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第25話 白銀の挽歌④

 指先に伝わる鼓動が落ち着きを取り戻していた。


 アリアは閉ざしていた目を開くと、寝かされた老人へと視線を向ける。衰弱が進み心音も低下していたが、危機的な状態は抜けている。

 指先に触れる違和感の類は、元々持っていたのであろう持病の類と思われるが、それらは刻印による法術で治せるものではない。しかし、それも心身の回復によって落ちつきを取り戻している。



「今のところは大丈夫。しばらく寝かせてあげればね」

「あ、ありがとうございます」

「じいさんが頑張っているだけのこと。私は応急をしただけ」



 老人の家族と思われる男女の言に素っ気なく答えたアリアは、すっと立ち上がると天幕を出て行く。



「よう、アリア。どうだ?」

「さあね。私ができるのは応急ぐらい。あんたの腕の時みたいなことをしてたら身がもたいし」



 広間に簡易的に張られた天幕からでてきたアリアに、ちょうど反対側から出てきたミュラーが汗を拭いながらそう口を開く。

 先頃、飛天魔の少女が連れてきた難民達であったが、相当な強行軍であったらしく、多くの人間が疲弊している。特に、身体の弱い老人や子どもの衰弱が激しく、回復系の法術が仕えるキーリア達も救護に駆り出されているのだった。

 とはいえ、傷や肉体疲労の回復は出来ても、持病や病原菌の除去までは出来ない。



「まあな。しかし、あの嬢ちゃんも面倒ごとを運んで来てくれたもんだ」

「心もないことを言わない」

「あ?」



 ミュラーの言にアリアは短くそう言うと、次の天幕を覗き込むが、そこでは家族とおぼしき少年と母親が静かに寝息を立てている。

 拍子抜けしたアリアは、ふっと一息吐くと、なんだか身体から力が抜けていくように思えた。



「なんだよ。ずいぶん、必死だったみたいじゃないか」

「汗かいている人に言われたくないわ」

「はは。まあ、なあ……」



 そう言って、ミュラーは飲んでいた水筒をアリアへと放る。

 受け取ったアリアは特に気にすることもなくそれに口を付けながら、周囲に視線を向ける。他のキーリア達も身を休めており、一段落ついたところであろう。



「面倒だったら、ここまでしないわね。なんの義理もないし」

「まあ、事のついでだ。昂ぶった血を沈めるにもちょうどいい」

「ふーん。さっきの裸の子はそういうこと?」

「うむ。お互いにな」

「それはお気の毒に。ついでに、私らの前じゃ、馬鹿なフリしなくていいんじゃないの?」

「それでは意味なかろう?」

「よく分からないけどね。そう言えば、お偉方は?」

「例の嬢ちゃんとお話中だ。行ってみるか?」



 水筒を返したアリアは、ミュラーの言に先ほど彼を呼びに行った際の光景を思いかえしながら答える。

 ミュラーも特に恥じる様子もなくそれに頷いる。


 前線ではよくあることという意識がお互いにあり、一々気にしたところでどうにもならないことである。

 キーリア同士というのは少し躊躇する人間は多いとはいえ、彼らの場合気の昂ぶりが刻印の暴走につながることもあり得ないことではないため、沈静化が必要なことも事実。


 もっとも、アリアは経験もないし、そのこと自体に及ぶ必要があるかどうかに関しては人それぞれであったが。


 そんなことを話しつつ、二人は上位№達が集まる司令室へと足を進める。他のキーリア達も疲弊しており、一応の上位にあたるミュラーが報告をするのは自然の成り行きでもある。


 飛天魔の少女のことも二人は気にかかってもいた。



「ん? なにやってんだカズマ?」



 開け放たれた司令部の入り口に佇む一人の男。


 外見だけならばいまだに少年の面影を残すキーリアであるが、年齢にそぐわない落ち着きと戦闘経験を有する変わり者。


 そんな印象が二人にはある。


 そんなカズマであるが、ミュラーの言に答える様子をみせず、室ネイへと視線を向け続けている。



「ですからっ、彼らにはもはや歩く気力も残っていないんです」



 再び口を開こうとするミュラーとアリアの耳に届く少女の声。


 その声は怒りと同時に焦りも含んでいるように思え、二人も少女に告げ等された事実を予想した。



「ここは間もなく戦場になる。それが分かっていながら、民を戦闘に巻き込むわけにはいかん」

「この吹雪の中を放り出すというのですかっ!? 北にて地獄のような思いをしてきた人々をっ!!」

「ここに残して、敵の侵入を許したらどうなる? ペテルポリス前面の防衛線はここよりはるかに濃密であり、医療設備も整っている。多少の無理への対価としては十分だ」

「しかし……」

「フェルミナ殿。貴方の気持ちはよく分かる。だがな、司令の制止を振り切って北へと突き進んだ貴方の仲間はどうなった? 気持ちだけでどうにかなるほど、この戦いは甘くはないのだ」



 シュレイとフェルミナの口論のようである。


 その内容から予想するに、フェルミナは難民達をカミサにて保護し、衰弱した者達の体調回復や天候の回復を待つという主張をしたのに対し、シュレイ等上位№達は、早めの避難をすすめていると言ったところであろうと二人は思った。



「貴方たちは帝国のキーリアであるはずっ。本気で民をこの極寒の大地に放り出すつもりなのか? 本当に、かつての志を失ってしまったのか?」

「勘違いするな小娘。我々は、帝国ではなく巫女様の勅命のままに動く衛士。この地の守護を命ぜられた以上、その命が何においても優先される」

「ハーヴェイ。発言を許した覚えは無いぞ?」

「俺が、いつからお前の臣下になったんだ?」



 フェルミナの言が癪に障ったのか、彼女を睨み付けるように口を開いたハーヴェイに対し、居丈高に言い放つシュレイ。

 先ほどの捕虜の処分に関しても意見が食い違っており、積もり重なった苛立ちからハーヴェイも口調が変わっている。元々、殺戮を好む性分の男であり、こちらが本性であるようであった。



「上位№が指揮権を有するのは巫女様からの指示。まさか、忘れたわけではあるまい?」

「捕虜達の処分も今回の指令も巫女様からのご指示。それを自らで曲げている貴様が何を言うんだ」

「私はこの場の指揮官だ。現場に即した命令を出すのは当然」

「二人ともいい加減にしな。だがね、フェルミナ殿。私達の意見は変わらない。個人的に、難民達を救ってくれたことは感謝するわ。だけど、私達も民間人を守り続けながら戦うことは敵の力量からも不可能だ。貴方も、戦いに身を置くのならば分かることだと思うけど?」



 そんな二人のいがみ合いに、ポニーテイルを揺らしながら頭を振ったセイラが割って入る。

 そして、彼女もまたフェルミナに対しては同調することはなく、ジルやシャルもフェルミナからの視線に力なく首を振るだけである。


 ジルは難民の保護を唱えたいという気持ちもあるようだが、状況がそれを許していないことも理解している。それ故の苦悩であろうと推察できる。


 そして。



(シャルがあんな顔するなんてな)

(カワイイモノ好きなんじゃないの?)

(真面目になったときぐらい真面目に答えてくれ……)

(そもそも、彼女って飛天魔なんじゃなかったっけ?)

(あ……っ!?)



 小声でそう口を開いたミュラーに対し、アリアは素っ気なく答える。


 たしかに、シャルが感情を表に出すことはめずらしいが、それは飛天魔という亜人種故のこととも、同族に対しては感情を出すこともめずらしくはないようにも二人には思えた。

 もっとも、表情が普段以上に変わるというだけで、発言の類をしない点は普段と変わらないが。



「分かりました……。所詮は教団の犬ですね。偽善を振りまいて、民を支持得ているに過ぎないあなた方からすれば、民などしょせん捨て駒でしかないのでしょうけど」



 目尻に涙を溜めながらそう言ったフェルミナは、憮然としたままその場を後にする。

 その小さな後ろ姿をカズマが追いかけたことに一瞬顔を見合わせたミュラーとアリアであったが、フェルミナのことはカズマに任せ、不穏な空気になっている室内へと足を踏み入れる。



「処置の方は一通り済みました。それにしても、嫌われちまいましたね」

「仕方のないことだ。手段がない分けじゃないが」

「ふん、亜人ごときに同情するか。貴様はやはり危険なようだな」

「だったらなんだ?」

「っ!? なんの真似だ?」

「思い上がるな。貴様如き、いつでも処断できるのだ」

「それで勝ち誇ったつもりか?」

「なにっ!?」



 ミュラーが張り詰めた室内の空気を緩和するべく、砕けた調子で口を開くのもつかの間、緊張は破綻へと近づく。

 しかし、それを止めるべくハーヴェイの背後を取ったシャル。首筋に添えられた短刀が鋭い光を発しいる。

 その口調は、普段冷静かつ礼儀正しい彼女のモノとは思えないほど、攻撃的であり、先ほど見せた感情の変化がはっきりと表へ出ている様子だった。


 だが、ハーヴェイも余裕を崩さずに口を開く。


 すると、ミュラーやアリアは背後に冷たい何かを感じる。



「なんで俺達までなんだ?」

「我々の眼が貴様らを捉えていないとでも思っていたのか?」

「ああそう」



 突き立てられた刃物の感触に首を振りながらそう応えるミュラーと、同じようにアリアも面倒くさげに盛大な溜息を吐く。

 茶番というわけではないが、この手の抗争を戦の合間に行ってくる人間達に対してはいい加減嫌気がさしている。彼ら自身、粛清紛い晒されたことは一度や二度ではない。


 しかし、第三者にとって、そのような抗争などは不要かつ迷惑なものでしかなかった。



「いい加減にしろっ!! そんなに死にたいのだったら私が斬るっ!!」

「同感ね。はっきり言って迷惑。変なところで戦力を削られるのは」



 その光景を見つめていたジルとセイラは、両者の諍いに声を荒げる



「なんだと? 貴様ら、巫女様のご意志に逆らうというのか?」

「巫女様の意志って言うのは信徒あってのことだろ。それを守るのが私らの役目。あんたらみたいな味方殺しと一緒にされたくないね」

「そもそも、粛清は衛士の判断では許されん。ハーヴェイ。“者”がこの場にいない以上、貴様の行動は越権以外の何物でもないぞ?」

「ふん。死体が転がるだけならば、そのような手続きはいらん」

「では、我々と戦った後で、残った二〇名近いキーリアや精鋭たる近衛兵を相手取るのか? それで、カミサの守備を担うのか?」

「上位五人が相手ならともかく、あんたぐらいなら負けるにしても腕の一本ぐらいは貰えるよ? それでもやるの?」



 ハーヴェイも居丈高に二人に対して言い放つものの、それは二人の苛立ちを煽る結果でしかない。一桁後半達は基本的に実力は五分。ジルもセイラもハーヴェイに遅れととるつもりはないし、ここの居る者達が粛清されたとすれば残ったキーリア達が黙ってはいない。

 “者”の立ち合いの上での粛清ならばともかくとして、同格のキーリア達による粛清など単なる裏切り行為でしかない。


 しかも、今回の戦いでは教団に反抗的な者が多い。



「…………ちっ。いくぞっ」



 そして、状況の悪さを察したハーヴェイは部下達とともに足早にその場を去る。しかし、その表情にはあきらめという文字は浮かんでいない。


 一応の沈静を見たことが果たして吉となるのか、この場に居る者達には分からなかった。



「まったく。頭のおかしい連中のことは理解できん」



 思わずそう呟いたミュラーであったが、その場に残った全員がその言に同調する。激しい戦いを前に、味方からの攻撃にも耐えなければならないという事態も十分にあり得るのだった。



◇◆◇



 司令室での破局未遂のことはつゆ知らず、アイアースは前を歩く少女を追う。


 自身に宛がわれている部屋がこちらという理由や監視という理由もあったが、なんと言って話しかければよいのか分からないというのも本音である。


 もっとも、そのまま追いかけ続けるわけにも行かないアイアースは、たまらずに口を開く。



「おい、待ってくれ。フェルミナ殿」

「…………何ですか?」



 アイアースの言に、黒き翼をぴくりを振るわせ、ゆっくりと向き直るフェルミナ。

 その目尻には涙が浮かんだままであり、頬もいくらか赤みに染まっている。涙をこらえているというのはアイアースにも容易に分かった。



「まさかとは思うが、自分が守るからここに置いてくれとでも言うつもりじゃないよな?」

「答える気はありません」

「――――やめておけ。君だけじゃない。難民達もすべて殺されるぞ」



 フェルミナの言に、アイアースは心苦しくも事実を突き付ける。


 難民達にこれ以上の負担をかけたくない気持ちはよく分かるし、前哨戦はこちらの一方的な勝利に終わった。だが、あの程度の戦力を相手に負傷者を出したという事実。


 これからの戦いは激しさを増すことは容易に想像できる。



「安全な後方にこもるだけの貴方たちとは違う。我々は、地獄の北へと赴き、そこから帰ってきました。指図は受けません」

「運がよかっただけだ。いや、むしろ…………」



 フェルミナもまた、自身は北へと乗り込み、難民達を救出してきたという自負があり、かつて知ったるキーリア達への失望も相まって意地を張っているように思える。


 しかし、アイアースが口にしたように、運がよかったからとも思えるし、敵が意図的に逃がしたとも思える。


 そして、そこまで考えたアイアースは、ふととあることが自身の脳裏に浮かび上がる。



「まさか……っ」

「?」

「フェルミナ殿。捕虜達は収容所から救出してきたりしたのか?」

「? ええ。衰弱している方の大半ですが?」

「……そうか」



 予感で済めばよい。しかし、収容所から救出されて、衰弱程度で済んでいるというのがアイアースには気になった。


 アウシュ・ケナウ監獄で行われていた人体実験。その多くは人を獣へと変えてしまう類の者であったが、人体を用いた実験であれば、人を別の形で戦力化することもあり得るのではないかともアイアースには思える。


 先頃、潜入したアウシュ・ケナウ監獄にて行われていたこと。そこで見たことを考えれば、人はどれだけでも残酷になれることは分かる。


 そして、国軍があっさりと救出をあきらめるほどの状況になっている北の地に、小さな義勇軍が入りこんで難民の救助が出来るようなものであろうか?



「ちょっと待っていろ」

「なぜですか?」

「一部の難民をここで保護できるよう取りはからってやる」



 そう言うと、アイアースはフェルミナに背を向け、司令室へと戻る。話したいことは別にあったが、今は目先の事実を告げることの方が重要だった。



「失礼しますっ」



 司令室に戻ると、上位№達の姿はすでに無く、シュレイとミュラーの他は守備隊司令と近衛軍虎騎長二人がその場にいるだけであった。


 今後の防衛構想の話であろう。ミュラーはなんとなく居るだけであろうが。



「おうカズマ。お嬢ちゃんのお守りは終わったのか?」

「おいおい、あの手の小娘は手を出すとよけいに頑なになるぞ?」

「まだ出してねえっ!! って、そんな話じゃない。シュレイ、難民の避難だが、一部考え直さないか?」

「なんだ突然?」

「考えているとは思うが、埋伏の毒についてだ」

「……? 全員調べ上げはしているが」

「本人に自覚がない場合だ」

「洗脳か? セイラに探らせたが、そのようなものは見受けられんぞ? ……他に何かあるのか?」

「あり得ないことって前提で聞いてくれ」



 特に根拠があるわけではない。あくまでも、脳内に直接鳴り響いた警告の類が告げた話である。

 しかし、アイアースの言にはじめは困惑していた五人の表情がこわばり、額に冷や汗が浮かび始める。



「刻印に詳しいヤツを呼んでくれ。俺は、ミラに書を送ってみる」




 話を聞き終えたシュレイの表情は、それまでのモノよりも焦燥の色が浮かんでいた。

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