第7話 猛獣の斧③
徐々に大きくなってくる獣の姿にアイアースとシュレイは目を見合わせる。
殺されずに済む方法。なんてものをお互いに確認しあっているが、そんなものが簡単にみつかれば苦労はない。
振りおろされた戦斧を計ったかのような間合いで蹴り合い、弾き飛ばす。しかし、獣、ガルの手からそれが離れることもなく、二人は勢いに任せてそれから逃れるだけであった。
「くっ……、逃げているだけでは何も始まらん。カズマっ!!」
「なんですかっ!?」
次々の振り回される戦斧を互いに距離を取りながらかわしていく。止まることなく続く攻撃に業を煮やしたかのように口を開いたシュレイに、こちらも苛立つように答えるアイアース。
一撃を受ければそれで終わり。
いかに強靱な身体を持つキーリアと言えど、人智を越えた攻撃を受け続ければ身体も限界になる。すでに先頭は数刻に及んでいるのだ。
「――――いったん下がる。シャルっ!!」
「御意」
火花を散らしながらそう叫んだシュレイが、斧を足場に跳躍すると、すかさずシャルが斬り込む。
実力は自分達より上位にあるシャルであったが、この戦いでは静観する場面が多い。
他7人の護衛を優先しているのだが、アイアースがそんな事情を知るはずもなく、腑に落ちぬ思いを抱えつつもシュレイの元へと舞い降りる。
「時間がない。手短に話すぞ」
「ええ」
「現状、女の方が手を出してこないならば、俺達にも機会はある。だが、それはシャルの護衛が俺達に及ばなくなると言うのと同義だ」
「シャルの?」
「ああ。彼女以外にヤツにトドメはさせん。ならば、俺らに出来るのは時間稼ぎだ」
「護衛というのは?」
「気付け。とにかく、俺達はヤツの動きを止めることだけに全力を注ぐんだ」
シュレイの言うシャルの護衛という言葉の意味をアイアースは理解できていなかったが、ガルの攻撃を受けた際に地面に叩きつけられる事態を避けられたのは彼女のおかげであることぐらいはさすがに分かってもいる。
普段であれば容易に察するのであったが、今の状況では目の前の戦いに神経を集中させているため、そこまで気が回らないのだった。
「止めると言っても、簡単じゃないですよ?」
「それでもやるんだ。現状、暴走しているせいか、精妙さは薄い。隙を狙って攻撃を加え続けろっ!!」
「っっ!! わかったっ!!」
睨み付けるように声を荒げたシュレイに対し、アイアースは思わず同意する。実力の差なのか、年齢の差なのか、普段であれば苛立ちを覚えるところだったのだが、今は素直に頷くだけだった。
「くっ! ……終わりましたか?」
「すまん。時間をかけた」
「いえ、――1分、なんとか稼いでください」
「任せろっ!! 行くぞっ!! ア……」
「了解っ!!」
二人の話が終わると、それを見越したかのように後退して来るシャル。傷こそ負っていないが、その顔には汗が浮かんでおり、表情にも焦りが見え始めている。
彼女ほどの実力者でも、一筋縄ではいかない相手である。自分ぐらいならば、捨て身に賭ける以外にはない。
そう思った、アイアースは、シュレイの言と同時に地面を蹴る。
そのまま飛ぶようにガルに向かって飛びかかる。
そんな二人のこれまでとは異なる様子に、一瞬だけ困惑したガルであったが、すぐさま戦斧を振るう。
先に斬撃に見舞われたアイアースは、先ほどより数段早く感じる攻撃に目を見開くが、咄嗟に身体を捻ってかわすと、鼓動の跳ね上がりを感じつつ戦斧を握りしめた腕から肘にかけて斬撃を加えていく。
硬い体毛に皮膚。両の腕にかかる衝撃が、その防御力の高さを証明する。しかし、たった一つの亀裂から、巨大な堤防が決壊することもあるように、小さなきっかけが巨大な崩壊を導くことは、いくらでもあり得た。
それまでよりも深い手応えを感じたアイアースは、腹の底から声を上げると、両の手に持った剣を同時に振り下ろす。
それは、幾度となく加え続けた無数の斬撃の跡を繋ぎ、正確にそれを押し広げていく。
それまでの何よりも強烈な苦痛に、ガルは咆哮とともに空いた一方の手をアイアースを振り落とすべく振るう。それを、腕を土台に跳ね上がってかわしたアイアースの視線の先に、がら空きになった左半身を切り刻むシュレイの姿が映る。
空中で身体を回転させたアイアースは、落下に任せて肩口に剣を突き立てるのと、シュレイが左腕に剣を突き刺したのはほぼ同時であった。
「ぐおおおおおおっ!? て、てめえらあああああっ!!」
「あ、戻った」
「だが、もう遅い」
激痛のためか、正気を取り戻したガルが悲鳴のような咆哮をあげると、それを見ていたパーシエが軽い驚きをこめてそう口を引く。
そして、それに答えるかのように、地面を蹴ったシャルが静かに口を開くと、背中から伸びる白き翼が羽ばたき、高速でガルの胸元へと飛び込む。
「や、やべえっっっっ!!」
「させるかよっ!?」
慌てて防御態勢を取ろうとするガルであったが、アイアースとシュレイの剣はより深く突き立てられ、すでに自分の意志で腕を動かすのは困難なところにまで剣先は届いていた。
その光景を視線に修めたシャルは、勢いを殺さぬまま剣を振りかぶる。
「く、くっっそおおおお、て、てめえらあああああああっ!!」
「うおっ!?」
焦りから来た咄嗟の行動なのか、それとも計算尽くの攻撃かは不明であった。しかし、全力で剣を突き刺すアイアースは、突然の揺れに対応することが出来なかった。
すぐに感じる浮遊感。それまで、視界に捉えていたシャルの姿は消え、空が視界に写りはじめたのだ。そして、視界の下部には黒い何かが映り、それからわずかな間に下半身が何かに押しつぶされていった。
「ごぶっ!?」
途端に逆流してくる血と何か。痛みは一瞬であり、すぐに感覚が消え失せていく。
「カズマっ!? ぐわっ!!」
身体を横倒しにしたガルにアイアースが潰される様を見て取ったシュレイが、ほんの一瞬意識を奪われると、ガルは転倒の振動によって双剣から外れた右腕を振るう。
咄嗟に剣を構えたシュレイであったが、振動によって足元が揺らいでおり、巨大な衝撃に耐えきることは出来なかった。
「殿下っ!? おのれっ!!」
「うおっ!?」
二人が思いがけない反撃を受けている間に斬り込んできたシャル。しかし、腕が自由になったガルは、ここでも人外の力を存分に発揮していた。
シュレイを突き飛ばした戦斧を盾に、シャルの攻撃を受け止めたのである。
金属どうしがこすれる金切り音が周囲に響き渡り、火花とともに舞い上がった焦げ臭い匂いが周囲を包み込む。
ほどなく、シャルの腕に握られていた剣は天高く舞い上がっていく。
「危なかったぜっ!!」
「甘いわっ!!」
「あ?」
得物を失ったシャルであったが、すぐさま距離を取ると、クラシック音楽の指揮者のように優雅に両の腕を振るう。外面の美しさも手伝って、光の軌跡が彼女の指先には灯っているような、そんな光の線がガルの戦斧に刻まれていく。
そして、シャルがやや貧しい胸元を突き出すように両の腕を開くと、ガルの戦斧は粉々に飛散していた。
「うっそ!? お、俺の斧がっ!?」
残された柄を握り、ガルが目を丸くする。
だが、シャルはそれには答えず、岩肌に叩きつけられていたシュレイを連れて一度後退した。
「殿下っ!!」
「今は閣下だ」
「そ、それもどうなのですか?」
「んん。それより、すまん」
「いえ」
シャルに肩を貸され、なんとか一息ついたシュレイであったが、全身に受けた傷から出血が進み、身体を動かすのも苦痛になり始めていた。
「隊長、大丈夫??」
後方にて様子を見ていたミュウがすぐさま駆け寄り、シュレイに治癒を施す。しかし、即席の法術ではその効果はたかが知れている。ミュウのような熟練者でも、短時間で人の身体を完治させるのは不可能に近いのだった。
「問題ない…………くっ」
「今は、ご自愛ください。私が……」
「すまん」
「ちょ、ちょっと、大丈夫なの?? それより、どう見てもこっちの負けなんだから、やめにしない? あんた達だってもうやる気無いみたいだし」
ミュウによる法術を受け、シュレイは立ち上がりかけるが、一度休ませた身体を動かすには、倍以上の苦痛を伴う。急激な運動の後、倒れ込んだ人間が乳酸地獄によって立ち上がれなくなる状態に似ていた。
そんなシュレイの様子に、ミュウが肩を抱き、こちらに視線を向けているパーシエとガルに対して問い掛ける。
「ま、まあ、俺ももうボロボロだし…………」
「何言ってんのよ。というより、そこのボクはヤル気満々みたいだけど?」
「へ? がっ!?」
ミュウの言を受け、パーシエに対して向き直ったガルであったが、そんな油断は戦いの際には禁物であった。
パーシエが指さす先に視線を向けると、両の目に礫が直撃したのだった。
「いて、いて、いてえっ!!」
「ばーか。何、油断してんのよ……。しかし、随分な回復量だこと。回復した側が死にそうになってりゃ、世話無いけど」
両の目を抑えて踞るガルに対し、馬鹿な子どもを見る母親のような目を向けたパーシエは、少女を腕に抱いて地に降りたる少年へと目を向ける。
「すまん、アリア。無理をさせちまって」
「これが……最後よ…………」
パーシエの視線に一睨みを返したアイアースは、力を使い果たしてぐったりしているアリアをミュウに預けると、再び剣を構える。
先ほどのシャルとガルの戦闘の合間にアイアースに駆け寄り、粉々になりかけたアイアースの下半身の治癒を施したアリアであったが、すでに肉体も精神も限界が近かったようであり、骨や神経をかろうじて治癒したのみであった。
しかし、全身の傷などは今更であり、アイアースにとっては再び戦える状態になっただけでも僥倖であった。
「…………シャルさん。まだ、行けるか?」
「――問題はない。しかし、そなた……」
「どちらにしろ、あの馬鹿の方は倒さなきゃならない。だったら、確実に倒せるようにした方がいい」
「死ぬわよ?」
「死なない」
そう応えたアイアースは、ゆっくりとガルに向かって歩き始める。
「ちょ、ちょっと」
「待て」
その様子を見たミュウが、驚きと共に声を上げるが、身を起こしたシュレイがそれを抑える。
「ふーん、考えたじゃない。ま、こっちとしてはどっちでもいいんだけどね。別にあんた達を殺すことが目的じゃないし」
「え? え? どういうことすか? 姐さん」
「自分で考えな」
シュレイと同様に、パーシエもアイアースの意図に気付いたのか、感心したように頷いている。しかし、等のガルの方は先ほどまでとは異なる行動に困惑している。さらに、彼にとって不運なことに、先ほど眼球に直撃した礫の影響で、視界がぼやけたままであったのだ。
しかし、パーシエに突き放された以上、出来ることをする以外に手はなかった。
「このっ!!」
戦斧を失ったとはいえ、その肉体そのものが強力な武器になる。キーリアと同様に、この手の人体改造は肉体そのものの強化。そして、その拳は文字通り岩をも砕く。
そして、思いきり振りおろされた拳の速度もまた、常軌を逸する速度でもあった。
「っ!!」
それまで前だけを見つめていたアイアースが顔を上げると、その巨大なこぶしが彼の脇をすり抜け、地面に突き刺さる。
「あり?」
それまで、ほぼ必中状態であったガルの攻撃が外れる。アイアースはゆっくり歩みを進めているだけであり、自分が外したことを疑うことのないガルは、困惑と苛立ちとともに、次々に拳を繰り出していく。
しかし、次なる一撃もアイアースの脇をすり抜け、砂塵を巻き上げるだけであった。
「くそ、くそっ!! な、なんで当たらんっ!?」
「無い脳みそを使おうとするんじゃないわよ。思いっきり殴ればいいのよ」
「へ、へい……」
苛立つガルに対し、パーシエがあきれたような口調で言うと、ガルはいったん攻撃を止め、思いきり振りかぶる。
(まずい……っ!!)
それまで、余裕を装って歩みを進めていたアイアースであったが、今度は歩みを止めて剣を構え直す。
相手は格上、それ故に相手の油断の乗じるしか手はなかった。
ちょうどこちらにダメージを与えたところ、そこに格下のアイアース自身が血迷ったかのように見える行動を取れば困惑もする。はじめの一撃を、余裕を持って変わることが出来たためにガルの困惑も増したのである。
だが、本来圧倒的な力の差を持つ相手の迷いのない一撃ともなれば事情は変わってくる。
そして、振りおろされる拳。アイアースは歯を食いしばり、一気に身体を跳躍させる。一か八かの跳躍であったが、普段以上に身体が軽くなっているように思えた。
「あれ? 今度は当たりそうだった??」
「そ、それでいいのよ。まあ、ちょっと遅かったけどね」
「へ?」
「こんにちは」
そんなやり取りが耳に届き、振り返ったアイアースの目に飛び込んできたのは、懐に飛び込んだシャルが繰り出す無数の光の束がガルの身体を貫いていく光景であった。
なんか、強キャラはみんな女だな……。
とまあ、よけいなことはおいておいて、一応復帰二回目の投稿になります。
どうにも前のように書けない感じが続いていて、おかしな点がいくつもあるかも知れませんが、ご指摘やご感想等をお待ちしております。




