【078】嵐の前の静けさ
「くそがぁ!」
「まさか、あのアマンダさんが……」
酒場の一階で起こった襲撃によりアマンダが攫われてから数分後。
併設された宿の一室では、成り行きの一部始終をハーデスから聞き終えた男二人が悔しさから顔を歪め、拳を握りしめていた。
特にガイウスなど、肝心な時に酔いが回り油断していた自らの不甲斐なさに激怒し、普段真面目で温厚な彼からは見られないような鬼の形相で目を血走らせている。
それだけお互いに認め合い、慕ってくれていたアマンダという女性を敵の手に渡らせてしまったのが許せないのだ。
既に酒の酔いからは完全に醒め、アルスの回復魔法によって眠気すらも吹き飛ばした今の状況では、いつ飛び出してもおかしくない状況であった。
攫われた女性の末路がどうなるのか、だいたいのことを聞いていたからこそというのもあるだろう。
「許さんぞ外道ども……。楽に死ねると思うなよ」
もはやこの怒り狂う超戦士の激情は第二王子という標的のみならず、メモ書きにあった闇ギルドという組織そのものの壊滅に向けられている。
仲間達が傍にいるおかげで最低限の理性は失っていないが、もしここでアルスが攻撃的な意志を見せようものなら、ギリギリのラインで理性と感情の均衡を保っているガイウスの心は、完全に怒りの感情に傾くというところまできていたのだ。
そうなれば、たとえ彼が一人であったとしても敵地へと乗り込み、そしてどんな手段を用いてでも、多大な犠牲と共に全てを滅ぼしてくるであろうことが容易に想像できた。
だがそのやり方では凄腕の暗殺者すらも手駒にする敵に対し、多対一となったガイウスもただでは済まないだろうし、何より仲間達がそれを善しとしないだろう。
「おい、落ち着けよ。アマンダの目的は説明しただろ、まだ最悪の状況というわけじゃねぇんだ」
「だが……!」
残った三人のメンバーの中で一番親しかったガイウスだからこそ、一部始終を見ていて逆に冷静になれた者の意見に耳を貸すことができず、どうにもならない憤りをコントロールしきれない。
気持ちは分かるのだが、さすがにこのチームで一番冷静にならなければならない年長者がこの調子ではまずい。
なにより、この局面で感情が暴走することは本人の為にならないのだ。
それが分かっているからこそ、普段は笑顔を絶やさないアルスも心を鬼にし厳しい表情で仲間を叱咤した。
「だが、ではないよガイウス。これは僕達全員で取り組むべき問題だ。こんな時だからこそ一人で勝手に動くことは許さない。もしここで君が暴走するようであれば、残念だけどアマンダさんを救出する上では足手まといだ。部屋で寝ててくれ」
「なっ!? ……いや、そうか。そうだな。すまん、少し我を忘れていた。許せアルス」
これは決定事項であると、ピシャリと言い放ったことでさすがのガイウスも感じ入ることがあったのか、少しだけ冷静になった頭を左右に振り落ち着きを取り戻す。
しかしその心の奥底でくすぶる怒気は衰えておらず、冷静さを取り戻した今でも闇ギルドに対して一切の加減をするつもりはないことが窺えた。
「うん。その感じなら大丈夫そうだね。いつも冷静なガイウスらしくなかったから、ちょっと焦ったよ」
さて、それじゃあどうしようか。
そう言ったアルスはまず、このメモ書きに残されていた闇ギルドの拠点という要素に着目する。
メモ書きにはいくつか拠点の候補となる場所が書き記されており、敵が王族ならここ、もし予想がはずれたらここ、というように簡単にパターン分けされていた。
この大国の王都だからこそ闇ギルドというものも大小含め複数の組合があるため、このようにいくつか候補をあげておく必要があったのだ。
「おそらくこれはアマンダさんが今回の調査で得た情報を軽くまとめたものだろうね。敵に情報を握っていることが知られたら拠点を移されるだろうし、ここでその決定的な証拠を捨てて行ったんだよ。そして、今回の相手は王族。それも第二王子であると彼女はあたりをつけていた」
あくまで調査の上での予想でしかないが、その話が本当のことであれば、向かうべき目的地も自ずと見えてくる。
それになにより、第二王子が待ち構えているのが王城ではなく城下町の闇ギルドというのも逆に都合が良い。
もしこれが王城に引き籠り逃げ隠れされていれば、すぐに解決できる問題ではなくなるからだ。
「そうと決まれば話が早いな。さっそく乗り込もうぜアルス。俺様もあの暗殺者には借りがあるしよ」
一度はしてやられたものの、そもそもあのタイミングで狙われたのが人間のアマンダでなければ自分の力でなんとでもなっていた。
そうであるからこそ、まるで勝ち逃げされたかのようなこの状況に納得がいっていないようである。
「ああ、そのつもりだよ。それに今ならまだ第二王子が闇ギルドに滞在しているだろうね。追い詰めるのであればこのタイミングしかない。僕とハーデスは魔法で周囲の敵を排除するから、救出そのものは頼んだよ、ガイウス」
「おう。任せろ」
目的の場所はルーランス城からそう遠く離れていない富裕区画の一角。
こうして、人知れず行動を開始した彼らの逆襲が始まった。
◇
「ちっ、そういうことかい。攫われた者の中に高位冒険者もいたからどうもおかしいと思っていたら、まさかこんな魔道具で動きを封じ込めていたとはねぇ……」
王都の中心であるルーランス城にほど近い、富裕区画にあるとある施設にて。
闇ギルドの本部に連れ去られたアマンダは自らに装着された首輪に触ると、忌々しそうな顔で悪態を吐く。
なにを隠そうこの首輪、使用者の能力を激減させ魔力を乱すことを目的として開発された、魔法王国きっての犯罪者の拘束用魔道具であったからだ。
首輪から発せられる特殊な魔力回路により、常人であれば身動きが取れぬほどに力が弱まり、魔法抵抗の高い高位冒険者であっても一般人並みの力しか発揮できないという優れものだ。
たとえ人類最強のS級冒険者といえども、この装備をつけて敵の本拠地で自由に動き回り脱出するというのは困難を極める。
もし仮に首輪を力で強引に打ち砕けるような者が存在するとしたら、それはもはや人類ではない。
理論上は属性竜くらいの魔力抵抗があれば無効化することも可能ではあるが、人類はドラゴンではないのでそれも不可能であった。
「そうだ。その首輪であの外道は数々の女性を手籠めにし、薬品などを用いて自らに従順なペットを作り上げてきた。実に反吐が出る話だ」
首輪をつけられた上で拘束され、床に転がされているアマンダを一瞥したダークエルフの男暗殺者、常闇は顔をしかめつつも語る。
「ふん。あんた、アタシが眠っているフリをしていたのに気づいていただろう。それもこれも、この口裏合わせのためだったというわけかい。気に入らないね……。だけど、今回だけは乗ってあげようじゃないか。どうせ待ってるんだろう? あの子たちが来るのを」
「…………」
襲撃された者と襲撃した者。
二者の間には奇妙な空気感が存在しており、まるでこの状況こそが第二王子を追い詰める為の布石。
常闇と呼ばれる暗殺者の計画の一部であるかのように語るのであった。
そして……。
「待たせたな常闇。おお、そこの美女が陽炎のアマンダか! うむうむ、実に美しい。たしかにこれだけの上物であれば宵闇を躾けるまでの前菜としては十分だぞ。さすがは我が国の誇る暗部随一の男だ。褒めてやる」
大国に仕える暗部であるため、魔法契約によって様々な条件で縛られた常闇は歯噛みした。
主人である王族に対する虚偽の報告や、直接的な危害を加えるなどという行為の禁止事項さえなければ、いますぐにでもその首を落としてやろうと思っているくらいである。
だがたとえ魔法によって直接的な攻撃手段を封じられようとも、復讐は既に最終段階にまで突入しているのだ。
一か八かの賭けではあるが、この第二王子フレイドを仕留める絶好の機会であるこの時にボロを出すわけにはいかない。
故に常闇は静かに頷き、決して顔には出さずにその時を待った。
◇
「ヤバいのよ! あたち、大変なものをみちゃったのよ! みんながいなくなった隙を狙って、女の人が変な男にさらわれちゃったのよ!? どうするのよ!」
ところ変わって王都の上空にて。
酒場での急な襲撃にちびっこ天使メルメルはびっくりして、こっそりアルスのあとをついてきていたことも忘れ、夜のお空で幼女流の脳内会議を開いていた。
脳内会議に参加する想像上のメルメルたちは議論を交わし、あ~だこ~だと話し合う。
「う~ん。ダメね。このあたちの天才的な頭脳をもってしても、いまはまだ答えが出ないの。いきなり女の人が攫われちゃったし、ストレスがたまっているのが原因かも? なら、ここは心を落ち着かせるために、まずはキャンプファイヤーかちら」
だが、幼女の脳内にだけ存在しているメルメルAやメルメルBたちでは一向に答えは出なかったのか、とりあえず落ち着くためにキャンプファイヤーをしようという結論に至ったようである。
しかも、脳内メルメルたち満場一致の可決。
それとメルメルの考えが纏まらないのは決してストレスのせいではなく、単純にもう夜だし、そろそろ眠たくなってきているからというだけだ。
そうしてとりあえずキャンプファイヤーをすることに決めたちびっこ天使は、なんだか人気のない立派な建物を富裕区画で発見すると、とりあえず敷地で火をつけたあとニッコリするのであった。




