EP3 腐ったチョコレート
私たちが教室に着くと、クラスメイトたちの「おはようー」という声に迎えられた。
相変わらず騒がしく、明るい声の絶えないクラスだ。
エレメンツごとにクラス分けされ、制服の色も各エレメンツカラー。
私たちは三年F組、FはFIRE。冬服は赤いブレザーに赤いネクタイ、夏服は赤いブラウスと徹底している。
当然、クラスメイトたちの髪色も赤色が基本、正直夏場は見た目的にもかなり暑苦しい。
そんな時ばかりは、黒と白がエレメンツカラーの水や金が少しだけ羨ましい。
「みんな、おはよう!」
クラスメイトの声に答える燐火の元気な声。それはいつも通りの光景。
明るい教室、クラスメイト。そんな中で私はいつも、窓際の一番後ろの席のあいつをついつい目で追ってしまう。
机に突っ伏し黙々とペンを走らせているチョコレート色の頭。まるで男の子のような短髪。
その周りだけは、賑やかな朝の教室にあってポッカリと人気が無い。
けれど燐火はそんな事はお構いなく、駆け寄りると満面の笑顔で頬を摺り寄せる。
「おはよー、キルカ。相変わらず朝っぱらから勉強熱心だねー」
「おはよう。もうあと一分でホームルーム始まるよ。アンタたち、もう少し早く学校に来たほうがいいんじゃない?」
「いやー、私も陽央子も朝、弱くってさ」
そいつが私の顔をチラリと横目で見る。大きな目。チョコレート色の瞳。
その視線からは、怒っているのか蔑んでいるのか、何の感情も見えてこない。
私は背を冷たい水がスウッーっと這うような気がして、少し嫌な感じがする。
炎林錦流圭、タイプファイヤーの司令塔=プレイメーカーだ。
姓名の中にすべてのエレメンツを持つ、穢れた名前、ダーティネームと呼ばれ世間で最も忌み嫌われる姓名の持ち主だ。
異なる三つのエレメンツを持つ者ですら稀なのに、すべてのエレメンツを持っているキルカは極めて特異な存在だ。
ダーティーネームはキルカの髪色を、瞳を、薄暗い茶色に染めていた。
私の髪色は名前の土の要素が強いせいで、まるで蜜柑のようなオレンジ色だ。
赤よりもむしろ黄色に近い自分の髪色を、私はタイプファイヤーとして少し恥ずかしく思っている。
だから帽子好きってわけでもないんだけど…。髪を隠したいって気持ちは、無くはない。
それでも、キルカの髪色と比べたら、まだマシ。
茶色い髪色をもじって、口の悪い連中は腐ったチョコとキルカを呼ぶ。
汚い猟犬=ダーティポインターと呼び捨てる者も多い。
ダーティポインターの仇名のほうは、パンタグラムスでのキルカの戦い方を揶揄しての事だ。
ずっと最前線で戦い続けているキルカは、ずば抜けたフィジカルとスキルを活かしバタイユで多くのポイントを奪い、5つすべてのエレメンツの戦闘能力が高い。
パンタグラムスにおいては、各エレメンツのクイーンでさえ容易には勝てない、無敵のプレイヤーなのだ。
もっともパンタグラムスを始めたばかりの頃のキルカは、どのエレメンツも中途半端で、バタイユでも負け続き、おまけに肝心の体力もスピードも人より劣っているといった有様だった。
チームメイトの先生も、キルカはパンタグラムスには向いていない、そう思っていた。
ところが、燐火がキルカを見捨てずに試合に出し続けた結果、今となっては弱点の無い、ポイント稼ぎのダーティポインターだ。
誰しもが無敵のキルカを怖れ、嫌った。それは、敵だけではなく…。
そう、私もキルカの事を…。
私たちが初めてキルカに出会ったのは、初等学校の三年に上がって間もない頃。
転校生としてみんなに紹介された時の事は、今でも忘れられない。
呪われたような姓名に髪色そして瞳。陰気で人目を窺うような視線にも、教室内の空気が一気に澱んだ。
その時、燐火の大きな声が響き渡った。
「エレメンツが全部入ってるなんて、スゴイ! 誰とでも仲良くなれるじゃない!」
燐火はその頃から常にみんなの中心にいて、その燐火の言葉は、キルカを学校で孤立する事から救った。
そして実際に燐火は、キルカを仲の良い仲間として扱うようになった。
初等学校高学年から本格的に始まるパンタグラムス。キルカをタイプファイヤーのメンバーにと誘ったのも燐火だった。
最初は私よりもずっと弱かったキルカ。
体が小さいキルカは足も遅く、体力も無く、バタイユにおいてはただやられっぱなし。けれど、気が付いた時には私を優に追い越し、試合を作る重要な役割の司令塔へと育っていた。
おどおどした陰気な目は、相手を射すくめるような強い視線へと変わり、小柄な体は、スピードと軽やかさを彼女に与えた。
その頃からの長い付き合いなのに、私は今でもキルカが苦手だ。もちろん、理由が無いわけ
じゃない。
試合や練習の時であろうと、ミーティングの時であろうと、私を目の敵にするような強い言葉。私を射すくめるチョコレート色の大きな瞳。
私はそれからいつも逃げ、反発してきた気がする。
それにキルカは時折、瞬きもせず燐火を見つめている時がある。
何を考えているのかわからず、私にはそれが、まるで燐火を狩ろうとするかのようで怖くてならなかった。
仲の良いタイプファイヤーの仲間たちの中にあっても、ほとんど口も利かず、笑顔もない。
明るく燃える焚火の火の中にある不燃物のように、キルカは異質で孤独だ。
「キルカはちょっと大人しいだけだよ。騒がしい私たちの中にいるから、余計にそう見えるんだって。私にとってキルカは、陽央子同様、頼りになる仲間さ」
燐火に相談しても、燐火は笑って聞き流すだけ。
けれど私には、どうしてもそうは思えなかった。
キルカの心の内を計れないだけに、苛立ちが増した。何より許せなかったのは、キルカが私より頼りにされているという事実。
だから私は歯を食いしばり死ぬ気で練習し努力した。
キルカの叱責に耐え、バタイユでも足手まといにならないようにと頑張った。少しでも燐火の役に立って、褒めてもらいたかった。
「燐火を守るのは私。あんなヤツじゃない」
それは私を少しだけ強くしてくれた原動力だ。




