第11話 冬の終わりに②
扉を開く音とともに小太りの中年男が手枷をされて連れてこられた。
顔色は先ほどよりも良く、フェスティア等を一瞥する視線からは不敵な光が放たれている。
「私は貴国の公用語は話せぬが……、問題はないな?」
「問題ない」
男が腰掛けるのを待ち、フェスティアは眼を細めつつそう口を開くと、男も短くそう答える。
外見にそぐわぬやや高めの声であったが、敵国の君主を前にしても動じている様子は無い。
「名は、ミゲル・クトゥーズ。帝政リヴィエト第7軍司令官。分かっている事はこれだけだが、間違いないか?」
「黙秘する」
「名ぐらい答えてくれてもよかろう?」
「黙秘する」
書類を片手にクトゥーズに対して口を開くフェスティアであったが、等のクトゥーズはそう繰り返すだけで表情を改める事もない。
一国の君主に対して無礼ではあれど、すでに交戦中の敵手同士。今更、外交儀礼をとやかく言ったところで詮無き事とフェスティアも思っている。
身を乗り出しかけたフィリスを制したフェスティアは、ふっと笑みを浮かべてクトゥーズに視線を向けると、室内に一陣の風が吹き渡る。
風が吹き止むと、クトゥーズの前髪が数本舞い上がり、彼の目の前には鮮やかに輝く剣が突き付けられていた。
しかし、それに対してクトゥーズは某かの反応を見せるわけでもなく、表情を変えぬままフェスティアに変わることなく視線を向けている。
すでに死を期し、覚悟を決めているが故の態度であり、話すだけで無駄であるということもある程度で予想がついた。
「ふむ。……失礼した。非礼は詫びる。このとおりだ。貴公はいずれ捕虜交換で帰ってもらう故、しばらくは大人しくしてもらうとしよう」
自身の行いが単なる狼藉でしか無くなったフェスティアは、剣を収めると立ち上がり、素直に頭を垂れる。
これには、リリスとゼークトを除いた室内の人間達も目を剥くが、クトゥーズに対しても多少の驚きを与えた様子である。
「不要だ。斬れ」
慌てているわけではないが、多少動揺した様子でそう答える。
フェスティアのあっさりとした謝罪が、一国の君主が簡単に非礼を詫びた事に対する驚きと同時に、自身の生存がリヴィエトに対して大きな不利益を与えかねないという印象を、彼に与えた様子であった。
面子を捨てた人間ほど底が読めない人間はいないのである。
「敗軍の将を斬る趣味はない。貴公一人で我が民千人と言ったところかな?」
「斬れと言っている」
「命令される筋合いはない。こちらの問いに答えてくれれば、こちらも相応の扱いはするであろうがな」
「……話す事など無い。どのみち、服属を拒んだ北辺の民など一人として生きてはおらん」
とはいえ、少し調子に乗って話しすぎるところも若さ故と言ったところか、フェスティアの探りは、彼女や側近達にとっても知りたくなかった事実を返される結果となった。
北辺の切り捨ては、フェスティアをはじめとして高官達の決断。
敵の手にかかった以上、増悪はリヴィエトに向く事もあろうが、結果として虜囚の身となった彼らに対する虐殺の責は、君主である彼女らにものしかかってくるのである。
「そうか。それが分かっただけでもよい。――用意をしてくれ」
一瞬、表情を強ばらせたフェスティアであったが、すぐにそれを改めるとリリスに対してそう告げる。
執務室から出て行ったリリスはほどなく、盆に四角い木製の杯を載せて戻ってくる。杯からは柔らかな湯気が立ち上り、強い酒の香りが周囲に漂いはじめる。
「……なんだこれは?」
「末期の酒だ。貴公は好きそうだしな。私が最近気に入っている酒でも愉しんでもらおうと思ってな」
訝しげな表情を浮かべるクトゥーズに対して、フェスティアはそう告げると、杯と手に取りゆっくりと口に含んだ。
「ううむ。やはり強いな……」
「この杯は……」
「酒と同様に東方のものでな。“マス”と言うそうだ」
「…………っ!? ふむ……」
「どうだ?」
「東方といったな。セイカかスメラギの酒か?」
「うむ。そのあたりの事は知っているのだな」
「なるほど。――いずれは我々の征服対象となる地。情報の収集は当然だ」
「そうだな。もっとも、それは適わぬがな」
訝しげに酒を煽るフェスティアを見ていたクトゥーズであったが、恐る恐るといった様子で口を付けると、その熱さに目を見開く物の、すぐに口元の笑みを浮かべてそれを口に運んだ。
「なかなかいける口のようだな」
「この腹を見ろ。陛下もお気を付ける事ですな。せっかくの美貌が台無しですぞ?」
「数ヶ月もすれば別の理由で腹もでるから気にしても仕方ない」
「ほう? それは目出度きこと。あの狂信者共が喜んで陛下の腹を引き裂きにかかるでしょうな」
「趣味が悪い連中がいるようだな。もう一杯行くか?」
「もらおう。――結局、話しているしな」
「図々しい男ね。陛下、お待ちください」
フェスティアの言に腹を撫でながら答えるクトゥーズ。
外見にそぐわず、その手の嗜みは持っている様子である。ぶっそうな話しも出てきてはいるが、“末期の酒”という事と、単なる酒の席での戯れ言に止めているが故に口も軽くなってきている様子である。
フェスティアの勧めぬも迷うことなく応じる様子にリリスは肩をすくめつつ部屋から出て行く。
「奴隷となった兵士達。貴公は、先の戦いのような使い方を肯じえるのか?」
「それは、黙秘する」
「肯定ととらせてもらう。つまり、和睦という選択はないという事だな」
「……大帝は、純粋に侵略と征服を愉しんでいるが、我がリヴィエトの民に、他国との共生・共和という意志はない」
先の戦いにおける奴隷兵士達の扱い。フェスティアは、刻印の暴走への媒介にされ、無残な最期を遂げた兵士達の姿を思い返しながらそう口を開く。
敵として刃を向けてきた以上、全力を持って相手をしたが、あのような最後を迎える事はあまりにむごい。
当然、事が公になれば単なる侵略以上の増悪がパルティノンの民には広まる事になり、当然和睦という選択肢もなくなる。
フェスティアとしては、リヴィエトのパルティノン領内からの撤退以外に和睦を受け入れるつもりなど無かったが、現状、リヴィエトの滅亡以外受け入れる事も無くなりかねない暴挙でもあった。
そして、クトゥーズの言は、その事実を肯定していた。
「怖い連中だ」
「怖い? 世界帝国の頂点に立たれる女帝陛下が我々を恐れるというのですか?」
「私とて人だ。人でないモノは恐ろしく思える時もある」
その言に、フェスティアは思わずそう呟く。
至尊の地位を得、血で血を洗う戦場や身を汚され尽くしたときも決して恐れを抱くこと無かった彼女。当然、今の恐れも口から出ただけの事であるが、人を人と思わぬ行為に及ぶ人間達に対する感情として、“怖い”という言葉を口にしたのだった。
「家畜を侍らせるあなたの言とは思えませんな」
「何?」
そんなフェスティアに対し、クトゥーズは、室内に詰める軍人や侍女達に視線を向けつつそう口を開く。
「人の形をしただけの家畜と暮らす民族。我々のあなた方に対する認識などその程度という事です」
「待て、だから何が家畜だというのだ?」
さらに続けるクトゥーズに対し、フェスティアはやや声を上ずらせながら、そう問い掛ける。軍人や侍女達を一瞥したクトゥーズの視線の先には、ティグ族などの亜人やオアシス、ステップ出身の褐色、黄色の肌をしている者達が多い。
クトゥーズと同じく、白皙の肌をしているのは、室内でも極々一部であるのだ。
「“色つきの如きは神を侮辱する獣であり、獣は家畜となるか殲滅するのが神のご意志”……こう主張する人間は大勢いると言う事だ」
「“カミ”?」
「“色つき”?」
クトゥーズの言に、フェスティアとフィリスが口を開く。
フィリス自身もクトゥーズの言に、傾聴していたためか、思わず言葉が口を着いてしまった様子である。
慌てて口元を覆ったフィリスであったが、フェスティアやゼークトがそれを咎める事はなく、クトゥーズも二人の言に静かに答える。
「色つきとは、肌に色がついている人間の事だ。我々とて日焼けぐらいはするんだがな。神とは、口では説明できん。パルティノンにとっての陛下のようなモノといえばよいのかな?」
「我々にとっての天のようなモノかも知れませんね」
「なるほど。天は、貴公等が選ばれた人間であり、それ以外の人間は家畜となって尽くさねばならず、それには向かうならば殲滅してよい。というわけか」
ゼークトの言に、フェスティアも頷く。
「そういうわけです」
「よく考えたモノだ。敵を敵以前に、人と見なければ戸惑う事はなくなる。貴公等にとっては、戯れに豚を殺す事と変わらぬと言うわけだ」
「陛下は食卓に並べられる豚をかわいそうだとは思いますかな?」
「かわいそうだとは思わんが、ありがたく食べさせてもらうとは思う」
「そういうことです。本当の家畜は、食べる事で腹を満たす事が出来る。だが、色つきを食べるわけにはいかず、役立たずは処分するべき。と言う話になるわけです」
「随分他人事にように思えるが、貴公はどうなのだ?」
「私は、そのような思想よりも手強い敵との戦いの方が楽しみですのでね。彼らに対しても、変な意味での増悪はありませんよ。兵器としての使用に躊躇いはありませんがね」
「ふん、ずるい男だ。それと、先ほど黙秘すると言ったはずだが?」
「肯定ととられましたのでね」
肩をすくめつつそう告げたクトゥーズに対し、フェスティアもまた目を閉ざしながらそう答えた。
「さて、末期の酒の味はどうであった?」
「満足と言うほかありませんな。この味を今少し早く知っておれば、戦の必要は無かったのやも知れませんが」
「ふん、とぼけた男だ。……明日、私から直々に剣を与えてやる。それまでは、ゆるりと過ごせ」
二杯目の酒を飲み終えたクトゥーズに対し、フェスティアは静かにそう告げる。
すでに覚悟を決めていた彼は、不敵な笑みをたたえてそう答えると、ゆっくりとその出張った腹をさする。
自身が好むモノを与えられ、十分に満足した様子である。
「明日でございますか?」
「私は忙しいのだ。死に怯える時間も、貴公への罰だと思え」
「ふむ。罪状は、捕虜への虐待。といったところですかな?」
「不敬罪も入っている」
「ほう?」
「私の身体には、貴公等の言う色つきや家畜の血も含まれているのだ。そもそも、我々の祖先は、白き狼虎。私たちは白狼と白虎の末裔であって、貴様らにとっては殲滅せざるを得ない民族なのだよ」
「なるほど」
フェスティアの言に、ゆっくりと頷いたクトゥーズは、満足した様子で兵士達に連行されていった。
それを見送ったフェスティアは、静かに腰を下ろすと、天を仰ぎつつ目をつむる。
会談の最中は凛とした態度を保っていたが、自分達の間にある対立の根の深さに、思っていた以上に精神が疲弊していた様子であった。
「陛下、今日はもうお休みになられては?」
「大丈夫だ。それにしても、家畜か……」
「あの男は、そのような思想を持ってはいないのでしょうが、思い出すだけで腹が立ちます」
リリスから手渡されたタオルで目元を拭い、薄く塗った化粧を拭いながらそう呟いたフェスティアの言に、フィリスが静かにそう答える。
彼女自身、彼の言うところの色つきに当たる人物を養父に持っている。あのような物言いは悔しくて仕方がないのであろうという事はフェスティアにもよく分かった。
「所詮は敵対者。という事か」
「いえ。そこまで簡単な話ではございませんぞ」
「というと?」
「あの手の話。エウロス地方には古くに存在していたのですよ。私の曾祖父以前からの話ですので、“究極平和”の頃には除かれていた思想なのでしょうが」
「……エウロスか。スカルヴィナやカレリアも同様かな?」
「どちらも、土地の割りに痩せておりますね」
「ええ。しかし、それでいて家畜との共生という思想はそれほど確立されておりません。遊牧の民を源流にしているパルティノンの民は、常に動物とともに生きておりましたが、エウロスやスカルヴィナでは、人と動物の間には明確な線引きが存在していたのかも知れません」
「……かつての征服事業に敗れて者達が、永久凍土を超えて新たなる大地に理想郷を作り、捲土重来をはかってきた。そして、それに同調する民も出てくるかも知れない。という事か?」
「可能性は……」
ゼークトの言に、フェスティアは眉を顰めつつそう口を開く。
たしかに、エウロスなどは征服地であり、シヴェルスのような遊牧民の天地やオアシス、ステップなどのような雑多な民族が交わる地やパルティノン本国のように、旧思想が変化を続けるところとは異なる。
土着の思想が深いところで生き残っていたとしても不思議ではない。
「教団……」
「リリス?」
と、そんな二人の会話を黙って聞いていたリリスが、静かに口を開く。
「巫女を頂点とする教団の形は、彼の言った“カミ”に通ずるのではありませんか?」
「…………天の代弁者たる巫女。天とカミに置き換えるという事か?」
「教団が勢力を伸張させている地域とも重なります。それ故に、巫女は……」
「あの小娘が口を割るとは思えん。だが……。――下手な事をしていないで出てきたらどうだ?」
「あらあら、気付いておられましたか?」
リリスの言に頷きつつ、私室へとつながる扉を睨み付けるフェスティアの言に、静かにそう答える女の声。
リリスとフィリスが剣に手をかけ、ゼークトも室内の軍人達に目配せをする中、全員の視線を一身に集めつつ、声の主、フォティーナは悠然と部屋の真ん中へと歩みを進めた。
皆の鋭い視線が集中する中でも、フォティーナは平然としたままフェスティアと正対していた。
◇◆◇◆◇
帝都パルティーヌポリスにおいて、小さな火種が燻り始めている頃、エウロス地方にある解放戦線本拠地でも、一つの別れが始まろうとしていた。
「殿下、閣下、……ありがとうございました」
風前の灯火の如き弱々しい声が、アイアースとエミーナの耳に届く。
声の主でありスノウは、ベッドに横たわったままそう告げると、二人の傍らに立つ男達へと視線を向ける。
「みんな、よくぞ無事で……」
「…………スノウ、貴様も。だが、一つだけ聞かせてくれ」
「お前が、リヴィエトに寝返ったという噂は、本当なのか?」
目尻に涙を浮かべつつ、そう口を開いたスノウに対し、男達はそう口を開く。
戦を終え、ようやく祖国への帰参を果たした彼らにとって、それは確かめずにはいられぬ事である。
そして、スノウもまた、真実を語るために今日まで生きながらえて来たのであった。
「ああ、それは、事実だ……」
静かにゆっくりと口を開いたスノウの言に対し、剣を抜き放つ音が室内に響き渡ったのはそれから間もなくの事であった。
戦争。
それは、外交の一手段であり、多くの悲しみを生む出来事。その根底には、野心、欲望、憎悪など、人の負の感情が多く潜んでいる。
そして、それを煽る要素として、感情や思想の違いというモノが存在していた。




