【091】勇気の灯火
船の甲板で朱く染まった空を目撃してから一週間後。
ようやく南大陸の港町に辿り着いた聖女と剣聖は、その町のあまりにも悲惨な状況に言葉を失っていた。
「これは……」
立ち尽くす聖女の目の前では、港町にある多くの建造物が瓦礫と化し、傷ついた町人が復興に専念している光景が広がっていたのだ。
ところどころに見え隠れする強い魔力の残滓や、戦いの跡。
それらから推察して、ここで何かがあったことだけは明白であった。
「おや。こんな時に他大陸から身なりの良い、高貴な御客人がやってくるとは珍しいね。その船に掲げられている国旗は、カラミエラ教国のものかな? 魔法大国ルーランスの北西に位置する、グラツエールの港町へようこそ……! って、言いたいところだけど、今は町の復興中だ。大したおもてなしはできそうにないね」
到着したばかりの聖女一行に語りかけるのは、この港町グラツエール伯爵領で船着き場の管理をしている現場責任者。
元気な台詞とは裏腹に表情は疲れ切っており、体中に傷を負いながらも無理をして仕事を務めていることが明白であった。
そんな彼の痛々しい姿を目に入れた聖女イーシャは何を思ったのか、フランケル元侯爵が派遣した船乗りと、お供である剣聖エインに傷ついた周囲の者たちをかき集めてくるように指示をだしたのだ。
「私はカラミエラ教国の皇女、聖女イーシャ・グレース・ド・カラミエラです。この時この場所で出会ったのも何かの縁。人々を癒し、世界を救う聖女の使命にかけて、微力ながらこの港町復興のお手伝いをさせていただきます」
そういってまずは手始めにと、目の前で満身創痍になっている船着き場の管理者を、得意の回復魔法で一瞬にして癒しきる。
神聖魔法や回復魔法に特化した聖女の力を目の当たりにした現場責任者は、あまりの手際の良さに瞠目すると同時に、自らを苦しめていた肉体への疲労がまるっと抜けたのを理解した。
「ははぁ、これが人間大陸で噂の聖女様ってやつかい。あの旅を続けているという金髪碧眼の少年も立派なもんだったけど、あんたも大概だねぇ……」
金髪碧眼の少年。
確かにそう聞こえたのを意識した聖女は瞬きをして、まさかこの町に目的の一つであるアルスが滞在していたのかと質問する。
もし想像通りであれば、アルスはこの町で起こったなんらかの戦いに関与し、そして戦いを解決に導いたあとに去ったということになるだろう。
そしてその予想は、凡そ正しかった。
「あの、その少年というのは……」
「ああ、彼のことかい。あの子は凄かったねぇ。なにせ上級魔族に加え、複数の下級魔族の来襲によって滅ぼされかけたこの町の窮地にさっそうと現れては、輝く黄金の剣で全てを一掃していったんだから」
彼は語る。
金髪碧眼の少年とその仲間達の快進撃を。
水色の全身鎧と大剣を持った巨漢は、町人を襲う下級魔族をばったばったとなぎ倒し。
この大陸のS級冒険者として名高い陽炎のアマンダという人物は、魔族が呼び寄せた魔物を相手にしつつも、逃げ遅れた住民の避難や、瓦礫に隠れて見えないところにいる被害者をかき集め。
目が覚めるような真っ赤な髪をした男装の麗人は、金髪碧眼の少年が上級魔族と一騎打ちをする状況を整えるために、少年の周囲にいるあらゆる敵をまとめて一人で相手をしていた。
最後に。
彼ら彼女らの活躍もあって、自らを四天王の部下と名乗る牛頭の上級魔族のもとに辿り着いた少年は、敵の五メートルはある屈強な肉体を黄金に輝く巨大な光の剣で一刀両断したのだという。
「ほら、あの領主様の館を見てごらん。魔族を真っ二つに切り裂いた攻撃の余波で、領主様の館まで一緒に両断された跡があるだろう?」
実はあの傷跡、グラツエールの領主様が大層お気に入りでね。
申し訳なさそうにしていた少年には悪いけど、この町の観光名所として利用していく方針みたいなんだよ。
と、まるで幼い頃に英雄譚を聞いた少年のように、純粋無垢な瞳を輝かせながら彼は語る。
たとえ魔族の脅威に晒されようとも、建物の多くに被害が出ようとも、あの勇気に満ちた旅人たちのように現実へ立ち向かうことを忘れてはならない。
現場監督の表情や、復興作業をしている他の町人の姿に疲れが見えていようとも、旅人である彼らがもたらした希望の灯火は強く輝いているのであった。
「そうですか……。あのアルス様が……」
「お、なんだい聖女様。あの少年と知り合いなのかい。それならそうと言ってくれればいいのによ。これこそ何かの縁だ、力を貸すぜ。おい、お前ら! 聖女様が俺たちを癒してくれるそうだ! ありったけのケガ人をかき集めてこい!」
おう、と答えた周囲の作業員はあたりへと散らばり、忙しそうにしている剣聖エインや船乗りたちの手伝いに回った。
また、少年の知り合いだということで気を良くした現場監督は、この港町についたばかりの聖女たちは何かと情報不足だろうと、人々を癒している傍らで他にも様々な情報を提供しだしたのである。
たとえば朱い空のこと。
あれは上級魔族が死の間際、なんらかの巨大魔法を行使して空に撃ち放ったのが切っ掛けであり、恐らくは四天王とかいう魔族へ計画が失敗したことを知らせるための信号だったのではないか、と推測されているらしい。
現在は既に青々とした空に戻っていることから、何か人々に害のある儀式だったとは考えにくいし、何より死の間際にそこまでのことができるとは思えない。
また次に、金髪碧眼の少年たちの行方のこと。
どうやら彼らは一度、魔法大国ルーランスの王都へとこの事件のことを報告しにいくようであり、そこで常闇の暗殺者と恐れられる者となんらかのコンタクトを取るつもりだと、そう語っていたと彼は言っていた。
「なにからなにまで、ありがとうございます」
「おう、いいってことよ。俺たちはあの旅人に命だけでなく、恐ろしい怪物へ勇気をもって立ち向かうその姿を見て、心も救われたんだ。これぐらいじゃ礼にもならないね」
親指を立てて笑顔を見せるその姿からは、なぜだろうか。
金髪碧眼の少年アルスが灯した勇気の炎が、町人たちの心を通して広がっていくように見えたのだった。
◇
ところ変わって、勇者を探しに船から一足先に飛び立ったちびっこ天使メルメルは、なぜか現在森の中をびゅんびゅんと飛び回っていた。
「たいへんなのよーーー! たいへんなの! あたち、迷子になっちゃったかもなの! 勇者の強く神聖な気配を辿って来たのに、めちゃくちゃな攻撃をするから、余波でどこかへ吹き飛ばされちゃったのよーーー!」
そう、何を隠そうこのメルメル、超スピードで飛行し勇者と上級魔族の戦いへ、あと一歩で介入できるというところで盛大に吹っ飛んだのだった。
巨大な黄金の剣によって生まれた一撃は物理的な余波こそ少なかったものの、神聖な魔力を利用して浮遊する天使の翼的には、黄金の剣の魔力波はちょっと厳しい。
例えるなら、それこそ強風で煽られた紙飛行機のような軌道を描いてしまうといったところ。
このことで空中の飛行制御を失ったメルメルはよく分からない場所に不時着し、絶賛迷子中となったのである。
「でも、しかたないのよ。まさか勇者が、もうここまで力を引き出しているなんて思わなかったもの。いくらエリートでも、たまには失敗もあると思うのよね~」
なら、ま、いっか。
といった感じで気を取り直したメルメルは、じゃあここから勇者を追いかけようと再び気合を入れて、ブレイブエンジンが正常に稼働しているかを確かめるために旅を再開するのであった。
「ごー! なのよ!」
首に提げられた金メダルを、太陽の光でキラリと反射させたメルメルは進む。
なんとなくビッグな功績の匂いがする場所へ。
それが何かはちょっと分からなくても、きっと勇者がいると思う方角へ。
がんばれメルメル。
勇者の力を理解し、正しく導くことができるのは、いまのところちびっこ天使だけである。
次回
救えなかった者
お楽しみに!




