21.レオナールからの依頼
話をざっくり聞いたヴィクトルは大いに笑い、まだ彼女のノートを見ていなかったマーロは本人の前で許可を得てようやくそれを見ることが出来た。話は朝一番に聞いていたので、ああ、なるほどと納得しながらの閲覧だ。まさか自分のノートを自分の前でふむふむと見られることになると思っていなかったフィーナは「嫌い……」ともう一度呟き、レオナールにとどめを刺した。
「すごいっすね。レオナール様相手に、面と向かって嫌いっていうご令嬢初めて見ました!」
「ほ、本気ではないです。ないですけど、ちょっとだけ嫌いになりました!」
何度も言わないでくれ……反省はしている……レオナールはそう思ったが声に出す権利が今の彼にはない。
「素晴らしい内容です。とても真摯にお学びになったのですね」
「ありがとうございます。マーロ様にそう言っていただけるなんて、光栄です」
(わたしも褒めたが!?)
と言いたい気持ちを抑えるレオナール。
「まっ、レオナール様がやっちゃったことはほんっとーに失礼なことだとは思うんですが、まあ、おかげでですね、我々もですね、もう知らないふりをしないことにしようかなっていうのと、フィーナ様も知らないふりをしなくてよいことになりましたし、結果的によかったってことで許してあげてもらえませんか」
「おい。お前にフォローを頼んだ覚えはないぞ」
「レオナール様はご自分でおっしゃったように今は罪人の身分ですから」
「う……」
なかなか厳しいな……とレオナールは静かになる。その様子がおかしかったようで、フィーナは小さく笑った。ヴィクトルとマーロが来たことで、取り乱した彼女も少し落ち着いた。自分が馬鹿な自白をしてしまったことに気付き、今度はそれを心から恥ずかしいと思ったのだったが、素直にこれまで何をしていたのかを白状した。
従兄のラウルの力を借りて、彼らの足跡を追ったこと。それをどういう形でレーグラッド男爵領に持ち帰り、故レーグラッド男爵とどのように話し合い、彼らに見せた計画書を作るに至ったのか。時系列も大雑把でたどたどしい説明であったが、レオナールたちは彼女の話に最後まできちんと耳を傾けた。
「そういうわけで……みなさまが立て直しをした領地の様子を拝見して……わたしはあまり頭が良くないので、何を見聞きしてもどうしたらそんなことが出来るんだろう、どうしたらそんな着眼点を持てるのだろうかと最初は驚くだけだったのですが、そのうちちょっと夢中になってしまいまして……結果、立て直し公って素晴らしい方だと……要するに憧れであり、なんといいますか、心の師といいますか……こう、ちょっと、偶像化していたといいますか……」
「実物はどうでしたか」
笑いそうになるのを堪えながらヴィクトルが聞けば、フィーナは即座に返事をする。
「想像以上に聡明で有能な方で驚きましたが、まさか女性の寝室からプライベートなノートを持ち出すような方だとは思っていませんでした。幻滅です」
「うっ」
すさまじい直球だ。要するにフィーナとしては、あれはあれ、これはこれ、で自分が憧れていた人がやったことだからといって許せることではない、ということだ。ヴィクトルは大いに笑い、マーロに窘められる。
「でもですね、はは、まあ、ちょっとレオナール様の話を聞いてあげてくれますか。寛大なお心で」
「ヴィクトル様がそうおっしゃるなら、聞いて差し上げても良いですよ」
珍しく自分の方が立場が少し優位に立ったのと、恥ずかしい部分を見られたことをどうにか誤魔化したくて、フィーナはレオナールに少し意地悪くそう言った。こればかりはレオナールに勝ち目はないので、彼は早々に「わかったわかった。わたしが悪かった。なのに、耳を傾けていただけること、感謝しよう」と棒読みで言って本題に入った。
「わたしが拝借したこちらのノートしか目を通していないので、他のノートを見せていただけると尚良いのだが、それはまあ後のこととして」
「ええっ、見せたくありません」
「ひとまずその話は保留にしてもらって。端的に言うと、フィーナ嬢には十分に領地運営について参加もして欲しいし、口を出していただいても良い。今まで、あまりよく知らないという体をとっていて、一線を引いていたと思うが、そこは問題ない。聞きたいことがあれば好きに聞いてもらっていい。勿論、あなたが今日まで隠そうとしていた事情はこちらも薄々はわかっているので、あなたがそうして欲しいと言えば、調査員たちにも漏らさないし、王城への報告も今のところはあなたについて特に何もしないでおこうと思っている」
「本当ですか!」
「ああ。ただ、それとは別に、頼まれて欲しいことがあって」
「はい」
「フィーナ嬢」
レオナールの表情が変化した。それまでも真面目な話をしていたはずなのに、それでもこの先の言葉は更に重たい内容なのだと一目でフィーナに伝えるほど、彼の冷たい瞳には力が入り、強くフィーナを見据えた。
「あなたは先程、着眼点、という言葉を使った。あなたのノートを見てわたしが感じたのもまさにその言葉で……領地を立て直すために、何をどう知るのか、何をどう見るのか、その基本となることを、この国の貴族たちはわかっていない」
「はい」
「だが、我々が立て直した領地を見て回ったあなたが男爵に力を貸して作った計画書や、この2年間にレーグラッド領で行なっていた領地経営は、それらを既に知っている者の行ないに我々には見えていたのだ。だから、我ら三人は、レーグラッド男爵は戦争後からかなり領地運営をうまくやってきた方だと思っていた。何故、その前から蓄えることが出来なかったのか、不思議に思うほど」
父がそんな評価を受けていたなんて初耳だ、とフィーナは「はあ」と少し間抜けな声をあげた。どうも彼女は聡い時と鈍い時の差があまりにもありすぎるようだ。ここ最近――そもそも出会ったのもここ最近なのだが――レオナールは彼女に対する理解を深めたので「鈍い時だな」と判断する。
「要は、それらはあなたの力だったのだなと、このノートを見てわかったのだ。そして、あなたは、我々が視察をして出した結論や実践のひとつひとつを評価して、紐づけをしたり、分解をしたり、その後自分の領地に適用する力が養われている」
「そう、なんでしょうか?」
「そうだろうな。ひとつの事例を他の事例に結びつけるには、あなたがいうように着眼点が大切だ。我らは座学や実践から得た多くの知識から方法論を導くが、同じ知識を人々に分け与えることは難しい。だが、あなたが出来たのだから、他の人間も数少ない事例からの紐づけや実践が難しくともそこにある思想は学べるのではないかと思うのだ」
「すみません……ちょっと、話が難し過ぎて……」
フィーナは素直に片手をあげてギブアップを申し出た。ヴィクトルは笑って「レオナール様はちょっと興奮しているんですよ」ととんでもないことを言ったが、それをレオナールは否定をしない。ということは、ヴィクトルの言葉は本当なのだろうか、とフィーナはちらりとレオナールを見た。
「そうだな。少し興奮している。つい、説明ではなく語りになってしまった。恥ずかしい姿を見せてしまったな」
「えええ……認められるのですか? そんな、レオナール様が興奮なさるようなこと、一体どういう話なんですか? わたし、全然話が見えないのですが」
仕方がない、という顔で、普段はあまり話を割らないマーロが軽く手をあげれば、レオナールはあごをあげて彼を促した。そもそも、レオナールは厳しい人物だったがそこまで傲慢な態度を部下に見せることは少ない。それが余計にヴィクトルのツボに入ったのか、ヴィクトルは笑いを堪えている。
「我々は立て直しの事例について王城に報告をしていますが、当然その後のことまではわかりません。その後の状況が多少領主から王城に報告があがっても、それは領地の現状報告であって、立て直しの資料となんら紐づけされるものではありませんしね」
「あっ、そうなんですか」
フィーナにとっては当たり前のように「それは時系列で整えるべき報告書では」と思えることでも、それは王城側からすれば違う。事後の報告書の性質はまた別のもので、管理部門が見ても「一緒にすべきもの」とは判断されない。
「ですが、フィーナ様は立て直し前、立て直しの実践、立て直しの後を時系列で、勿論リアルタイムではありませんが、その流れを見たうえで、それをレーグラッド男爵領にどう適用すべきかをお考えだったでしょう。何は採用出来たが、何は採用出来なかったとか、これは自分の領においては、ここが有効だがここは検討すべきだ、とか。それらの結果が最終的に計画書になったわけですよね」
「はい」
「それらを、書物としてまとめていただけませんか、というお願いなのです。本当は、我々がすべきことなのですが、正直手が回りませんので。今のままレオナール様が回るだけでは、間に合わない領地も出て来ますので、立て直しが必要な領主にそれらを読んでもらい、わからないなりで良いので計画書の提出を先にさせたいのです」
「はい……えっ!?」
曖昧に相づちを打ってからフィーナは驚きの声をあげた。
「わたしが……そ、そんな大それたことを!?」
「大それたことは既にたくさんやっているだろうに」
そのレオナールの突っ込みは正しい。が、予想外の打診にフィーナはおろおろする。
「あの、それは、わたしが書いたということは知らされてしまうのでしょうか」
「そうだな。レーグラッド男爵はお亡くなりになっているし、視察に共に行っていたという従兄のラウルは計画書に携わっていないわけだしな。が、そこはどうとでもなるだろう。書き終わった頃に、あなたが名を伏せて欲しいというならば、善処する。それに、内容はわたしたちも目を通して監修という形をとるし、わたしの名義で各領主に情報の開示をすることも話を通すので、本当に最後に決めてよいところだ」
「わたしに……出来るでしょうか……」
「あなたがこの2年やってきた領地運営に関わることよりは簡単だと思う。それに、その作業はこちらからの依頼なので賃金が発生するし」
「はい……」
「なんといっても作業をしている間は過去のことでもわたしに質問し放題だぞ」
「やります!」
やってくれと頼んだものの、そこで即決なんだ……とヴィクトルとマーロは驚きと呆れが混じった視線をフィーナに向けた。レオナールも心の中で「まさかと思いつつ餌にしたが、そこはそんなに大切なのか……」と頭を抱えたのだが、あくまでもいつもの冷たい視線で「うん」と頷くだけだ。
「では、商談成立だ。始めるには、まず既に立て直しが終わっている領主たちと王城に情報開示の許可をとってからなので、逸らずとも良い。こちらのノートは謹んでお返しするが、出来れば監修する立場ゆえ、他のノートも」
「見せなくちゃ駄目ですか?」
「うむ」
フィーナはついに観念して、残りのノートを寝室から持ってきた。ララミーが片づけたノートがチェストにあると知った時、冊数までは気にしていなかったことにまた唸りながら。
「折角なのでここで少し」
と勝手にページをペラペラとめくったヴィクトルは、すぐに「ぷはっ!」と笑い声をあげた。
「な、な、なんでしょうか!」
「おもしろいなぁ。ここ『手紙の恨みは一生忘れない』って、これ、何のことですか」
「!!!!!!」
フィーナは真っ赤になってヴィクトルからノートを取り上げると「やっぱり見せません! みなさん嫌い!」と叫ぶ。マーロはとんだとばっちりだ。なんにせよ、すっかり元気そうな彼女の様子に安心し、男3人はどっと笑ったのだった。




