ファンサ・デーなる握手会(ヴォルフside)
やっと回想が現実に追いつきました。
本編一話「推しのファンサが手厚すぎる」のヴォルフ視点ということになります。
「ヴォルフさん」
相変わらず胡散臭い笑顔の男がやってきた。
「クライン。いい加減その“さん”ってのやめろ」
「まあまあ」
物腰柔らかそうで、そのくせ押しの強いクラインは、本戦選手のために闘技場内に貸し与えられる部屋で寛いでいた俺の元を訪ねることも多かった。
俺のようなタイプが周囲にいないからか、何かと面白がって絡んでくる。
クラインは俺に断って部屋に入ると、窓辺に置いてある植木鉢を見て苦笑を漏らした。
「そろそろ植え替えの時期ですか?」
「まあな」
クラインは「早く渡せばよろしいのに」などとつぶやき、かといって返事はいらないらしく、俺の表情の変化にもおかまいなしで話し始めた。
「今日は友人ではなく、職員としてここへ来ました」
「……」
「あら、友人を否定されない」
「本題の前に追い出すぞ」
相変わらず、俺をからかうようなことを言うクラインに吐きかけるように言う。
他のイカツイ戦士相手にも同じことをやっているのであれば痛い目を見ていそうなものだが、こいつ自身戦えるのだから怯えもないのだろう。
俺が本気で追い出そうとしているのを見て取ったクラインは、特にこたえた様子でもなかったが話を戻した。
「ヴォルフさん、ファンサ・デーに出ませんか」
「嫌だね」
「そう言わず」
なんとなくその手の話だろうとは思っていた。
ここ闘技場で働くクラインは、俺を見出したことで随分職員としてのランクも上がったらしい。
そして、俺のお目付け役も任されているのか、こうして闘技場運営からの申し出を伝えに来ることも多かった。
ファンサ・デーなる催しへの参加を促されたのも今日が初めてではない。
「俺が出て何になる。ディディエでも引っ張っていけ」
「彼はいつも出てくださってますよ。ファンの方はあなたと握手をしたがっています」
「握手だあ? 何が楽しくて俺みたいなのとおっさんが手を握るってんだよ」
俺の言葉に、クラインもそう思うのだろう、苦笑だけを返した。
「いつものようにお断りだと言っておけ」
「それが、今回はそうはいかないんです」
「ア゛ァ?」
クラインによると、優勝者はなんとしてでも引っ張ってこいと、上から強く圧がかかっているという。
なんでも、どこぞの金持ちの出資者が俺のファンになったらしい。
列の一番前で握手をするのだとはりきっているとか。
勘弁してくれ。
断固拒否の姿勢を崩さない俺に、観念したらしいクラインは口を開いた。
「あんまりこういうのは、よくないと思うんですけど」
良心の呵責に耐えかねるといった様子で言われた言葉は、腹黒そうなこいつには別の意味でよく似合う。
こいつはこういうことを言いながら、平気で人をおちょくっていそうなタイプなのだ。
「彼女を、呼びます」
「あ?」
言われた意味が分からず、聞き返してから遅れて理解した。
「ドリーさんを」
「何言ってやがる」
予想通り続けられた言葉に、よく分からないムズムズとした気持ちになる。
クラインはなおももごもごと、「招待せずともいらっしゃりそうですが」などと続けた。
ようは、ディディエ目当てで来たドリーに、俺とも握手をしていけと誘うつもりらしい。
こいつもドリーを好いていたはずだが、なるほど、よほど今回のファンサ・デーとやらが重要なようだった。
「私は列整理の管理員として隣につきます」
「敵に塩を送ると?」
「……ヴォルフさん、それなんですが」
何か言いづらそうなクラインは、ドリーを利用するのに気が引けるのか、俺とドリーが接触することが嫌なのか口ごもる。
俺は口角が上がるのを自覚した。
弱った様子のこいつは珍しい。
それに、握手会というくらいだから、手と手が触れる程度にはドリーとそばで接することができるということだろう。
悪くない。
「分かった。ただしそれ相応の優遇はしろよ、管理員」
「……ドリーさんが終わった後も、最後までお願いしますよ」
そうして、俺はファンサ・デーなるものに参加を決めたのだった。
+ + +
そして当日、俺は握手会というものを舐めていたことを後悔した。
戦闘装束を着てこいと言われ、手合わせでもあるのかと思えばなんてことはない、ファンサービスの一環らしい。
そして俺の目の前には長蛇の列。
おっさん。おっさん。おっさん。
どこまでも続くような、目を輝かせたおっさんの群れである。
ディディエのあたりからは黄色い声も聞こえてくるが、あれはあいつが特殊なだけのようで、他の選手たちも俺と大差ないようだった。
ドリーはまだか。
俺はうんざりしていた。
軽く握手を交わし、俺のどこが好きだ、応援している、怪我に気を付けてと、そう言ってくる輩はいい。
力比べでもしたいのかこれでもかと汗ばんだ手で強く握ったり、腕相撲をしようなどと言ってくるやつらには、俺はどう返すのが正解かも分からなかった。
一人見せしめに折るか? と思ったところでクラインに強めに肩を握られ正気に返る。
あまりにおっさんを見すぎて思考が極端になっていたようだ。
一人十秒ほどとはいえ、人数がいればその時間は膨大になる。
ドリーはディディエの列に並んでからだろう、きっと遅くなる。
そう思い、戦闘とは全く異なる疲労感を覚えていたとき、その瞬間はやってきた。
「どっどっどっ、ドリー・パナケア、です! ふあ、かっこい、あの、ファンです! えっと、応援してます! ありがとうございます!」
ドリーだ。
そうか、ドリーの家名はパナケアというんだな。
ドリー・パナケア。
いい名だ。
俺の隣、時間管理のためにすぐそばについていたクラインはすっと後方へ下がった。
こいつも約束は果たすつもりらしい。
ドリーは一生懸命俺を励ますような言葉をかけてくれている。
もちろん、握手をしたままだ。
柔らかい手は小さく、少しでも力を込めれば潰してしまいそうだ。
俺は、ドリーの手が離れていかないように細心の注意を払って握り返し、ドリーの声に耳を傾ける。
俺を観客席から応援してくれていた、あの声だ。
何度も何度も励まされた。
彼女の声を聞けば体が動いた。
ディディエとの初戦では、彼女が俺を応援するはずないとの驚きもあって、体が力の加減を誤りディディエを吹き飛ばしたほどだ。
彼女の話が終わったのを感じ、俺は口を開く。
「“ドリー”。俺もそう呼ぶが、構わないな?」
「ひゃああ!? え? あ! ひゃい!」
確認するべきだと思ったのだが、彼女をずいぶん驚かせたようだ。
しかし、肯定してくれたということは、名で呼んでいいということだろう。
これだけでも今日ここへ来たのに十分な収穫といえた。
ドリーを眺める。
俺にとってこの気持ちは持て余すだけのものだった。
フェアではないと思ったから、俺が彼女に抱いた恋慕の念をクラインには告げたが、今では彼女にだって知っていてほしかった。
今も、ディディエの列から黄色い歓声が聞こえてくる。
俺と同じ気持ちを、ドリーからも向けて欲しいとまでは言わない。
せめて、応援するなら俺だけにしておけと、そう思ってしまう。
彼女の名を呼ぶ。
目に見えて慌てた様子の彼女だったが、拒否をするようではない。
それに気を良くした俺は続ける。
少しでも俺に興味を持たせたい。
ディディエなんか、見てんじゃねえ。
「俺にしとけよ」
俺を追っかけろよ、ドリー。




