31.プロポーズ
「失礼する」
レオナールは手に花束を持ってフィーナの部屋に入って来た。なんだそれは、とソファに座っていたフィーナは軽く首を傾げる。
「遅くなって申し訳ない。昨日の、感謝祭の焼き菓子の」
「いくらなんでも花束だなんて」
本来は焼き菓子を子供に渡して、その代わりに花を手渡してもらうだけのものだ。なのに、どうしてこんなことになっているのかとフィーナは怪訝そうに言う。
「それは、これだ」
見れば、花束だけではなく一輪の花もレオナールは持っており、それを差し出す。
「えっ?」
それならば……と、フィーナは受け取った。礼を言う間もなく、花束が気になって仕方がない。
「そちらの花束は?」
「これはまた別だ。受け取ってくれ」
「え?」
よくわからないが、花束を差し出されてフィーナは困ったようにそれを受け取った。どうやら町で購入をしてきたようだが、一体何だろう。悩むが、答えがまったく見えない。誕生日でもない。まさか鉱石が売れておめでとうでもない。何だろう。
「何ですか?」
「わたしと結婚をして欲しい」
「え?」
「どうだろう?」
「誰が誰と……?」
突然のことにフィーナは理解を出来ずに、素直に尋ねた。
「わたしと、あなたが」
「レオナール様と、わたしが?」
「そうだ」
フィーナはぽかんとした顔でレオナールを見上げる。レオナールは何も特別なことを言っていないような顔で続けた。
「王城から選ばれて来た人々を見たが、どうにもあなたの旦那になるのは足りない者たちばかりで。だが、きっと、あなたは仕方なくその中の誰かを選ぶだろうと思って。だったら、わたしと結婚すればよいのではないかと」
「なんで、そうなるんですか……?」
「なんで?」
レオナールは首を軽く傾げた。それから「ああ」と思いついたように告げる。
「安心して良い。フィーナ嬢はそのままでいていただいても大丈夫だ。わたしが公爵を辞めてここに来るだけなので……」
「公爵を辞めて? えっ?」
花束を受け取ってしまったものの、話がまったくわからない。一体どういうことなのだろうかとフィーナは息を飲む。いちいちレオナールから出される情報が、予想外に遠すぎて咀嚼をするのに時間がかかってしまう。
「待ってください……あのっ……公爵を?」
考えるも何もなく、まず言われていることがわかっていない。
「ああ。父親に打診をして……以前、あなたに話したことがあっただろう。父や母と話をしたことがあまりないと……残念ながら、今でもそうなのでな。それに、ハルミット公爵家は立て直しが必要ではない。わたしの力はあまり必要がないということだ。ならば、外の世界を見てきたわたしではなくとも、公爵を継ぐのは問題はないだろうよ」
「でも……」
「正直な話、あまり賛成はされなかった。だが、生まれて初めての我儘なのでな。うん。本当に、生まれて初めての我儘だ。公爵を辞めるなんてことは」
何を話しても、いつもと変わらないレオナール。だが、公爵という肩書きを捨てることはハルミット家の一存で出来るのだろうかとフィーナは思う。とはいえ、彼が嘘を言わない人物だということもまた知っているのだが。いや、だが問題はそこではない。
「ど、どうしましょう……あの、同情してくださっているのはわかります。でも、だからって」
「同情?」
その言葉にレオナールは目を細める。
「同情ではない。単なる愛情だが……?」
「ふああああ!?」
フィーナは花束を抱きかかえ、顔を伏せた。ソファに座ったまま、膝を抱えて丸まって、どうしたら良いのかがわからなくなる。その様子を見たレオナールは「これは大丈夫だろうか?」と不安になり「フィーナ嬢?」と声をかけたが、勿論フィーナはそれどころではなかった。
(どうして? なんで? わたしのことを……?)
好きだと言うのだろうか。そんなとんでもないことがあっても良いのだろうか。ばくんばくんとフィーナの鼓動が高鳴る。
(ああ、わたしったら……本当は)
とっくに、自分もそうだったのだ。自分も、彼のことが好きだった。だが、そんなことを口にすることは出来なかったし、したとしても土台無理な話だと思ってもいた。だから、あえて蓋をして。なのに、どうしてこんなに簡単に彼はそれを乗り越えて来るのだろうかと思う。
「どうだろう?」
「うう……」
どうだろうも何もない。嬉しいやら何やら、いや、だが自分のせいで彼が公爵を辞めるなんて、そんなことがまかり通るなんておかしいとも思う。だが、その次には、彼には彼の考えがあるに違いないとも思うし、大混乱だ。フィーナは困り果てて、更に体を丸めた。すると、レオナールはハッとなって
「大丈夫か。具合が悪いのか」
と、彼女の背にそっと手を回す。ああ、この手は。もう駄目だ。フィーナは耳まで真っ赤にしながら「悪くないです……」と呻いて、しばらく彼を困らせる。
(そうだわ。この手。この手があの日、わたしを助けてくださったんだわ)
あの夜、自分を何度も何度も撫でてくれていた手。別に彼ではなくともそうしてくれたのかもしれないが、あの時、共にいたのは彼だったのだ。そう思ったら、もう歯止めが利かない。
「あのっ」
「うん」
「レオナール様は、わたしを……」
自分で言うのは恥ずかしいと思うが、当人からは聞きたい。わがままだとは知りつつも、フィーナはおずおずと尋ねてみる。気付けばレオナールはあまりにも普通にフィーナの隣に座っていた。
「うん?」
「その……す、き、なんでしょうか」
「そうだな」
レオナールは苦笑いを見せる。
「言ったら、わたしのことを好きになってくれるのか?」
「ええっ!? あのっ、いえ、言われなくても……」
自分はレオナールが好きだ。ようやくそれをはっきりと、誰に言うわけでもなく理解をする。どうしてなのかと問われれば困るが、もう心に嘘はつけない。憧れの人だったからだろうか。それとも、あの夜助けてくれたからだろうか。自分を認めてくれたからだろうか。それもある。だが、それだけではない。
それだけではないが、ただ、好きなのだ。それ以上に自分の想いを言葉にすることは難しいとフィーナは思う。花束を抱えながらちらりとレオナールを見上げれば、彼は眉間にかすかに皺を寄せながら語りだす。
「あまりそういうことが得意ではないんだが……まず、花束を贈った女性は初めてだ」
「ひえっ……」
「それから、同じチャームを持ってくれていることも、嬉しかった」
「えっ?」
一体誰からその話が、マーロか? それとも。フィーナは混乱をしていたが、レオナールの言葉は続けられた。
「結婚の申し込みをしたのも初めてだ。ろくな候補がいないという話をしたが、ろくな候補がいても申し込んでいたな……要するに……わたしはあなたが好きだということだ」
「!」
尋ねたのは自分だ。だが、それを直接聞くのは思っていた以上に威力があり、フィーナは最早息も絶え絶えの状態になってしまった。ここまで言われて、断る理由が最早ない。どうしよう。うまく言葉が出ない……そう思いながら、恐る恐る返事をしようと試みた。
「あの、わたし……お、お受けいた……」
と、ちょうどその時ノックの音が響く。
「フィーナ様、よろしいでしょうか。レオナール様に書簡が届きまして……ご一緒にいらっしゃるとお話を聞いていたのですが」
カークの声。舌打ちをしてレオナールは立ち上がった。実にそれは彼らしくないことだったのだが、フィーナはそれに気付いていない。レオナールは扉を少しだけ開けてカークに「ありがとう」と言って書簡を受け取る。だが、カークはそのレオナールの様子に驚き、すぐには退かずに震える声で尋ねた。
「あ、あの……まさかフィーナ様に……その……厭らしいことを……!?」
それへ、レオナールは冷静にきっぱりとはっきりと返事をした。
「違う。プロポーズ中だ」
「!?」
問答無用で扉をパタンと閉められて、カークは目を丸くした。プロポーズ中。プロポーズ中……。
「プロポーズ中!?」
扉の外でカークが叫ぶ声が聞こえるのとほぼ同時に、レオナールはフィーナに「どうだろうか?」ともう一度尋ね、書簡をテーブルの上に置いた。
「あっ、あの……」
一度止めてから、また言葉にすることはいささか難しい。フィーナはレオナールを見た。絡む視線に呼吸が止まりそうになったが、彼の真剣な表情に心が打たれる。
(こんなにまっすぐ、わたしを見てくださるなんて)
フィーナは胸の奥がじんわり熱くなっていくことに気付き、ほっ、と息を吐き出した。ああ、この人は本気なのだ……そう思えばフィーナもようやく落ち着き、心を決めた。
「レオナール様」
するりと彼から離れ、フィーナは花束をテーブルの上に置く。そして、立ち上がると少しばかり慣れぬカーテシーを見せた。それは、挨拶であって挨拶ではない。目上の者からの指示を公の場で受ける時に見せるものだ。
「フィーナ・クラッテ・レーグラッド、レオナール・ティッセル・ハルミット様からのプロポーズをお受けいたします」
「ああ」
それを見たレオナールもまた、ソファから立ち上がると片膝を突いた。彼女のカーテシーを受けて、目上の立場として振る舞ったりはしない。物言いは上からかもしれないが、それは彼の誠意だった。
「これは、失礼した。フィーナ・クラッテ・レーグラッド。もう一度良いだろうか……わたしと、結婚していただきたい」
「はい。喜んで」
レオナールが片手を出せば、そっとフィーナは戸惑いながら彼の手に自分の手を乗せる。
「慣れないのだが」
と言って、レオナールは彼女の手の甲に口付けを落とした。そっとその手を引いたフィーナは、嬉しそうな、恥ずかしそうな表情で自分の手をもう片方の手でそっと覆って「嬉しいです」と小さく呟いた。
「それでは」
「?」
レオナールは立ち上がり、扉に近づいて勢いよく開けた。そこには、まだカークがおろおろとしている。
「カーク、プロポーズは成功した。みなに知らせてくれ」
「ええっ!?」
カークは扉から顔を覗かせてフィーナを見た。彼を見たフィーナはついに泣きだし、名を呼んだ。
「カークううううううう!!」
「お、お嬢様ぁぁぁぁぁぁ!!」
「わ、わたし、わたし、お嫁に行けることになってしまったわ……!!」
「お、おめでとうございます!!」
執事とお嬢様は互いにおいおいと泣き出した。レオナールは2人を放ったまま別の女中を呼び、花瓶を所望した。その女中も「一体何が?」と怪訝そうな顔をしていたので、レオナールが「プロポーズを受けてもらって」と告げる。こうして、あっという間にレーグラッド男爵邸の人々は、レオナールのプロポーズをフィーナが受けたと知って、あれよあれよという間に話が広まった。
のちほどその話を聞いたマーロは「レオナール様って、そういうとこありますよね……」と呟き、ヴィクトルは「汚いんだよな。やり方が」と言いながら、心からの祝福をしたのだった。




