第26話 白銀の挽歌⑤
身を切り裂く凍てつく冷風が粉雪を舞あげている。
永久氷域より南に広がるこの大地も、冬期はそれ同じくすべてを凍てつかせる死の世界へと成り代わる。
だが、この凍てつく大地にも人の営みは有り、かつてはいくつかの国家群が覇権を争っていた時代も存在する。
しかし、いま、この氷の大地は、生あるものすべてがその営みを停止し、不気味な静寂によって支配されている。
その静寂の中にただ一つ人の営みが存在する地。
だが、その地にいる者達は、本来であればその場に存在しているはずのない者達であった。
不気味なパイプオルガンの音色が奏でる広間。
そこを見下ろすように玉座に腰を下ろす一人の男とその傍らに佇む少壮の女。
そこから一段下がった広間には、文武の臣下達が居並び、中央には赤い絨毯が広間の入り口にまで敷き詰められている。
そして、その絨毯の上を数人の男女がゆっくりを歩みを進め、階段の前まで来ると膝を折る。
「大帝陛下にはご機嫌麗しく。東部方面軍総司令バグライオフ以下五名。参上仕りました」
一同を代表するように壮年の男が口を開く。
やや面長で眠そうな垂れ眼が印象的な中肉中背の男であるが、左の眉から右の頬にかけて刻まれた深い刀傷が、ともすれば弱々しく写る男の容姿を人目につくようにしている。
その傷は、さえない容貌とは裏腹に長く戦場を渡り歩いてきた事実を何よりも物語っていた。
「バグライオフ将軍。スカルヴィナ方面の平定。よくぞ成し遂げてくれました。大帝に成り代わり、お礼申し上げます」
「ヴェルサリア参謀総長閣下。もったいなきお言葉に。パルティノン兵は真に勇敢であり、尊敬に値にする敵手でございました。なれども、大帝陛下よりお借りした精鋭達もまた勇壮かつ精妙。お褒めのお言葉は、奮戦いたした兵達の心に響くことでしょう」
「そうですね。――それでは、陛下」
バグライオフ将軍の言に、ヴェルサリアはそのどこか魔女めいた容姿に柔らかな笑みを浮かべながら口を開く。
形式張った言葉であれ、この一見すれば皇帝の愛妾にしか見えぬ女がこの地位にあるのは、その知性や能力のみならず、こうした賞賛を計算無く口に出来ることにある。
そして、勇将からの裏のない言質をとると、玉座に腰掛ける男へと向き直る。
鍛え抜かれた体躯を包んだ漆黒の衣服に外套の赤い裏地と彼の灰白色の髪がよく映え、すでに壮年期を過ぎているにもかかわらずその外見は鋭気に満ち、鋭い両眼からは獰猛な光が溢れていた。
男は名をツァ―ベル・マノロフ。
帝政リヴィエク・マノロヴァ王朝第三代皇帝にして、“大帝”の称号を得た男である。
「ご苦労であったバグライオフ」
短くそう告げた大帝ツァーベルは、手をあげてバグライオフを段上へと招き寄せる。
そして、ツァーベルはヴェルサリアから渡された勲章を手に取ると、段上へと上がってきたバグライオフに対して直々に勲章を授与する。
「ふ、あまり私の楽しみを奪うな? 貴官の忠勤は賞賛に値する。だが、ここのところ、骨のある敵手と会う機会がない」
「お戯れを。陛下のお手を煩わせる人間は、すでにこの世にはおりますまい」
「それはそれでつまらぬ」
授与の傍ら、こんな会話を交わす主従。
お互いに壮年を迎えたが、それまでは長く戦場をともにしてきた間柄。しかい、一方は皇帝としての栄華を極め、一方は臣下の地位に甘んじている。
生まれの違いと言ってしまえばそれまでであったが、栄華を極めた男が臣下を羨む光景はどこか異質でもあった。
バグライオフが壇上から降りると、ともに参上した将軍達にも同様に勲章が授与され、彼らもバグライオフとともに文武百官の列に居並ぶ。
「諸君の奮闘により、我々は戦略目標の大半を達成することが出来た。残るは、このカレリア南部の都市カミサ及びペテルポリス」
「先遣部隊を派遣いたしましたが、現地の守備隊により全滅いたしました。交戦は禁じておりましたが、予想されたとおり無視されております」
「ふむ。スヴォロフ、例の者達はどうなっている?」
そうして玉座へと腰を下ろし静かに口を開いたツァーベルの言に、ヴァルサリアが戦況を告げる。
東部スカルヴィナ全域の制圧には成功し、西部カレリアの制圧も時間の問題という状況。
残るはカレリア南方ルーシャ地方へと抜けるウヴァルイ高原、フォーウィンド地峡をどう突破するのかという課題が残る。
ウヴァルイはパルティノン側も強固な防衛線を用意し、持久面でも相当な優位に立たれている状況。となれば残るは天然の要害であるフォーウィンド地峡を抜ける道となる。
天然の要害と言えど、それは防衛線構築の難しさが両立する。
事実、地峡に配置された部隊は少なく、地峡出口の町カミサに精鋭を配置し、その後方に州都ペテルポリス前面には巨大な湖を左右に防衛線が構築されている。
堅固な要塞が築かれているウヴァルイに比べれば、あくまでも軍団による防衛線に過ぎないフォーウィンド側に兵を進めるべきと言う見方が常道であるが、誘い込まれているようにも彼らの多くが感じていることである。
そして、彼らとしてもキーリアの存在までは明確に掴めていなかったのだ。
「? スヴォロフ。聞いているのか?」
そして、罠の可能性を考慮しているツァーベルは、武官の筆頭格である老将に対して口を開くが、スヴォロフと呼ばれた老将は、眼を閉ざしたまま身体を小刻みに揺するだけで口を開こうとしなかった。
「……おのれっ。アンジェラ。補聴具を耳に突っこめっ」
「はっ。――――閣下っ!!」
「ぬおっ!?」
スヴォロフは背後に控える女性士官に鉄製の筒を耳に押し込まれ、大声で覚醒を促され、目を丸くする。
ツァーベルを助け、数多の戦に勝利してきた歴戦の老将であったが、普段から奇行が目立つ人物としても知られている。
「まったく。耳が遠くなったのをいいことに浪曲の歌詞でも考えておったのか?」
「なんと、大帝陛下は我が心内をお読みになられたかっ!?」
「ヴェルサリア」
「ははっ。――ふんっ!!」
「あいたっ!? ろ、老骨に鞭を打つのはひどいですぞ」
今回も聞こえにくいことをいいことに、私生活ので趣味である浪曲の歌詞を考え、脳内でリズムをとっていた様子であり、ヴェルサリアに鞭でもって制裁を受ける。
もちろん、ツァーベル以下の百官達には慣れたことであり、やや格式張った場を和ませることに一役買っているのだが、時折過ぎた行為が出ることもあるのが玉に瑕であった。
「それと、あやつらならば、首を長くして出撃の時を待っております。後方に控える部隊も、ここに控える血の気の多い連中が居ります故、何の問題もありませぬぞ」
そう言って、スヴォロフは腰に下げた鈴を静かに鳴らす。すると、広間の外から、ゆったりとした外套に身を包んだ男女が入室してくる。
百官達の視線を受けつつ、ツァーベルの眼前にまで進み、膝を折った2人は、不敵な表情を浮かべたまま口を開いた。
「大帝陛下にはご機嫌麗しく。此度の出撃の時を一日千秋の思いでお待ちしておりました。カミサ・ペテルポリスに蠢く害虫どもの駆除は私にお任せください。大帝は、その後に控える聖帝フェスティアとの戦いをお楽しみくださいませ」
「ふふ、頼もしいことですわ。パーシエ。――――いえ、“女帝”テルノア・ハトゥン殿。ですが、この度は負けることは許されないのですよ? 大帝の恩寵無くば、貴方は無念を抱えたまま、怨霊となってこの世界を彷徨い続けていたのですからね」
「ヴェルサリア総参謀長閣下。記憶を失ったとは言え、私にも武人としての矜持は残っております。再び敗れ去るほど腐っておりませぬ」
言葉を交わす二人の女傑。
片や深窓の姫君の如き線の細い容姿に魔女めいた魅力をたたえる女性。片や、全身から覇気を放ち健康的かつ壮健な美を体現する女性。
決して相容れることのない何かが、二人の間には存在していた。
「ふ、頼もしいな。よかろう、我が新鋭部隊のすべてを連れていけ。カミサからペテルポリスにはそれなりの戦力が整っている様子。一切の容赦はするな」
「御意。およそ、生命の存在しない土地にしてご覧に入れましょう」
「ネズミ一匹どころか、虫一匹まで根絶やしにしてやれ。期待しているぞ」
「はっ!!」
パーシエと名乗った女は、かつてオアシス一帯にその名を轟かせた“女帝”テルノア・ハトゥン・フェルシムア。
オアシス国家群を率いて教団の手に落ちた帝国を救うべく決起した女傑であったが、皮肉にも救出対象である“聖帝”フェスティアによって討ち取られ、彼女が再び表舞台に立つ贄となった女性である。
しかし、志を持った女傑を襲った屈辱的な事実は、彼女に現世へと未練を色濃く残すことになる。
そして、それを人の心すらも弄ぶ者達につけ込まれ、生前の記憶を塗り替えられる形で現世へと蘇ったのである。
人にあらざる存在へと成り代わる代償の果てに。
そして、今の彼女の心のうちにあるのは、かつて救い出そうとして帝国への思いではなく、自分に屈辱を与えた帝国への復讐心。
そして、純粋に強者との戦いを求める武人としての矜持のみであった。
そんなテルノアと部下であるガル・イナルテュクの後ろ姿を一瞥したヴェルサリアは、居並ぶ百官達の中から戦装束ではなく、法衣に身を包んだ男へと視線を向け、口を開く。
「法科将軍ヴェージェフ」
「……はっ」
「そなたもともに行きなさい」
「…………はは」
「テルノアを監視なさい。そして、状況次第ではかの物の使用も許可する」
法科将軍とは、主に刻印による法術によって戦う部隊の指揮官である。膨大な戦力を持って敵を蹂躙することが主となる帝政リヴィエクにあっては少数部隊であるが、精鋭として成り、同時に戦場における武人同士の礼儀の類を無視した戦いをすることもで有名であった。
「女だな……ヴェルサリア」
「すべては陛下の御為に……」
そして、その様子を咎め立てすることなく見つめていたツァーベルは、静かにヴェルサリアに対してそう告げると、ヴェルサリアもまた先ほどまでの魔女めいた雰囲気を取り払い、一人の女としての視線を向けていた。
◇◆◇
結論が出て以降のシュレイの判断は早かった。
まず、重篤な者はカミサに残し、歩くことの可能な者達のみを脱出させること。そして、その護衛はカミサ守備隊3000が務めることになる。
先の戦闘において、キーリア達は元より近衛軍にも大きく後れをとった彼らは、難民護衛という名目の元、町から離れることになる。
温厚な司令は、自分達が足手まといになりかねないことと自分が汚れ役を引き受けることですべての責を負えばよいと決断したのである。
そして、重篤な者の護衛はフェルミナ以下パルティノン解放戦線の者達に担わせる。
「現状、これがこちらが打てる最良の判断だ。もし、君達が頷かねば、当初の予定通りに全員を町から離脱させる。町に居座るとなれば……分かるな?」
「…………指揮官であるシュレイ殿ではなく、なぜあなたが?」
「その理由は君が頷けば話す」
フェルミナに対し、冷然と言い放つアイアース。
たしかに、指揮官でも副官でもない人間の口から出た言である。信用に値しないことは当然でもある。
加えて、今回の決定。察しがよければ、難民達の粛清の可能性をまず脳裏に浮かべるであろう。
そして、フェルミナは世間知らずではあるが、察しはよい人間に分類される。
「ふざけないでください」
「ふざけてなどいない。それで、どうする?」
アイアースの言に対してか、決定に対してか、それとも双方に対してかは分からなかったが、声を荒げるフェルミナに対し、アイアースは心を凍結させて決断を促す。
どちらの結果になったとしても、彼女はひどくつらい思いをすることになる。そして、真実を知らないままであることもまた。
「…………考えさせて下さい」
「今、決めるんだ」
自分でも残酷なことをしているとアイアースは思う。
かつては強引に自分の物にしたにもかかわらず、彼女が向けてきたのは信頼であった。だが、自分はそれを裏切り、彼女を残して敵に敗れ、彼女の前から消えた。
生きていてくれたことは幸いであったが、自分が彼女との約束を裏切ったことに変わりはない。
そして、今もまた残酷な事実を突き付けようとしている。
「私達を同行させない理由は?」
「残った病人達の面倒まで見きれないということだ」
「……どうして、どうしてそんなひどいことが出来るんですか? なんの罪もない。一方的な侵略に晒されて、なんとか助かった人達なんですよ? 私だって、手を汚さなきゃならないことも分かるつもりではあります。それでも……」
頭では分かっていることでも、確認せずにいられないというのは彼女自身も困惑が続いている証左である。そして、なおもとりつく島もないアイアースの態度に、フェルミナは崩れ落ちるように座り込むと嗚咽を漏らす。
苦労して救い出してきた難民達に待っている味方からの仕打ち。その思いが、決壊したのであろう。
「きれいごとをいうつもりはない。彼らにとっては、待ち受ける運命は残酷であるというだけだからな」
「戦いの邪魔になるのならば、排除するとでもいうのですか?」
アイアースの言に、顔を上げゆっくりと言葉を紡ぐフェルミナ。
こぼれでた涙が頬を伝っていた。
「彼らは埋伏の毒である可能性がある。それも、体内に埋め込まれた刻印を暴走させるという形のな」
「えっ!?」
そんな涙を見せられたアイアースは、その時点で耐えることが出来なくなっていた。
普段であれば、もっと冷徹に事実を告げて決断を促していたのかも知れない。それに、他の者達でも、フェルミナに対して同情する必要は無く、事実だけを告げて終わりであっただろう。
今回のこれは、アイアースのわがまま。結果として、それはフェルミナを苦しめ、自分自身の首を絞める結果になっている。
「肉体を媒介とした刻印が暴走すれば、被害は通常の法術とは比べものにならない。そして、暴走を止める手立ては一つしかない」
「そ、そんなことって……」
「本来ならば、通常の埋伏を警戒する。だが、君達は限りなく白であった。しかし、それならこうして君達が戻ってこれたこと自体がおかしいんだ」
少数の義勇軍が、収容所に捕らわれている難民達を救出してくる。
不可能の一言で片付けるのは簡単であるが、可能な人間であれば、義勇軍の戦力は壊滅状態になどなっていない。
意図的に逃がされたと判断する以外に無い状況だった。
「わ、わたし達はっ」
「努力は認めるし、その思いは尊いものだ。わたしとて、自由があるのならば君達とともにありたいとは思う。しかし、現実は非情だ」
「あなた方の判断が誤りであるという可能性は?」
「ある。だが、それを証明するには全員をペテルポリスにいる刻印師の元へと連れていかねばならない」
「で、でしたらっ」
「だから、守備隊3000を割いて動ける者達を進ませる」
「あ、貴方たちは……」
「任務を放棄し、教団に粛清されろとでもいうのか?」
「た、民のためならば……」
「無茶苦茶なことを言っている自覚はあるだろ? もちろん、姉上の命令であるならば、私は処刑台にでも上ってやる。だが、教団の策謀にのって粛清されるなど、まっぴらごめんだ」
「姉上……?」
「っ!?」
思わず口をついた言に、アイアースは思わず押し黙る。しかし、フェルミナも呆気に捕らわれた様子で、アイアースに視線を向けている。
その様子に、アイアースは所在なく首を振ると、手を伸ばして彼女の額に触れる。
「え、えっ!?」
ハギア・ソフィア宮殿において別れた際に施した結印。
相手に意思を無視した一方的なものであり、彼女を巻き込むところであったという後ろめたさはあったが、今となっては自分の正体を証明する手段としては、これ以上にないものとなっている。
改めて、彼女が落ち着いてから証明したかったが、自身の手落ちを補う形となってしまったことは悔いしかない。
「私が、君に告げに来た理由はこれだ。あと、決定は伝えた。結論は、君が直接シュレイに話せ」
そう言うと、アイアースは逃げるようにその場を後にした。
◇◆◇
部屋に戻ると、思っていた以上に息が荒れていることを自覚する。そして、正体を明かしたことがどれだけ危険であるかと言うことも。
ハーヴェイ等のような教団に忠誠を誓う者達も居れば、シュレイ達のように今のところは味方であってもその真意は知れない者達もいる。
全員が全員、ジル達のような信頼のおける人間ばかりというわけではないのだ。
「っ!? 誰だ、そこにいるのは?」
と、部屋の中に感じた異質な気配。アイアースは、腰に下げた双剣に手をやりながら、暗がりの中でベッドに腰掛ける人物に対して口を開いた。
「……っ、も、申し訳ありません。殿下」
と、暗がりからの声。眼をこらすと、見覚えのある肩まで伸ばした髪の女性が、慌てて立ち上がるところであった。
「何をやっているんだ? ファナ」
「え、えっと、その……」
先ほどまでの緊張の連続から解放されたアイアースは、自身の正体を知るキーリアの思わぬ行動に脱力する。
「あのなあ。私は皇族で、一般から見ればようやく成人を迎えた身。だがな、夜半に男の部屋に女がいたときにすることぐらいは経験があるぞ?」
そして、なぜか今は身のもやもやをぶつけたいような、そんな気分になっている。
もっとも、多少の悪意がある相手に対してぶつけたことはあるが、特段その類のない相手を一方的に傷つけるつもりもなかった。
ただ、今回はなぜか口にだしてしまいたいような。そんな気分であったのだ。
「そ、その……、ええとですね」
「だから、なんだよ」
「――――っ。殿下、今回の戦いは、恥ずかしながら私の実力では、生き残れる自身はありません」
「……そうかも知れないな。私とて、自信があるわけではない」
「殿下のお命は必ずや。それで……」
ようやく気を落ち着けることができたのか、ファナの口調や態度も普段のものへと戻って来ている。とはいえ、まだ落ち着かない面も残っているようであったが。
「私は、あの時に、命を救って戴いたお礼をまだ何もいたしていません」
「礼なら言われたと思うが?」
「…………っっ。殿下っ」
「むっ? どうした?」
そう言って、アイアースへと身を預けてきたファナをやんわりと抱きとめる。そうしてみて、初めて彼女の表情がどこか上気していることに気付いた。
「も、申し訳ありません。で、ですが……私はどうすればよいのか分からず」
「……なんとなく、気持ちは伝わった……かな?」
「はしたない女であることは分かっています。それに、鬼畜どもに弄ばれた身体であることも。で、で、で、で、ですが、お、お慕い申し上げております」
アイアースは新ためてファナの意図を察する。始めにアイアースが口にしたとおりのことを彼女は望んでいたことになる。
「……助けたのは、純粋に人助けの心からだ。今では、お前のことは大事な仲間だ。そういう気持ちを持ってくれたのは嬉しい。だが……」
「出過ぎたことだというのは分かっております。ですが、死にゆく前に、お慕いした方に身を……」
どうすればいいのかはアイアースにも分からなかった。
すでに過去の記憶であったが、純粋に惚れた女性とこういう関係になったことはないが、軽い気持ちでことに及ぶような女性とは関係を持ったこともある。
だが、今こうして純粋な思いをぶつけてくる女性を無下に扱うべきなのだろうかという疑問もある。
「私は怖いのです」
「ん?」
「私は、殿下やともに戦う方に比べ、技量で著しく劣っております。ですが、自ら死を選ぶという覚悟もなく……」
「そうか」
そこまで言ったファナに対し、アイアースは短くそう応えると唇を塞ぐ。
一瞬、目を見開いたファナであったが、その後はゆっくりと眼を閉ざした。
アイアースは、自分が卑怯者であると思いつつも、彼女衣服に手をかける。ともすれば、死へと向かいかねない彼女を自分が繋ぎ止めておく。という、大義名分を心の中で反芻しながら。
そして、先ほどフェルミナを傷つけたという自責の念と同時に、自分自身へも確実に迫りつつある“死”という現実の恐怖が、無意識のうちに彼の本能が人肌を求めてもいたのであった。
凍てつく大地を血で染める戦いは、目前へと迫っていた。




