Data.114 魔蟲王
魔蟲王……ヴィノールからそう呼ばれた人物が結界に触れる。
すると結界は触れた部分だけでなく、その全てが砕け散り消滅した。
高レベルモンスターですら突き破れなかった結界を一瞬で……。
「…………」
今壊した結界にも私にもそしてヴィノールにも興味を示さない。
仮面のせいで表情は読みとれない。ただ、穏やかでない雰囲気は全身から漏れ出している。
「この力……やはり自ら出向いてこそわかる……。確実に存在するとはわかっていたが……こんなに近くにいたとはな……」
仮面の下から響くくぐもった声。低い男の声だ。
冷静なようでどこか高揚感を隠しきれていない声色。
(クララ……)
私は念話でクララに語りかける。
心を持つ武器とその持ち主との間でのみ使える特別な意思疎通方法だ。
(言わんとせんことはわかるわ。この蟲たちが探しているのは間違いなくシュリンよ。クコココ……でもねぇ、アイツには勝てる気がしない。それが率直な感想よ。あの女の魔蟲人ならまだしも魔蟲王と呼ばれるアイツは比べ物にならないぐらい強い!)
(私も同意見。でも……いざとなったら戦わなければならないのよ、戦士は)
カッコつけた事言っちゃったけどやっぱり怖い。
出来れば戦いは避けたい。この人たちの目的がシュリンさんではなくエルフの里の秘宝とか財宝とかなら全部持っていっていいから帰ってもらえると本当ありがたいのだけれど……。
「ヴィノール」
ここで初めて魔蟲王が他人への興味を示した。
「は、はいっ!」
「この里で俺に似た魔力を持つ者を探せ。確実にいるはずだ。俺はまだ細かい力の制御がきかん。その者の魔力の残滓と本体の魔力の区別ができない。お前に任せる。出来るな?」
「も、もちろんです!」
ガチガチに緊張しているヴィノールは髪の毛をアンテナのように何本も逆立たせる。
「んむむむむぅ……はい、はい、います。この里のちょうど中央です。何かに魔力を注ぎ込んでいる最中なのでハッキリとわかります。確実です」
「中央か……」
魔蟲王はそれだけ言うと再び歩きだした。
里の中央……里全体を覆う結界をはりなおすための場所としては最適ね。
それに似た魔力で探れるとなると探しているものは生き物だ。この恐ろしいほど強い魔力と似ているのはシュリンさんかもしかしたら里の長であるエリファレス様ぐらいだと思う。
どちらにせよ、黙って中央に向かうのを見過ごすわけにはいかない。
「ま……」
想像以上にかすれた小さい声がでた。
唾液をなんとか絞り出して口の中を潤し、もう一度言う。
「待ちなさい!」
魔蟲王の足がピタリと止まる。
「……こんな奴に手間取っていたのか、ヴィノール?」
「ひぇ、ひゃ、あのっ、えっと、も、申し訳ございません! しかし、魔蟲王様には取るに足らない存在です。お気になさらず中央へと向かいください」
「ふん……」
私の方を振り向きもせず再び歩を進める魔蟲王。
こうなったら正々堂々なんて言ってられない。背後からの攻撃を仕掛けるのみ!
「剛鉄突破ノ矢!」
この矢の貫通力は私のスキルの中でも最強。
零距離ではないとはいえ飛び道具を撃つにしては十分至近距離。これなら耐えられまい!
それでいて攻撃範囲は狭いから虫の生命力なら即死もしないはずだ。ここで王を倒しこの大量発生を止めさせる!
「…………」
無言で歩みを進める魔蟲王に矢が迫り、そして接触した。
「……え?」
蟲王に変化はない。外れたの?
いや、服にはハッキリと穴が開いている。普通に耐えられたということ……?
「一点集中! 剛鉄突破ノ矢……高速連続射撃!!」
貫通力のある矢を連続で同じ場所にヒットさせる。
……ダメだ効果はない。
こうなったら【聖X邪ノ矢】を零距離で……。
震える脚で魔蟲王に突撃する。
「聖X邪……ぎゃ!」
振り向きざまに振るわれた裏拳か……。早くて何で攻撃されたのかもハッキリしない。
ただわかるのは今の攻撃が私にとって致命打だったということ。
接続形態は解除され、地面に転がる。
お、起き上がらないと殺される。でも、もう体が動かない……。
たった一撃でこれじゃ起き上がっても勝てないどころか逃げられもしないけど、一矢報いることもできないんじゃ死ぬに死ねない……。
う、うぐっ……手をつく地面はどっちなの……? 上下左右もハッキリしない……。
「立ち上がろうとするか。力の差を理解できぬ愚か者に待っているのは死だけだ。今から身を持って知ることになる……」
「私の賢い可愛いアチルに愚か者とは言ってくれるじゃないの仮面のオッサン。身を持って教えるとかセクハラしてんじゃないわよ」
「…………」
シュリンさんの声だ……。
声色からも内容からもイライラMAX状態ということがわかる。シュリンさんはイラつきだすと俗っぽい喋りになるから……
「なんか言いなさいよ」
「お前か、俺の半身は」
「は? 初対面なんだけど。ナンパの決め台詞としてはお寒いわね」
「下品な言葉でとぼけても無駄だ。お前の方が俺より魔力的感覚は鋭いはずだ。気づいていただろうお前も半身である俺の存在に」
「……はーん、もっと知性のカケラもない奴の方がやりやすかったのだけどね。人並みの脳みそ入ってるみたいじゃない」
「ふん……エルフの血が入っているのだから知性のある者だと思っていたが、期待外れだな」
「血で性格なんて決まらないわよ」
敵意は剥き出しだけど二人の間の空気は張りつめていない。
お互いに自然体で話している。シュリンさんはもともとこういう性格なのかな……。私もあまり見た事のない姿を何故この状況で……。
「シュ、シュリン……この者は……」
私と同じく困惑している声はエリファレスさんか……。
「魔王……もどきってところかな。以前私の言ってたどこかにはいるはずの存在よ」
「つ、ついに来てしまったのですね……。あぁ……どうしましょう……」
「長が怯えるんじゃないわよ。里の若者が戦っているのに」
「で、でも、私にはこの者を抑え込んで皆を守りきる自信がないの……」
「大丈夫よ。私もエリファにこいつの相手をさせるつもりはないわ」
「まさかシュリンが……!」
「そんなことしたら里が崩壊するわよ。まあ見てなさい。後のことは任せたからね」
足音が近づいてくる。
「あんたとは一度ゆっくりお話ししたいと思っていたところよ。でもねぇ、きっと私たち馬が合わないからしばらく話した後ケンカしだすと思うの。だからあんたが戦いに良いと思う場所まで私を案内しなさい。ついてってあげるわ。それが相手の土俵でも」
「……条件はなんだ」
「察しがいいわね。虫の発生を止めなさい。あと蟲たちを引き上げさせなさい。それらが守られてるかを確認するためにも私はあんたらについていくんだから」
「ふん、それは飲めんな。まず大量発生は俺の領分ではない」
「なんですって?」
「では誰が……という質問には答えられん。次に発生した虫は本能のままに動く。俺はその中のほんの少数に少し手を加えて動きを操っているだけだ。全てを引き上げさせることなどできん。この里がいい例だ。お前の魔力の残滓が虫を勝手に惹きつける」
「ちっ、やっぱりか……。結界が燃えて私が住んでた頃に残った魔力が漏れ出して虫が来たのね。まあ、私のせいじゃなけりゃこんなに危険を冒して助けに来ないけど。じゃあ、操ってる分だけでも侵攻を止めさせなさい」
「よかろう。そもそもお前の蟲を惹きつける魔力は俺の命令より強い。それに加えて魔力の残滓よりもその本体の魔力の方が魅力は高い。お前がこの里や侵攻ルートから離れれば問題ないのだ」
「その言い方、私のせいでみんなを戦いに巻き込んでるみたいじゃない」
「そうでもある。わかっているだろう、お前も俺と同じだ」
「ふん、さっさと案内しなさい」
足音が離れていく……。遠ざかっていく……。
何を言っているのか意味はわからないけど、シュリンさんがみんなの為に魔王に連れていかれてしまう事はわかった。
気丈にふるまってるけどシュリンさんは戦い向きの能力じゃない。魔力は高くても魔王になんて勝てないわ……。
私が何とかしないと……。それが私の使命だから……。
「ま……待て……」
ふらつきながら立ち上がる。視界はぼやけてハッキリしないけどその邪悪な魔力で敵の位置はハッキリ把握できる。シュリンさんが近くにいても誤射はしない。
「アチル! やめなさい!」
「大丈夫ですシュリンさん……まだ戦えます……」
「嘘おっしゃい! 目も見えてないでしょう!」
「敵はわかります。まだ戦えるのに黙って見過ごすなんてできません。最後……ま……で……」
ぼやけた視界に迫りくる誰かの影。
そして、遅れて体に鈍い痛み……。
目の前が……どんどん暗く……なっ……て……。
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「……なぜ先に手を出した、ヴィノール」
拳を握りしめ今にも跳びかからんという気配を放っていた魔蟲王が部下に尋ねる。
「彼女と私の勝負に決着をつけただけです。魔蟲王様の前で出過ぎた真似を致しました。気分を害されたのなら罰は何なりと受けます」
先ほどまでの怯えた態度と違い、堂々と魔王に意見するヴィノール。
「ふん、まあいい。人間の子ども一人なぞ誰が殺そうとかまわん。往くぞ」
「はっ!」
「僕も行かなきゃ。じゃあねエルフの女の子。君も弱いなりに頑張ってたと思うよ」
適当に遊ぶようにサブリナと戦っていたサイアスも里を去る魔王に続く。
一方遊ばれていたサブリナにもう彼らを追う力は残されていなかった。
そしてエリファレスもまた自分が蟲魔王に勝てないことを知っている。
彼女らはただ森の奥へと消えていく魔蟲王たちとシュリンを見送る事しか出来なかった。




