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断章、アオイの考え事と残された鼻水。

アオイ視点の世界の謎的な回なのですが結構長くなってしまいました。ごめりんこ。

 今日、カミヤさんに会って話をした。


 それでもやっぱり確証のようなものは持てなかったけれど、だからこそ、選択が迫られているとも言えるわけで。



 だから、私は明日、イナホさんに別れを切り出そうと思う。



 別れを切り出すとか言うと、付き合ってるみたいで変な感じがするけれど、もちろんそういう事じゃなくって、パーティーの解消、距離を置く、会わないでおく。……そういう意味で。



 それがこの何週間かを費やして導き出した私なりの結論だ。



 その原因ともいえるいくつかの煩雑かつ単一的な疑問や問題達は、机の前で考えているだけではどこまで行っても推測の域を出なくって、()()に釣りだされているのだとしても、前に進まなければ破滅しかない時限爆弾だから、例えその道が本当にイバラで出来ていたって、私には進むしか道はないのだ。




 ……なんて。




 家に一人しか居ないのを良いことに、服を脱ぎ散らかして下着姿で二階へきて、悪戯心でイナホさんのベッドで寝っ転がって、人の寝床だというのに、カップのアイスをスプーン無しでペロペロハグハグしながら四苦八苦している分際でカッコつけてます。


 スプーン持ってくるのを忘れました。そして取りに行くのがとんでもなく億劫です。


 ……なんかすみません。


 だって、それくらいのことをしていないと釣り合いが取れない感じがするのだからしょうがない。

 いや、そんなことで本当に釣り合いが取れたなら良いんだけどさ。


 ……ほんとやだな。……離れたくないな。


 なんでこんな結論になったのか。


 本当にややこしくって、要領を得ないのだけど、大まかに言えば、『この世界がすげ変わっている』ことと『私の中にある得体のしれないスキル』の秘密に思い当たったことが原因。


 そしてその発端を思い返してみれば、始まりは『お茶の味が変わった』ことだったっぽい。


 あれはタダスケさんの事があったすぐ後のこと。


 イナホさんと家でお茶を飲んでいた時に突如世界がピカリと光って、その後に飲んだお茶が格段に美味しくなっている気がしたけど、まぁ普通に考えればおかしな話だし、勘違いだってことで済ませたことがあった。


 どうやらそれは勘違いではなかったのらしいのだ。


 私はカミヤさんと会った。


 カミヤさんから『宇治ダンジョンの攻略後に勧誘の機会を』とイナホさん経由で聞かされていたし、何度も誘われても困るので正式に断るつもりで会いに行っただけ。


 しかし実際に会って話してみると、カミヤさんは『宇治ダンジョンなど攻略していなかった』と言い、『そもそも宇治にダンジョンなど無い』と言った。


 私はからかわれたのかと思って少しムカついた。

 だけどカミヤさんは首を傾げて興味深そうにして、少なくとも馬鹿にしているわけじゃないんだと思い直した。


 そしてカミヤさんは言った。


『僕らもよく違和感を感じる。記憶と現実に差異あるような気がしてならなくて、それがとても気持ち悪くて、歯痒くて――』


 ……何の話をしてるんだろう? と思ったのも束の間、ただの戯言とは切り捨てがたい考えを聞かされたのだ。


『――時々見る夢なんだけどね、この世界にダンジョンなんてものが全く無い世界で、普通にサラリーマンをしていて、山積みになった仕事を片付けたり、同級生と久しぶりに会ってお酒を飲んだり。そんな何でもない日常の夢。だけど、それが何故だか夢とは思えなくて、むしろ過去の記憶みたいにリアルに懐かしくて。……そんな夢を見るたびに、現実であるはずのこの世界が酷く歪なものに見えてくるんだよね。――』


 それは私とイナホさんが元居た世界の話なんじゃないかな? と思った。


『――だけど、ダンジョンの攻略が進むと、その気持ち悪さが根本的にバッサリ消える時があってさ。少し宗教染みた表現になってしまうんだけど、【正しい世界に戻った】ような、そんな感覚が。不思議と同じように感じていた奴らが何人かいて、【修復同盟レストアラーズ】なんて名前を付けて本格的に攻略に乗り出したわけなんだ。もしかしたらアオイちゃんも、似たようなことを感じてるんじゃないかな?」


 でも私は『わかりません』と答え、改めて誘いを断った。


 カミヤさんは気になることがあったらいつでもおいでと言いその日は別れた。


 和菓子はちゃっかり頂いた。


 帰りに宇治ダンジョンについて調べてみると、やはりこの世界には宇治のダンジョンなど初めから無かったことになっていた。


 では、私の記憶は何なのか。


 タダスケさん救出の少し前、イナホさんから転送されたカミヤさんのメールを読み、ネットで宇治ダンジョンについて調べ、イナホさんとそのことについて話をしたはずだ。


 しかし、そう思い出してメールの履歴を見てみると、転送されたメール自体はあったのだけどその中に宇治ダンジョンの記載は一切無い。


 『今度和菓子を持っていくね』的なほのぼのとした内容になっていた。


 私はもっと困惑した。


 イナホさんにも聞いてみようと思ったのだけど、その日はクルリさんが遊びに来ていた。


 クルリさんは宇治ダンジョンなど無かったと言い、だけどイナホさんだけは宇治ダンジョンを憶えていた。


 イナホさんが知らないと言っていたなら私の妄想かもしれないと納得も出来たのだけど、そういうわけでもないし。


 だから、宇治ダンジョンは初めから無かったわけじゃなく、ある時を境に消失したと考えてみた。


 馬鹿みたいな話だけど、私とイナホさんはそもそも馬鹿みたいな経験をしてこのダンジョンの在る世界にいるわけだから、それをもとに考えるとそれほど突飛な考えではないようにも思えたのだ。


 では、宇治ダンジョンが消失したのはいつなのか。


 すぐにピンときた。


 あの、お茶の味が変わった時、世界がピカリと光った時に宇治ダンジョンが消失。

 ううん、消失というよりも、私達が以前に経験した『ある日ダンジョンのある世界にすげ変わっていた』現象と同じように、『宇治ダンジョンなんて初めから存在しなかった世界にすげ変わった』と考えると、これが意外にもしっくり来てしまったのだ。


 お茶について元々調べたところでは、確か日本茶はダンジョン産しか存在しなかった。


 つまりこれがピカリ前に飲んでいた宇治茶で、ピカリ後に世界がすげ変わり、宇治ダンジョン産のお茶が存在しない世界になった。

 それを補完する形で私が飲んでいたお茶がお茶農家さんが手間暇かけて作ったものにすげ替わっていたとしたら、それほど優秀でもない私の舌でも気が付くくらいに美味しくなったことにまぁまぁ納得がいくわけで。


 じゃあ、その仮定が正しいとしてダンジョン消失の原因はどこにあるのか?


 これも色々と考えたのだけど、カミヤさんたちが宇治ダンジョンを攻略したことでダンジョンそのものが無くなったとか、世界に変容をもたらしたとか。


 そんな風に考えていると、私達がこの世界に来た日の事を思い出したりもする。


 確か、その前日にカミヤさんたちが嵐山ダンジョンのボスを倒し攻略を進めたわけで、タイミング的には合致する。


 サンプルが二つしかないので結論付けるには早すぎるけど、カミヤさんたちが潜在的にそう感じているように、ダンジョンの攻略が進むにつれて世界に変化が起きる可能性は無きにしも非ず。


 なおかつその変化は、私たちが知っている元の世界へと戻っていくプラス変化の可能性が高い。


 少なくとも宇治ダンジョンの件では、ダンジョンそのものが、物理的にも、人々や世界からも、攻略した本人であるカミヤさんたちの記憶からも消失した。


 しかも、なぜだかまた、私達だけはそれを記憶していて。


 何度もイナホさんに相談しようと思ったけど、なんとなく、ほんとになんとなく話さなかった。


 でもそれは、今となってはとても良かったことだと思っている。




 ……ふぅ。頭を使ってるうちにアイスも無くなっちまったぜぃ。




 変な話ばっかりしてるけど、これらが全部妄想だったらどれだけ良いか。


 私だって理想を言えばイナホさんとのんびり暮らしたり、何ならちょっと田舎に、例えば大原あたりに古い家でも買って、普通の仕事をしながらのんびりゆったりスローライフでも出来たら最高だと思うんだけど、それにはいくつかの問題がある。


 まず一つ、根本的な問題として、イナホさんが私を大事に思ってくれているのはとてもよくわかるんだけど、その大事というのが、恋愛対象としてじゃなく、いつかイナホさんが言っていたように、妹だとか、親戚の子としてしか考えていない説がある。


 ついでに言っておくと、周りに魅力的な子が多くて、私が男だとしたら私を選ぶのかは甚だ疑問。


 最近はリンちゃんルンちゃんとも仲いいし、多分、少なくともリンちゃんはイナホさんの事が気になっていると思う。


 ずっと目で追っているし、イナホさんと話す時だけ顔が赤く、ちょっと女の子になる。


 何あれ、かわいすぎる。


 私がイナホさんなら絶対チューしてやるのに。


 そうするとリンちゃんは照れて怒りながらも、もう一度チューをせがむのだ。賭けてもいい。……うぅ。なんだその破壊力は。


 で、私が男だったらイチカちゃんを好きになる自信がある。


 イナホさんもイチカちゃんに対してはとても気安くて、二人が話しているのを見ていると、二人がお爺さんお婆さんになっても仲良く喧嘩してるイメージすら湧いてくるので、それはきっと二人がとてもお似合いという事だと思ったり。


 それに、イチカちゃんだったら。とも思ってしまうのだから仕方がない。




 ……ちーん。



 

 だめだめ。何の話をしてるんだ。




 とにかく、今のがごくごく一般的な乙女の悩みだとしたら、もう一つは、ゾンビ映画の脇役みたいな悩み事。




 私の中にある得体のしれないスキルって、花屋に仕込まれたんじゃないか?って話。




 こっちはほとんど勘みたいなものだけど、多分当たってる。


 クルリさんに『なんかスキルあるぞー』って指摘されて、いつ摂取したか心当たり無いの?って聞かれたとき、とある記憶を思い出してピーンと来てしまったのだ。


 スキル検査の結果をイナホさんには詳しく話さなかったけれど、鑑定の人はこう言った。


『【次元スキルの空箱】のようであり、元々入っていたものを推定すると一つの宇宙のよう。また、心臓の周辺に絡まるように位置取り、そこからある方向、現状では二方向へと微弱な魔力を放っている。繋がっているとか、リンクしていると言ったほうが正しいかもしれない。そして何より不思議なことにダンジョンの外でもこの繋がりは絶えないらしい。はっきり言って、私どもにわかるのはこういったことが確認されたという事実のみで、前例と照らし合わせようにもね。どうにもこれはウンタラカンタラ――』


「その微弱な魔力はどこへ?」


「一つは遠くてわかりません。推測するに糺の森あたりでしょうか。もう一つはわかりますよ。前でお待ちの男性だと思います」


「……あ」


 ここでまた一つ繋がった。繋がってしまった。


 私の中にある得体のしれないスキルのせいでダンジョン攻略時の世界の変化に取り残されるとしたら?


 その影響はなぜかイナホさんにも及んでいる。あともう一人は、位置的に多分イチカちゃん。


 気になった私はすぐにイチカちゃんに聞いてみた。すると、やはり彼女も宇治ダンジョンを知っていたのだ。


 ビンゴ。


 では、なぜ二人にリンクしている? 考えてみるとすぐ思い当たった。それは親密度的な何か。


 私の好意かもしれないし、……あるいは両想いとか。


 でも、イチカちゃんと出逢ったのはダンジョンのある世界に来てからで、初めのすげ変えの段階では私とリンクしていなかったと考えるのが妥当。


 つまり、初めにダンジョンが出てきた時から宇治ダンジョン消失の期間にリンクしたと考えるのが自然。


 で、イナホさんに関しては言うのが小っ恥ずかしく思えるけど、少なくともダンジョン出現前のアルバイト時代に私に対して特別な感情はなかったはず――万が一その考えが間違っていたとしたら仮定は崩れるけど、もしそうだったとしたら全部どうだって良くなるくらいなので、それならそれで別にいいかもしれない――だから、おそらくは私が抱く好意の度合いによってリンクが生まれると推測する。


 何だこの生々しい判定基準。


 やめてほしい。


 しかもリンクが二本しかないとか、私が冷たい人間みたいで落ち込む。


 私の人間性を疑われないために言っておくけど、こちらに来てから、或いはこの世界に変わってから、好きな人はたくさん出来た。


 ヒーちゃんやリンちゃんルンちゃん、イライザさんヨーコちゃんオッサンさんタマさん……ちょっと待ってください。これ罠ですね?


 だって、このまま正直に好きな人を羅列していくと、逆に好きじゃない人が浮き彫りになる。これは酷い罠。あー騙されるところだった。



 ……すぐに脱線してごめんなさい。続けます。




 とにかく、現在の認識ではリンクが生まれた人は、私と同じように世界のすげ変えで記憶を失わないと考えてる。


 そもそも、なぜ私にそんなスキルがあるのか。


 そんなの簡単だ。だって食べたじゃないか。禁断の果実を。おかしな夢の中で。


 今となっては現実と区別がつかないほどの夢。



 この世界に来る前日のことだ。



 桜が綺麗に咲いていて、なんだか気分が良くなって、浮かれてイナホさんの顔を見に行って、急に恥ずかしくなって逃げ出して、変わった服を着たおじさんに一輪の青いバラを貰って帰った。


 知らない間に夢を見て、夢の中で私、ローズヒップをもいで、手に取った瞬間に石みたいになってしまったそれを食べたのだ。


 そして目が覚めると、世界がおかしくなっていた。



 そのおじさんというのが、聞けば聞くほど花屋に思えてならない。

 花繋がりってのもあるけど、奇抜な服を着ていたし、脚か腰が悪いのか少し傾いた歩き方をしていた気がするし、ハサミ持ってたし。


 それに、夢の中で食べた石こそが、私の中にある空っぽのスキルのような気がするのだ。


 ううん。そのおじさんが居たのは元の世界の話だし、クルリさんから聞いた印象よりも多少普通の人っぽかったし、なにより石を食べたのは夢の中での話。


 だけど、私がイナホさんを好きだなぁと思う気持ちと同じように、形や根拠こそ無いものの、勘というには生々しい確信めいた何かがある。


 それはつまり、先の話とは多少食い違うことになるのだけど、タイミング的にはこの世界自体が花屋に植え付けられた私の中の何かが生み出したとも考えられて恐ろしい。



 そしてもう一つ。



 その花屋に変えられてしまったタダスケさんやフキさん。そして私。


 それぞれで状況はかなり違うと思うけど、そこに決定的な違いを見い出せないでいる。


 つまり、私の心臓に絡まるような何かしらがいつどんな拍子で私を彼や彼女のように変えてしまうか分からないのだ。


 もちろん何も起こらないのかもしれないけど、私は怖くて仕方がない。


 私がいつ人でなくなるのか。


 とても低俗かつ誰にも遠慮しない本音を話すなら、狂っておかしくなった姿を見られたくない。

 心の中で想っていることを無闇に吐露してしまいそうで死にたくなるし、思ってもいない言葉を放ってしまいそうで悍ましい。


 そしてその時、イナホさんは私を殺すのかな。それとも私に殺されるのかな。


 どちらにしても、イナホさんは馬鹿みたいに悩むのだ。


 悩んで悩んで、どちらの答えを出したとしても、きっと一生後悔してしまうのだ。


 だから、色々と理解の追いつかないことだらけだけど私の答えは決まってしまった。


 イナホさんに全部を話したとすると一も二もなく助けてくれようとするんだと思う。


 これはきっと自信過剰じゃないはず。


 あの人は口で悪く言っていても大抵の人にはダダ甘で、関わった人は放っておけない優しさと弱さと強さと異常性をごった煮にしたややっこしい性分をしているから。


 思い起こせば私に対してもそんな始まりだったんだと思う。


 すげ変わった世界に私がやけっぱちになってダンジョンをぶん殴ってやりたいとか訳のわからない話しをしたときに、あの人はあっさり『付き合うよ』と言ってくれた。そこにはきっと大した感情なんて無くて。


 カイさんとヒーちゃんに誘われたときだって、おかしいと気がついていたのに、私や二人のことを考えて首を突っ込んだだけ。


 タダスケさんのことだってそうだし、今回の心読丸のことだってそうなのだ。


 目の前で困ってる人を見ると理由を適当に後付けして、自分すらも誤魔化して人の力になりたがる。


 カイさんのことをツンデレみたいに言うくせに、自分が一番素直じゃないし、何なら自分自身にも素直じゃない難儀な性格をしているのだ。


 でもそんな不器用なところが堪らなくて、やっぱり好きなんだな……ん? 話が逸れかけた。


 とにかく、あの人はそういう人だし、恥ずかしげもなく言うけど、多分他の人に比べてほんの少しくらいは私に思い入れがあったりするのだと思うし、助けてって言えば、やっぱり助けようとしてくれる未来しか想像できなくて。



 ……だけど、だからこそ話したくない。



 あの人はきっと無理をする。


 これまでがそうだったように、そしてこれまで以上に。


 でも逆に、私が居なければ、あの人は冒険者だって辞めるかもしれない。


 私もそうだけど、あの人は戦うことが好きではない。むしろ嫌いなんじゃないかな。


 初めはモンスターに対して謝りながら殺していたくらいなのだし、本当に優しくて気の弱い人だから、誰にも傷ついて欲しく無いというのが彼の本性で、馬鹿馬鹿しくて愛おしい彼の心の真ん中の部分。


 でも、私が抱えてしまった問題はとても複雑かつ達成の見込みが少なくて、その優しさとはきっと真逆の世界に進んでいくことになると思うから。


 彼は体も心も傷ついてしまうのだ。


 私という時限爆弾も居るのだから尚更。


 だからこのあたりで、彼と私の日常を終わらせなければならない。


 夢にまで見た、夢のような時間だった。


 愛しくて、離したくなくて、でもきっとそうしないと全部を壊してしまうから。


 これは私の逃げなのだろうけど、心の中の奥の奥で大切にしまって鍵をかけて飲み込んで、誰にも触れられない、汚されない思い出にしてとっておきたいのだ。


 多分あの人は、私が笑って別れを切り出せば、『……そうか、わかった』とか、知ったような顔をして、そのくせ何も分からないくせに、気にしない素振りで送り出してくれやがるはずだ。


 変な所だけビックリするくらい人に踏み込まないのは、とても好きでとても嫌いなところだから簡単に想像できる。


 でも、もしかしたら理由くらい聞いてくれるかもしれないけど、そんな時は、『あなたに関係ありますか?』とビシッと言えばいいだけだ。


 あの人はこちらが引いた線を超えるようなはしたなさは持っていないし、ついでにきっと勇気だってない。


 そこも大嫌いで大好き。


 私くらいあの人のことを分かる人なんて、あまり居ないんだから。


 イナホさん自身よりも多分そうだし、あの人がこれから先に出逢う人たちよりもきっとそう。……そうだったら嬉しい。


 ……あ、でも、イチカちゃんは私のわからない部分のイナホさんをわかってたりするか。


 ……だめだ。一瞬で自信が無くなった。


 駄目だな。もう全然駄目だな。考えがバラバラになってきた。


 行きたくないな。


 離れたくないな。


 今の話とか全部放り出して、このままここで暮らしてたいな。


 ……うぅ。



「………………」




「………………」




「………………ずずっ」




 涙と鼻水でビチョビチョにしてしまったイナホさんの枕を眺める。


 いつまでも此処でこうしている訳にはいかなくて、こんなに泣いてしまったら多分目も腫れているし、そろそろ浴衣も着ないといけないのに時間もないし。


 だけど、イナホさんに気付かれないように私の痕跡を残したくなって、なんとなく、安い小説に出てくる浮気女の心境が今とても理解できている気がして。


「……ズズッ。ごのばばにじででやる(このままにしててやる)」


 私の体液にまみれて寝てくださいコンチクショウという、倒錯した思いに流されるまま私は立ち上がり、お風呂に向かう。


 そんなわけで、祇園祭に行ってきます。

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