第23話 白銀の挽歌②
吹雪は一向に止む気配を見せなかった。
アイアースは、夜の帳が降りた後も、司令部にある見張り台へと上り、その視線を北へと向ける。周囲は雪に埋もれているせいが、夜にもかかわらず完全な闇に包まれることはない。
「聞こえるか?」
「ああ」
吹雪を見つめるアイアースの耳に轟く不気味ななにか。
この天候と戦の気配が聞かせる幻聴の類なのかとも思ったが、傍らに立つシュレイもアイアースの言に頷いている。
「北の地で何が起こっているのか。俺達に知るよしはない。だが、これは救出の手立てのない俺達へ対する怨嗟の声なのかもしれんな」
シュレイの言にアイアースも視線を落とす。
雪に埋もれる辺境の地であっても、そこで暮らす人々は存在している。
本来であれば、自分達は身命を賭してでも救出しなければならない者達。だが、今自分達がこの場を離れれば、待ち受けるのは容赦のない粛清。
カミサの後方に点在するように上位№達と残りのキーリアや信徒兵達が配置されているのは、単に後詰めという意味合いではないのだった。
「足止め役以外が許されない存在。かつては、帝国の屋台骨を支え続けたキーリアがこの様とはわな。先達が見れば嘆きもしよう」
「事の本質は我々の粛清だ。教団の幹部どもにとっては、今回の敵の侵略は反抗的な人間を片付ける絶好の機会でしかないのさ」
かつて、キーリアとして国のため、個人のために戦い、散っていった人間を知るアイアースは、今の自分の姿と彼らの生き様の差に思わず嘆く。
だが、シュレイは憮然としたまま教団の有り様を吐き捨てる。
教団最高幹部との繋がりがある故に内部を詳しく知る機会がある彼であったが、今となってはそれも無意味なことになっている。
「それが自分の首を絞めることに繋がるって言う認識はないのかな?」
「すでに誼を通じるぐらいはしているさ。いや、それどころか敵を招き入れたのも奴らかも知れんぞ?」
「まさかそこまでは……」
シュレイの言にアイアースは思わず押し黙る。
しかし、教団が帝国を目の敵にしているのは衆目に知れている。現状、フェスティアに敗れ、その参加にくだったように見えるが、慈善活動の名目で確実に信徒を増やし、帝国の中枢へとゆっくりと浸食している。
もし、それが巫女を中心とした教団による民の統治ではなく、未知なる敵の侵略の下準備だとすればどうなるか。
「考えたくもないことだがな」
アイアースの思いを代弁したシュレイに対して頷くと、二人は視線を再び闇夜と向ける。吹雪が運んでくる声はいまだに止むことはなかった。
「お二人とも。今宵は休まれて如何かな?」
そんな二人の背後から届く初老の男の声。
視線を向けると、この町の守備隊司令が見張り台へと上がってきていた。その手には、厚手の金属容器が握られており、注ぎ口から緩やかな湯気が立ち上っている。
「休む気になれなくてな」
「そういう時でも、無理に休んでおくに越したことはありませんよ?」
応えたアイアースに対して、苦笑した司令は、手にしたカップに飲み物を注いでいく。人体実験による肉体強化のため、寒さに対する耐性は常人以上であったが、ここまでの吹雪ともなればさすがに身体に障る。
そんな中での差し入れは正直ありがたかった。
「中々の味でしょう? こんな地で長く生きているとこいうのも上手くなっていきます」
独特の味がする飲み物であったが、身体が芯から温まってくるように思える。そんな二人の様子を、司令も満足げにアイアース等を見つめていた。
「こちらは長いのか?」
「ええ。入隊から北部戦域一筋でありまして。件の大親征でも留守居でしたし、8年前のあの時も何も出来ませんで」
「我々も似たようなモノだ。まだ、年端もいかぬガキであったがな」
「はは、私はいい年でありましたし、守るモノも何もなかったのですがなあ」
「家族は?」
「その先年の飢饉の際に……。軍人であっても、何もしてやれませんでしたわ。今となっては自分の無能が口惜しく思います」
そう言って、司令は寂しそうに笑う。
その視線は町の郊外へと向いており、そこには町の共同墓地があると聞いている。今となっては危険な場所であり、見た目からして凡庸そうな印象を受ける男であったが、命令以外にもここを離れない理由がたしかに存在している様子である。
「北はどうなっているのでしょうな?」
そんなアイアースの視線に気付くことなく、司令はカップに口を付けた後、静かにそう口を開く。
「分からない。ただ、後退してくる部隊は必ずここを通る。当然、侵攻してくる敵もな」
司令の言にそう答えるシュレイ。
スカルヴィナ、カレリア両地方からルーシャ地方へと抜ける道は、小さな間道を除けば強固な防衛線の敷かれたウヴァルイ高原を抜ける必要がある。
ここは帝国最盛期に、公共事業の一環として作り出された巨大防衛拠点であり、現在でも最新鋭の防衛設備を整えられた、平時であれば無駄でしかない鉄壁の防衛拠点なのである。
スカルヴィナ・カレリア両地方の切り捨てを、帝国軍首脳部があっさりと決断したのは、ここの防衛線の存在があるが故である。
そして、敵としても、フォーウィンド地峡を抜ければ、ウヴァルイ高原への攻略の必要性は無くなる。
フォーウィンドを抜け、ペテルポリスを攻略すれば、待っているのは帝都パリティーヌポリスまで続く巨大なステップ草原地帯。
ランドパワー同士の決戦ですべてが決まり、その時には後方の要塞など用を為さない。
包囲による降伏か飢えを待つだけになるのだ。
この他は、ウヴァルイ高原北部に位置する内海を越える手段もあるが、そこは永久氷域と同様にすべてを凍てつかせる死の世界である。
凍結による通行が可能とは言え、いつ何が起こるか分からぬ海の上、さらに死の世界を抜けてまで南下してきた敵が、再び同じような死の世界に舞い戻るとは考えがたかった。
「俺達には、こうして待つ以外に手の内ようはないんだよな……」
「気持ちは分かる。だが、実際のところ、北へ乗り込んだところで何が出来るか分からんのだぞ?」
思わずこぼれでる嘆き。
シュレイもアイアースの気持ちが分かりはするようだが、どこかで割り切っているところもある様子で、単身で乗り込んだところで何が出来る。との思いも強いようだった。
「そう言えば……」
「なんだ?」
そんな二人の言に、司令が何かを思い出したかのように口を開く。
「少数の義勇軍が、住民救助のために峡谷を抜けていったのですよ。我々も止めはしたのですが、意志は硬く抑えきれませんでした」
「無謀なっ。気持ちは買うが、義勇軍風情に何が出来るというのだ?」
「指導者はまだまだお若い女性でした。若さ故の行動。と言うことかも知れません。強引に求めるべきであったのかも知れませんが……」
司令の言に、義勇軍とやらの無謀さに声を荒げるシュレイと後悔を募らせる司令。
しかし、アイアースからすれば、無謀ではあっても自由な翼を持つ者達のことをうらやましく思う気持ちもたしかに存在していた。
だが、それらに行く先を知ることも、それを追うことも今のアイアースには出来そうもなかった。
◇◆◇
暗幕の中央に灯る複数のパネル。
伝導クリスタルという特殊な鉱石を用いて作り出されたモノであり、遠く離れた場にあっても、互いの姿を投影しあうことが出来る特殊な鉱石である。
とはいえ、その稼働には膨大な魔力が必要であり、今この場にいる人間達のすべてを持ってしても、長時間の稼働は不可能であった。
しかし、今それには、はっきりと光が灯り、クリスタルには複数の人物の姿が映し出されていた。
「大帝陛下にはご機嫌麗しく、恐悦至極に存じます」
パネルを前に片膝をつき、恭しく頭を下げる少壮の男。その背後に続く彼の部下や同士に当たる人間達も同じように頭を垂れている。
「ロジェス殿下。お久しぶりね。ふふ、10年以上の歳月を要したとはいえ、いくらか男ぶりが増したようね」
画面内より、凛としながらも艶やかな女性の声が届く。
玉座に座する男の傍らに立つ少壮の女性が、口元に笑みを浮かべてロジェスを見つめていた。
「ヴェルサリア殿下もご壮健なご様子で何よりでございます。さて、その場に立つと言うことは、総参謀長への就任、おめでとうございます」
「ありがとう。しかし、本来ならばこの場には貴方が立っていなければならなくてよ?」
「はっ、自身の無能。深く、悔いておりまする」
「ふふ、ご謙遜を。東方に冠たる大帝国をわずか10年足らずで瓦解せしめたその手腕。帰還の折には、私も進退を考えねばならないでしょう」
そんな会話であったが、二人の間には目に見えた緊張関係が存在している。ヴェルサリアと呼ばれた女性の言は、丁寧ではあったがところどころに挑発するかのような本音が見て取れるのである。
「身に過ぎたる栄誉にございます。ですが、今はパルティノン攻略に全力を尽くす所存にございます。して、此度のお呼び出し、戦況に変化が?」
しかし、それをやんわりと受け流したロジェスは、今回の呼び出しの要件を性急に求める。
人払いをしてあるとはいえ、ことが露見すればすべてが水の泡であることを彼も理解しているのだ。そして、ヴェルサリアも当然のようにそれを分かっている。
「導水の注入は順調に進んでいます。貴方からもたらされた情報はたしかな様子。豊富な鉄資源がさらなる活力を与えてくれるでしょう。そして、我々の出撃に先立ち、前衛部隊の南下が決定いたしました……。期日は」
玉座に座する男を一瞥し、口を開くヴェルサリア。それは、彼らの運命を大きく動かすことになる指令である。
戦の主導権を握る彼女に対し、それを遂行すべく頭を垂れる男。二人の間にも、一つの軋轢は起こっているのであった。
そして、その光景を見つめる黒い影。それは、闇間に溶けこむとその姿を溶かし、人の力では見えざるモノとなって消えていく。
背後で蠢く陰謀。しかしそれは、前線に立つ人間達にとっては抗いようのない敵の一手。それに抗うのもまた、背後にで動き続ける人間達であった。
そして、先ほどの影もまた、その役目を終えて元ある場所へともどる。
戻って来た影を手にしたのは、教団内務長フォティーナ・ラスプーキア。彼女の手に戻った影は、その姿を散らすと、そこには人の眼球が残されていた。
「ようやく尻尾を見せたわね」
眼球を手元の鉱石へと乗せると、先ほどまで影として見聞きした映像が投影される。それは、この場にいる人間達の目にはまるで夢幻のように思えるような光景であった。
「まさか……、こんなことが」
「ふふ、いい年になってもねんねちゃんのままね。ユマ」
「だがっ!!」
「はいはい。大きな声を出さない。愛しの巫女様に知らせる手筈を考えなさいな」
「っ!! 言われなくてもそうしますっ」
暗幕の中で行われる謀議。それに対し、水面下で必死に網を張り続けてきた人間達。その過程は決して平坦ではなく、その手を許されざる道に染めたこともある。
「殿下……」
親友であり、ともに血に染まる道を歩んできた女性を見送ると、フォティーナはそう呟く。
今し方、手にした同志達の謀議を証明する手筈はない。だが、知り得た情報は、一人でも多くの人間を救う手立てとして用いるつもりであった。
二度と光の灯ること無き片側の目から義眼をとりだし、魔眼となったその目を押し込む。それでも魔眼が視力を取り戻すことはなく、再びの役目を為すその時まで彼女の魔力を吸い続けることになる。
そして、残された眼で見つめる先には、禍々しく光る黒色の刻印がその美しい手に刻まれていた。
◇◆◇◆◇
谷間を吹き抜ける吹雪は、平原を抜けるそれ以上の威力を持っているように思える。
闇間を抜けて吹き付ける風は、肌をも切り裂くような、そんな気がするほど鋭く肌を刺していく。
「おう、見えた見えた。あれが、地峡出口の町。カミサか」
そんな闇間に、軽薄そうな男の声が轟く。吹雪の中にあっても、その声には張りがあり、周囲の気候の変化などには興味が無いように思える。
「ちょうど、渓谷を塞ぐように立っていやがる。めんどくせえな」
「にしても、ちょっと俺達をなめすぎなんじゃねえのか?」
「はった、たった3000ぽっちで俺らの相手をしようってんだからなあ……。ただ、そのうちの何人かは、トンデモねえって聞くぞ?」
「“キーリア”。パルティノンの古代語で“千”を意味し、その名の通り一騎当千の猛者達」
「いいねえ。そんな奴らと戦ってみたかったところだ。この前の、お嬢ちゃん達の相手じゃあモノ足りねえしな」
「逃げられたクセに」
「うるせえぞ。――で、どうする?」
「どうするって、俺達の任務は偵察だろう?」
「後続の連中がいねえんだぜ? 難民になりすますのもアレだろ?」
「まあな。ひとつ、挨拶といくか?」
闇夜に蠢くいくつかの影、人の姿をした獣たちが、いままさにその牙を剥こうとしていた。
「おっ!?」
そのさなか、一筋の光が獣たちの目に映る。
人たる姿から、徐々に形を変え、異形の獣へと成り代わっていた者達。しかし、その先頭にいた男の首は、その真価を発揮する前に吹雪舞い上がる闇夜の中へと舞い上がって消えていった。
「こんばんは。化け物諸君っ」
闇夜に轟く男の声。
それを耳にしつつ、突然の事態に目を剥く獣たち。徐々に吹雪が弱まり、わずかに月明かりが灯り始めたその眼前には、この地に派遣された25名のキーリア達が、その象徴たる白装束を月明かりに輝かせながら立ちふさがっていた。
一つの戦いが、今、産声を上げようとしていた。




