62.原作者登場
その夜、恋乃丞は宿泊先の民宿一階の食堂で、麻奈美から見せられたSNSの一連の騒ぎに、思わず渋い表情を浮かべてしまった。
「うわ……エラいことになっとんな」
波打ち際でポーズをキメているブラッドクロウの画像が、至る所でアップされている。それらの投稿は悉くバズりまくっており、この日のSNSは過去に例を見ない程のお祭り騒ぎとなっていた。
この少し前、恋乃丞は麻奈美の要望に応じて、波打ち際でブラッドクロウのコスプレを披露した。
その際、原作でブラッドクロウが駆使する格闘術『ヘブンズマーダーアーツ』の動きを再現してみたところ、あっという間にひとだかりが出来始めた。
否、ひとだかりなどというレベルではなかった。あの時、湘浪海岸に居たすべてのひとびとが、恋乃丞の周囲に集まってきていたといって良い。
実際、物凄い数に膨れ上がった群衆に湘浪海岸管理事務所の職員らが驚き、急遽交通整理をしなければならなくなる始末だった。
辛うじて警察の出動は免れたが、それでも凄まじい人数が恋乃丞周辺に集まってきた。そしてその大半がスマートフォンを取り出して、ブラッドクロウの姿にシャッターを切っていた。
中には感動の余り泣き出してしまった者や、雄叫びを上げたりする見物客も居た。
これには流石に恋乃丞も内心でドン引きしていたのだが、後で麻奈美に聞いたところ、ブラッドクロウが登場する漫画『レッドクロウサーガ』は累計発行部数1億3千万部を叩き出しており、アニメやゲームにも展開されている国民的人気作品なのだという。
その中でも特にブラッドクロウは人気ナンバーワンを誇るキャラクターで、多くの読者がその孤高の強さに憧れを抱いているのだと熱弁していた。
「だから皆、まさかの生ブラッドクロウが拝めたってんで、そりゃあもう感動しまくりだった訳よ。そういうウチもめっちゃ嬉しくて、途中から涙が止まんなくなってたんだけどね」
夕食の際、頭を掻きながら恥ずかしそうに笑う麻奈美。
優卯と俊之も例の騒ぎを目撃しており、驚くと同時に変に感心する素振りを見せていた。
「そのうち、どっかの芸能プロダクションからスカウトされんじゃない?」
無責任に笑う優卯に、恋乃丞はそんな訳がなかろうと鼻を鳴らした。
「あんなもん、ただのコスプレやんけ」
そもそも恋乃丞は、先日のコスプレイベントで初めてブラッドクロウに扮するまで、レッドクロウサーガという作品そのものを知らなかったのだ。
そんな新参者の自分が、ブラッドクロウをネタにして芸能界入りを果たすなど、冗談事ではない。それこそ本当にブラッドクロウを愛しているファンに失礼ではないか。
「いやー、案外何も知らねー奴の方が、どハマリするってこともあるからなー」
俊之が尤もらしい顔で偉そうに解説していたが、矢張り恋乃丞は、そんなことはあり得んと頑なに否定し続けた。
ラニー・レイニーの読者モデルに抜擢されただけでも吃驚の現実だというのに、ここにきて更にコスプレ界隈でも騒がれるなど、どう考えてもちょっとおかしい。
ところが、そのおかしい話が本当に、現実のものになろうとしていた。
◆ ◇ ◆
翌日も朝から海の家『垣内屋』でのバイトに精を出していた恋乃丞だが、客席チーフの男子大学生に、お客さんが来たと呼び出された。
恋乃丞は小首を捻りながら軒先へと足を向けた。ここに自分がバイトに来ていることを知っている者は、そう多くない筈だ。一体誰が、わざわざこんなところにまで足を運んでくるのだろうか。
そんなことを思いながら入り口付近に足を向けると、スーツ姿の中年男性が佇んでいた。
「笠貫さんで、いらっしゃいますか?」
「あぁ、はい。笠貫です。えぇと、どちら様で?」
恋乃丞が訊き返すと、そのスーツ姿の男性は静かに名乗りながら、名刺を手渡してきた。
創應社という社名がまず目に入った。確かラニー・レイニーを発行している出版社だった筈だ。しかし今日、その関係者が湘浪海岸に来るという話は、上谷マネージャーからは聞いていない。
ということは、この人物はラニー・レイニーとは別の書籍の関係者だろうか。
「私は弊社が出版している漫画雑誌『週刊少年レイニー』の編集長を務めております木崎武雄と申しまして、昨日笠貫さんが披露されていたブラッドクロウのコスプレを以前から注目しておりました」
その瞬間、周囲に居たひとびとが一斉に振り向いた。
誰もがただならぬ雰囲気で、こちらを見ている。
恋乃丞は何故、麻奈美や他の面々がそんなに驚いた顔をしているのか、よく分からなかった。
そんな恋乃丞の前で、木崎編集長は彼の後ろに隠れる形で佇んでいたひとりの小柄な女性に振り向いた。
「先生、彼で間違いありません」
木崎編集長に先生と呼ばれたその女性は、妙にもじもじした仕草でそっと前に出てきた。大きな眼鏡と、三つ編みに纏めた長い黒髪が特徴的な、大人しそうな人物だった。
「御紹介します。こちら、邪馬永コウタ先生です。レッドクロウサーガの原作漫画を執筆されている方だといえば、お分かり頂けるでしょうか」
恋乃丞は思わず眉間に皺を寄せたが、しかし周囲の反応は驚愕と狂乱の嵐に埋め尽くされた。
麻奈美などは、失神しそうな勢いだった。
「あ、あの……は、はじめまして! や、邪馬永です……その、今日は急に押しかけてきたりして、本当に御免なさい……でも、あたし、どうしても、生ブラッドクロウが見たくて……それで、その、御迷惑なのは承知の上で、こうしてお邪魔させて頂きました……」
恋乃丞は思わず天を仰いだ。
(おいおい、マジか……何で原作者のひとにまで知られとんねん……)
木崎編集長曰く、恋乃丞のブラッドクロウコスは以前からマークしていたらしい。
初めて恋乃丞がコスプレを披露した時は完全に不意打ちだったから捕捉することが出来なかったが、今回は予め網を張っていたから、こうして間を置かずして訪問することが出来たと誇らしげに笑った。
「ブラッドクロウはアニメやゲームなどでは表現可能ですが、実写では再現不可能といわれていました。それを笠貫さん、貴方が見事に、そして完璧に再現して下さった。先生はもう感激の余り、絶対にお会いしたいと毎日の様に私のところに電話を寄越しておられたのです」
まさか、こんなことがあり得るのか。
恋乃丞は狐にでも化かされた様な気分で、地味ながら端正な顔立ちのコウタの恥じらい気味の面を、じっと見つめてしまった。




