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第11話 天使の顎門①

 淀んだ風がいくらか薄くなったように感じた。


 アイアースは、森の切れ目から見える空を見上げながら足を止めると、そう思った。

 懐に入れた丸薬を手に取る。この小さな薬が自分の命を繋いでいる。力の代償は自由無き生。目的を達するためには、解決しなければならないことが多すぎた。



「察したか……。そろそろガスも届かなくなる。苦しい思いをしたくないなら飲んでおけ」



 先を歩く“者”の視線を受けたアイアースは、軽く頷いて薬を口に含むと、再び歩みを進める。



(身体が軽くなるように感じるな。意識をしてみると違うものだ)



 それまでは、ただ漠然とした目的のために生きてきた身。だが、先日の一件以来なんとなくではあるが、目的のための道筋が見えてきたように感じている。

 そのためには、身体に流し込まれている毒の問題を解決する必要があった。そのため、以前は意識していなかった薬の作用に関しても深い注意が向くようになっているのだった。



「それで、お前はどこまでついてくるつもりだ?」

「最初の町までだ。私にも色々と任務はある」


 アイアースの問い掛けに素っ気なく答えた“者”であるが、実際のところはついていく必要などはない。とはいえ、実の弟ではないかと疑う男のことは、気になるものでもある。

 それは真実なのであったが、お互い10歳と7歳の時に別れた間柄。それから7年近い年月が経ち、アイアースもアルテアも年齢にそぐわない苦労を重ねてきている。


 身内であっても容易に察することの出来ぬほどの外見の変化があるのだった。



「しかし、何でまた密偵の真似事なんてする必要があるんだ?」

「私に聞かずとも、指令を読んだであろう?」

「組織の下部組織に潜入する必要があるのかって聞いてんだよ。それも、味方には絶対にばれるなってのも分からん。ごまかすことぐらいわけないぞ?」

「教団内部も一枚岩ではないと言うことだ」



 アルテアはそう言うと、話は終わりだと言わんばかりに足を早める。キーリアと対等に行動できるだけの方法は彼女達も持っている。

 その後ろ姿をゆったりと追いかけながらアイアースは今回の指令について思いかえす。

 


『エウル地方オヒエン州に位置するアウシュ・ケナウ監獄への潜入・監獄内の調査、必要時の殲滅』


 これが、指令書の概要である。


 アウシュ・ケナウ監獄は、帝国の崩壊時に政治犯を収容する施設として教団が建設した収容施設であるというが、フェスティアの戴冠後も数少ない教団関連施設として残存していた。

 罪人を収容する施設は、混乱期の治安悪化によっていくらでも必要であったのだ。

 しかし、罪人のみならず、改宗を拒んだ住民を村単位で罪を着せ、収容しているといううわさも聞いたことがある。


 治安も安定し、外征にも成功した女帝が国内の引き締めに掛かるのは十分に予想が出来、そのための証拠の隠滅という側面もあるのだろうとアイアースは思っていた。

 だが、今の“者”(アルテア)の言からすると、それだけではない理由もなんとなくでは予想できる。

 皮肉なことであったが、巫女が表舞台に立つことがなくなったことが、その神聖に拍車をかけ、一部信徒達による地道な慈善活動が信徒を徐々にではあるが増やしているという側面が出てきているのだった。


 アイアース等のように、教団には憎しみ以外の感情が存在しない者達には理解できなことであったが、巫女を信仰の対象にしたり、天に対する偶像にしながらも、帝国に対する愛国心を保つ者も出てきているのである。

 そう言った者達を操る教団上層部の一派(共存派)は、帝国中枢に取り入ることで帝国を支配しようと考えており、いまだに帝国の滅亡を願う一派(狂信派)とは対立の度合いを深めているのだった。


 今回の監獄への工作もそんな派閥抗争の一端が、キーリア達の任務にまで及んできている恒例であるのだった。


 とはいえ、アイアースにとっては両派閥の境もなく、巫女とともに討伐すべき対象でしかないのであったが。



「来たか。む? 貴様までなぜ?」

「野暮用だ。ではな」

「おう」



 拠点に到着すると、アイアースに同行していたアルテアは、手の者から訝しげな視線を向けられる。

 拠点を管理する手の者は一般人と変わらぬ格好をしているが、アルテア等“者”の格好は、全身が臙脂色の外套で目元以外を覆っていたり、仮面を着けるなどをして外見を隠している。


 民間人からすれば、薄気味悪い存在でもあるため、市井に溶けこんでいる手の者達からすればよけいな接触は出来る限り避けたいところであった。


 そのため、アルテアはアイアースを一瞥すると、さっさと背を向けて去っていく。



「言い忘れていた。くれぐれも、自惚れは慎めよ?」

「分かっているよ。さっさと消えろ」



 ふっと足を止め、アルテアはアイアースへと視線を向けると、普段から言い含めている忠告を繰り返す。

 言い方は悪いが、『油断するな』ともとれる言であることはアイアースも気付いているため、苦笑しつつ答えるとアルテアは今度こそアイアースに対して背を向けた。



「ずいぶん、気に入られているじゃないか」

「俺のおかげで査定アップは間違い無しだからな」

「自惚れは慎めと言われなかったか? 問題児だと聞いているがな」

「ふん。さっさと中に入れよ」



 手の者の言にアイアースは室内へと足を踏み入れる。相変わらず殺風景は部屋であったが、今回はアイアースの単独任務であるため、狭苦しい思いはせずに済みそうであった。



「衣服は適当に用意してあるが、気に入らなければ自分で揃えろ。資金もそれなりに用意はされている」

「ほう? ずいぶんな待遇だな」

「気に入られていると言っただろ。では、私は行く。せいぜい、死ぬなよ」



 アイアースは手渡された資金袋を覗き込み、驚きに眉を潜める。


 手の者の言に寄れば、担当の“者”すなわち、アルテアの差し金と言うことになるようだった。


(あいつ……。下っ端に見えるが、それなりの地位にいるのか?)



 手の者を見送ったアイアースは、そんなことを考えるが、半分は当を得ている。アルテアは自身の正体をある程度晒すことで組織内では相応の地位を得ている。

 粛清の危険性とフェスティアに対する駒としての有用性を秤にかけた結果が今の地位であり、派閥抗争の激化が彼女の命を繋ぐ要因にもなっている。


 しかし、今のアイアースにとっては、目の前の正体の知れぬ姉よりも、遙か彼方にいる姉の方が重要なのであった。



◇◆◇



 アイアースと別れたアルテアは、町の郊外へと足を運ぶ。


 組織の手の者の目も届かぬ草原と森の境。アルテアが歩みを進めると、柔らかな風が露出した目元を優しく撫でる。



「ずいぶん、早いな」

「主の命もありまするので」



 アルテアの言に答えた女性の声。再び、柔らかな風が森を撫でるように吹き抜けると、そこには、紅玉を溶かし込んだかのような鮮やかな赤髪の女性が立っていた。



「いつ見ても、美しい翼だな」



 思わずそう呟いたアルテアは、女性の背後にて風に揺れる3対の翼に視線を向ける。

 赤初の女性の背には、陽の光を浴びて光り輝く鮮やかな翼が揺れている。おとぎ話に存在する天使と呼ばれる者は、彼女達を見た人間が創作したのだろうと思わずにはいられない姿であった。



「光栄です。して、この度は?」

「先に伝えておくが、これで最後になると思う」



 アルテアの言に、女性は柔らかく微笑むと、短く口を開く。

 はじめに比べてずいぶん変わったものだとアルテアは思ったが、口には出さず小さなロケットを手渡す。

 組織に関する情報であるが、女性達に渡せるモノはこれが最後となるであろうと彼女は予想している。疑いの目は以前よりも増しているのだった。


 そのため、疑いを逸らすべくアイアースやミュウなどの担当キーリアに過酷な任務を課している面もある。彼らの能力を買っていることも事実であったが。



「けっこう。私たちとしても、協力者を失うことは本意ではありませぬ」

「そうか。すまぬ。とだけ伝えておいてほしい」

「は。……他に何かございますか?」

「これを、4番に渡してくれ」

「――――っ!? 」



 アルテアからの情報に満足そうに頷いていた女性は、アルテアの言にはじめて動揺を見せる。

 4番が意味することに彼女はすぐに気付いたが故であったが、彼女にとっては敵であるという見方の方が強かったのであろう。

 アルテア自身も、4番のことは計りかねている状況であったが、万一のことを考えれば他の人選はない。



「直接会う必要は当然無い。だが、必ず彼女の手に渡るようにしてくれ」



 女性が4番に接触する必要がないことは当然でもある。だが、アルテアがあえて口にしたのは、女性にそれをさせる必要がある手札があることを意味している。



 鮮やかな赤髪がゆっくりと動いた後、柔らかな風とともに女性の姿は消えていた。



◇◆◇◆◇


 町の賑わいは思っていたよりも大きなモノであった。


 住民達は監獄の存在を知らないのであろうが、市場が賑わいを見せるほどと言うことは、監獄からの大規模な脱獄や罪人の流出がないことを表している。

 巨大な監獄であるが故に、管理体制は相当堅固であることが予想できた。



(潜入するにしても……、まずは情報収集から。と言ったところか)



 今回の任務に、町の拠点は使用できない。単独任務であり、組織の人間にも気取られることは避けねばならないのである。

 いっそ囚人に化けるという手段もあるが、行動を制約されるというのは好ましくない。脱獄する手間があるだけ面倒にもなる。


 そんなことを考えつつ、アイアースは酒場へと足を向ける。


 すでに日も落ちており、生真面目に任務を遂行する必要もないと判断したのだった。簡単な情報収集ぐらいは十分に可能である。

 宿も兼ねた酒場はすぐにみつかり、アイアースはゆっくりと足を踏み入れる。

 喧噪の満ちたフロアにはいくつもの丸いテーブルが並び、様々な装いの人間達が座り各々に飲み食いしている。

 そして、会話や料理を口に運びながらも、中に入ってきたアイアースに対して探るような視線をしっかりと向けてくるものが大半であった。

 そんな視線を一瞥すると、フロアの奥へと足を向け、宿の主人と思われる初老の男に前に立つ。



「やあ、いらっしゃい。お一人かい?」



 男は人懐こい笑みを浮かべながらそう口を開く。



「部屋を一つ頼む。あまり、他人の介入がないところがいい」

「やや割高になりますが、よろしいですか?」

「かまわん。それと、小耳に挟んだのだが、このあたりは疫病が流行しがちと聞いているのだが?」

「ああ、町の郊外に家畜の養殖場があるんですよ。そこの汚物が川に流れているらしくて……対策はしているんですが、よっぽど変なモノを流しているみたいですよ」

「なるほど。しばらく滞在する予定だから、気をつけるとしよう」



 やはり、監獄のことは住民には知れていないようである。


 アイアースは口止めも兼ねて、前金にやや上乗せした金を主人に渡した。はじめは驚きの目を向けていた主人も、得心したのかやんわりとした笑みを浮かべている。



「ああ、そうそう。お耳に入れておきたいことがあるんですが」

「なんだ?」

「この町にキーリアの一団が滞在しているんですよ」

「ほう?」

「なんでも、郊外に大型獣が出現しているらしく。その討伐だとか……被害などは聞いたことがないんですがねえ」


(……よくある任務ではあるが、この前のこともある)


「町で見かけて驚かれる方もおりますので、一応お耳にと……」

「ありがとう。礼を言う」



 主人からし出された部屋の鍵を受け取ったアイアースは、得られた情報を頭に部屋へと向かう。十分な広さもある部屋であり、すれ違う人間達の身振りも良かった。


 面倒ごとを部屋にまで持ち込まれる心配は無さそうだとアイアースは思った。



「さてと……。酒でも飲むか」



 そう呟くと、アイアースは階下の酒場へと足を向ける。

 入ってきたときも思ったが、中々の賑わいである。部屋の窓から見える町の様子も、活気のある町のそれであった。


 カウンターに腰掛け、バーテンによるおすすめのカクテルを口に含む。


 年齢自体はまだまだ少年のモノであるが、キーリアとなってからは自分の意志でアルコールを体内に受け入れないことも可能だった。

 外見的には大人びて見える方だと思うので、問題はない。



(家畜と言ったが……、囚人を隠す意味での表現と見るべきだろうな……。だが、疫病の原因となると汚物以外のモノも含まれているように思えるが)



 蝋燭の火が揺らめきながら青色のカクテルに映り込む。それを眺めつつ、主人の話を思いかえすアイアース。

 はじめは堅牢な監獄をイメージしていたが、それにしては情報の遮断が密であるようにも思える。



「おい、姉ちゃん。俺達と一緒に飲まねえかい?」


(この時代を考えると、囚人を使って薬やそれこそ法術の人体実験……そもそも)


「おいおい、無視すんなよ~?」


(今のキーリアは、囚人あがりも多いと聞くな。半端者ばかりだからあまり役に立たんようだが)


「おいっ!! 聞いてんのか?」


(そもそも、ただの収容所でなければ、殲滅なんて指令が来るはずはないか。しかし、それを一人でやれっていうのか??)


「このアマっ!! 無視すんなって言ってんだろっ!!」


「っ!?」



 突然の大声と、肩を掴んだ腕。


 考え事を遮られた衝動なのか、思いきりそれを掴むと、腕の骨は粉々に粉砕し、身体をそのまま床にたたきつける。

 寸前で力を抜いたため、床を抜いてしまうことはなかったが、一撃で男が気を失うには十分な威力でもあった。



「むっ? すまん。考え事をしていてな」



 我に返ったアイアースであったが、すでに時遅し、男の仲間が青筋を浮かべながらアイアースを睨み付け、周囲のテーブルに座る荒れくれ者達も一斉にこちらへと視線を向けている。



「なんつう女だ? 腕が粉々だぞっ!?」



 倒れた男に駆け寄った別の男が、冷や汗を浮かべながら叫ぶ。

 アイアースは手加減をしたつもりであったが、常人を遙かに超える力を持ったキーリアである。一般人の腕を粉砕するぐらいは分けないことでもあった。



「女? 私は男だぞ? どこが女に見えるんだ?」


「うるせえっ!! そんなことはどうでもいいんだよ。なんてことしやがるんだっ」


「いきなり絡んできたのはそっちだろ」



 思索の途中であったアイアースはいまだに状況が掴めずに困惑するが、アイアースを取り囲むごろつき達は、顔を赤らめ、周囲でその状況を見守っている者達は、ここぞとばかりにけんかを煽る。

 バーテンや宿の主人もやれやれといった様子で、成り行きを見守っているだけであった。



(いきなりか……。手加減が面倒だな)



 そんな周囲の様子にげんなりとしながら、立ち上がったアイアース。

 すぐ側に立つ男の頬を張ると、男は目を見開きながら吹き飛び、他の客達のテーブルへと叩きつけられる。

 唖然とする周囲。しかし、けんかを売られた以上、事がすむまで止まる気はないアイアースは、思いきり手加減をしつつごろつき達をなぎ倒していく。

 木の葉のようにごろつきたいが舞い上がり、床にたたきつけれたときには、アイアースは再び席についてカクテルを口に含んでいた。



「何事だ。これは」



 一瞬の出来事に静まりかえる酒場の入り口から届く男の声。


 アイアースが視線を向けると、そこには長身の若い男が立っていた。単純な外見だけならどこにでもいる若者であったが、その装いに酒場の客達が息を飲む。

 男は髪の色こそ黒であったが、全身に身を包む衣服や装備類はすべて白色で統一されていた。



「……どうやら、お前が騒ぎの原因のようだな」



 静まりかえるフロア内に足を踏み入れたキーリアは、カウンターに腰掛けて面倒くさそうに酒を煽るアイアースの傍らに立ち、そう口を開く。



「だったら、どうするんだ?」

「うん? まだ、若いな。まあ、それはどうでもいい。倒れているヤツらを介抱してやったらどうだ」

「勝手に絡んできて、叩きのめされたヤツらを助ける馬鹿がどこにいるんだ?」



 そう言ってアイアースは残ったカクテルを飲み干すと、カウンターから立ち上がると男を睨むように視線を向ける。

 傍らに立つキーリアの男は、アイアースより頭一つ分ほど背の高い男で、ザックスほどではないが、十分大男の範疇に入り。

 こちらを見下ろしてくる鋭い眼光は、意志の強さを感じさせる。


 だが、それ以上にアイアースの目に映ったのは、右目の目元に刻まれた波のような形をした刻印であった。


(№9か……。さすがに敵う相手ではないな)

「ちっ。回復法術や得意じゃねえんだよ」

「……腕は立つようだが、加減ぐらいしてやれ」

「なんだよ。分かってんのか?」

「…………さっさと行け」


 つかの間ににらみ合いはアイアースが折れる形で終わりを告げた。


 男もまた、アイアースの立場を察したようでこれ以上のもめ事を煽るつもりはないらしい。それどころか、任務の隠密性を察したのか、この場を去るように促してきたのだった。


 それには答えず、アイアースは酒場に背を向ける。


 部屋へ戻る途中、キーリアに対して物怖じせずにいたアイアースを唖然としたまま見つめていた主人に修理代を渡すと、さっさと部屋へと閉じこもった。



「まったく。よけいなことを」



 そうぼやいたアイアースであったが、自分にもまったく日がないわけではないため怒りのやり場がみつからずに苛立つばかりである。

 苦労して得た力は、当然のように異なる苦労をこちらにかけてくる。それがもどかしくも思えたのだが、人たらざる身になるというのはこういうことなのかも知れなかった。



「むっ?」



 窓辺に立ち、夜風に当たって気を紛らわせるアイアースの目に、街路を歩く白装束の集団が目に映る。どうやら、先ほどの男は出立の前に騒ぎを聞きつけたようである。



「四人か……。だとすれば難敵と言うことか」



 そんなことを呟いたアイアース。すると、それに答えるように、先頭を歩く男がこちらへと視線を向ける。


 再び交錯する視線。

 

 そして、それを遠くから舐めるように見つめるもうひとつの視線があったことを、今の二人は知るよしもなかった。

アルテアって誰だよ?

って人はやっぱり多いですかね?

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― 新着の感想 ―
巫女を信仰して愛国心持ってる奴って頭沸いてるでしょ… 巫女は現皇帝の家族を皆殺しにしたわけだけどそれが許されることだとでも思っているのだろうか 豊かな未来を信じて帝国に死を!って言ってる奴の方がまだマ…
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