推しのファンサは百薬の長
現れた金髪の美男子に、私たちは固まってしまう。
「ディー様……」
私の怪我を心配して暗くなっていたアクサナだったけど、思いがけず推しが登場したことで、驚いたように彼の愛称を口にした。
現れたのはディディエ・トロー選手。
ヴォルフ様に続いて現れた本戦常連戦士の登場に、ロビーや通路にいた闘技場ファンのおじさんたちがぞろぞろと集まってきている。
選抜試験には、若い女の子を中心にしたディディエ・トロー選手の“戦士ファン”はあまりいないから、今キャアキャアとはしゃいでいるのはおじさんばかりだ。
彼はそんなおじさん集団に笑顔で応えつつ、道を譲ってもらってクラインさんのところまできた。
「何があったの?」
改めて聞くディディエ・トロー選手の声は少しだけ固い。
いつも柔らかな彼にしては緊張したような声音だ。
「私どもの対処より早く、試合が終わってしまいましたか」
それに軽口を返したクラインさんに、ディディエ・トロー選手は少しだけ肩から力を抜いたように見えた。
「元々巻いてたからね~」
「それにしても、お早い」
クラインさんはそれから一言二言ディディエ・トロー選手と軽口をかわす。
私たちは後になって知ったけど、ピンク髪の子の乱入があったのはディディエ・トロー選手の試合直前のことだったらしい。
不法侵入したピンク髪の子は、控え室にたどり着くよりずっと早く発見されたものの、試合会場に続く道を逃走、廊下を歩いていたディディエ・トロー選手と鉢合わせる直前で確保されたらしい。
やっぱりあの子の気合いの入り方がすごすぎる。
もっと別の場所でその気合いを発揮してくれるよう願うばかりだ。
それから、選抜試験は本戦とは違ってタイムスケジュールもかなり大雑把だそうだ。
選抜試験を見に来るのが初めての私とアクサナは知らなかったが、一日に何十試合も行うため、常に複数の試合が同時進行で、前の試合が早く終われば、空いた舞台を使って次の試合に進んでいってしまうらしい。
私たちは組み合わせ表を見て早めに会場入りしたつもりだったけど、どうやらその時すでにディディエ・トロー選手の試合は始まる直前だったようだ。
そして、私たちがロビーでまごついている間に早々と勝利を収めたディディエ・トロー選手は、ピンク髪の子のことでまだロビーが揉めているらしいと聞いてここまで足を運んでくれたらしい。
迷惑なファンのことでわざわざ自分で様子を見に来てくれるあたり、相変わらず彼の心遣いは行き届いている。
クラインさんと話していたディディエ・トロー選手は、事の顛末を聞いたらしい。
話を聞き終わると彼は私たちの元へ来て膝をつき、まずはアクサナと目を合わせる。
「アクサナちゃん、いつも聞いてたんだ。フォローありがとう。でも無茶はしないで、お願い」
そう言ったディディエ・トロー選手の目も声音も、アクサナを思いやる気持ちに溢れていた。
今更だけど、アクサナが応援したくなる気持ちも分かる。
そして、彼は私とも目を合わせる。
「お友達の子も、怪我をさせちゃったんだね。大丈夫?」
「いえ、もう塞がりましたので……」
私たちのところへ来て片膝をついてしゃがんだディディエ・トロー選手だけど、それでも私たちと変わらないくらいの目線の高さだ。
戦士の体の大きさを実感させられてしまう。
その体にお綺麗すぎる顔がついているものだから、私は間近にせまる彼にすっかり腰が引けてしまった。
アクサナが口を開く。
「勇敢な、友人なんです」
「アクサナちゃんも勇敢だよ。でも、守るのは僕にやらせて」
「ディー様……!」
アクサナの言葉にディディエ・トロー選手は優しく返してアクサナの頭を撫でた。
アクサナの頬がポポッと火照る。
私が怪我をしてから元気がなくなっていたアクサナの気持ちが上向いたようで、私はディディエ・トロー選手のファンサに心から感謝した。
やはり推しの力は偉大だ。
そんな二人の様子に心なごみつつ、私は自分の推し、ヴォルフ様の先ほどの姿をもう一度思い出していた。
「私の名前、覚えててくれたのかな……」
私がぽつりとこぼした言葉を聞き留めたのは、ディディエ・トロー選手だった。
「名前?」
「えっ、あ、はい。先ほど、ここへ来ていたヴォルフ様に名前を呼ばれた気がして」
「君の名前を聞いてもいい?」
「ドリー・パナケアです」
「ドリーちゃん。そう呼ばれたの?」
私の名前を笑顔で復唱したディディエ・トロー選手に笑み返し、そして首を振る。
「いえ、パナケアと……」
「ん? ああ、それなら……」
そこまでディディエ・トロー選手は言いかけて、彼は口を噤んでしまった。
「?」
不思議に思う私に、彼は「確証がないから」と口に人差し指を当て、ヒミツだとお茶目に言った。
「じゃあ、ドリーちゃんはヴォルフ君の戦士ファンなんだ?」
「そうなんです!」
ディディエ・トロー選手は気さくで、とても話しやすい人だった。
今日の試合は終わったという彼は、ファンサービスの一環だとロビーに留まり、他のファンの人たちと話しながら、私たちとも談笑してくれていた。
アクサナはすっかり元気を取り戻して、今はいつもどおり落ち着いた雰囲気を纏って会話に参加してくれている。
私の無茶もこれ以上お咎めなしのようだ。
正直助かったなんて思ってしまう。
私たちの会話を楽しそうに聞いていたアクサナは、ちょっといじわるな笑みを浮かべて口をはさんだ。
「でもこの子、戦士ファン初心者だから、“リアコ”も“萌え”も分かんなくて、どう説明しようか悩んでいたんです」
「リアコはもう分かるもん! 萌えは、まだよく、分かんないけど……」
アクサナに反論を試みたけど、結局尻すぼみになってしまう。
ハハハっておかしそうに笑ったディディエ・トロー選手は、すごく優しい笑顔だ。
「きっとこれから分かるよ。だって、好きなんでしょう?」
「はい!」
私は万感の思いを込めて笑顔になると、大きく声を張って言った。
「大好きです!」
ガシャン
何かが落ちたような、そんな音。
「タイミングの悪い方ですね」
クラインさんの、そんな意味深なつぶやきは小さすぎて、大きな音に驚く私には届かなかった。




