【085】恐ろしさと、信頼
全く、お嬢様の猪突猛進ぶりには困ったものだ。
三年前のあの日。
ドラシェード辺境伯の依頼で赴いたダンジョン攻略にて、最終的に戦うこととなった上級魔族や三魔将との激戦から帰還してからというもの、俺が止める間もなく毎日のように国を良くしようと努力なされている。
そのことは分かるのだが、それでもやっぱり日々の疲れは溜まっていく一方で、今日こうして皇都郊外まで徒歩で足を運んだのも息抜きという意味合いが強く残っていた。
目標に向かい、毎日を精一杯の努力で前進してくれているのは護衛としても、お嬢様の幼馴染としても嬉しいことではあるのだが……。
まあ、そんなことを言っても仕方のないことか。
あの日、ハーデスさんと出会ってから、お嬢様は少し変わったのだから。
いままでも亜人に対する差別など無かったが、今はさらに、なんというか……。
そう、本当の意味で隣人を愛することを覚えたように思えるのだ。
たとえそれが、魔族であったのだとしても。
種族ではなく、本人の心そのものを見るようになったように思える。
……そんなことを、剣の道しか歩んでこなかった俺が言っても、全く説得力はないかもしれないが、そう感じたのは事実だ。
そんなことを思い出しながらも、今は目の前にいるこの油断ならない人物に注意を払う。
「さて、君達が知りたい情報は何かな? だが当然、この中級商人のチュウキューたるもの、タダで情報を手渡す訳にはいかないのだけどねぇ?」
そう語りかけるのは中級商人を自称し見るからに怪しい風体で佇む、謎の情報屋チュウキュー。
彼がやり手の情報屋というのは確かな情報なようだ。
そもそも情報屋というのは職業柄、逆恨みした者達へ対処するためにも、自らの命を守る戦闘力は最低限確保しておかなければならない。
その観点で言えば彼には一切の隙がなく、俺が急に斬りかかったとしてもなんらかの行動で対処してくるだろうことが、ありありと分かった。
これは仮にの話だが、もしここで俺と彼が敵対したとして、まず勝てるというビジョンが全く思い浮かばないのだ。
参ったな、本当に……。
これでも俺は国では剣聖と呼ばれ、既に最強の聖騎士であった父すらも超えたと目されているというのに、この体たらくとは。
この状況では、お嬢様を守り切れると確信を持って言う事はできない。
由々しき事態である。
できることならば、お嬢様には彼を刺激しないよう穏便な対応を心掛けてほしいものだ。
「対価が必要なのね? それなら、お金を沢山もってきたわ! 平民であれば一生遊んで暮らせるだけの金貨よ。さあ、受け取りなさい!」
「は? そんな物はいらん。帰れ」
「な、なぁぁんですってぇええ!?」
そ、そりゃあそうですよお嬢様……。
彼は明らかに普通じゃない。
いくら用意したものが大金とはいえ、金だけで動くような二流とは思えない。
もちろん金は必要だろうが、こういう一流の人物はもとより生活には困っていないことが多く、なによりも客に対し自分が力を貸すだけのメリットがあるかどうかを考えるものなのだ。
俺もそこそこ近衛騎士として経験を積んできたからこそ、彼の言っていることの意味がよく分かる。
するとやはりと言うべきか、こちらが何か盛大に勘違いしていることを悟ったチュウキューなる情報屋は、俺とお嬢様に対してヒントのようなものを提示してきた。
「そうだねぇ。交渉の前に一つだけ、君達にとても良い事前情報をプレゼントしようじゃないか」
「な、なによう?」
ちょ、ちょっと!
そんな前のめりにならないでくださいよ。
近接戦闘が得意ではないお嬢様が相手の能力に気付けないのは仕方ないにしても、せめて護衛する俺の身にもなって欲しいですね……。
「お嬢様お気を付けください。この男、どこか得体がしれません。まさかありえないとは思いますが、万が一にも俺より強い存在であれば、油断したお嬢様を守り切れない可能性すらあります」
そう言って俺が前に出ることでチュウキューとの距離を強引に開け、せめてもの守りを完成させる。
だが、そんな俺の反応が何か彼の琴線に触れたのか、少しだけ態度が柔らかくなる。
なぜお嬢様を守ることが彼の好感度に影響するのだろうか?
それとも、別の何かが影響しているのか?
「ふむ。そこの剣聖殿の判断が良かったから、少しサービスをしようか。まずプレゼントの情報に関してだけど……。君達が追い求め目標にしている金髪碧眼の少年は既に、遥か先にまでその存在を高めてしまっているよ? もっと具体的に言うとだね……」
謎の情報屋、チュウキューは語る。
俺のライバルでありお嬢様の想い人でもあるアルスは、南大陸で三本の指にも入る魔法大国にて第二王子の不正を暴いて人々を救い、さらに数々の冒険の果てに、ついに黄金の瞳の力を使いこなしつつあると。
既にその力は属性竜すらも軽く屠り、それどころか属性竜の中でも最上位と名高い光や闇の属性を持つ、いわゆる聖竜や邪竜と言われる超常の存在まで単騎で討ち果たすレベルに到達しているのだと。
もしそのことが本当のことであるならば、もはや今の俺では到底太刀打ちできない、とんでもない領域にあいつは足を踏み入れ始めているということになる。
とはいえいくらアルスでも、まさか伝説の勇者でもあるまいに、そんなことがある訳ない……。
そう思いたくとも、理性が彼の言っていることが本当であると訴えかけてくる。
だってそうだろう。
大前提として、ごく一部の者しか知らないような情報すら手中に収めているような彼が、俺たちを騙す理由なんてどこにもないのだ。
もし騙すなら、バレないようにこっそりと、俺ごときでは気付かれないように上手く騙すことができるはず。
そうしないということは、つまり……。
「と、いうことなのさ。いまの自分達に足りないものが何なのか、少しは理解してもらえただろうか?」
「くっ……!」
何もかも全て、この情報屋の言う通りであった。
この時点で既に、一枚も二枚も交渉で上を取られている。
ここは一度出直したほうが良いかと、そう思った時。
いままで黙ってことの成り行きを見守っていたお嬢様が動いた。
「確か、チュウキューと言いましたね。あなたは一体、何者なのですか……。本人以外では私やエインしか知らない情報を知り、海を渡った大陸での活躍を知り得るなど、尋常ではありません……。しかし、あなたの情報が信用に値するものだということは、痛いほどに理解できました」
「おお。ようやく本気になったみたいだね聖女様。そうそう、そうこなくてはね」
どうやらお嬢様は、あまりにも現実味のある貴重な情報を用意するこの情報屋を信用し、逆に彼を取り込むべく、これでもかというくらい誠実に対応する方針に切り替えたようだ。
さきほどまでの勢い任せな態度は鳴りを潜め、今は皇女として、聖女としての態度を全面に押し出している。
これならあるいは、有益な取引ができるかもしれないな……。
「まあ、俺が何者かなんてのは、わりとどうでもいい話でね。君達が知りたいのは不正の証拠が掴めない侯爵家の情報だろう? いいよ、お代は後払いということで少しだけ掻い摘んで話そう」
そう言って彼は一拍置くと、カウンターの下からとある資料を取り出した。
なんだ、今度は何が出てくるんだ。
まさか、不正の証拠が既に用意されているとか言わないでくれよ。
「そして、これが不正の証拠だ」
「あ、あなた……。こんなものをどこで……」
…………。
…………。
いや、おかしいだろ!
なんで不正の証拠がポンって出てくるんだ!?
いったいその証拠はどこからかき集めてきたもので、数多の部下や手駒を持つお嬢様ですら入手できないはずの資料を、なぜお前が何気なく提出できる!
あ、怪しい……。
資料の信ぴょう性がどうとかいう意味ではなく、いやむしろ、その資料の信ぴょう性が高すぎるからこそ、この男の素性が怪し過ぎる。
今は敵対していないようだから安心できるが、もしかして、この男がその気になったらカラミエラ教国を裏から牛耳ることすらできるのではないか?
い、いや、さすがに無理だろう。
無理であってほしい。
「まあ、俺がどうやってこの証拠を集めたのかはさておき。これをどう利用するかはお嬢さんに任せるよ。ただし……」
「ただし?」
ま、まだ何かあるのか……!
「ただし、できることならば。この情報を得た君達が、俺の予想を超える結末を齎してくれることを願っている」
「…………!!」
「期待しているよお嬢さん。いや、聖女イーシャ・グレース・ド・カラミエラ。あの治癒不可能と言われた不死病に対し、君の力がどこまで通用するのか、そして侯爵を相手にどう立ち回るのか……。本当に見ものだね」
本当に、全てを理解しているというのか……。
確かに、お嬢様が必死になって集めた情報の中には、ガレリア・フランケル侯爵が不死病に関する研究を進めているという話が上がっていた。
だが、それはお嬢様がやっとの思いで手に入れた、最新の手がかりだぞ?
なぜ、お前が知っているのならともかく、俺たちがその結論に辿り着いていたというところまで理解しているんだ……。
恐ろしい。
俺はこのチュウキューなる情報屋が、これ以上なく恐ろしく感じる。
「そう、ですか……。いままでの侯爵とは考えられないくらいの不正に、重税。動きが不自然でしたから、まさかとは思っていましたが……」
「お嬢様……」
しかし、そんな恐ろしい相手だからこそ、いまこうして味方でいてくれることが何よりも心強い。
不思議なことではあるが、俺はこの男に畏怖すると共に、言葉では言い表せない強い信頼を抱いているのだ。
「おっと、それはそれとして。君達から代金を頂かなくては」
「そ、それは……」
「なに、簡単な話さ。聖女様はそこの剣聖殿のことを、男としてどう思っているのかと思ってね。────ああ、もういいよ。何も言わなくていい。これで取引は成立だ。確かに報酬は頂戴したよ。しかし、やはりそういうことか……。ク、ククククク……」
そんな、ちょっと意味の分からない質問をしたチュウキューは、瞳の奥を赤く光らせてクツクツと笑うと、最後の最後で邪悪な気配を漂わせるのであった。




