第十四話 暗器解放
リアナ=クリアネリリィ男爵令嬢は希少属性の一つである光属性魔法の使い手である。
炎や水、風に土といった属性をそのまま操る四大属性と違い、光という現象から治癒という全く関係のない結果を導くというのだ。
しかもリアナの魔法は細胞分裂の促進でもって生物の怪我を治すだけの一般的な光属性魔法とも違う『何か』であった。
一応は細胞分裂の促進という理屈がある一般的な光属性魔法と違い、無機物の破損さえも元に戻してしまうのだから。
細胞分裂の促進なんて言葉では説明のできない『何か』。付け加えるならばタトゥーやピアスの穴といった自然な肉体からは外れた状態は治癒と共に消え去ることが確認されている。
このことから文字通り『元に戻す』魔法なのではないか? というのが有力な仮説である。
……という特別な魔法の使い手だからこそ、何のツテもない男爵家の人間が公爵令嬢や第一王子が通うような学園に通えていた理由であった。
クリアネリリィ男爵家を発展させるための繋がりを獲得するためにも王立魔法学園に通うチャンスをふいにするわけにはいかない。そうして飛びついて、身の丈以上の領域に踏み込んで、だけどうまく立ち回ることはできなかった。
完成された社交界の縮図において何のツテもない男爵令嬢が己の立ち位置を得られるわけがない。特殊な光属性魔法に学園のある教授の助手は目を光らせて『元に戻す』性質を持っているのではないかなどという仮説を証明するための実験に付き合ってくれと頼み込んできたが、それだけだ。
貴族である教授ならともかく、平民である助手ではクリアネリリィ男爵家の発展のための繋がりとはなり得ない。
そんな時だ。
彼女と出会ったのは。
『少々、よろしいかしら?』
『んえ? わたし???』
美しい令嬢だった。
一目惚れだった。
何でもないような顔をしていたが、果たしてうまくいっていたのか。一目見ただけで心臓が高鳴り、猛烈な熱が胸の奥から溢れていた。
だから、彼女がスカイフォトン公爵令嬢という天上の人間だと知った時も貴族として繋がりを得るのではなく、友人として仲を深めたいと思った。
一目惚れだったけど、彼女の心を占めるのは自分ではないとわかっていたから。
だって、アリアがネネの話をする時に浮かべる表情を知っている。公爵令嬢として整えられた完璧なそれとも、友人であるリアナに向けるそれとも違う、唯一絶対の『それ』には敵わないと思い知らされたから。
だけど、だからこそ、せめて友人としてそばにいたいと望んだ。クリアネリリィ男爵家の発展のためにスカイフォトン公爵令嬢という地位を利用するのではない。対等な、アリアが望む友人でいることができれば、そばにいることができれば、それだけで十分だと。
そう、望んでいたはずなのに……。
クリアネリリィ男爵──父親の首吊り死体をはじめに発見したのはリアナだった。だけどそれは自殺ではなく、第一王子直属の近衛騎士による殺人であった。
そのことを、第一王子は世間話でもするようにリアナに語った。どうして、と震える声で問いかけるリアナに彼は言ったものだ。
『貴様に頼み事があるのだが、普通に頼めば断られそうだったであるからな。だから、事前に逆らえばこうなるということを示した、それだけである』
欠伸さえ交えていた。
どこまでも軽かった。
『というわけで、我に逆らったらどうなるかはわかったであるな? 母に妹に、ああ貴様は貴族でありながら多くの平民と友好関係にあるのであったな。誰を、なんて小さなことは言わないであるぞ。次は全員である』
全員の首吊り死体をその目に刻みたくなければ我の言う通りに動くことであるぞ、と。その命令に逆らえるわけがなかった。
その結果が例の婚約破棄騒動。
アリア=スカイフォトン公爵令嬢を貶めることに協力するのが第一王子からの命令であった。
『皆の者、聞くがいい!! 我が婚約者であるアリア=スカイフォトン公爵令嬢は愚かにも民の一人であるリアナ=クリアネリリィ男爵令嬢を非道な手段でもって虐げたのである!!』
白々しく叫ぶ第一王子はリアナの手を握っていた。まるで脅すように、しっかりと。
ゆえに、「そうであるよな?」と第一王子に聞かれては、頷くしかなかった。
ああ、だけど。
今でも脳裏に刻まれ、離れない。
『どうして、ですか……?』
呆然と目を見開き、何が何だかわからないといったアリアのことを。
大切で大好きな友人を裏切り、傷つけた結果はリアナの心に鮮明に刻まれている。
「……ん、なさ……」
もちろん真相を誰かに話すことは禁じられていた。話せばどうなるか。貴族というにはちょっと抜けていて、だけど誰よりも家族のことを大切に想っていた父親の首吊り死体が物語っている。
「……ごめん、なさい……」
だから、リアナには暗い部屋で蹲り、一人謝るしかなかった。
誰にも聞かれることはない懺悔。
ああ、だけど、こんなものは自分で自分を慰める自傷行為でしかないのか。
大切で、大好きな友人を裏切った事実から目を逸らし、自己満足の懺悔に浸っているだけなのかもしれない。
「ごめんなさい……ごめん、なさい。ごめんなさい!!」
それでも、そうするしかなかった。
母親や妹、多くの友人を守るためにはアリアのことを裏切るしかなかったのだ。
みんなと違って殺されることはないからと、そう言い聞かせて。
社交界の縮図から弾き出されて、学園の中で孤独に沈んでいた自分のことを拾い上げてくれたアリアを裏切ることを正当化して。
何と、醜いことか。
こんなにも無力で浅ましい自分に生きている価値はあるのか。
「う、ああ、あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
二本に纏められた薄赤い長髪を掻きむしる。留め具が砕け、バサバサと長髪が暴れ、爪で頭皮を抉り、血を流しても止まることなく。
あの時、どうすればよかったのか。
大切で大好きな友人を裏切らずに済む道は本当になかったのか。
光属性魔法。
一般的なそれと比べて特別だろうとも、こんなものでは何も守れない。
ーーー☆ーーー
ゴッッッドン!!!! と。
無数の槍は一切の隙間なくネネがいた場所を圧搾した。前後左右に上下、無数の槍が殺到したからだ。
だけど。
「遅いわね」
間合いにして十メートル。
その程度であれば文字通り一瞬で詰めることができる。
「な、んだと……ッ!?」
確かに無数の槍は前後左右に上下とまさしく全方位より殺到していた。だが、槍と槍の間には隙間があった。それこそ僅かな、と表現すべき道。だが確かに一人の少女が通り抜けられるだけの『ルート』は存在した。
道というにはぐねぐねと曲がりくねった『ルート』であり、ほんの少し逸れただけで全身が粉砕されることになっただろうが、その僅かな穴をネネは貫き通した。
ゆえにいくらネネがいた場所を無数の槍で圧搾しても意味はない。メイドはすでに第一王子の懐へと飛び込んでいたのだから。
そう、彼が視認できないほどの速度でもって。
「だが、はっはっ、だけどお!! いくら貴様が我が槍を避けられようとも我が鎧は破れないことは証明されているのであるぞ!! それとも魔法でも持ち出すであるか? 貴族でもない、優れた血筋を持たない平民の魔法などたかが知れているであるがなあ!!」
「確かに隠し武器は通用しなかったし、最強さんと違って専門外の魔法なんてそもそも使えもしないわよ」
「はっはっ、はっはっはあ!! ならばなぶり殺しである!! いかにこそこそ逃げ回ろうとも、いずれ、必ず! 我が暴威が貴様を粉砕するであるぞお!!」
ゲラゲラと笑う第一王子はついに気付けなかった。ナイフのような隠し武器が通用せず、魔法も使えないネネがそれでも無機質に瞳を固めていることに。
絶対的な暴威に恐怖することなく、淡々と掌を添える。そう、第一王子を覆い、守る鎧へと。
「暗器解放」
ッッッドッバァン!!!! と。
凄まじい轟音が炸裂した。
「……あ……?」
鎧『は』無傷であった。
「が、ばしゅ、びぶべるばぶう!?」
鎧の内側より水が噴き出すような異音が連続する。
「な、なに、を……ごぶばっ!? きしゃまっ、われに、がぶっ、なにをひたああああああああああああああ!?」
「何って、衝撃を通しただけよ」
ネネは言う。
淡々と、一切の感情を削ぎ落として。
「表面ではなく内部へと衝撃を伝える千手の異形の性質。すなわち外側の防御力を無視して内側を壊し尽くす『暗器』ってことね」
相手の理解は求めていなかった。
問われたから返したが、それだけだ。
『暗器百般』、あるいはNo.5。
ただそうあるべきと生まれた際に埋め込まれた機能を発揮しただけのことだ。
「ふ、ざけ……メイドごときが何様のつもりだァァァあああああああああああああ!!!!」
すでに第一王子の『中身』は砕け散っていた。大半の内臓は弾け、明らかな致命傷であった。
それでも、第一王子は右手に握る大剣を振り上げた。『賢者』の遺産を一括管理するためにアリア=スカイフォトン公爵令嬢へと大切な人の死を見せつけ、魂に絶望を叩き込み、必要な魔力量まで増幅させて安全装置を突破する、という目的など頭の中から吹き飛んでいた。
とにかく殺す。
第一王子、いいやいずれは覇王として大陸全土を支配する自分が単なるメイドごときにやられたままで済んでいいわけがない。
その先など、考えていない。
今は、とにかく目の前の少女を殺すことしか頭になかった。
だから。
なのに。
大剣が振り下ろされ、床がクッキーのように容易く斬り裂かれたが、そこまでだ。
大剣が振り下ろされた際にネネの左腕が鞭のように……いいや鞭そのもののごとくしなり、放たれ、大剣の腹へと勢いに反して優しく添えられていた。
それだけで、まるで扉を開けるような気軽さで三メートルクラスの大剣はその軌道を歪められ、もってメイドにはかすり傷一つつけることはできなかった。
「身を堅くして外敵から身を守るのではなく、攻撃そのものを逸らすことで損傷をなくす触手の毛並み持つ獣の性質。すなわち攻撃を受け流す『暗器』ってことね」
バギ、ベキッ! と人体の構造を無視した動きを見せたネネの左腕から嫌な音が鳴っていた。肉の内側に骨があることが想定されていない動きを強要したがために。
骨折というよりは粉砕といった有様であるだろうに、やはりネネの瞳は無機質に固まったままだった。
そのまま無事な右手を鎧に添える。
「ッ!? ま、て。我は、こんなところで死にたくな──」
「だから?」
瞬間、凄まじい轟音と共に今度こそ第一王子の『中身』は粉々に散った。
最後の最後まで何事か喚いていた男が完全に死ぬまで、ネネの無機質な瞳は観察を続けていた。




