21.TANAKAの覚悟とイチカの不調
伏見ダンジョンで心読丸が猛威を奮っている影響もあり、仕事にあぶれた冒険者達が押し寄せて下鴨ダンジョンはこれまでにない賑わいをみせている。
イチカやイライザなど店舗経営者にとっては嬉しい悲鳴だが、同じ冒険者としては少しゲンナリしているわけで。
素材の買取単価は下がるし、人が多くなればれだけイザコザも多くなる。
今日だっていつも通り倒したはずなのに横取りだなんだと言い掛かりをつけられてしまった。
ドローンも帯同していたからギルドでドローン裁定にかければ間違いなく俺たちの獲物とわかるのだけど、面倒臭くなった俺たちはそいつらに獲物を譲ることにした。
もしかしたらそいつらはこちらの面倒も見越した上で突っかかってきたのかもしれないし、正しい方が折れるのはそのような行為を助長するようで良くないとも思うけれど、俺達は別に風紀委員ではないし、無駄なエネルギーを使うくらいならノンビリ穏やかに過ごしたい。
心読丸が居なくなるまでの辛抱である。
てなわけで今日の探索を放棄して帰還。
糺の森にある東屋のようなベンチでお昼ご飯を食べていた。
イチカの所に行ったけど、ちょうどお客が立て込んでいたのでそちらからも撤退してきたのだ。
「……もうじき夏だな」
「七月はすでに夏ですよ」
「……もう七月か。早えな」
「おじさんめ」
「うるせい。そしていただきます」
「どうぞ召し上がれ」
アオイが作ってくれたBLTサンドを頬張る。……うん、超普通の味だ。相変わらず突出した点がなく、お手本のような普通さである。
俺はこのバランスの良さが堪らなく好きである。美味い。
「それにしても、【心読丸】には困ったものですね」
「だな。早く誰かが倒してくれりゃ助かるんだけど、一発当てたい山師はさて置き攻略組とかベテランも結構ヤラれてんだろ?」
「出会ったら最後、本物を見て帰還した人は未だに皆無ですからね」
「探すのも難しく、いざ出会えば上級者でも皆殺し。この心読丸バブルが終わるのはまだ先の話かな」
心読丸狙いで伏見ダンジョンに入ったパーティーは多い。
だが、その殆どはエンカウントすら出来ないらしく、出会ったパーティーは全滅している。
「過去の例からするとあと一、二ヶ月は活動すると見られてます。あ、紅茶飲みます?」
「ん。ありがと。そろそろ店も落ち着いたかな?イチカの分も作ってきたんだろ?」
「はい。イチカちゃん、放っておくとみたらし団子でお昼を済ましちゃうので。酷いときには三食ですよ」
「……三色だんごだな」
「……早く食べて行きますよ」
「あ、はい」
※※※
イチカの店に着き、客がひいて落ち着いた店内でアオイがサンドイッチの包みを広げて和やかな雰囲気が充満する中。
「……探したぞ」
一歩踏み込んだ足。ガシャリと鎧の関節が鳴る音、声のトーン、見た目の不気味さ。
その殺伐とした空気が店内を浸食するように広がっていった。
はじめは誰だかわからなかった。
頬が痩せこけ、目は落ち窪んで隈を作り、無精髭に食べカスがついたままで、くすんだ金のメッキがボロボロと剥がれて鉛色が剥き出しに、自らの容姿をかけらほども気にかけていない無頓着さ。
「……おい下郎」
その言葉でようやく知っていた人物と繋がった。
「お前、……タナカか」
元々印象の薄かった顔が荒廃した身なりに埋没して全く判別がつかなかった。
目は充血し、痩せこけた頬は何処かタダスケを彷彿とさせる。
無意識にあの忌まわしいダニを探したがもちろんどこにも見当たらない。ただやつれたのだろう。
前の目立ちたがりな印象とは明らかに違っていた。
俺達三人は示し合わせたわけでもないのにそれぞれ手近な武器に手を伸ばした。
タナカはそれほど危ない雰囲気だったのだ。
しかしタナカは店の入口でヌルリと足を止め、目をギンギンに見開きながらも、半開きにしただらしない口が糸を引きながら開かれた。
「……貴様らのせい。お前のせいだよ」
なんの話だ?と口を挟もうと思ったが、タナカはその暇を与えず、ボソボソと独り言を呟く狂人のように言葉を繋いでいく。
「新人戦からだ。すれ違うクソどもが俺を見て笑う。まるで俺を惨めな人間のように囃し立てて、ダンゴムシのように脆弱な虫ケラの分際で哀れみの目を向ける。……こんなことが許されるのか?俺はタナカだぞ?タナカブレイバーなんだぞ?西の勇者と名高い俺が何故こんなに馬鹿にされる筋合いがある?なんで俺がこんな目に合わなくちゃいけない?俺はあの人に輝かしい未来を約束されて【スラッシュ】を賜ったのだぞ?」
西の勇者?タナカブレイバー?
全く聞いたことの無い単語に意識を持っていかれそうになる。
「……何のことか知らないが、全部自業自得だろ」
「悪党風情がほざくな!……すべては貴様らの仕組んだ情報操作だろう。その点についてはよくやったと褒めてやろう。……だがな!世間の目は誤魔化せないぞ!悪行には悪行の報いが訪れる!――」
いや、それは今のお前の状況だろうと言いかけたが、どう考えても火に油を注ぐだけだろう。
「――だが、それももう終わりだ」
タナカが腰に差した長剣を引き抜いてこちらへと向け、俺達三人に緊張が走る。
しかし、結果的に言えばそれは杞憂に終わった。
タナカは俺たちを攻撃する意思はなく、演劇のいちシーンのように剣に誓いをたてた。
「俺が【羽衣の心読丸】を見事討ち取ってくれよう!そこの赤毛の美人!父親が殺されているらしいな!俺が仇を討って、そして付き合ってやろう!そして民衆は真実に気がつくだろう!タナカと悪党のどちらが正しいかということに!」
俺は目を見開いて眼の前の男を見た。
おかしいヤツだとは思っていたが、今日に至っては特に気が触れている。
コチラのことはお構いなし、論理もクソも通らない飛躍した妄想を語ったのだ。
「……なあタナカ、悪いこと言わねぇからやめとけ。そんで探索はちょこっと休め。で、それでもまだやりたいと思うならその時は好きに――」
俺は素直にタナカの身を案じて言ったのだが、その言葉を相変わらず曲解して不敵に笑った。
「……くくく、そうだろうな。最強すぎる俺が行けば倒してしまうもんなぁ。人を貶める策を巡らせるしか脳のないお前は指を加えて見ているが良いんだよ。……そして!俺が心読丸を倒せば世界とあの人は改めて知るだろう!俺こそが燦然と輝くタナカ・ザ・ブレイバーだとな!ふはははははは!」
ああ、コイツは完全にイかれてる。
「……お前が強いのは否定しないから、マジで考え直せ」
俺が真面目にそう言うとデカイ高笑いは「ははは……はは…」と途切れ、急に真顔になったかと思うと、タナカは何事も無かったかのように突然に踵を返して店を後にした。
「……ヤベェな」
初めて会話をしたときから可怪しかったが、いよいよ手の届かないところに行ってしまった感がある。
嫌な奴だしヤバイ奴だしあまり関わりたくないと考えていたけど、そんな俺でも心配になるくらいだ。
あの状態で心読丸に挑んだとしても先は見えている。
だけど、きっと俺には止めようがない。
止められるような誰かにも心当たりはない。
ああ、アイツはこのまま死んでしまうのだな。
立ち去るタナカの後ろ姿に、まるで三途の川を歩いて渡っているような錯覚を覚えていると、後ろで二人の声が聞こえた。
「イチカちゃん?大丈夫?」
「……悪い。なんでもない」
椅子に腰掛けるイチカと飲み物を渡して背中を擦るアオイ。
タナカの毒気にあてられた……だけではないだろう。普段のイチカはそんなにヤワじゃない。
恐らく、彼女の父親と心読丸の話が出たことが原因だろうと思う。
心読丸が出現するようになってから時々考え込んでいるように見えるときがあったから、俺達は彼女の前でその件については触れないようにしていたくらいで。
そんなイチカを見たアオイは心配になって直接訪ねたことがあったのだけど、『なんでもないから』の一点張りだった。
恐らく俺が尋ねてみたところで結果は変わらないだろうな。……と考えていると、同じように何かを考えていたらしいアオイがにこやかに口を開いた。
「あ、そういえば今日は【飛来槍イカ】が手に入ったんですよ。イチカちゃんも終わったら食べに来ることにします」
「……来ることにしますって。……遠慮しとく、あんまり気分じゃないし」
アオイの身勝手な決めつけだが、イチカは手をヒラヒラと振る。
ちなみに【飛来槍イカ】とは下鴨ダンジョン四層に稀にしか現れない飛行型モンスター。
かなり手に入りにくいが、モッチリとした歯ごたえと臭みの少なさで人々を魅了し、酒によく合うことで有名だ。
しかし、俺達はエンカウントすらしたことがないのだけど……。
「ぶー。酷い。前にイチカちゃんが【飛来槍イカの塩辛】が食べたいって言ってたから頑張って手に入れたのに」
アオイは気乗りしないイチカの腕に取り付いて説得を試み続ける……までもなく。
「……もう。行けばいいんだろ?わかったからそんな顔しないで」
アオイのふくれっ面にアッサリと陥落したイチカさんでしたとさ。
※※※
夕食の準備しておくと言ってイチカの店を後にした俺達。
「だけどどうすんのよ。【飛来槍イカ】なんてもちろん持ってないし、今から探そうと思っても厳しいんじゃない?」
今はまだ昼過ぎであるが、食材の希少さを考えると全然時間が足りない。
「今から本気出します。嘘にはしませんとも」
普段の探索以上の覚悟を漂わせるアオイ。
きっとイチカを誘うための方便だったのだろう。
「当てはあるのか?」
今から狩りに行っても見つけられる見込みは少ないし、市場や魚屋に確認はしてみるつもりだけど、あいにく実際に売ってるところを見たことがないくらいだし、どうするつもりか皆目検討がつかなかった。
だけどアオイはニッコリ笑って、何故か両手の指を輪っかにして阿弥陀如来像のポーズをとり、微笑みながら穏やかに言った。
「悟空や、こんな時にお金を使わずいつ使うというのです」
後光が差すほどキメているアオイだけど。
「……お釈迦様。指が俗物的な金のサインになってますよ」
西遊記に出てくるのは指を輪っかにしている阿弥陀如来ではなく、手のひらを真っ直ぐに伸ばしたお釈迦様である。
アオイが悟空だったら頭の輪っかを締め付けられてるような不敬極まりない冗談である。
まぁ、もちろんそれは冗談なので置いといて。
「いいよ。アオイの好きにやってみな」
俺達はそれほど趣味にお金を使わない。むしろ使い方すらイマイチわかっていないくらいだし、このような贅沢であればとても有意義なことだと思えた。
「うひひ〜。流石は悟空さだ!」
「……作品が変わっとるよ」
牛魔王の娘はニシシと笑い嬉しそうに腕にくっついて来る。
近ぇ近ぇ。あんまりくっつかれっと、オラびっくりすっぞ。
……マジで。
まぁ、そんなわけでアオイはちょっと頑張るらしいのです。




