厄介オタクはオタクが厄介なんじゃなく、厄介なのがオタクになっただけ説
ヴォルフ様優勝から一か月と少し。
次のシーズン出場選手を決めるための選抜試験が始まって、オフシーズンで人の減っていた闘技場にも活気が戻ってきていた。
募集期間を終え、いよいよ本戦出場をかけたふるい落としが行われている。
平常でも応募総数が数百といわれる選抜試験だが、今年の応募はついに千に届いたのではという話だ。
闘技場ファンのおじさんたち曰く、ヴォルフ様や元騎士団長のオーウェン・ベアトリクスさんの活躍で参加者の層に厚みがでたらしい。
これまでは、“今の闘技場は魔法ありき”と考えられて、魔法を使わない戦士たちから敬遠されていたらしいのだが、ヴォルフ様たちの活躍があったことで彼らからも応募が殺到しているという。
簡単な測定試験での足切りがあった後、これから一か月ほどをかけて、千人近い中から本戦選手数十名を選ぶのだ。
前のシーズンで優勝を果たしたヴォルフ様は選抜試験は免除だ。
今日私とアクサナは、前シーズンを休場したために選抜試験を勝ち抜く必要があるアクサナの推し、ディディエ・トロー選手の応援のために闘技場へとやってきていた。
「一応、シード枠なんだよね?」
「そうね。前年は不調だったとはいえ、最終トーナメント常連だから」
今日がディディエ・トロー選手の選抜試験初日だ。
先日のファンサ・デーでアクサナは彼と会ったはずだけど、前シーズンは後半もずっと休場していたから、ディディエ・トロー選手の戦う姿を最後に観てからは一年近く経っている。
「応援頑張ろうね!」
「そうね、楽しみ」
私に返したアクサナは、「ドリーと応援するようになって、“闘技場ファン”になったみたい」と笑った。
“戦士ファン”のアクサナは、これまでは試合よりもファンサ・デーなどの参加がメインだったと言っていた。
選抜試験から観戦するなど初めてのことらしい。
アクサナが楽しみにしているのが分かって、私も嬉しくなる。
そうして、ディディエ・トロー選手の試合開始には早いが、他の選手の試合も見てみようと会場入りしようとした時だった。
「離して!!」
どこかで聞いたような甲高い声が闘技場ロビーに響いた。
「出ていきなさい」
もうひとつ響いた声は対照的に落ち着いていて重かった。
こちらは闘技場の職員さんの声だ。
甲高い声の主に心当たりのあった私はアクサナを見た。
アクサナも同じように考えたようで、頭が痛そうに額に手を当てると、ため息をこぼした。
「ごめんなさい、ドリー。私行かなきゃ」
「私も行く」
私の返事に驚いたアクサナだったけど、私が引かないのを見ると、もう一度「ごめんなさいね」と言った。
アクサナは悪くないのに、こんなに迷惑をかけて。
何か一言言ってやろうかしらとすら考える。
「もう! 離して! 前の人は控え室まではめをつむってくれたわよ!」
「ほう、興味深いですね」
現れたのはやはり髪を蛍光ピンクに染めた女の子。
アクサナの知り合いだという子だ。
そういえば以前アクサナが選手の注意を引くために髪をピンクに染めるファンの話をしてくれたけど、この子のことなんだろうか。
そんなピンク髪の子と現れたのは闘技場の職員さんと、それに。
「クラインさん」
「おや、アクサナさんにドリーさん。いらしてたんですね」
ピンク髪の子の対応に普段よりも厳めしい表情をしていたクラインさんだったけど、私たちの姿を認めると普段の温和な表情になる。
それから「ディディエ・トロー選手の初戦を観にいらしたんですか?」といつものように笑いかけてくれた。
「そうなんです。それで、声が聞こえて……」
私が返している間にも、アクサナは職員さんとピンク髪の子の元へ向かっていた。
「またなの、いい加減になさい」
「アクサナちゃん!」
もう何度もアクサナを困らせているはずなのに、ピンク髪の子に反省の色が見えず、私は眉をしかめる。
「彼女はアクサナさんの知り合いなんですか?」
それを見たクラインさんは小声で私に聞いた。
「ええ。少し困った子のようで。彼女が何かするたびに、アクサナは同じファンとして彼女を制してあげているみたいです」
「なるほど……」
少し考えるようなクラインさんだったけど、一瞬見えたその瞳になんだか仄暗い光が灯ったように見えて私はビクついた。
「クライン、さん?」
「いえ、さあ、ここからは私たちの仕事です」
クラインさんはいつもの声色でそう言って、アクサナとピンク髪の子の間へと体を滑り込ませるように入った。
「クラインさん?」
アクサナが不思議そうにクラインさんの顔を見上げるも、アクサナを背にしたクラインさんは「お任せを」と言って引かなかった。
クラインさんは冷たい笑みをピンク髪の子に向ける。
「オイタが過ぎましたね。もう今後一切闘技場の入場は叶わないと思ってください」
「なんで!」
またもキィキィと甲高い声が返ってくるが、クラインさんに引く様子も遠慮する様子もない。
「見逃されていたとおっしゃいましたね。前の担当者は随分な役立たずだったようです」
クラインさんの冷たい声音に、職員から強気に出られると思っていなかったのか、ピンク髪の子は顔面を蒼白にした。
クラインさんはなおも続ける。
「今シーズンより、私が当闘技場職員のマスタークラスです。私は前担当者とは違います。次に不正入場があれば然るべき罰を受けていただきます」
「そんな……」
クラインさんは今シーズンから闘技場の管理者のような立場になったらしい。
そんなクラインさんの言葉と、クラインさんに向かって姿勢を正すもう一人の職員さんの姿を見たピンク髪の子は、絶望したように口をわななかせた。
どうして警備をかいくぐって選手控え室まで行けるのかと不思議だったけど、前担当者のお目こぼしあってのことだったらしい。
「どうして……」
背を丸め、涙をこらえるように震える声で言ったピンク髪の子の声は小さかった。
何と続けるのかと見ていると、彼女はガバッと顔を上げる。
「どうして! アクサナちゃん!」
その場にいる全員が「何を言っているんだ」と思っただろう。
ピンク髪の子は憤るようにまた大声で喚き始めた。
「アクサナちゃんが! アクサナちゃんが悪い! 私と遊んでくれないのが悪い! どうしてよ! 私ばっかり責められて!」
なおもわあわあと言うが、クラインさんはアクサナを庇うように自分の背に隠し直して後退しながら「戯言です、あなたは悪くない」とアクサナへフォローの言葉をかける。
もう一人の職員がピンク髪の子を拘束しようとするより一歩早く、暴れるようにピンク髪の子が駆けだした。
その手はアクサナへと伸ばされ、掴もうとするように力の籠められた指がアクサナへ向いた。
「ダメッ!」
「ドリー!?」
「ドリーさん!」
思わず叫び、前に出る。
驚いたようなアクサナとクラインさんの声が聞こえた。
目前に迫るピンクの髪が振り乱され、長いその髪が私を叩いた。
「ッ」




