第十二話 真相
アリアが目覚めると、正面に第一王子が君臨していた。
「ひっ……!?」
あくまで今はまだ王子であり王ではないのに玉座に腰掛けていること、凶暴な獣を飼い慣らすための遺産である触手の塊を侍らせていること、そして謎の黒い球体をその手に持っていることなど気にならなかった。
獰猛に笑う『あの』第一王子が、もう会うこともないと思っていた恐怖の象徴が目の前に君臨している衝撃がアリアの魂を抉る。
「どう、して……?」
ズキズキと頭が痛む。古物商店の一角、竈がある小屋にいたはずだ。そのはずなのに、気がつけば第一王子との婚約が成立した日、王家へと挨拶に訪れた時に立ち入ったことがある玉座の間に……連れ去られた? だが、何のために?
他ならぬ第一王子が婚約を破棄したはずではないか。ここ一年の王妃教育という名の蹂躙は死を望むほどの『傷』をアリアに残したが、それはもう終わった話のはずだ。
アリアが死を選ぶにしても、優しい夢を掴むにしても、王家がこれ以上アリアの人生に関わることはない。
そのはずなのに……。
「どうして? 愚問であるな。全てはこの日のためであるというのに」
対して第一王子は大仰に身振りを交えながら立ち上がる。
「ちなみに、アリアよ。『賢者』は知っているであるか?」
「古代における天才魔法使いにして、現在においても再現不能な数多の魔道具を作り上げた天才。彼が作り上げた魔道具の中でも大型無人兵器などは彼の死後に制御不能となって『脅威』として名を連ねているほどです」
スラスラと答えるのはそれだけ第一王子の教育が行き届いているから。恐怖に魂が屈しているからこそ、質問には迅速に答えなければならないことを身体どころか魂が覚えているのだ。
彼の機嫌を損ねればどうなるか、それは今のアリアの姿が物語っている。
「そうであるぞ。人間よりも遥かに強大な肉体や魔法回路を持つ魔獣、あらゆる薬が効かない不治の病を誘発する黒き幽体、魔力を喰らう白銀の魔蝶の群れなどの『脅威』と肩を並べるのが『賢者』の遺産である! 生憎と『賢者』の死後は制御不能となったのであるが……では、その理由は?」
「それは……理由がわからないからこそ、対処できず、『賢者』の魔道具は『脅威』として暴威を振るっているのでは……」
「はっはっはあ!! そうであるなっ。だが、もしも、その『理由』がわかっているとしたら?」
第一王子は笑う。
アリアとの婚約が成立したその日に『貴様の人格には興味ない』などと言い放ち、次期国王たる者の伴侶には相応の品格が必要だとして負の感情を誘発して魔力の源たる魂の底上げを目的として王妃教育を率先して推し進め、そこまでして磨き上げたアリアとの婚約を簡単に破棄した暴君は心底楽しそうに笑うのだ。
全てはこの日のために。
そう言わんばかりに。
「『賢者』は自身が作り上げた魔道具の数々を奪われ、自身に向けられることを恐れたのであるぞ。ゆえに他者に奪われても問題ないよう安全装置を用意したのである。それが、これであるな」
そう言って彼はその手に持っていた黒い球体をゆらゆらと左右に揺らす。
「魂を、正確にはその魔力量を測定し、条件を満たした者にのみ魔道具の操作権限を渡す安全装置。これを体内に埋め込んでいたからこそ『賢者』が生きている頃は魔道具は正常に稼働しており、『賢者』の死後には命令を受けることがなくなった魔道具、それも近づく者を自動迎撃する仕組みが組み込まれた魔道具が『脅威』に名を連ねたということである」
そして!! と。
彼は高らかに叫ぶ。
「『賢者』は天才的な魔法使いであると同時に彼の生きた時代において並ぶ者なき膨大な魔力量を誇っていたのであるぞ!! ゆえに安全装置へと『一定以上の魔力量持つ「個人」に魔道具の操作権限を与える』仕組みを組み込んだのである!! 己の魔力量に並ぶ、あるいは凌駕する者かいるわけないという自信があったのであるな。事実、『賢者』の時代においてはそこまで突き抜けた魂の持ち主はいなかったようであるがな」
「待ってください……。もしや、王妃教育の目的はっ」
「はっはっはあ!! 流石に気づくであるか! そう、全ては『賢者』に並ぶ魔力量を持つ魂を用意して、『賢者』が残した魔道具の操作権限を獲得するためである!! そのために貴様の魂に、個人という制限を満たして『賢者』に並ぶ魔力量を獲得する可能性のある貴様に利用価値があったというわけであるぞ!!」
だから、なのだ。
貴様の人格には興味ない。初対面でのその発言が全てであった。
「加えて貴様は膨大な魔力量があっても、それを制御できるだけの魔法回路がないのである。ゆえにいくら魔力量を上げたところで魔法の具現化はできず、万が一にも反旗を翻される心配もないのである! 安全確実に我が覇道の贄となってくれるために生まれてきてくれたと言わんばかりであるなあ!!」
もしも、アリアの魂に『賢者』のそれと並ぶだけの価値がなければ。
もしも、『賢者』が残した安全装置が魔力以外の生体情報をもとに識別するものであれば。
もしも、第一王子が『賢者』の魔道具を一括管理する装置など手に入れなければ。
王妃教育という名の蹂躙によってアリアが傷つくこともなかったはずだ。そう、全ては『脅威』の一角にさえも数えられる『賢者』の残した魔道具を手に入れたいという第一王子の欲望のためだったのだから。
「そんなことのために……『賢者』の残した遺産を制御するためだけにわたくしにあのようなことをしたというのですか!?」
感情のままに叫びながらも、アリアの中には疑問が浮かんでいた。
実現可能かどうかは置いておいて、実際に『脅威』に並ぶ魔道具の操作権限を手に入れて第一王子は何をしようとしている?
『脅威』に狙われないような仕組みを構築することで国内の安全は確保されている。王権は絶対であり、王族の支配が揺らぐ心配はない。
力とは何かを壊し、もって目的を果たすためのものだ。だが、国内に敵がいない絶対権力者の一角である第一王子がわざわざ更なる力を求めてでも挑まなければならない敵などどこにも──
「いいや、正確にはその先にこそ我が目的はあるのであるぞ」
彼は笑う。
笑って、その本質を晒す。
「我が大陸を統一するためにも絶対的な力が必要なのである!! 『賢者』の残した安全装置を貴様の魂でもって突破し、『脅威』に並ぶ魔道具を一括管理して、我が覇道に立ち塞がる全てを粉砕してやるのであるぞ!!」
そのために、国内最大勢力であるスカイフォトン公爵家との繋がりを得るための婚約という『建前』でもってアリア=スカイフォトン公爵令嬢を婚約者として手に入れて、囲い、王妃教育という『建前』で好きに改良する環境を整えた。
そのために、『賢者』の魔道具を一括管理するために必要な安全装置を手に入れながらも人道に反するとして隠匿する決定を下した国王や宰相といった国家上層部を騙しながらも状況を進め、最後には邪魔になるとしてすでに殺処分済みだ。
そのために……いいや、スカイフォトン公爵家当主を殺したのは単に第一王子が好き勝手やりたかったからだろう。力を手にしたいのは『脅威』を撃滅して大陸を統一したいから。己の望みのままに破壊を撒き散らす、それが第一王子の本質なのだから。
ゆえに、世界などどうでもいい。
『脅威』より人類を救う気など微塵もない。
全ては己の欲望のままに。
そのためならばどれだけ殺したって構わない。
だから。
「後少しである。貴様の魂が『賢者』に並ぶには後少しの成長が必須となるのであるぞ。そのために婚約破棄騒動で負の感情を誘発した上で公爵領へ帰還する理由を作り、仕上げへの布石としたのである」
「なに、を……まだ何かあるというのですか!?」
「上げて落とす、である」
暴君は笑う。
笑いながら、アリアとの距離を縮めていく。
「公爵領には貴様と仲の良いメイドがいるようであるな」
「ッ!?」
それは。
それだけは。
「なあ、貴様の魂はそのメイドに救われたのであろう? そうして『上げて』から『落とせば』、これまでで一番の負の感情を誘発させ、魂の増幅となるのではないか?」
「やめ、やめて、ください……!! それだけはっ、わたくしであればいくらでも嬲ってくれて構いませんっ。ですから、それだけはっ、ネネには手を出さないでください!!」
「はっはっはあ!! そんな反応されては期待に応えなければならないであるぞ!! なぁに、心配するでない。きちんと負の感情を誘発させ、必要な魔力量まで魂を昇華させたならば不要な貴様の人格はきちんと『壊して』やろう。我に従うだけの肉塊としてその価値を存分に搾り尽くしてやるであるからなあ!!!!」
いくらアリアの魂を底上げし、『賢者』の残した安全装置を突破しようとも、かの者の魔道具の一括管理権限を得られるのはアリアだ。
『あの』第一王子がそのようなことを許すわけがない。
安全装置を突破するためにはアリアが必要だとしても、アリアに全ての権限を渡すわけがないではないか。
そのために触手の群れという形をした魔道具を侍らせている。
古代の遺産の一つにして、ワイバーンなどの獣を飼い慣らすための道具。すなわち対象の脳の機能を破損・調整することで特定の相手の命令に従うだけの人形へと変える魔道具である。
「さあ、始めよう。上げて落とす、その下拵えはもう十分であろう! 貴様の大切なメイドが惨殺される様を眺め、絶望し、我が覇道の礎にふさわしい肉塊となるであるぞ!!」
だから。
だから。
だから。
ゴッパァァァンッッッ!!!! と。
第一王子の顔面に『彼女』の拳が叩き込まれた。
力の限り拳が振り抜かれ、潰れた鼻から血を噴き出しながら第一王子が数メートルも飛び、玉座がひび割れ、吹き飛ぶほどの勢いで叩きつけられた。
『彼女』は肩まで伸びた黒髪を靡かせ、いつものメイド服を纏っていた。
『彼女』の背中は王族を前にしても揺らぐことなく、堂々としていた。
『彼女』はいついかなる時も公爵令嬢としてのアリアではなく、アリアという一人の人間の側に立ってくれていた。
「遅くなり、申し訳ございません」
全ては第一王子の掌の上のはずだった。
アリアとの婚約も、王妃教育も、婚約破棄も、全ては『賢者』が残した魔道具を第一王子が手に入れるために整えられた謀略の中だった。
なのに、その最後の最後、アリアに最大の絶望を与える最後の一手が霧散する。くだらないと、そんな結末許すわけがないと言い切るように。
「ですけど、もう大丈夫です」
振り返る。
『彼女』はアリアがよく知る少女で、大好きで仕方がない相手で、その存在は死を望むほどに強烈な『傷』の痛みさえも散らしてくれる幸せの象徴だった。
「私がお嬢様をお救いいたしますから」
ネネ。
そのメイドは当然のような顔でアリアを救ってくれる。




