第15話 灯火の中で……
物理的にすごく痛い描写があります。ご注意ください。
眼前にて血に染まる男に恨みやその類があったわけではなかった。
目の前で繰り広がられるやり取りに、なぜだか身体が反応し、男を斬った。ただ、それだけであるはずなのに、全身の血液が沸騰しかけていたことを今更ながら自覚する。
眼前に持ってくる剣。両の手に持ったそれには、赤い血を纏い、それがゆっくりと刃を伝う。
「ぐ、がっ……。貴様ぁ……」
全身に傷を負い、膝をつきながらこちらを睨む男。
先ほどまで勝利を確信していたことは間違いないであろう。相手は彼以上に満身創痍。覚悟を決めたのか、武器を捨て、目を閉ざして男の剣が振り下ろされる瞬間を待っていたのだ。
こちらとすれば相手を助けてやる義理もなかったが、男を斬るだけの理由はいくらでもある。恨み辛みがないからといって、理由がないわけではないのだ。
そう思いながら、男に近づくと男は手にしていた剣を振るってくる。軌跡が月明かりに照らされて美しく光る。眺める余裕を持ちながら男の剣を弾くと、男の顎に蹴りを見舞う。
身体を弓形にそらしながら闇夜を舞う男は、そのまま急流の中へと落下していった。
「ゲス野郎が」
短くそう呟くと、川岸に倒れる男の元へと向かう。
先ほどまで目を覚ましていたようであったが、いつの間にか気を失っている。全身が傷だらけであれば当然でもあるが。
「キーリアも落ちたものだな。一介の戦士相手に剣を向けるとは……いかんな、脈が弱まっている」
身体は冷え切り顔色も青白い。
背中や胸元の傷から出血がひどく、失血と低体温が同時に男の身体を蝕んでいるように思える。
「こんな義理はないのだがなあ」
男を背負う。女の身には重くのしかかると思っていたが、思いのほか軽く正直拍子抜けした気がする。ありがたいことに変わりないが。
川縁を進むと夜露や風雨を防げるには十分な大岩がいくつか連なる場所に辿り着く。町へ運んでも良かったのだが、今のところは敵の勢力圏である。わざわざ的になりにいく必要もない。
「風よ…………」
薪を拾い集め、火をおこすと右手の刻印をもちいて柔らかな風を起こす。
全身を包む風が身体の疲れを取り、火の勢いを増してくれる。しかし、横になっている男は相変わらず青白い顔をしたまま気を失っている。
外套を脱ぎ、男をその上に横にする。男は傷が痛んだのか、一瞬顔を顰めていたが、かまわず横にすると双剣を横に置き、双方の柄頭を回す。
それぞれ中から針と糸、薬剤の入った小瓶を取りだすと、男の上着に手をかける。女性のような顔立ちかつ華奢な外見であったが、服を脱がすと鍛え抜かれた傷だらけの肉体が顔を出す。
動きの妨げにならぬよう、筋肉の肥大化を避けているのであろうが、どちらかというとそのあたりよりも、傷跡の方々から漏れている様々な光の方が目に付いた。
「キーリアであったのか。しかし、ならばなぜ?」
そんなことを口にしながら、川から汲んできた水を傷にかける。
「ぐっ!?」
「動くな馬鹿者」
真冬の水が傷に障ったのか、突然の苦痛に男が目を見開く。しかし、今動かれると色々と面倒であるため、頭を強引に抑えつける。
「あね……、い、いや、り、リリスかっ!? な、なんで、お前が」
男の言に、一瞬針を持つ手が止まる。今この男が口にした名。動揺しないと言えば嘘になった。
「なぜ、貴様がわたしの名を知っている?」
「なぜって……この前の、任務の……後にあっただろ?」
「むう……? ――そう言えば、コメが好きとかいっていた……?」
「なんで、ンなこと覚えてて顔忘れているんだよっ、って、いてえっ!?」
「うるさい。縫合してやるから黙っていろ」
そう言うと、有無を言わさずに針を突き刺す。戦いになれているとはいえ、この手の痛みは誰にでも聞く。麻酔の類が用意しているわけではないのだ。
キーリアの持つ人間離れした治癒能力によって、傷は快方へと向かっているが、ふさがりきるまで身体が持つかどうかは五分。とりうる手段はさっさととるべきだった。
◇◆◇
「これで良かろう。あとは……」
アイヒハルトによって深く刻まれた傷は塞がれ、失血死の可能性は著しく低下したようだった。
ようやく目を覚ましたアイアースであったが、いまだに意識ははっきりしておらず、気だるさが全身を襲っている。
「すまん、リリス」
「黙っていろと言っている。まだ、傷はあるのだ」
いらぬ迷惑をかけたと思っているアイアースはがそう口を開くが、リリスは素っ気なく振る舞うばかりで、こちらを見ようともしない。
先日会ったときは非常に社交的で、向こうから接してきたのだったが、今回のおかしな態度にアイアースは気だるさの中、思わず首を傾げた。
「この傷は……。中に何を抱えているのだ?」
「ああ……。火炎法術で吹っ飛ばされたときの、……ふう、木片だな。先を折っちまったから、中に入っちまったか?」
「ふむ。切り裂くから耐えろ」
そう言って、脇からナイフを取り出し、火に炙るリリス。だが、それを見ていたアイアースは、他の手段が頭をよぎる。正直、どちらが痛いかを想像するのは楽だったが、そうせざるを得ない理由もある。
「自分でどうにかするよ」
「馬鹿を言うな。死にかけが何を言う?」
「縫合用の糸が、ほとんどないだろ? 傷を広げる方がまずい」
そう言うと、アイアースは軋む身体を無理矢理起こし、仰向けから膝をついた状態へと移る。それを見たこともあり、方法として学んだこともある。だが、試すのは初めてでもあった。
「おい、貴様、まさかっ!?」
「その後の治療は任せるぜ」
そう言うと、アイアースは右の親指を右脇腹に空いた傷穴へと突っこむ。
肉を抉られる感触とさらなる異物の侵入に全身がこわばる。だが、アイアースはそれにかまうことなくさらに指を奥へと押し込む。
ほどなく、先の尖った堅い物質に当たる。そして、身を起こして膝立ちになると、左手で前方の傷穴まわりを押し、右手で木片を押し込む。
すると、木片の先端が多量のどす黒い血とともに押し出されてきた。それを逃すことなく手で掴み、激痛を感じながらそれを引き抜いた。
「あああっっ!! はあ、はぁ、はぁぁ……」
「言わぬことではない。バカが」
「た、たしかに無茶だった。かもな……おぐぅっ!?」
息も絶え絶えになりながら、アイアースは真水を傷口にかけ、血を洗い流す。しかし、思いのほか出血量が多かった。
それを見たアイアースは、ためらうことなく右手の刻印を撫でる。
「むっ!? お、おいっ!! そ、それだけは止めろっっ!!」
薬剤や当て布を用意してアイアースから目を離していたリリスは、アイアースが野郎としていることを察し、慌てて駆け寄ってくる。
しかし、アイアースを取り押さえるにはあと一歩が遅かった。
「うわぁっっ!!」
傷口が赤い光を灯すと同時に、赤い炎がアイアースの傷穴から噴き出す。さすがにキーリアの肉体であっても、冗談では澄まぬ激痛とダメージがアイアースの全身を襲い、意識を奪うには十分なものであった。
「だから、止めろと言っただろっ!! 海道一のバカだっ、貴様はっ!!」
慌ててアイアースのことを抱き上げたリリスは、炎による強引な止血を確認すると、それまで以上の手際で傷口を縫合し、当て布を押し当てる。
彼女が怒りを覚えるのも無理はない。破傷風の類は免れると思うが、激痛の衝撃で、即死してもおかしくないような行為である。
キーリアであり、戦を生業にしている人間かつそれ以上の激痛に耐えきった者だからこそ命があるといっても過言ではない。
「…………冷えきっているではないか。このような状態で無茶を」
先ほどまで怒りが感情を支配していたとはいえ、今のアイアースが危機的な状態であることは否定しようがない。失血の影響からか、体温も著しく低下している。
慌ててリリスは上着を着せ火の側にまで運ぶ。外套で覆っているが、顔色の悪さは進行している。
「しっかりいたせ。キーリアがこんなことで死ぬとでも言うのか?」
リリスはアイアースを抱きとめながらそう叱咤する。すると、アイアースの唇がほんの僅か、動いたように見えた。
「……え、…………け、…………ん」
「なんだ? 何が言いたいんだ?」
リリスはアイアースの口元へと耳を近づける。すると、消え入りそうな声が耳に届いた。
「姉、上……。申しわけ……ありま……」
「姉、か……。貴様の姉は、どういう女性なのだ?」
そんな話をしている状況ではないことは理解しているリリスであったが、なぜだかこの男が死の床にあっても口にする姉のことが気になった。
否、先ほどから胸の奥底で何かが呼びかけているかのような。そんな気がしているのだった。
しかし、問い掛けに答えがあるわけもなく、アイアースはそのまま口を閉ざす。というよりも、呼吸自体が弱まっているのであった。
「っ!! 致し方あるまい……。こやつも……帝国の民なのだ」
低体温症の一種であろうが、呼吸までもが弱まった際の対処法がリリスの頭をよぎる。普段であればためらうことも無かろうが、先ほどからどうしても調子が狂っているため、途端に羞恥心と嫌悪感が全身を包み込む。
しかし、目の前で死へと向かおうとしている人間を放っておくことも、彼女には出来なかった。
リリスの目にアイアースの青くなった唇が映る。一瞬目を閉ざしたリリスは、再び目を見開き、アイアースの口元を覆うと、ゆっくりと息を体内へと送り込む。二度三度。途端に背筋に走るおぞましいまでの嫌悪感。
それに耐え、呼吸が安定するまでそれを続ける。しかし、体温の低下は続いている。生命の灯火そのものが消え尽きかけているのではないかと思われる。
「――――っっ!! いくら何でも、それだけは出来ぬ」
それに対する方法もリリスは知識として与えられている。しかし、そのような事の経験は……、思い出したくもないが、母親から伝授されてもいた。
非常の際以外は決して用いるなと言うきつい戒めとともに。
「姉上……必ず。……迎えに、母上達と」
「いまだ、姉の夢を見ていると言うのか? 軟弱者め」
リリスは、自身の懊悩に対するアイアースの反応に苛立ち、思わずそう毒づく。しかし、次に続く彼の言が、彼女の意識に直撃した。
「また、草原を駆けましょう。今度は、クランがいますから、もう負けません……」
「クラン? 貴様、なぜその名を??」
「『リアネイア以外乗せん』なんてもう言わせませんよ。あいつは、私を」
「…………っ!?」
無意識下で出た言葉であろうアイアースの言に、リリスは思わず絶句する。と同時に脳裏に浮かぶ光景。
――自身の目の前に一人の少年がその身を血に染めながらも笑みを浮かべて立っている。ゆっくりと少年の元へと向かう自分。しかし、その背後に立つ少女が、冷めた表情でこちらを見つめていることに気付いたその時。
少年の身体は陽の光を浴びたように輝きはじめ、巨大な火球へと包まれる。そして……。
「そうだ。あの時……アイアースはっ!!」
自身の脳裏に浮かんだ光景を、リリスは必死に否定する。しかし、思わず声に出した愛する家族の名。眼前に横たわる男は、その名に対して、いくらか反応を示したようであった。
「うう……、あ、ね、……うえ?」
「っ!? …………よく、似ているな」
再びアイアースの身体を抱きしめるリリス。いや、神聖パルティノン帝国皇帝、フェスティア・ラトル・パルティヌス。
「ふ……、今になって気付くとはな……。――――なれば」
そう呟くと、フェスティアは身につけている防具と衣服を脱ぎ、アイアースの身体を抱きしめる。
(一国の皇帝が為すことではないな。……だが、すでに汚れた私ができることは……)
その目には、戦のみに温もりを求める彼女が捨てた一つの光が灯っていた。
「そなたが生きているのならば……。すべてを渡そう……。私のすべてを……。生きよ、生きてくれ……アイアース」
◇◆◇
凍てついて身体が溶けていくような気分をアイアースは感じていた。
気だるさも遠退き、それまで苦しかった呼吸も楽になってきている。先ほどまでの過去の夢を見、それに縋りつくしかなかったことが嘘のようだった。
それどころか、この世のものとは思えない温もりを全身に感じている。ほどなく、何かが身体に流れ込んでくるかのような錯覚に襲われる。
それは、すべてを包み込むかのような優しさ、すべてを焼き尽くすかのような激しさ、すべてを受け入れる大きさ、そして、すべてを見まもる高潔さ。それらが入り混じっているように思えた。
そして、柔らかな光に照らされた目の前は暗くなり、なにも見えなくなる。やがて、わずかながら青みがかったようになり、その蒼は次第に明るみを覚えはじめる。
その蒼の中を、二つの白い影が疾駆していく。一つは強健な体躯を誇る獣であり、一つは細く鋭さを持った外見を持つ獣。
二つが対峙し、お互いの牙をぶつけ合う。対峙が続き、やがて両端に立った両者は四肢を駆ってお互いの距離を縮めていく。
青き空の元、二つの獣は虚空にて激突し、その姿は一つとなっていく。そこに降り立ったのは、猛々しさを誇る男性の白き影。
武器を振るう動作、民を導く所作、軍勢を統率する動作。やがて影を照らしていた青き空は消え上、闇夜に赤い炎のような光が揺らめきはじめる。
そこを踊るようにかけた男性の影は、再び青く浮かび上がった空へと帰るように舞い上がり、再び流れるように変化していく。やがてそれは、女性の姿へと形を変える。
両の手に剣を持ち、頭部に獣の耳、腰部獣の尾を持つ女性。流れるような剣舞が虚空を切り裂き、次第に耳と尾が消え、別の女性の姿へと変わっていく。
先ほどの女性の剣伎が流れる舞のような柔の剣であるならば、こちらの女性の剣伎は対峙するすべてを断ち切る剛の剣。
女性の姿が薄れていき、鋭く振るわれたそれは、剣だけの姿になって虚空を舞い、やがてアイアースの頭上へと落下していった。
今回の事は唐突であったのかも知れませんが、一応こういう再会の仕方もありかと思っています。
ただ、もう少し引きが必要だったかもという反省も……。自分の実力の無さが憎い。
できれば、ご意見・ご感想をいただければと思っています。よろしくお願いします。
また、明日も同じぐらいの時刻の更新を予定しております。時間が安定せず申し訳ありません。




