第51話 雪の中に見えた幻
精霊祭からどれだけの時間が経ったかしら。ひと月? ふた月……はさすがに経ってないか。
ジョエル様は決勝戦を辞退してしまわれたのです。優勝で得られる富も名声も興味がないからと。すでにお持ちですものね。ですから優勝は他の方の手に。
会場が騒然としているうちに屋敷へ逃げ帰ることができたので、個人的にもそれでよかったと思います。とーっても恥ずかしかったんですもの!
以来、とても忙しい日々を過ごしています。付与術の勉強は続けているし、公爵夫人としてとるべき家政についても学び始めました。年が変わって社交も活発に行われているらしく、私もいくつかのお茶会に参加したり。
そんなてんてこ舞いな中でわずかな時間を見つけて、今日はテンデポルテ教会の公園墓地へジョエル様と一緒にやって来ました。お母さまへ近況報告をするためです。
装飾のないシンプルなお墓に白い菊の花束を置いて、胸の前で手を組みます。
「お母さま、私ね、話したいことがたくさんあるのよ。ええと、まず悪い報告なのだけどマリーノ伯爵家が無くなってしまったの。私の今の名前はなんと、『アリーチェ・ロヴァッティ』よ」
「まったく似合わない名だ」
「あはは! ジョエル様ってばまだ言ってる。陛下のご指示だっていうのに、ジョエル様もエリゼオお義兄様も嫌がって大変だったの、お母様に見せてあげたかったわ。子どもの喧嘩みたいだったんだから」
マリーノ家が解体される前に私を他家へ出しておく必要があるとの陛下のご指示で、候補に挙がったのがロヴァッティ伯爵家でした。でもジョエル様もロヴァッティ伯爵もそれをすごく嫌がってしまって。結局、陛下の鶴の一声で決定となったのですけど。
「貴女が愛したというマリーノ港は、カッターニ子爵家が管理することとなった。次男と違って子爵も長男も真面目な好人物だから、安心してもらいたい」
ジョエル様が目を細めてお母様への報告を続けてくださいました。なんだか嬉しくて彼の右腕をぎゅっと抱き締めます。
ふいに駆け抜けた風がお墓に乗っていた枯れ葉を吹き飛ばし、たった一枚だけ白いお墓の上でくるくると舞っています。それがなんだかお母様が喜んで踊っているみたいに見えて。
ディエゴ卿と結婚するようなことにならなくて、本当によかったわ。ね、お母様。
「マリーノ家へ入ろうとしたディエゴ卿ではなく、彼が疎んだご家族がマリーノの仕事を引き継ぐことになるだなんて、皮肉なものですね」
ディエゴ卿は例の誘拐事件の直後にカッターニ子爵家から義絶されたそうです。カッターニ家はずっと加護持ちの子が生まれなかった関係で存続が危ぶまれていたお家。やっと待望の加護持ちが生まれたというのに、もうこれ以上放蕩息子の尻拭いはできないからと。
「身から出た錆ってやつだ。そんなことより、もっと大事な報告があるだろう?」
「そうでした! お母様、私ね、明日ついに、ジョエル様と結婚するのよ。だから、見守っていてくれたら嬉しいわ」
ジョエル様の左手がのびて、私の頭を優しく撫でてくれました。
以前ここへ来たときには、身分相応の仕事や責任を負うという幸せについて報告をした記憶があります。でもそれは少しだけ訂正。公私に渡って何もかもが幸せだわ。
だから心配しないでね、お母様。
「マリーノ家の面々の話は……しなくていいか」
「ふふ、そうですね。きっとお母様も聞きたくないって言うに違いありませんから」
お父様は死刑、お義母様とミリアムは国外追放になりそうだと聞きました。
追放先はイージュラ大陸です。人身売買だとか奴隷制度だとかが存在する国で、頼る者も資産もない元貴族の女性が無事に生きていけるかどうかは運次第でしょうか。
売られてしまった人々も少しずつ保護されていると聞きました。めちゃくちゃになった彼らの人生が、お父様やディエゴ卿の命で贖えるとは思えません。王家もある程度の補償をするとは言っていますけれど、私は私で何かできないか考えようと思います。
ジョエル様を見上げると、頬に冷たいものが落ちたのを感じました。
「あら。雨……?」
「いや、雪だな。この国に雪なんて珍しいが」
そう言われてあらためて空を見れば、ふわふわの綿毛のようなものがゆっくりと落ちてくるのがわかりました。風に揺られながら落ちる綿毛はずっと見ていても飽きない気がします。
「ジョエル様に水をかけたのが今日みたいに寒い日じゃなくてよかった」
「あれは生涯忘れられない思い出だな。あれから三ヶ月か。もっとたくさんの時間を一緒にいるような気がするが」
「そうで……クシュッ! うぅーーーすびばせん、失礼しました」
「名残惜しいが帰ろうか。ここで風邪をひくわけにもいかない」
ジョエル様がご自分のコートを私の肩に掛けてくださいました。ちゃんと防寒してきたつもりなんですけど、雪が降るほどの寒さはさすがに予想外でしたからね……。
「でも今日はこの後――」
「フォンタナの墓はまた後日あらためよう」
子どもをあやすように私のおでこにキスをひとつ。
ジョエル様も幼少時からずっとお墓参りをしていないと聞いたのですが、こちらから行こうとは言いだせなかったのです。それが今日やっと、決心なさったのに。雪のばかばか。
公園墓地の出口へ向かって少し歩いたところで、ジョエル様がふと足を止めました。
「君の母上は……君と同じ黒髪なのか? スミレ色の瞳?」
「え、ええ。そのように聞いています。私だけ家族と色が違うって……」
ジョエル様を振り仰ぐと、彼はお母様のお墓を見つめていました。その視線を追った先で私は、雲間から差す光の中に、はらはらと舞い落ちる雪の中に、優しい笑顔を見つけたのです。それは気のせいだったと思うくらい本当に一瞬のことで、すぐに掻き消えてしまったのですけど。
ジョエル様はその場で跪き、私の手を取りました。
「アリーチェは必ず俺が幸せにします」
その瞬間突風が吹いて、お母様のお墓に供えた菊の花びらが舞い上がりました。




