第15話 戦雲の帝国②
捧剣をしながらすれ違う一団に対し、敬礼を返すと、その先には白色の外壁に覆われた帝都パリティーヌポリスの姿が見え始めた。
その城外には、国内各地から義勇兵や衛星国軍が集まってきており、先ほどすれ違った一団のように編成を終えた部隊から各戦線へと派遣されていくという。
アイアースにとっても久方ぶりの帝都であったが、こそ泥のような入城方法だった前回とは異なり、今回は正門からの堂々たる入城である。
そんな事を考えていると、無意識のうちに息を飲んでいる事にアイアースは気付いた。
今の自分達の姿は、それまで自身が過ごしていたものとは大きく異なる。
ゆっくりと視線を回してかいま見える兄弟や解放戦線の兵士達の姿も同様であった。
今、彼らが身に着ける真新しい軍装は、白を基調とした物。それは、教団の衛士として、巫女に忠誠を誓い、自由を奪われた象徴のようなものであると同時に、かつての帝国近衛軍の象徴たる衣装。
フェスティアの登極によって、国家の中枢の場から取り除かれた教団であったが、水面下では帝室の守護神であったキーリアそのものを自らの傘下に編入し、自らの手駒とする事でかつての栄光を地に貶めた。
長き年月の間に、その白き軍装は、帝国の守護者たる証から教団の衛士としての証へと成り代わってしまっていたのである。
しかし、今の彼らは同じ軍装を身に着けていても、すれ違う各部隊からは最敬礼をもって迎えられている。
すべては、その身に纏う白き軍装と掲げられた蒼地の御旗の為である。
蒼き天の下、草原を疾駆する白き狼虎。初代皇帝その人は、この狼と虎の血を受け継ぐ民導き、パルティノンの礎を築いたとされ、建国の御代より戦場に掲げられ続けた御旗。
今では、国軍の御旗は領土内各地の統合の象徴として、これとは異なる御旗となっているが、この蒼き御旗は皇帝その人とその直系親族。そして、本来の意味での皇帝直卒の近衛軍のみが掲げる事を許されている御旗。
キーリアと呼ばれる戦闘集団が失われた後、皇帝直属の近衛軍は、黒地に銀の縁取りと一対の剣が交錯する軍旗を掲げている。
それは、皇帝フェスティアのかつての渾名を由来とするのと同時に、教団によって奪われたキーリアとの決別を意味する御旗でもあったのである。
それ故に、パルティンに身を置くものであれば、愛憎の別はあれど皇帝無き近衛兵が、この旗を掲げる意味を当然のように理解しているのだった。
「俺達がリーダーのすぐ後を進むというのは、なんだか悪い気がするな」
前後を見まわすアイアースに気を使ったのか、傍らにて馬を進めるサリクスが、その巨躯を縮めるようにしながら口を開く。
この2つ年上の兄は、子どもの頃はやんちゃ坊主であったのだが、今では兄弟の中で誰よりも大人しく、思いやりのある男になっている。
思えば、彼の母親も性格や行動は大胆かつ豪快であったが、その心根は皇妃達の中で一番優しかった。
「本来であれば、殿下達が先頭を進むべきことです。とはいえ、殿下達の生存は秘匿事項。それでも、相応の位置にはいるべきかと思います」
「かしこまるのも帝都周辺にまで来たからか?」
「はい」
サリクスの言に、先頭を進むエミーナが視線を前に向けたまま答える。
その言は、普段の武人めいた言ではなく、主君に仕える臣下のそれ。今となっては、彼女は義勇軍のリーダーではなく、近衛軍の指揮官の一人であるのだ。皇弟にあたる4人に対しては、それ相応の態度が求められる。
もっとも、彼女にとっては今の態度が素であって、それまでの武人然とした口調や態度こそが演技であるのだが、それは彼らの知る所ではない。
「しかし、我々まで兄上と同格である必要は無いと思うがな。姉上は御子が居らず、現状兄上が継承順位は一位。我々が表に出れば、馬鹿な連中にエサを与える事にもなりかねん」
「陛下が望まれる事です。殿下」
「分かっておるよ。それに、我々も、馬鹿どものおもちゃになるつもりはないしな。なあ、お前ら」
それからしばらく沈黙が続くと、ミーノスが静かに口を開く。
それに対して、アイアースの傍らにて馬を進めるフィリスが短く答える。なぜか、アイアースの傍らについているのかは、他の皇子やエミーナ等には不思議であったのだが、彼女自身は皇帝直々の命であると皆に告げている。
アイアースもまた、彼女からの言質はとってあり、兄弟達への説明をすでに済ませているのだが、今のところはなんともおかしな気分であった。
「ようやく戻って来たか」
そんな調子で会話を続けている周囲を横目に、アイアースはゆっくりと大きくなっていく帝都の姿にゆっくりと口を開く。
皇子として、この地に舞い戻ってくるのは、父帝ゼノスと皇后メルティリアの処刑の時より八年振りの帰還になる。
その間、帝国は大きく変わり続けた。
一度の崩壊と復活。今となっては、史上最大の版図を得、その威信は日増しに増大しているかのように見えるが、地下に身を置いていた身からすれば、危うい均衡の果てに成り立つ状況であるようにも思えていた。
現に、リヴィエトの侵略にあっていても、国軍の動員が思いのほか停滞しているというのは、国軍各所に入りこむ教団信徒の存在だけでなく、帝国内部に渦巻く不信が関係していると思っていた。
聖帝と呼ばれ、繁栄を作り上げたフェスティアであったが、その存在の孤高さは、裏切られ続けた彼女が作り出した逃げ道の一種であるようにアイアースには思える。
今でこそ、信頼できる側近を得た様子であったが、登極直後に、腹心のキーリアや部下達を粛清され、教団の幹部やイサキオスをはじめとする親族達との水面下での権力争いは苛烈を極めていたという。
アイアース自身は、幾度も姉の元へと馳せ参じたいという思いは強かったが、運良く拾った命を再び散らすわけにもいかず、教団に膝をつくという屈辱に耐えつつも力をつけた。
フェスティアの苦悩に比べればはるかに小さき苦労であったのかも知れなかったが、それでも今日という日を迎える事が出来たのは、万感の思いでもあった。
広間へと通されると、そこには彼らと同様の白を基調とした軍装に身を包む近衛達が居ならび、無言の礼によって迎えてくれた。
静寂が支配する室内。眼前には、主なき玉座が静かに鎮座している。
そこから横へと目を向けると、皇宮内部へと通じる通路が天幕によって覆われ、対面からは帝都の街並みを一望できるテラスへと通じている。
今もそこから薄陽が差し込み、室内の静寂さをより一層際立たせていた。
(俺にとっては、二度の屈辱の舞台か)
かつて、ここで暮らした日々もあったはずであったが、今となっては思い起こすのは、父帝ゼノスとともに巫女の前に引きずり出されたあの日とフェスティアの救出のためにこの場へと乗り込んだあの日の記憶。
ともに、自分の無力さを痛感させられる記憶でしかなかったが、今はその屈辱と無力さとは無縁の場となる。
そんな事と考えていたアイアースの視界の端で、皇宮へと通ずる天幕が揺れる。
鼓動が再び跳ね上がる。
わずか半年前に垣間見た一人の女性。
その際には、傍らにはよけいな者がいたため、感慨と怒りの両面が支配していた。ただ、今目の前に現れた女性の姿に対しては、込み上げる何かを押さえ込まねばならなかった。
そして、その女性は側近等を連れ立ちながら玉座の傍らにまで歩みを進めると、玉座に腰を下ろすことなく段を降りはじめる。
側近達をはじめ、アイアース等もその行動に目を奪われるが、恭しく膝を折ったエミーナに倣い、アイアース等もゆっくりと膝を折っていく。
「そう畏まるな。エミーナ。いや、エナと呼ぶ方が正しいか? 長き間、我が思いを果たしてくれて嬉しく思う。よくぞ、戻って来てくれた」
「はっ! もったいなきお言葉」
「そなた達も、ご苦労であった。皆、彼女の語る理想や志に共感し、今日まで戦い抜いてくれた事と思う。彼女の思いに偽りはないが、今日の日まで、彼女は本来の責務から離れ、祖国が為に闇の世界に身を投じた。諸君等に中にも、その手を地で汚し、罪なき者をその手にかける事もあったであろう。だが、それは私の罪。それ故に、今日、諸君等を私の一部とする事で、その罪に報いたいと思う」
エミーナをはじめ、頭を垂れる解放戦線の者達に視線を送ったフェスティアは、エミーナの手を取って彼女を立ち上がらせると、アイアースをはじめとする者達にも起立を促す。
「皆、私に着いてきてくれ」
そうして、フェスティアは踵を返すと段を上がり外のテラスへと向かって歩み始め、アイアース等もそれに続く。途中、リリスと目が合うと彼女もまた一瞬だけ口元に笑みを浮かべていた。
実の姉との再会はあっさりとした形で終わった。
この場で自分達の存在を公表したところで大きな意味があるとは思えないため、それも仕方がないという思いはあるが、どことなく寂しさに感じるようにも思える。
頭では分かっていても、感情面はどうしようもない事があるのだった。
「ふう……」
宛がわれたサロンで壁にもたれながら黄昏れていたアイアースは、ふっと一息つくと立ち上がり、出口へと足を向ける。
「お? アイアース、どこに行くんだ?」
「テラスへ。自由にしていていいと言われましたので、風にでも当たってこようかと」
「ふうん。じゃあ、俺も行くかな。兄上、サリクスもどうです?」
「そうだな……行くか」
「では、私も」
そんなアイアースの様子に、伴った女性キーリアと話し込んでいたミーノスが口を開く。それからアイアースの返事も聞かずにシュネシスとサリクスに声をかけると、二人も逡巡することなく同意する。
アイアースとしても、兄弟の申し出を断る理由はなく、室内の他の者達も兄弟のやり取りに水を差す気はないらしく、同行を申し出る者はいない様子であった。
「ふう、大分風が心地よくなってきたな」
「この匂い、あの頃とは少し変わりましたかね?」
テラスへ来ると、大きく息を吸い込んだシュネシスが、そう口を開くとサリクスもまた過去を懐かしむようにそう口を開く。
風の匂いはたしかに変わったように思える。とはいえ、アイアース自身にこの場がよい思い出の舞台ではないため、そう思えるような気がしていたのだが、サリクスの言を考えれば、年月の経過でしかないのだろうと思える。
「なあ、アイアース」
そして、静かに口を開くミーノスに対し、手をあげて応えたアイアースは、ゆっくりとテラスの一角へと足を運ぶ。
ここは、城下町側へと円形にせり出しており、皇帝による儀礼行為の際に立つ場ではある。とはいえ、普段は城の者達が自由に足を踏み入れていい場所でもあるのだった。
そんな場に足を運んだアイアースは、膝を折ると、敷き詰められた石面をゆっくりと撫でる。
そうする事で、その場で起こった事がありありと思い起こされるのであった。
「ここで亡くなられたのだな……父上は」
「はい」
アイアースの行動を見つめていたミーノスは、一瞬目を閉ざした後、アイアースに対して口を開く。
いまだに拭いきれることなく石面に残る染み。あの日、多くの民が目にした皇帝の最期の地であった。
「ここでか……。皮肉なモノだな。空中庭園と並んで、この場は父上が好んでいたというのに」
「我々兄弟と一緒に、食事を取る事もよくありましたね……。そして、父上はもうこの場にはいない」
シュネシスとサリクスも、同様に過去を思いかえしながら瞑目する。
皆が皆、口を閉ざすとともに、見開いた目にはどことなく光が浮かんでいる。涙を流そうにも、もはや流せるだけのモノは尽きている。それに、過去に対して涙を流したところで、失われた人間が喜ぶ事はない。
「教えてくれ。父上は……安らかに逝かれたのか?」
瞑目しつつ、アイアースに対して、そう問い掛けるミーノス。
兄弟達に倣って瞑目したアイアースの脳裏には、ゆっくりとあの日の光景が蘇っていた。
◇◆◇◆◇
一組の妙齢の男女が口づけを交わすと剣を手にした男は、それを高々と掲げる。
『そなた達に一つ感謝をしよう。この血に塗れた皇帝の衣装をはぎ取らずにいてくれたこと。これは、死にゆく我が身にとって最大の名誉である。皇衣は最高の死に装束であり、余は皇帝として死にゆく。そして、皇帝としての死に人の手は借りぬっ!!』
声高らかに、力強くそう告げた男は、ゆっくりと剣を自身の首筋へと寄せていく。
『我が血を持って、諸君等の新政体への餞としよう。我が血をすすり、この大地に新たなる秩序を打ち立てるか。はたまた、我が血に塗れながら絶望に沈むか。冥府にて見ているぞっ!!』
そう言い終えると、男はゆっくりと自身の首筋を薙ぐ。
そこから吹き出した血が、周囲を赤く染め上げ、男が愛したその場所を自身の血によって赤く彩っていく。
そうして、男の肉体はゆっくりとその場へと崩れ落ちていった。
◇◆◇◆◇
「ふん、最後までキザな御方だ」
「兄上やアイアースの女癖の悪さは、間違いなく父上の影響ですね」
アイアースが告げたゼノスの最後に、シュネシスは顔を背けながらそう告げる。長男であり外見をはじめ、その多くを受け継ぐ彼にとって、個人が何を喜ばぬかは誰よりも知っている。
サリクスもまた、そんな兄の心情を察してか、声を震わせながらもそう軽口をついている。
「ふふ、思い出話か。わたし達も混ぜろ」
と、しんみりとした雰囲気の中で口を閉ざす四人。夕闇が広がり、周囲の燭台に火が灯されはじめた中、彼らの耳に凛とした女性の声が届く。
一斉に顔を上げた兄弟達の視線の先には、よく似た顔立ちの二人の女性が、柔らかな笑みを浮かべながら佇んでいた。




