第4話 戦の足音
少々時間を空けてしまい申し訳ありませんでした。
しんしんと降り積もる雪が都市を濡らしていた。
セラス湖のもたらす大雪であったが、水分を多く含んだ雪は、冬の最後のあがきを表しているように思える。
「冬も終わるか」
テラスに立ち、眼下に整列する兵士達の姿を一瞥したフェスティアは、降りしきる雪を見つめながらそう呟く。
思えば大寒波とともに現れた敵。
教団一派の寝返りによって占領されたペテルポリスより発せられた戦書により、帝政リヴィエト・マノロヴァ王朝と名乗ることは分かっていたが、その電撃的な攻勢はフェスティアも初めて目にする衝撃であった。
猛吹雪の吹き荒れる極寒の季節に、大型獣を中心とした戦力を投入し、寒さという生物にとっては最大とも言える自然の脅威を退け、その後は、補給面をまかなう巨大な移動要塞から続々と戦力を投入して防衛線を圧倒していく。
戦線の突破に関しても、多方面に大軍を投じて同時に攻略していく多方面作戦を採用し、スカルヴィナ方面の守備隊は簡単に包囲されていった。
元々、精鋭主義であり、正面攻勢に重きを置いたパルティノン軍であったが、倒しても倒しても襲いかかってくる敵の姿は精神的な衝撃も大きく、攻勢が限界に達する頃には包囲下にあるという悪夢。
結果として、スカルヴィナ、カレリアの切り捨てを決断させるには十分なほどの攻勢速度であったのだ。
両地方の住民がどうなっているのかを、今のフェスティアをはじめとする帝国首脳部が知るよしもなく、彼らが辿る運命における責任はいずれフェスティア等が背負わねばならぬ事実として明るみに出ることになる。
「それにしても、相変わらず年をとらぬモノだな。キーリアというのは」
テラスより室内に目を向けたフェスティアは、執務室内に立つ一人の男に対して視線を向ける。
今でこそ将軍の衣服に身を包んでいるが、かつては白を基調とした衣服が象徴する帝国の守護者キーリアとして北辺を守備していた男、ヴァルター・モルディス。
今となっては、公式に生存している唯一のキーリアであった。
皇妃達の戦死、グネヴィアの離反、イレーネの粛清など、上位№達が非業の死や裏切りによって帝国を去っていく中、その屋台骨を支え続けた男。
年の頃は30を迎える頃であったが、外見自体は長身の美丈夫という20歳前後の頃と変わっていない。
「若さこそが力の根源であります故。しかし、いつこの身に終わりが来るのか。と怯えてもおりますが」
「恐れを知ることは強さでもある。特に、守勢においてはな」
そう言うとフェスティアは起立しているヴァルターに着席を促し、その様子を見つめていた他の将軍達もそれに倣う。
その光景を一瞥すると、フェスティアは立ったまま長机に両手をのせ、身を乗り出すようにしてその場にいる将軍達に対して口を開いた。
「さて、先遣隊は先頃キエラに到着し、現地守備隊との合流と付近の住民慰撫を開始した。いまだ、大地は雪に包まれ、人々の生活は停滞しているが、それは敵とて同じこと。先頃の突然の侵攻に対して後手に回り続けた我々にとっては、この豪雪は救いの雪となった」
フェスティアの言に将軍達も一様に頷く。この中には、スカルヴィナやウヴァルイ高原の生き残りもおり、すでに敵軍の恐ろしさは全員が認識している。
教団のキーリア達によって先鋒を担った大型獣部隊は壊滅しているが、敵の戦力自体が大きく漸減したわけでもなく、こちらは領土を大きく削り取られたままとなっているのだ。
「それでは、現状を説明してもらう。ゼークト、頼む」
フェスティアの言に頷いた初老の男は、貯えた口ひげを撫でると、片目にモノクルをかけ、横に置かれた水晶に手を置く。
ほどなく、室内に設置された壁面に大陸北西部の地図が投影される。
「現状、敵軍の占領区域はこのようになっております。スカルヴィナ、カレリア両地方は完全に制圧され、ウヴァルイ高原の陥落により、ルーシャ地方北部も影響下にあると見て良いでしょう」
地図が投影されるとゼークトは部下に水晶への魔導注入を交代し、状況の説明へと手中する。
ゼークトの説明通り、大陸北西部からふたつの房のように垂れ下がる半島が赤く染まっていき、それは房の根本から広大な大陸北部へと広がっていく。
敵の侵攻から約三ヶ月が経過しようとしていたが、広大な地方がこの短期間で制圧されたことは彼らにとっては夢を見ているかのようにも思える。
「現在の敵軍は、フォーウィンド地峡を抜け、ペテルポリスに集結しつつある。ロヴァニエミに留まっていた浮遊要塞もゆっくりと南下を続けている様子であり、ウヴァルイ高原を攻略した部隊の集結を待っているところであろう」
そんなゼークトの言に、北辺から赤い光を灯すペテルポリスに向かって矢印が伸びる。
それに対し、こちら側は帝国各地からペテルポリスのほぼ真南に位置するキエラに向かって青色をまとった矢印が伸びていく。
「敵軍の内情であるが、諜報部隊も決死の潜入を試みており、確実に解明は進んでいる。そこで、特筆するのはこれでしょうな」
すると、画面は地図から写実的な絵画が投影されていく。
「これは……?」
その絵画に対し、居並ぶ将軍達が思わず感嘆の声をあげる。
そこに映し出されていたのは、簡単に言えば、移動する大型の箱である。
映し出され行く絵画には、パルティノン側の兵士からの攻撃をはねのけ、隙間から弓矢や投石などを繰り返した後、防御策や鉄線を打ち破っていく様子である。
その後は、こちらからの火計によって燃えさかっていくが、そこから数十人の兵士が飛び出してきてこちら側へと襲いかかってくる。
「火には弱いが、刃を跳ね返すだけの防御は持っている。それと、特筆すべきはその速度。我が軍の騎兵と遜色ない速度で大地を疾走して来たと」
最初の一枚である浮遊要塞やその後の獣人部隊に関しては全員が情報として聞き入っていたが、今画面に映し出されるそれを見るのは、スカルヴィナ方面の生き残り以外は初めてであった。
「正直、はじめは何が起こったのか理解できなかった。兵達がなぎ倒され、こちらの陣地へと深入りしてきて兵士が飛び出してくる。火計がもっとも効率がよいとは思うが、内部には消火用の水もある程度は確保している様子でな」
スカルヴィナ方面の生き残りの将軍が、それとの戦いを回想しながら口を開く。彼にとっては、何事も初めてのことであり、その衝撃の度合いは今の顔色を見てもうかがい知れる。
「法術ではどうなのだ?」
「威力寄りましょうが、四段階ならば一撃で屠ることは出来るだろうと思われます」
「現実的ではないな。術者がすぐ使い物にならなくなる」
フェスティアの問いに将軍が答えると、フェスティアも力なく首を横に振りながらそう口を開く。
以下に優秀な法術使をもってしても四段階ともなれば、連続での使役は困難になってくる。アイアースやミュウのような肉体強化を受けている人間でも四段階の連射は相当困難であり、五段階にまでなると相当な無理がかかる。
アイアースがアウシュ・ケナウ監獄でアイヒハルト達に完膚無きにまで叩きのめされたのは、実力差以上に事前に使役した法術による消耗も大きかったのだ。
「対応策としては、車輪の破壊でしょう。複数の車輪を恐らくですが軟性樹脂で覆い、悪路でも高速走行が可能になっている様子。逆にいえば、一つでも破壊されれば、その機動性は一気に失われることになります」
「獣人部隊を蹴散らし、こやつらを止めて初めて大兵力同士の正面衝突となるわけか……」
ゼークトが再び映し出された絵画の車輪部分を指揮棒でなぞりながらそう告げると、フェスティアも静かに頷きながらそう口を開く。
実際、車輪を破壊されてただの箱になった車両の絵もそこにはある。
「さようです。しかし、最大の脅威は……将軍、語ってやってくれ」
敵の戦闘車両の類に困惑していた将軍達もゼークトやフェスティアの言に頷き、対応法に関しては周囲の者達を語り合いはじめる。しかし、その光景を一瞥したゼークトは、部下に画面を変えさせて再び口を開く。
彼の言に、他の将軍とは異なり、一人顔を顰めていた将軍も頷き、再び口を開く。
「はっ……、地平を埋め尽くすほどの兵士。総戦力は不明でありますが、敵兵士達に転進や後退というものはありませんでした。我が方のように精鋭であるが故、ではありませぬ。全身に刃を突き立て、弓を突き立て、法術によって焼き尽くされてもその首を飛ばされるまでは前進を止めません」
「……まるで、信徒兵のようだな」
「うむ。おおよそ、生気を感じるものではない。敵兵士の多くはやせ細り、どこにそれほどまでの力があるのかも皆目見当がつかぬのだ」
将軍の言にヴァルターがそう呟くと、将軍も頷く。
「ふむ……、なんにせよ、これから我々が対峙する敵は、これまでの者とはことなる未知なる敵と言うことだ。各々、そのことを忘れることなく、指揮に当たれ」
そして、それらに対して重々しく頷き、口を開いたフェスティアに対し、将軍達は頷くと、会議は各種の編成へと移っていった。
そして、各種編成の確認を終え、将軍達が次々に退出していき、室内に残ったのはフェスティアと彼女の近衛の他、ゼークト、リリス、ヴァルター、そして、先ほどの編成でヴァルターとともに西部方面を担当するメルヴィル、オリガの5名が残される。
メルヴィル・シェルナーは階級は狼騎長であり、騎兵一万人をまとめ上げる歴戦の指揮官である。平民出身の中肉中背、黒髪黒目の平凡な容姿であるが、このあたりでもめずらしい眼鏡をかけており、そこから漏れる鋭い眼光が冷静な指揮官たる様を表している。
オリガ・スィン・ヴォルクは、階級は兵士一万人を指揮する天士長。
長く続く帝国軍人の家系出身で、教団と共和政権による粛清によって一族の大半を失い、ヴォルク家の当主になった女性軍人である。
西方出身の一族であり、ヴァルターと同じく金髪碧眼の容姿をしているが、その容姿は、整っている割りに自己主張の少ない大人しい性格をしているため、同等たる態度をしているフェスティアや彼女と瓜二つなリリスと比べるとそれほど目立つものではない。
そして、この二人とともに西部方面を指揮し、それを総括するのがヴァルターであった。
「貴官等に残ってもらったのは、これを見てほしかったからだ」
フェスティアは三人に対し、昨日自身の元に届けられた書簡広げる。
それに視線を落とした三人のうち、ヴァルターがおずおずとそれを受け取り目を通す。
二人もそれに倣うと、少々驚きを含んだ表情を浮かべはじめる。
「たしかに、アンサイルス湖には氷の橋が出現するという話を聞いたことはあります。地下から噴き出す水が凍結することで頑強な氷塊が出来ると」
「? 水が湧き出すところは凍らぬものでないのか?」
「もちろん、水面自体は凍らぬ。ただ、アンサイルス湖は水中に氷石の成分を多く含み、水圧も強い。それ故にわき水の類は水面から顔を出し、冷気によって瞬時に凍結する。といっても、完全な氷石に対する水の割合も多いから春になれば溶けてしまうが」
開口一番、西方エウロス地方出身のオリガが口を開く。
今でこそ、軍人として帝都をはじめとする帝国全土を渡り歩くが、忌まわしき悲劇が起こるまでは西方にて過ごしていたこともあり、話自体を聞き及んでいる。
とはいえ、西方とて厳しい冬があるには変わりなく、彼女も目で見たわけではない。
そのため、メルヴィルの言にも少々困惑しつつ答えていた。
「うむ。私も、研究者に尋ねたが、同様の話を聞くことが出来た。少数であれば、軍隊の通過も可能であることもな」
「書簡には、数千規模の人員が確認されたとあるぞ?」
「不可能ではない。いや、ある程度の犠牲は覚悟してのことでしょう。我々が予想だにしないところから、ある程度の規模を持つ部隊を埋服することが出来るのですからな」
「相応の精鋭を送り込んでいると言うことか?」
「おそらくは」
ゼークトの言に、フェスティアが口を開くと、他の四人もゼークトの言に頷く。
こちらの横腹を突く形になり得、長期間の埋服にも耐えられる部隊。おろらくは偽装の類も可能な精鋭勝つ特殊な部隊でもあるのであろう。
西部を預かる3名にとっては事前に情報を得ることが出来たことは僥倖とも言える。
「では、こちらも相応の対処をするといたしましょう。状況を鑑みれば、泥濘期に攻勢をかけてくることも考えられる。奇襲にはうってつけです」
「うむ、だが、あえてこちらからも仕掛けさせる」
ヴァルターの言に二人も頷き、奇襲による撹乱の心配は薄れる。三人とも軍の指揮官としては十分に若いが、それ相応の経験と才覚を持って抜擢されている指揮官である。
しかし、その三人を頼もしく思いつつも、若き主君はそれ以上に好戦的であった。
「西部に駐留する部隊を向かわせるのですか?」
「いや、ユトラル地橋からの攻撃に備える以上、下手に動かすことは出来ぬ」
「それでは、まさか?」
ヴァルターの問いをフェスティアはやんわりと否定する。
ユトラル地橋とは、文字通り大地の橋。
スカルヴィナ地方南部からエウロス北西部につながる陸地であり、海洋とアンサイルス湖を分け隔てている。
その間隙は僅かしか無く、軍隊の通行は困難を極めるが、氷塊を抜けてくることに比べればはるかに易しく、規模も大きくすることが出来る。
フォーウィンド地峡を確保している以上、そこまでの危険を冒す価値があるとは思えなかったが、それでも西部をがら空きにしておいてやる必要は無い。
「さすがに、我々も動くことはせん。――その書簡を出してきたヤツ等にやらせるつもりだ」
「なるほど……、いよいよかれらを」
「む? 民に害を為す過激派集団を使われると?」
「パルティノン解放戦線を名乗っていると言われておりまするが……。その実は、民に害を為す者達であると聞き及んでおりますが」
その言に、ヴァルターは納得したよう頷くが、メルヴィル、オリガの両名は訝しげな表情を浮かべながらそう口を開く。
「きれいごとだけでは民は救えぬ。教団の表に出ぬ工作に対して汚れ役をやらせていたのだ。すべては、私の指示でな」
「陛下。では」
「軽蔑するか? 普段から民を導き、民のためと口にしている女の本性に対して」
「必要であることならば、受け入れるのが我々でございます。与えられた任務を全うすることが軍人の責務。そこには、悪鬼にならねばならぬ時もございます」
「ですが……」
二人にフェスティアを否定する事など出来るはずもない。
彼らは国家と皇帝個人に忠誠を誓い、これまで戦ってきたのである。若くして軍の要職にあるのも、フェスティアの積極的な外征があったが故。
それでなくとも、登極以来、権力闘争や外征に身を投じながらも民のために生き続けているフェスティアの姿を二人とも知っている。
それでも、彼らにとっては一種のテロリズム集団である解放戦線を受け入れるということは難しい様子であった。
「今は、許せ。としか言えぬ。そして、彼らが失敗したときは貴官等の出番となる。そのことだけは心しておいてくれ」
いまだ納得せぬ両名に対し、フェスティアは伏し目がちにそう言うと、二人はそれ以上何も言うことは出来なかった。
「お前には苦労をかけるな」
「いえ、あの二人も分かっておりますよ。ただ、多少のしこりがあるだけです。それに、彼女の苦労に比べれば」
「望んだことであるとは言え……か。生き残ってしまったことへの負い目があるのであろうが」
「ヤツはどうしているのです?」
「北辺へと潜入させた。とはいえ、ヤツの本領は会戦だ。そのうち戻ってくるだろうさ」
会議を終え、私室へと戻ったフェスティアは、ヴァルターとリリスをともない、一息ついたところであった。
メルヴィルとオリガの心情も理解でき、それをなだめるのはヴァルターの役目となる。
とはいえ、彼らに必要以上の負担をかけることにはならないであろうというのが、フェスティアの中にはある。
「さて、リリス」
「はい」
そして、それまで一言も発することなくフェスティアの言を待っていた、彼女の分身とも言える女性へと向き直る。
「行ってくれるな?」
「はい。謹んで、承ります」
互いに見つめ合い、力強く頷き会う両者。
その光景に対して、ヴァルターは二人の結びつきの強さを感じるとともに、妙な胸騒ぎを覚えずにはいられなかった。
冬の終わりと同時に近づく戦の気配。流れる血が消えゆく雪とともに大地に流れる時は刻一刻と近づきつつあった。




