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第5話 猛獣の斧①

 空が白み始めた。

 この頃になると周囲の様子から木々の姿は消え、山肌がむき出しとなる無機質な大地へと変わっていく。

 山岳の頂上が間近となり、森林限界を超えても植生していた樹木の姿は見られないところまで来たのだった。



「それにしても、変なところに道を作ったものだ」



 周囲を包み込む寒さと不気味な気配を察しつつ、アイアースは視線の先に山脈の頂を映しながらそう口を開く。戦いの前の高揚感が去り、ひどく冷淡な気分になっているのだ。



「金という名の欲望の果実が行き着く先は果てしない」


「ん? 何の話だ?」



 アイアースの言に、シュレイが淡々と答える。


 突然の話に対する平坦な対応に、他の者達は困惑し、ミュラーが首を傾げながら問い返した。



「人の欲望ってヤツを例えた話だ。これだけ危険な道でも、越えた先には金が転がっている可能性がある。その可能性だけを信じて危険に挑む命知らずはいくらでもいるって事だ」



 シュレイもまた、肩をすくめながらその問い掛けに答える。


 その軽さを含んだ動作に、他の者達は以外だと思いつつも、その説明に頷く。それまでの態度から冷淡な男である印象が強かったのだが、今回のような軽口を叩く場面もある。


 それは、戦いの前であるが故の本心が出たのかも知れなかった。



「それで、あの人達も命知らずってことですか?」



 と、ザックスが前方を指差しながら口を開く。


 見ると道端に腰を下ろす一組の男女の姿が目に映った。


 双方ともに若く、峠越え用の装備に身を包み、商品と思われる大量の荷物を傍らに身を休めている様子だった。そして、向こうもこちらに気付いたのか、男の方が立ち上がってこちらに向かって手を上げた。



「おーい、待っていたよ」



 そう言いながらこちらに歩みを向ける男。その表情は、人好きする笑顔を浮かべていた。



「なんだ? てめえは?」


「ああ、すいません。依頼を出したのは我々なんですよ。ちょうど、隊商が被害にあったのでね」



 訝しげな表情で男を睨むミュラーに対し、男は笑みを浮かべたまま答える。

 アイアースも、留め具を外しながら男に視線を向ける。商人にしては体つきはがっしりしており、動作に隙はない。


 何より、民間人がこんな危険な場所にいるのもおかしすぎる。



「んなこたあ、はじめっから知ってんだよ。てめえ、何もんだ!?」


「っ!? ミュラーっ!! 跳べっ!!」



 そんなこともあり、さらに男に詰め寄るミュラーであったが、彼もまた男に対しては十分に警戒している。間合いにしても、動作にしても不意を討たれる要素は何一つ無い。


 しかし…………。



「なに!?」


「っく!?」



 アイアースの言より早く、シュレイがミュラーを押しのけ、飛び退きざまに男を切り伏せる。

 後方へと着地したシュレイの脇腹から血が吹き上がるのと、男が衣服の破片を周囲にばらまきながら女の元に着地したのはほぼ同時であった。

 そして、先ほどまでミュラーが立っていた場所から伸びる一本の剣。それが蠢きはじめると、剣を中心とした大地がひび割れ、周囲を揺らしはじめる。



「悪いな大将。大丈夫か?」


「ああ、まったく趣味が悪い」


「まったくだ。地下からの奇襲とわな。気配も完全に消えていやがった」


「そうじゃないっ!!」



 地下から現れるであろう者の出現を待ち、口を開いたミュラーであったが、シュレイが珍しく声を荒げたことに目を丸くする。


 アイアースや他の者達も同様であった。



「上位№を集めた理由か……。こんなヤツラを相手にするのか……」


「どういう…………っ!?」



 顔をゆがめながら、口を開くシュレイに対し、問い掛けようとするアイアースであったが、眼前の事態に言葉を詰まらせる。

 地下から大地を切り裂きながら現れたそれと、目の前に立つ男女の姿に息を飲んだのだ。


 先ほどシュレイに切り裂かれた衣服をさらに破るように盛り上がる筋肉。額から伸びる鋭い角。口元から伸び始め、唾液によって光る牙。手足の指先から伸びる鋭く太い爪。喉元をはじめとする急所を覆うように生える体毛。尾部から伸び先端に柔らかな毛を生やす尾。

 男のそれは上半身むき出しなところに、鍛え抜かれた強健な肉体が見え、女の方はやや人間の面影を残しつつも男と同様に随所に盛り上がった筋肉に加え、非常にグラマラスな肢体を隠すことなくさらけ出している。



「な、なんだありゃあ?」


「牛か?」


「ミノタウロスってのを本で見たけど、それに似ているな」


「好きに呼びな。行くぜっ!!」



 男女の姿に困惑する一同に対し、男が咆哮しながら地面を蹴る。


 地下から現れたのも同様の人間で、その対処に追われたミュラーに対し、男が手にした斧を振り下ろした。



「っ!? ごふっっ……」


「ミュラーっ!?」



 肩口から左腕にかけ手を切り落とされ、口から血を吐いたミュラーはバランスを崩し背後の崖から転落していく。

 とっさに腕を伸ばしたアイアースも運悪く失われた左腕を掴むことは敵わなかった。



「貴様っ!!」


「――――ふんっ。…………あぐ」


「っ!?」



 咄嗟に剣を構えて男に斬りかかるアイアースであったが、背後に飛び退った男は、アイアース等を見下ろすと、手にしていたミュラーに左腕を口に含む。

 ゆっくりと咀嚼した後、吐き出された左腕は無残な姿となって大地に転がる。



「まずいな……。所詮は、化け物か」


「おのれっ!!」


「ミュウっ!! 援護しろっ!!」



 そんな男の言に対し、ザックスとアイアースが地面を蹴って男へと向かう。

 咄嗟のことで、ミュウのことをそのまま呼んでしまったアイアースであったが、今は怒りの方が先に立っている。



「行かせんっ」


「邪魔だっ!!」



 男への道を遮ってきた牛人に対し、アイアースは一撃をかわすとためらうことなく首筋を薙ぐ。

 目を見開いた牛人は、そのすぐ後に飛んできた火球によって全身を焼かれていった。



「おっ!?」



 その一連の動作に男も驚いたようであったが、すぐに斧を構え直す。



「貴様っ!! ミュラーの仇だっ!!」


「ふん、来な」



 右手の剣を横に薙ぎ、手首を返すように跳ね上げる。しかし、剣が弾かれただけで男の斧が動くことはなく、首筋を狙うはずであった左手の剣も空しく斧に激突するだけであった。


 アイアースは、一連の動作に歯を軋ませながら男を睨むと、身体を回転させるようにして蹴りを見舞う。



「っ!?」


「遅いねえ」


「っく、放せっ!!」


「言われなくてもそうしてやるよ」



 しかし、アイアースの蹴りは男にあっさりと受け止められ、逆に足首を掴まれただけであった。

 悪あがきとばかりに叫ぶアイアースであったが、男は小馬鹿にしたようにそう口を開くと、アイアースを掴んだまま振りかぶり、その身体を大地へと叩きつけた。



「がはっ!!」



 一度の振り下ろして、固い岩盤が破壊され、破片が周囲に舞い上がる。しかし、男は一度でやめることはなく、二度三度と繰り返しアイアースの身体を叩きつけた。



「がっ!? ごふっ!? ぐうおおおおっ!?」


「お?」



 全身が避けるような痛みに襲われ、口から血が噴き出してくるが、4度目の振り上げの際に手にしていていた剣に力をこめる。

 手首を振るって剣を回転させると、アイアースは全身に浮遊感を感じた。



「へえ、子どもの割にはやるじゃない?」


「そうだな」


「お?」



 そのアイアースの動作と血が噴き出す手首を見ながら感嘆する男に対し、ザックスが静かに接近すると、手にした大剣を振り下ろす。



「うおおおっ!?」



 左の腕は、手首に加えて肩からしたが失われていた。



「てめえ、痛えじゃねえかっ!!」


「むっ!?」



 それでも余裕があるのか、男はそんなことを口にしながら跳躍すると、一瞬のうちにザックスの後方へと降り立ち、残された右腕に持った斧を振り上げる。


 しかし、その右腕も斧を握ったままゆっくりと地面に落ちた。



「おおっ!?」



 再び、驚愕の表情を浮かべ、虚空を見上げる男の顔にかかるいくつかの水滴。アイアースは虚空を舞ながら、一つの影がザックスの傍らへと降り立つ様を見て取った。



「ったく、いきなりやってくれたな。この化け物が……」



 失われた左肩から血を滴らせながら怒声を上げるのは、先ほど崖から転落したミュラーである。肉体改造のおかげが、怒りにまかせて生きながらえていたようである。


 そのせいか、口調の昨日のように冷静なモノになっている。



「ただでは殺さぬ」


「ほう、言うじゃないか」



 しかし、怒りに燃えるミュラーに対し、両の腕を失ったはずの男は冷淡な笑みを浮かべながらそう口を開く。


 ミュラーとザックスが、さらに青筋を立てたが、男は先ほどと同様に目を見開くと、全身から闘気のようなモノが漂いはじめる。



「なっ!?」


「ぬんっ!!」



 皆が驚愕したときには、男の両の肩からはえるように両の腕が伸び、元通りに再生される。


(再生能力??)


「ぐっ、ごほごほっ!!」


「大丈夫か?」



 身体を回転させながらそんなことを考えつつ着地したアイアースであったが、同時に胃に溜まっていた血の塊が一気に噴き出してくる。

 駆け寄ってきたシュレイとミュウが簡単な法術を施してくれているが、身体の痛みはなかなか引かなかった。


 人であれば、最初の一撃で潰れてしまうほどの攻撃だったのだから当然であるが。



「どいて……」



 そんなアイアースの背後から、控えめな女の声が耳に届く。


 ほどなく、全身の痛みは遠退き、口からはき続けていた血の塊も止まっていく。



「ガキのクセに無茶し過ぎよ」


「すまん、アリア……」



 回復系の法術を操ったのは、少女のような小柄な外見を持つアリアである。


 アイアースに対してガキというように、年齢も経験も彼女の方が上であるという。しかし、アイアースは今眼前にいる女性の顔立ちに改めて息を詰まらせた。



(やはり、似ているよな?)


「なに? 用ならあとにしな」



 アイアースは脳裏に浮かぶある女性の姿を思い浮かべてるが、アリアにアイアースの心のうちが読めるはずもなく、彼女は今も男を対峙する二人の元へと歩み寄る。



「ふっ!!」


「むっ!? 何のつもりだ?」



 背後から伸びたアリアの手に一瞬驚きの表情を浮かべたミュラーであったが、ほどなく彼女の手先に対してそれ以上の驚愕を知る事になる。


 アリアがミュラーの肩口に手を当て、撫でるように手を動かすと、そこには失われたはずのミュラーの左腕は復活していったのだ。



「はい、終わり。先に言っておくけど、しばらくは無理だからね?」



 そう言って、アリアは後方へと飛び退った。回復役を自認しているためか、体力の温存を図るつもりであろう。現に呼吸は荒くなり、顔色も悪くなっている。



「ご苦労。二人とも、一旦下がれっ!!」



 それを確認したシュレイが二人に対して口を開く。


 一瞬、顔を合わせたミュラーとザックスであったが、相手の力量を知った今、無茶をして良いわけがない。



「ふうん、さすがにここに派遣されるだけのことはあるか。用意も周到だ。まさか、こいつがあっさりとやられるとは思わなかったしな」



 そう言って、男は地面に転がる牛人の骸を拾い上げると、無造作にその肉を咀嚼しはじめる。



「うむ。やはり、元人間としては、共食いよりも家畜の肉の方が良いねえ」


「人間……だと?」



 一瞬、その遠慮のない所作に嫌悪感を示したアイアース立ちであったが、男の言に思わず目を見開く。


 たしかに、人間の面影を多く残しているが、ティグ族やレア族のような人間が主体の種族でもなければ、竜人のような亜人とも異なる。

 変に人間的な部分を残してながらも、急所を覆う体毛や伸びた爪や牙は人とは大きく異なるのだ。


 背後にいる女性の方はティグやレアとも遜色のない姿と言えるが。



「そうさ。お前さん達よりも良い感じだろう」


「いや、中途半端で気味が悪いぞ?」


「う……言うじゃねえか。小僧」


「馬鹿、挑発してどうする」


「そんなつもりは……」



 得意げに話す男に対し、アイアースは思ったままに口を開くが、男にとっては少しショックだった様子で、アイアースに対して鋭い視線を向けてくる。

 シュレイの言の通りであるならば、余計な中傷で怒りを煽ってしまったようである。



「はいはい、化け物には変わりないんだし、あんたは少し大人しくしてな」


「で、ですけどパーシエ様」


「なに? あたしの言うことが聞けないの?」


「う、わ、分かりやしたよ」



 だが、男の怒りも背後からの女の言によって押しとどめられる。パーシエと呼ばれたグラマーな女は、変身体となってもその美貌が残る目元に静かな怒りをたたえ、男を抑えた様子である。


 意外なことに、主導権は女の方にある様子だった。



「どうする? 一旦引きますか?」


「無理だ。ヤツラは遊んでいるだけだし、背後を見せれば途端に刻まれる。正面から戦って勝つしかない」



 そんな二人の様子に、わずかな隙を感じたアイアースは、傍らのシュレイに対し小声で口を開く。しかし、相手の力量を見抜いているシュレイはあっさりとその提案を却下し、剣を構える。



「さあて、けっこうやるみたいだし。あたしの下僕達の相手でもしてみなよ。全部倒したら、こいつとまた戦わせてやるよ」



 そう言って、パーシエが手にした斧を大地に振り下ろす。すると、それを合図に再び大地が震え始める。



「第2ラウンドってヤツか……」


「ラウンド? まあ、やるしかあるまい」



 アイアースの言に再び武器を構える7人。戦いはまだ始まったばかりであった。

新章になって少し雰囲気が変わったかも知れません。

もしよろしければ、感想とかいただけるとありがたいです。

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教団の人体実験被害者とか…?
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