61.色々な想定外
翌日から、海の家『垣内屋』でのアルバイトが始まった。
用意されていたスタッフTシャツとハーフパンツを着込んだ四人は、朝の八時過ぎには民宿を出て垣内屋へと向かい、それぞれの準備に取り掛かる。
恋乃丞に任されているのは主に裏方で、特に力仕事が多い。
食材やプロパンガス、大量の氷などをせっせと運んでは、所定の保管場所へと次々に収めてゆく。
厨房チーフを任されている女子大生は、恋乃丞の盛り上がる筋肉と、その豪腕を駆使しての素早い仕事ぶりに何度も感心していた。
「やー……優卯ちゃんから話聞いてたけど、キミ、ホントに凄いねぇ」
「常駐のスタッフに欲しいぐらいだよなぁ」
客席チーフの男子大学生も、見事なものだとしきりに頷いている。
一方で優卯は非常に手慣れた様子で各テーブルの準備を進めており、時折麻奈美や俊之に色々と細かな指示を出していた。
そうしていよいよ迎えた開店時間。
水着姿の海水浴客らのジュースやテイクアウトのフードなどを買い求める姿が、早速現れ始めた。
そもそもビーチなどに足を運ぶのが数年ぶりという恋乃丞は、今どきの海水浴スタイルというものをよく分かっておらず、特に若い女性のまぁまぁ際どいビキニなどに思わずぎょっとすることが何度もあった。
(あれが最近のトレンドか……)
そういえばレジャープールでの撮影会の際も、陽香はブラジリアンビキニを着用していたが、あれも今思い起こせば相当に際どいデザインだった。
(俺のガキん頃とは色々変わったんやろか……)
或いは、まだ子供だったから単純に気付かなかっただけで、以前からこんなトレンドだったのか。
よく分からないと内心でかぶりを振りつつ、それでも順調に作業をこなしてゆく恋乃丞。
すると時折、客席チーフから声がかかった。軒先に出す氷やドリンクを補充して欲しいとの依頼だ。
恋乃丞はすぐさま応じて、ふた抱えもありそうな箱を軽々と持ち上げて店舗前へと出た。
ところがそこで、思わぬ事態に遭遇。
やたら露出度の高い水着姿の、女子大生だかOLだかの美女数人が、恋乃丞の筋肉を見てきゃあきゃあと歓声を上げながら近づいてきたのである。
「わー、キミ、凄いねー。学生さん?」
「こんな筋肉、初めて見たー。めっちゃ凄いじゃん」
次々と飛んでくる称賛の声に、恋乃丞はぎこちない愛想笑いを返しながら、はぁどうもと会釈を送るのみ。
今は仕事中だから、彼女らの相手をしている暇は無い。
ところが、その美女数名は尚も店舗前に陣取ったまま、恋乃丞の仕事ぶりをひそひそと囁き合いながらじぃっと眺めていた。
そして遂には、こんな声が浴びせられた。
「ねぇねぇ、キミさ、お仕事いつまで?」
一瞬恋乃丞は、マジかと内心で頭を抱えた。
本来自分は、垣内屋の女性スタッフをナンパ目的で来店する男性客から守る意味合いで優卯に呼ばれた筈なのだが、何故か恋乃丞自身が女性客に目を付けられてしまっている。
これは完全に想定外だった。
「あー、お客様、申し訳ございませーん。彼は今日が初日ですので、終わってからも色々研修とかがあるんですよー」
と、そこへ助け舟を出してくれたのが優卯だった。
美女軍団は残念そうに波打ち際方向へ去っていったが、恋乃丞はこの後も似た様な状況に遭遇するかも知れないと思うと、少々憂鬱になってきた。
「あはは……ちょっとこれは、アタシも想定外だったわー」
けらけらと笑う優卯に、恋乃丞も苦笑を返した。まさかこの筋肉が、こんなにもビーチの女性客らを誘引するなどは恋乃丞自身も全く予測していなかったからだ。
ならば尚更、優卯にも想像出来ていなかったのだろう。これは誰が悪いとかいう問題では無い。
しかし恋乃丞の女性客誘引効果は、別の威力も発揮した。
ナンパ目的で垣内屋を訪れる男性客が、恋乃丞にフラれた他の女性客に目を向ける様になったのである。
そのお陰で、優卯も麻奈美も、そして他の女性スタッフらも強引なナンパに頭を悩ませるということが無くなったらしく、恋乃丞サマサマだと冗談交じりに拝む様になっていた。
「まぁ、役に立ってんなら、それはそれで結構な話ですけど……」
「やー、キミはマジで、万能選手だねぇ」
厨房チーフの女子大生が大したモンだと、この日何度目かとなる感心の笑顔を向けてきた。
恋乃丞は、仕事ですからと苦笑を交えながら小さく肩を竦めた。
そうして最繁時を乗り切った垣内屋は、午後の少しまったりした時間を迎え始めた。
店主の垣内氏が現れ、初日を終えたバイト四人に上がって良い旨を伝えたところで、麻奈美が早速恋乃丞のもとへと小走りに近づいてきた。
「さ、それじゃあやろっか、笠貫!」
「マジでやんのかいな……」
麻奈美のわくわくした笑顔に、恋乃丞は幾分圧倒された。
一体何が始まるのかと、他の垣内屋スタッフらも興味津々で覗き込んでくる。その前で恋乃丞は、麻奈美が大きな鞄から取り出したブラッドクロウコスを纏っていった。
そして最後に、深紅のカラス頭の被り物を装着したところで、店内にどよめきが起こった。
「うわ……マジで、スゴ……ホントにブラッドクロウだ……」
「いや、これ実写映画に出しても遜色無いレベルなんじゃ……」
それらの声を聞き流しながら、ブラッドクロウ恋乃丞は夕陽が射し込み始めた波打ち際へと向かった。
この後、彼はとんでもな大騒ぎに巻き込まれることとなるのだが、この時はまだ、そんなことになるとは露とも思っていなかった。




