第50話 それはずっと焦がれていた言葉でした
ジョエル様は私と目が合うなり、踵を返してコートから出て行ってしまいました。入れ違いに銀竜騎士団の方々が入って来て、お父様を乱暴に連れて行ってしまいます。
会場は一体何が起こったのかと騒然としっぱなし。私もキアラ様やエレナと目を合わせては首を傾げることを繰り返していました。
そこへ、ジョエル様の声が。
「アリーチェ! アリーチェ、俺は」
観覧席へ入って来るなり私の体を強く抱き締めてしまいました。ちょ、苦しいのですけど!
「ジョエル様? あの、どうし、たんですか。げほっ」
ジョエル様は少しだけ身体を離して、私の頬を両手で挟むようにして触れます。真っ直ぐにこちらを見るのは月の瞳。
「俺が間違ってた。俺は感情がなくとも妻となった者の命を守るくらいできると思っていたんだ」
「はい、えと、ジョエル様なら難しいことではないように思えます」
だってあんなにお強いんですから!
これから記憶と感情を封印しても、守ると言ってくださったのだから大丈夫だと信じています。
頷く私に、でもジョエル様は小さく首を振りました。その瞳には涙が浮かび、何から伝えればいいのかともどかしそうに口を開いては閉じています。
「違うんだ……。それは絶対じゃない。もし未来の俺が君を守らなかったら、俺は俺を絶対に許せない」
「え? え、と、なにをおっしゃってるのか」
ジョエル様は再び私を抱き締めて、首元にお顔を埋めました。耳元で囁くように言ったのは。
「両親に愛情がなかったら、俺こそがあの日に死んでいたはずだ」
あの日。嵐の日、ジョエル様のご両親が亡くなった日。
それは生かす命を選択せねばならない瞬間のことを言っているのだと理解しました。ジョエル様が生かされたのは、ご両親の愛ゆえ。もしあの馬車に乗っているのがマリーノ家であったなら、確かに私は真っ先に死んでいたでしょう。
「どういった状況であれ、ジョエル様が生き延びるのであれば私は構わな――」
「俺も両親の葬儀の最中ずっとそう思ってた。俺のことなど見殺しにして、生きていてほしかったと。だから愛なんて邪魔だと思ってたんだ。……だがそれは、俺が見殺しにする立場になる可能性を排除していた」
ジョエル様の腕に力が入ります。
まるで怯えてるみたいに震えていて、迷子の犬のようで思わず背中に腕をまわしてしまいました。
「どちらかしか生きられないのなら、ジョエル様に生きてほしい。だからそれでいいんです」
「いや、どうにかしてふたりで生きるのが正しいんだ。両親だって自分たちが生きることを諦めたわけではないはずだ。残すのも残されるのも嫌なんだ、俺は」
「記憶や感情を捨てたくないということですか? でもそれでは辛いのでしょう?」
言いながら、彼の背中に爪を立てました。
質のいい生地でできた騎士団のジャケットは私の爪なんてものともしないとわかっていても、私という存在がほんのわずかでも跡となって残ればいいのにって思ったから。
ジョエル様が顔をあげました。
「愛してる」
私を見つめて言ってくださった言葉は、私がずっと焦がれていた言葉で。
それを今最も欲しい相手からもらえたことが何より嬉しくて。私の意思とは無関係に、みるみるうちに目に涙が溜まっていきます。
「ふふ。やっと言ってくださった。私はその言葉があればもう、大丈夫ですから」
「違う。愛してるんだ、アリーチェ。この先、何人たりとも、俺自身でさえも、君を傷つけるのを許さない。悲しませない。そのための努力をしたい」
「封印しないの……?」
「しない」
「記憶も? 感情も? ずっとこのジョエル様でいてくれるの?」
「そうだ、ずっと俺は俺のまま君を愛し続ける」
我慢のきかなくなった涙がぼろぼろと滝みたいにこぼれていきます。
ジョエル様は「すまなかった」と謝りながら、私のおでこや頬にキスをしていきました。
「ジョエル様は、お辛くはないんですか?」
「俺は……そうだな、アリーチェがいてくれれば大丈夫だ。君が『愛してる』と言ってくれればさらに元気になれる」
そう言ってイタズラな笑みを浮かべました。
ずぴぴと垂れてきた鼻水をジョエル様がハンカチでぬぐってくれます。わわっ、なんてこと!
「ほら、言って」
「うう……愛してますぅ」
言うが早いか、ジョエル様は「よかった」と呟いて唇に優しく口付けを落としました。柔らかくてあたたかくて少ししょっぱいキスでした。
「そろそろいいかなぁ~? 結構待ったつもりなんだけどまだかかりそう?」
間延びしたファビオ殿下の声に、ぴっと目を開けました。
そうです! ここは演武場の観覧席で、周囲にはキアラ様もエレナもいるはずでっ! それどころか観衆は数え切れないくらいいるはずでっっ!
「わっわっわっ、あのっ」
「気にしなくて大丈夫だ、アリーチェ」
「いや気にしてくれるかなっ?」
そっと周囲に視線を走らせれば、キアラ様はらんらんと輝く瞳でファビオ殿下の肩を叩き、エレナは顔を真っ赤にしながら目を手で覆っていましたが、その手は指がしっかり開いていて何も隠していませんでした。
恥ずかしさのあまりしゃがみ込むと、演武場のいたるところから「ひゅー」という声が聞こえてきたのでした。




