ぼす……らしい。何せ『ファクトリー』は現在は再現不可能な技術の塊なので使い方はわかっていても、詳しい原理までは誰もわかっていないのだ。
わかっているのは、一つだけ。
『ファクトリー』は基本となる生物へと他の生物の性質を埋め込むことができる。
そうしてNo.5をはじめとした二千人もの第一世代は人間という器には不釣り合いな性質を詰め込まれていったのだ。
No.5は主に『諜報』や『暗殺』に適した性質を埋め込まれた。いつしか『暗器百般』などと呼ばれることになる百の性質。異形や獣が持つ性質を遺伝子よりも深く、魂の底にまで定着させることで無理矢理出力するものである。
今日においてNo.5がワイバーンの上で三人の男を殺害した時もそうだ。酸素濃度の減少を感知、気絶したフリをしながらも意識を保ち、油断しきって情報を吐き出した三人の男を迅速に始末できたのはNo.5という人間では不可能なはずの性質を魂に引きずられる形で密接に繋がった肉体へと無理矢理に出力したからだ。
敵はNo.5という身体をいくら観察しても隠れた百の性質には気づけない。何せ本来No.5にはできないこと──言い換えれば隠されたものであり、もって相手の意表をつく『暗器』なのだから。
もちろん代償は軽くない。鞭(正確には触手)に等しく放った左腕は内部の骨が粉々に砕け散った。本来軟質な触手で行うべきことを硬質な骨が通った腕で行うという無理な性質の再現、その結果自身の肉体がどうなるかは考慮されていないのだから。
『暗器百般』。
百に及ぶ多種多様な生物の性質を再現する人の形をした道具、それがNo.5である。
それだけの無理を強いているのだ。『暗器』解放時はもちろんのこと、そもそも人間の魂ではあり得ない情報を埋め込んだ影響は目に見えない範囲でも進行している。
No.5は今日まで『役目』を果たしているが、十数年も生存できたのは奇跡に等しい。
他の第一世代は精神が壊れて自分で自分の喉を掻きむしって機能を停止したり、埋め込まれた性質を扱いきれずに自壊したりと八割以上が五年も経たずに死んでいったのだから。
中でも多かったのが『自壊』。
『暗器百般』が魂に埋め込まれた他の生物の性質が肉体にまで影響を及ぼすように、無理に多種多様な性質を埋め込まれた結果限界を迎えて崩れた魂に引きずられる形で肉体もまた崩れ落ちる第一世代特有の崩壊現象である。
だけど、そんなことはNo.5にとっても他の第一世代にとっても常識だった。先程まで隣にいた相手が発狂すれば不良品として処理するし、暴走して吹き飛んだ者の肉片を片付ける時だって何の感慨も湧くことはなかった。
──No.5は『役目』を果たすためだけに生まれてきたことに疑問は持っていない。彼女を含む第一世代には敵国に潜り込むために必要な術はもちろんのこと、『本国』の命令に従うことに疑問を持たないよう『教育』されているのだから。
例えば広く浅く人と付き合う方法論、場に適した『キャラ』の作り方、心の機微を読み取ることで上手に立ち回る術、他にも必要な能力は必要なだけ『教育』されている。
『本国』の命令に従うよう『教育』するのはそれこそ簡単だった。赤ん坊のまっさらな魂は周囲の環境に簡単に染まるのだから。
そうして生まれた頃よりそうあるべしという環境で育った第一世代は『本国』の望むがままに人の身に多種多様な生物の性質を組み込み、人の形をしているだけの『何か』へと自身が変ずることを当然と考えて──そこまで尽くしてもNo.5を含む第一世代はあくまで試作以上の何物でもなかった。
どこまで性質を埋め込めば人間の魂は破裂するのか、どこまで『教育』すれば裏切ることのない道具となるのか、どこまで稼働すれば活動限界を迎えるのか。
命を使った実験。
安定供給に向けたデータ取りのためだけに命を摩耗させていくことに、しかしNo.5を含む第一世代は疑問を持たない。
そうあるべしという環境で生まれ、誰もそれが間違っていると指摘しなかったならば、『そう』なるのは当然だ。
赤ん坊のようなまっさらな状態から獣に育てられた人間が獣のように生きるように、常識は周囲の環境によって左右されるものなのだ。
『一つ聞きたいことがある』
それは『ファクトリー』での一幕。
凛とした女の声がNo.5へとかけられた。
だが、印象などいくらでも変えられることをNo.5は知っていた。他ならぬ自分自身が空っぽのくせに浅く広く人の輪に入るための『キャラ』を演じることができるのだから。
『現状をアナタはどう感じる?』
No.13。
第一世代の一つにして、他よりも突き抜けた力を持つ『最強』である。
腰まで伸びた銀髪に赤目の──目立たず敵国に忍び込むために平凡な容姿に歪められたNo.5とは違い、人の目を惹きつける美女という容姿へと歪められた女だった。この頃のNo.5でも綺麗だなと見惚れるほどの彼女はじっと何かを見極めるようにNo.5を見つめていた。
対してNo.5は無機質な瞳のまま首を傾げたものだ。
何を言いたいのか、その頃のNo.5には理解できなかった。
『……?』
『いや、忘れてくれ』
その数秒を、なぜかNo.5は今でも覚えている。
その時の『最強』の目は自分を含むどの第一世代とも違うものだったからか。
そうしてNo.5は『本国』からの命令で『役目』を与えられ、レージスア王国へと送られた。実際に運用してみてどうなるかのデータを取るために。
やはり遺伝子よりも深い位置にある魂へ直接干渉するのは自然の摂理に反しているのか、第一世代は次々に死んでいった。
精神にしろ肉体にしろ、とにかくどこかに異常をきたした第一世代の死に様は連絡役にしてお目付役でもある諜報員によって隠蔽・処理されてきた。
そうして十数年の実地運用で生き残ったのは『最強』と『暗器百般』だけだった。そう、二千人から始まって、最後にはたった二人しか残らなかったのだ。
データ取りのために──あくまで次に繋げるためだけに身体どころか魂までも弄られ、『役目』に縛られた一生を過ごす。そんな人生に一切の疑問を持つことはない……はずだった。
No.5にとっての転機は、やはり彼女に出会ったことだろう。




