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第7話 開戦

少々、嫌悪感を与えるかも知れない描写があります。苦手な方はご注意ください。

 虚空に舞い上がるそれが、渓谷に響き渡る軍靴の足音を止める。


 静寂が周囲を支配する中、ゴトリと音を立てて地面に落ちた騎兵の首。そして、それを待っていたかのように、首の持ち主の肉体が鮮血を舞いあげながら馬から落ちる。


 血飛沫を浴びつつ、騎兵の周囲に立っていた兵士達が、それを合図に歯を食いしばり、アイアースを睨み付け、手にした槍をかまえる。



「舐められたものだな。義勇軍相手に、隊列を組む必要はないと言うことか?」



 眼を細めて兵士達を睨み付けながらそう口を開くアイアース。


 眼前の兵士達は、おおよそ隊列をいうものを汲んではおらず、足早にこの渓谷を突破することだけを考えている様子だった。


 とはいえ、ここなパルティノン領内。リヴィエト側の支配など欠片も及んでいない地域なのだ。おそらく、眼前の兵士達はスカルヴィナで捕らえられた奴隷兵なのであろうが、それにしても程度というものがある。


 そんなことを考えているアイアースに対し、兵士達は即座に隊列を整えると槍衾となってアイアースへと襲いかかる。


 比較的長めの長槍であり、これが本来の使用方法でもあるのだ。



「そうだ。それでいい」



 アイアースは繰り出される槍をいなすと後方へ馬を駆り、追ってくる兵士達を一瞥する。


 多くがやせ細り、目に生気はない。多くが洗脳状態にあるというスノウの言は間違っていないようである。



「だが、刃を向けてくるヤツに手加減をするわけにはいかん」



 兵士達に視線を向け、アイアースはそう呟くと、謀ったかのように両側の森から矢が放たれ、無数の矢が兵士の頭上へと降り注いだ。



◇◆◇



 前方からの歓声にクトゥーズは顔を上げた。



「何事だ?」


「伏兵でしょうか。地形としては適しておりますし」


「誘い込まれたかな? まあ、偽装も最低限ではあったが」




 ミランダの言にクトゥーズは自分達の掲げる軍旗を一瞥しながらそう口を開く。


 彼らが身につけている衣服も、黒を基調としたパルティノン側の衣服や装備品であり、本来の青を基調とした衣服や装備は後方の輜重へと隠してある。


 ここに来るまでに襲った村々の形跡が発見されるまで時間も十分であるとは思っていたが、それでも氷の橋上空を通過する飛兵の目までは欺くことは出来なかったのかも知れない。



「報告いたします。前衛部隊が敵伏兵部隊と交戦中」


「数は?」


「はっ、それが……」




 と、そんなことを考えているクトゥーズの眼前に前方より駆け戻ってきた騎兵が声を上げる。


 しかし、クトゥーズの問い掛けに、騎兵は困ったように言葉を詰まらせる。



「どうしたのです?」


「はっ……、それが街道を塞いでいるのは、わずか3騎の騎兵だけなのです。ちょうど森林が両側にあります故、そこにいくつかの部隊が潜んでいるのでしょうが」


「……ふざけているのか?」


「まあ、落ち着け。――前衛部隊を同時にけしかけてみろ。刻印の操作を用いて構わん」


「はっ!!」




 ミランダに睨まれた騎兵は思わず背筋を伸ばすものの、このような場で戯れ言が出るはずもない。


 そんな調子のミランダをなだめたクトゥーズは、思い当たる節があったため、騎兵に対してそう告げる。




「閣下、刻印の操作は……」



 クトゥーズの言にミランダが顔を顰める。




「どのみち倒されてしまえば意味は無い。死ぬのはヤツ等の同胞だしな。それに」


「それに?」


「正攻法ではキーリアには勝てん」


「キーリア……。パルティノン帝室を守護する一騎当千の猛者達ですか」


「うむ。良く知っているな」


「己の敵を知ること。戦場に立つものの義務でもあります故。しかし、彼の者達はマクシミリアン閣下をはじめとする手の者達が取り込んだはずでは?」


「あの程度のやり口で取り込めるほどヤワな忠誠心を持った連中でもあるまいよ。貴官とて、マノロヴァ王朝が僅かな期間でも消滅したぐらいで見限るような真似はするまい?」


「……そうですね」




 クトゥーズの問い掛けに、憮然としたままそう答えるミランダ。彼女と同じように、周囲に並ぶ騎兵達も同様に頷いている。


 謀略によって戦乱を起こし、敵国の弱体化を謀ることは、使い古された手管ではあったが、国力の減衰は確実であり、今も内憂を抱えさせることに成功している。


 とはいえ、単純にそのことを受け入れるかと言えば、彼らにとっては気分の良いものではなかった。


 自分達が戦場で血を流し、多くの民族や大地を蹂躙している傍ら、謀略家は自身の血も汗も流すことなく戦果を上げてくる。


 そして、敵からすべてを奪えば、今度はその魔手が身内へと向いてくることは自明の理。戦場に生きる人間からすれば嫌悪の対象でしかないのである。



「さて、奴隷どもばかりに頑張らせるのも何だ。我々も行くぞ。続けっ!!」



 そんな周囲の空気を察したクトゥーズは、若き副官や周囲の騎兵達の悪い癖が出はじめたことを察し、指揮棒を握りしめ、馬腹を力強く締め付けながら声を上げる。


 巨体であるが故、鐙を内腿でしっかり挟み込まねば落馬の危険性があるのである。


 そんな指揮官に対し、副官達もまた表情を引き締めると、大型の馬上槍ランスを手に、馬腹を蹴る。


 本来、彼らに課せられた任務は後方撹乱であり、原野を駆け巡る重装騎兵の役割は求められていない。


 ある種の左遷人事という背景があるが故のことであったが、それでも数少ない自分達の本領に対して、先ほどまで脳裏に満ちていた味方陣営に対する憤懣は徐々に除かれていく。




(それでいい。悔しさは敵にぶつければいいのさ。それが、生き残ることにつながる)




 馬を駆り、戦闘に対して血の滾りをぶつけんとする周囲の兵達の姿に、クトゥーズはそうほくそ笑んでいた。




◇◆◇




 帳簿に示された糧秣、武具、軍馬、各飛行種の手配に淀みはなかった。


 ゼークトは、キエラを中心にルーシャ地方各所展開する部隊からの報告に思わず息を飲む。先々帝の親征以来、閑職に甘んじていた身ではあったが、これほどの規模の人員が動くにも拘わらず、大きな物資の不足や滞りが目立つことがない事実は経験したことがなかった。



「大言を壮語するものだとは思っていたが、言うだけのことはある」


「実を持ってでしか、信頼は得られぬモノ。私はそう思っております故」



 フォティーナの言に、居並ぶ幕僚や官僚達が顔を見合わせつつも書類を処理していく。


 彼ら自身、自分達の仕事で手を抜いたつもりはないのであろうが、それでも今のように事務処理が効率よく進んで行くとは思っても見なかった様子である。


 何しろ、先々帝による親征の際にはその準備期間も相当なものであったのだ。


 今回の軍勢の規模はさすがに劣るとは言え、一度そこまで落ちきった国力の限界までを出し切っていると多くが考えていたのである。


 とはいえ、広大な領土を持つ帝国。その底力というものは自分達が思っているよりも深く、大きなものであったのだ。




「緊急事態であるからこそ、打てる手でもあるか」


「ええ。平時にこれを行ったところで、テューロス閣下の如き反発を受けることになったでしょうね」


「……ひどく、苛立ちがあるように思えるが?」


「気のせいでしょう。おや?」




 とはいえ、一時的に食糧供給が滞る可能性のある事案であり、侵略という目に見えた脅威が無ければ、もしくは飢饉などのような自身に害が及びかねない事情であれば、民の反発は巨大なものになるであろう事案。


 フォティーナが言うように、かつては皇后メルティリアが実行しようとして頓挫した食糧の供給計画に似てもいる。


 あの時も、火山を大噴火を単に発した大飢饉が原因であり、結果として帝国の崩壊を招きかけた。


 それでも、フォティーナの表情が陰りを見せたのは、その事実以上に、メルティリア等に及んだ実害へと向けられているようにゼークトは思えた。


 たしかに、帝国中枢にいる人間にしてみれば、理不尽でしかない事件であったのだが。


 そんな苛立ちを浮かべるフォティーナであったが、目を丸くするように執務室の入り口へと視線を向ける。


 それに釣られて視線を向けたゼークトも、そこに立つ二人の人物に目を惹かれる。




「巫女様? 如何なさいました?」



 フォティーナの言に、室内に詰める全員の視線が、そこに立つ二人の女性へと向けられる。


 一人はフォティーナの同士で、教団外務長であるユマ。そして、もう一人は、名目上の教団の頂点に立つ“巫女”シヴィラである。



「フェスティアはいないの?」


「巫女様……。皇帝陛下は、前線の視察に出ておられます。何か御用ですか?」



 曲がりなりにも、権力争いに敗れ去り、幽閉状態の人間である。


 しかし、肯定を平然と名前で呼ぶその態度に、周囲の幕僚達が色めきだち、官僚達も小馬鹿にするような視線を向ける。中には、あからさまな嫌悪を向けている者もいた。


 そんな周囲の様子に、ゼークトは深いため息をつき、フォティーナは顔を顰めながら、口を開く。




「いないならいいわ。小物に用は無いし」


「そうですか。なれば、お部屋へお戻りになっていてください」


「フォティーナっ。巫女様に対してそんな」


「ユマ。おままごとは、そっちでやって」


「なっ……。わ、分かったわよ」




 フォティーナの言に、シヴィラはゼークトや周囲、幕僚、官僚達を一瞥してそう口を開くと、フォティーナもまた、苛立ちを隠さずにそう告げる。


 それを見ていたユマが声を荒げるが、友人からの鋭い視線を向けられて、大人しく引き下がった。


 教団の中心人物ではあったが、フォティーナやロジェス、ジェスト等が用意した資金を持って慈善活動などを行うのが精々であった彼女に、帝国幕僚部のトップと渡り合うフォティーナに対して咎め立てすることなど出来るはずもない。


 もっとも、彼女自身、いまだ二十代中頃であり、年齢に見合わぬ才覚を発揮しているフォティーナと比べることの方が酷である言うのが本当のところである。


 官僚、幕僚達も、腐敗した組織に身を置かなければ、元々才能を持ち、そのための努力を重ねてきたのある人間ばかり。


 まだまだ、単なる理想主義者の域を出ていない女性が出る幕はなかった。




「お見苦しいところをお見せしましたわ。私も、信徒兵達の編成がございますので、このあたりで」


「ええ。それと……、巫女のことぐらいしっかりなさっていただきたい」


「善処いたしますわ」



 そう言って頭を下げるフォティーナに、無駄だと分かっていたが、ゼークトも苦言を呈すと、フォティーナは伏し目がちのまま顔を上げ、その場を後にする。


 彼女自身もこの調子である以上、巫女やその下の信徒達に多くを期待するだけ無駄であったのだが、それでもゼークト等にとっては面白くもない話である。




「ふう……。戦のためとはいえ」



 椅子に腰を下ろし、思わずこぼれ出たゼークトの呟きに、室内の幕僚、官僚達が顔を顰めつつ頷く。


 目の前の国難への対処に頭を悩ませ、今のところは動きはない内憂に警戒せねばならない。


 それ相応の地位にある人間達であるとはいえ、その重圧と責任は並大抵のものではない。そして、例外なく全員が疲れていた。




「さて、各人、今一度内容を見直せ。こういう時に間違いは起こる」




 そんな空気を感じ取ったゼークトはそう呟くと、自身も手元の書類へと目を落とす。



(西は良い。ここを崩されれば、エウロスへと雪崩れ込まれる危険性がある。問題は中央か……)




 不満はあるものの、兵站面が大きな問題なく動いていることは、全体を統括し、肯定を補佐する立場にある彼にとっては朗報以外の何物でもない。


 前線での細かな戦術に関しては、戦場の申し子たる皇帝に委ねる以外に無いが、その皇帝が力を発揮する場を整えるのが彼の役目である。


 しかし、そのための駒は、大きく不足しているというのが現状であった。




(やはり、8年前の粛清が大きすぎる……。将来を渇望できる人材は溢れているが、戦場においては、天才以外は経験がものを言う)



 ゼークトの脳裏に過去に失われた将帥達の姿が浮かび上がる。


 巨大な敗戦を経験し、そこから這い上がった将帥や長年の平和を支え続けた将帥達が、彼の事件で失われてしまった。


 各部隊を率いる人材の確保が出来たことは幸いと言えるが、それらをまとめ上げ、かつ皇帝の采配について行けるだけの人材が必要になる。


 そして、残り一つの駒が見つかっていなかった。




「君。アウシュ・ケナウ近郊に情報はあるか?」


「少々お待ちください」



 とはいえ、宛てがないわけではなかった。



「彼の御方でありますが、先日の夜半に足取りが途絶えております。解放戦線との接触の可能性もあり得る様子です」


「そうか。……職務に戻ってくれたまえ」



 幕僚から資料を受け取り、モノクルをかけ直してそこに視線を送るゼークト。



「やはり、もう一度行ってみるべきか」




 静かにそう呟いたゼークトの声に、答えるものは誰もいなかった。




◇◆◇



 床に蠢く転移方陣を目にしたフォティーナは、すぐに右手を掲げると、周囲は水色の光に包まれ、方陣を包み込むように円状の球体が出現する。


 やがて、球体は複雑に絡み合いながらクリスタルのように輝きはじめる。




「何をなさるおつもりですか?」


「別に」


「ユマ」


「――難民達の元へ行くところです」


「なれば、正式な手続きを踏み、監視の下で行ってください。事によっては、即座に粛清されるのですよ? もう少し、御自身の立場をお考えください」


「フォティーナ、そんな良い方っ」




 剣呑な態度で視線を向けるフォティーナに対し、シヴィラはむくれたような態度で答えると、フォティーナは傍らに立つユマに対して咎めるような視線を向ける。


 しかし、ユマもとってつけたように答えるだけであり、フォティーナは苛立ちも含めてそう口を開く。




「いい加減にして。貴方も自分の立場を考えてくれる? シヴィラ様がこうしていられるのもすべては皇帝の気分次第なのよ? へそを曲げて斬られたらどうするつもりなの?」


「今度は負けないわ」


「一度、敗れた方の言に価値はございません。巫女様が、フェスティアに敗れていなければ、教団があそこまで落ちぶれることも、協力者をすべて失うこともなかったのですよ? 貴方様にすべての責を押しつけるつもりはございませんが」


「分かっているわよ。ギャアギャア言うのはやめて。私は、貴方の操り人形じゃないわ」




 そう言って、シヴィラは居室の奥へと立ち去っていく。そこは、法術を封じられており、勝手に出てくることは不可能である。


 今、フォティーナとユマが立っているところは、過去にアイアースがシヴィラ等と対峙した広間であり、普段であればシヴィラの法術を封じる術者と腕利きの精鋭が巡回しているはずである。


 しかし、リヴィエトの侵攻が発生してから、それらの巡回任務にも隙間が出はじめていた。




「ユマ。なんとかならないの?」


「無理よ。私が巫女様を抑えられるはずも無いじゃない」


「……っ。フェスティアめ。こうなることを見越していたのか」


「あの方はどこで真実を掴んだのでしょう?」


「リリスよ。巫女様のお力は強大だけど、そのお心は非常に脆いわ。心理に入りこむことなどあの女にはわけもないこと」


「泳がされていたというの?」


「いえ。こうなってはじめて気にしたんでしょう。フェスティアにとっては、わたし達の価値などそんなところよ。アイアース達を地獄へ送り込んだ意趣返しでしょうね」


「…………あなたは、どっちの味方なのか分からなくなるわ」


「何? 突然」



 先日、リヴィエトとシヴィラの接触以来、不安定な面が顕著になり始めたシヴィラに対し、フォティーナの苛立ちも募るばかりである。


 しかし、それでも帝国のために行動し、巫女のことを気にかけるフォティーナの行動は、ユマにとっては理解しがたいものであり、長年の友人がいったい何を求めているのか、疑念と不安が両立していた。




「教団に身を置き、スラエヴォでは、アルティリアを討ち果たした。それで、教団内部では重きを為すようになったけど、フェスティアの登極まで表に出ることはなかったわ。その後はまるで帝国の復興を待っていたかのよう」


「この地に生きる民のためには何を選ぶのが一番良いのか。それだけの事よ?」


「死んだキーリアの子を身籠もったのも?」


「好きな人とのことは別よ」




 ユマの言に、フォティーナは、一瞬目を丸くするが、すぐに柔らかな笑みを浮かべて自身の腹部を撫でる。




「どうだか。その愛した人を地獄に送り込んだ癖に」


「それも必要だから。それと……」




 そんな仕草にわざとらしさを感じたユマは、長年理解しがたい友人の行動にますます疑念が募る。


 しかし、不敵な笑みを浮かべて身を乗り出してきたフォティーナに対し、思わず身を引く。




「な、なに?」


「男嫌いのユマさんは嫉妬かしら?」


「な、何言っているのよっ!!」


「ふふふ。どうやら、躾直しが必要なようね?」


「ちょ、ちょっとっ!? 巫女様はどうするのよ?」


「問題ないわ。それじゃ、こっちにね」


「えっえぇっ!? ちょ、ちょっと、ええっ!?!?」



 慌てるユマの衣服を掴み、空き部屋へ引きずっていくフォティーナ。しかし、先ほどまで浮かべていた妖艶な笑みはそこにはなく、ひどく冷たい表情がそこにはあった。




(ただの偽善者だと思っていたけど。そりゃあ、だんだんと学んで行くわよね。でも、今はちょっと邪魔よ)



 そんなことを考えたフォティーナは、友人の意外な成長に喜びと小賢しさの双方を感じた。



(聖職者の癖に、こっちには弱いのが問題だけどね。まったく、何が良いんだか?)



 暴れるユマを抑えつけたフォティーナは、凍り付く心を無理矢理の溶かしながら、ユマの唇をふさいだ。

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