エピローグ 理解不能な過剰供給(アクサナ視点)
難しい判断だったわ。
そう、難しかった。
だから、自分を責めちゃだめよアクサナ。
そう自分を鼓舞するように考えを巡らせながら、まだ信じられない気持ちで目の前の光景を見やる。
「ほんもの? ほんもの?」
「ドリー?」
先ほど、目の前の推しが幻覚ではないと気づいたドリーは、それから「ほんもの?」としか喋らなくなってしまった。
そんなドリーを持て余すようにオロオロとしているのは、ドリーの推し、ヴォルフ・マーベリック選手。
闘技場ファンから“蛮骨の狼”と呼ばれている彼は、今では爪も牙も研がれ、主人の機嫌を伺う飼い犬のような甲斐甲斐しさだ。
そんな二人を見ているここ闘技場ロビーにいる者たちは、すっかり時が止まったようになってしまっている。
人が減ってきていたとはいえ、かなりの数の闘技場ファンのおじさま方がドリーとヴォルフ・マーベリック選手の成り行きを呆然と見つめていた。
その中に見知ったおじさま方の姿を見つける。
説明をしてほしいと彼らの目は訴えていたが、私だって説明してほしいのは同じだ。
本戦が始まってからいくらでもドリーが説明するだろうと、私はスイと彼らから視線を逸らしてディー様とクラインさんがいる場所へと避難した。
「鉢植え、持ってきてあげたの?」
「ドリーったら、落として割りそうなんだもの」
「確かに」
ディー様はやってきた私に笑いかける。
私の手には蕾のついた植木鉢。
可愛らしい花柄の鉢は、どう考えてもヴォルフ・マーベリック選手に不似合いだが、ドリーが持つなら話は別だ。
「クラインさんは知っていたの?」
「ええ。花も、彼の気持ちも」
「ふうん」
クラインさんを見るけど、彼の目には思ったほどの動揺の色は見つからなかった。
「僕の言ったとおりでしょう?」
いたずらにそう言って笑んだディー様に、「さすがディー様」と、小さく苦笑で返した。
それから、ディー様が「そろそろ行くね」と告げて去っていく。
去り際、ドリーたちのところを通ったディー様は、すれ違いざまにヴォルフ・マーベリック選手に何か囁きかけて彼を驚愕させていた。
私は、クラインさんと二人になる。
口を開いたのは微笑まし気な笑みを浮かべたクラインさんだった。
「どうなると思いますか?」
「そりゃあ、付き合うんじゃないかしら」
「ですよね」
なんてことないように言うクラインさんは不思議だ。
ヴォルフ・マーベリック選手はどう考えてもドリーが好きだ。
好きでもない相手にここまでする理由もないし、手をかけて育てられたことが分かるこの蕾の花を見れば、彼の気持ちは明らかだった。
今は現実を受け止めきれない様子のドリーだけど、そのうち自分の身に起きた幸福を受け入れられるようになるだろう。
その時まで、ヴォルフ・マーベリック選手が辛抱強く待っていてくれれば上手くいく。
花を贈るために育てるところから始めるような彼だ。
きっと、いつまでも待ってくれるだろうと思えた。
「時間はかかりそうね」
苦笑が漏れる。
元はと言えば、私も悪かった。
ヴォルフ・マーベリック選手のことを勘違いして、リアコはやめておけと、私が事あるごとに釘を刺していたせいで混乱させてしまった部分も大きい。
普通に考えればファンが推しに恋するなんて不毛なだけなのだから、私の注意は正論であったはずなのだけど、今回だけは違ったのだ。
「アクサナさんのせいではありませんよ」
「なんだかそれ、前にも言われた気がするのだけど」
私の思考を読んだかのようなクラインさんからのフォローに、思わず笑ってしまう。
この人は、平気なのだろうか。
「クラインさんは、良かったんですか」
なぜか、途中で言葉に詰まった。
この人がドリーや私にずっと親切だったことは知っている。
紳士的で、優しくて、イケメン。
こんな優良物件を不意にするなんて、ドリーも贅沢なことをするものだ。
じっと、彼の顔色を見ていると、クラインさんは困ったような顔をした。
それから。
「はい、まったくもって」
「え?」
あまりにきっぱり言われた。
その反応が意外で、私は戸惑ってしまう。
ヴォルフ・マーベリック選手の気持ちや育てていた花のことだって知っていたクラインさんは、彼とライバル関係だったのではないのだろうか。
私が不思議に思っているのを見透かすように、彼の瞳が少しだけ暗く光った気がした。
「僕は、女性が誰かを応援している姿を好ましく思います」
変わった一人称に、彼の本音が聞けるのだとわかった。
黙って見つめたままの私に、彼は言って聞かせるように続ける。
「僕の好きになった人は、大切な方の応援に一生懸命なんです」
「うん」
ひとつ、相槌を打つ。
そして。
「僕は初めから、あなた狙いですよ?」
は?
「友人のために、一生懸命ヴォルフさんを探すあなた。ディディエ選手を応援するあなた。人に迷惑をかけるような子にだって心を砕くあなた。私の知っているあなたはいつだって、ドリーさんや誰かのために一生懸命でした」
理解が、追い付かない。
「ちょ、ちょっと待って。待ってください」
「好きです」
ずるい。
待ってって言ったじゃない。
顔が熱い。
勝手に目が潤んでくる。
そんな私を嬉しそうに見ているのは、普段見せないような、少しいじわるな笑顔のクラインさんだ。
「だって、クラインさん、レストランでもドリーの話ばっかり」
「あなたが一番喜ぶ話題でしょう?」
「っ! そう、だけど!」
「ほら」
くすくすと、まるで私が聞くことが分かっていたかのようにスルスルと答えるクラインさんは楽しそうだ。
心臓がバクバクとうるさい。
いつも優しげで親切だった紳士が、今では獲物を捕らえた捕食者に見えた。
なんでこんなに嬉しいのよ!
自分の内心と理性とのギャップに、私はぐるぐると目が回りそうだ。
だって、クラインさんはドリーのことを好きだと思っていたから。
好きになっちゃいけない相手だって。
そう思っていたのに。
「アクサナさん」
ただ呼ばれただけで、目が合うだけで、心臓がまた跳ねる。
「好きです」
それから、「お返事は?」と、答えなど分かっているように言うクラインさんは楽しそうだ。
私は、まったく勝てる気がしなかった。
一方、ロビーの真ん中では。
「ほんもの??」
「ドリー?」
相変わらずなドリーとその推しの声が、どこか遠くで聞こえていた。
最後までお付き合いいただいた皆さま、本当にありがとうございました。
ゴールデンウイークを利用してタイムトライアル的に始めたこの連載でしたが、なんとか完結まで間に合って一安心しております。
ディディエの囁きはそのまま放置してしまいましたが、「既婚者なんだ」でもいいし、「治癒魔法は使えないよ」でも、なんでもいいかなと思っています。
ヴォルフに敵視されてちょっぴり悲しかったディディエ・トロー。
今後、暇をみてサブキャラたちの目線の話を上げられたらいいなあと思います。
サブキャラ視点のドリー&ヴォルフのその後なんかが書けたら楽しいだろうなと。
最後までお読みくださったみなさまが楽しんでいただけていたなら幸いです。
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