第4話 つかの間の休息
降りしきる雨は、針葉樹の間から大地を濡らしていた。
街道から外れた森の中である。大型獣の討伐任務であるのだが、出現地点に対してわざわざ正面から挑む馬鹿はいない。
こうして相手の動向を探りながら迂回して接近する方が危険は薄まる。
与えられた情報も、“大型獣”による旅人や商隊への被害が多発していると言うことだけである。
無茶苦茶な話であるが、人体実験によって人たる身でなくなった者達に、十分な情報など不要という考え方が教団にはあるようだった。
そのようなものが無くとも正面から打ち払えばいい。ということである。
簡単にいってくれるが、かつての“キーリア”の勇名は、多くの人間にそれを納得させている。
死ねば単なる実力不足。どのみち長生きはできない不良品扱いというわけである。
栄光の帝国近衛軍亡き今、人たる身ではなくなった化け物達の扱いなどたかが知れていた。
「あと、どのくらいなんだ?」
「半日と言ったところだ。夕刻には接近できる」
沈黙を破るように口を開いたミュラーの問いにシュレイが答える。8人一組の一行であったが、雨の中誰一人言葉を発することなくここまで来ている。
ミュラーの問いもシュレイの答えも簡潔だった。
(雰囲気は感じ取っているな……当然だが)
当初は情報の少なさに、不満が口をつく場面もあったのだが、目的地が近づくにつれその禍々しい雰囲気に包まれる周囲の様子を全員が感じ取っているのだ。
その後も、周囲の森林が数を減らし、山岳の頂が近くなるまで皆、口を噤んでいた。
「一旦休息する。対象は近い、身体を休めることのできるのは最後だと思っておけ」
先頭を歩くシュレイが雨をしのげる岩場に入ると全員に向き直ってそう口を開く。
皆、濡れた衣服を脱ぎ身体を拭っていく。
「さてと、食い物でも取りに行くか。小僧、付きあえ」
髪と身体を拭い、装備を外したアイアースにミュラーが声をかける。
特に反対する理由のないアイアースは頷くと、双剣と暗器だけを持って後に続く。ミュウも今回は着いてくるつもりはないようだった。
わずかに口に出来そうな木の実を取り、木から飛び降りる。
軽い浮遊感と全身を包む風の感触を感じながら大地に身を任せる。水分を含んだ土は柔らかく、着地のダメージも問題ない。
「食い物って言っても、こんな辺鄙なところに食えるもんなんかあるんですかね?」
「その辺はついでだから問題ない」
「ついで?」
そう言ったミュラーは、背後に向かって小刀を投げつける。ほどなく、断末魔とともに倒れ込む獣の姿が目に映った。
「よし、食いものはこの辺で良いだろ」
「じゃあ、戻りますか?」
「ああ、用足しを終えてからな」
「用足し…………っ!?」
獣を一瞬で仕留めたミュラーにアイアースは軽く身震いしつつも、満足げに頷いた彼に同調する。しかし、その笑みが瞬時に曇ると尋常ではない殺気がアイアースの全身を襲う。
とっさに構えた双剣に激しい衝撃を感じたのはそのすぐ後であった。
「っく!? 何のつもりだっ!!」
突然の凶行にアイアースは眉間に青筋を浮かべながら、声を荒げるがミュラーはそれには応えずに、片手に構えた大鎌を振るう。
小柄な体躯から繰り出される高速の技。
狂い無く振るわれる刃がアイアースの首に迫るが、アイアースは身を投げ出すように前方へと飛び込むと、剣を握ったままミュラーの足を払う。
瞬時にそれを察したミュラーが跳躍するものの、踏みきった足にアイアースの腕が届き、空中にてバランスを崩す。
お返しとばかりに握った両手をついて身体を跳ね上げるアイアースはミュラーに対して蹴りを見舞った。
「甘い」
しかし、短くそう言ったミュラーはアイアースの勢いのついた蹴りをあっさり受け止めると、身体を捻りながらアイアースの身体をさらに上空へと放り投げた。
景色が二転三転しつつも体勢を立て直したアイアースであったが、視線を地面へと向けたと同時に頭部に衝撃を受ける。
ミュラーは着地と同時に地面を蹴り、アイアースのさらに上へと跳躍していたのだ。
「がはっ!?」
勢いよく地面に叩きつけられたアイアースは、跳ね上がった泥水を全身に浴びる。
「腕は、悪くはない。だが、それでよく10番台にいられるな」
「痛てて……、№については俺だって知らねえ」
「チームに恵まれたか、はたまた運が良いのにか……ってところか」
「口調が変わっているぞ」
「ふん……」
再びミュラーが地を蹴る。
剣と鎌。アイアースが持つ双剣もやや長めのモノであるが、大型の鎌ほどのリーチはない。当然、懐に飛び込めればアイアースの方が有利であるはずだったが……。
「くっ、重い……」
「どうした? まだまだ余裕みたいじゃないか?」
ミュラーも当然のように懐に入りこむ隙を見せず、アイアースの剣をいなしていく。
幅の広い鎌は盾代わりとなって剣を受けることもできるし、柄の部分を駆使して打撃を加えても来る。
アイアースも格闘技を繰り出して牽制しているが、決定打にはなりそうもなかった。
「はあ、はあ、はあ……」
ミュラーもアイアースもお互いに身体に傷を負ってはいない。
だが、肉体の差がそのまま体力の差になっている以上、アイアースが先に息を上げるのは必然でもあった。
「どうした? 根を上げるにはまだまだ早いぞ?」
疲労のためやや動きの鈍ったアイアースの耳に、そんなミーノスの言が届いた。
◇◆◇
剣戟の音が耳に届く。
(思っていたよりもやるようだ)
シュレイは、眼下で打ち合う二人の若者の姿を見つめつつそう思った。
打ちつける雨によって音や匂いが掻き消されているのが幸いしているため、二人の立ち合いに割ってはいるつもりはない。
ミュラー自身、カズマの外見と№の差を受け入れがたい様子だったのだ。自分の腕で試してみるのが一番分かりやすい。
「お二人ともまだまだお若いようですね」
背後に立つシャルが、自慢の赤髪から水を滴らせながらそう呟く。
彼女自身も十分若いが、カズマは10代、ミュラーも20前後と自分達よりも年下だ。シュレイから見てみれば、弟たちがじゃれ合っているようにも見える。シャルも同様なのであろう。
(弟たちが生きていれば、あのぐらいか……)
そんなことを考えているシュレイに耳にもとに、シャルの柔らかな手が添えられる。
「して、あの者達…………いかがいたします?」
「お前はどう思う?」
「…………皆、教団には不信を抱いている様子。国の現状にもまた……」
シャルの問い掛けにシュレイは静かに問い返すと、シャルは自身の思っていることを隠すことなく告げる。
任務の前から全員の様子は探ってある。
皆が皆、“者”達をはじめとする教団中枢には反発した過去が確認でき、加えて異例なことであるが、全員が“志願”してきた者達であるのだった。
かつての帝国近衛軍『キーリア』の幻影を追って志願する者もいるが、多くが教団に洗脳に近い形で忠誠を誓い、帝国そのモノを守護するという青雲の志など忘却してしまう。
奴隷として買われた者や親族などに売り払われた者、極刑からの助命を条件に受け入れた者など出自は様々であるが、志願者ほど教団への忠誠と巫女への信心は強くなる傾向にあるのだった。
「出自に関しましては、男娼に娼婦、孤児、暗殺者、闘技奴隷。どん底の人生を抜け出すための理由としては妥当でありますが……」
「教団に心まで奪われてはいない……か」
「それどころか、憎悪しているようにも見えます」
「ふ、全員シロだ。背後を洗わせろ」
「御意に」
シュレイの言に頷いたシャルは、羽織っていた上着を脱ぐと下着のみの姿となる。
そして……。
目を閉ざしたシャルがゆっくりと精神を集中していくと、彼女の身体は柔らかな輝きを放ちはじめる。
そして、ゆっくりと背中よりこぼれ出す白き光。やがてそれは、形がはっきりしていき、複数の翼となってシュレイの視界へと映り込んだ。
「相変わらずの美しさだな。雨だというのがちと惜しい」
「褒めたとろで、抱かせはしませぬ」
「ちっ……。うぬぼれるつもりはないが、お前の眼鏡に敵う男になったとは思うがな」
「それは、間近で見続けた私が一番知っております。ですが、あの方を裏切るわけには参りませぬ故」
「はは。ほら、持っていけ」
先ほどまでの冷静な態度から一変、戯けたような視線を向けたシュレイに対し、シャルはぴりゃりと言い放つと翼を羽ばたかせる。
真面目にそう応える彼女に、シュレイは予備の薬を持たせる。それを受け取ったシャルは、自慢の翼をかって一瞬のうちにシュレイの視界から消えていった。
「相変わらず、規格外だな……あいつは。まあ、今回は出番もないだろうしな……」
そう呟いたシュレイは、再び眼下の二人へと視線を向ける。
相変わらずの激しい打ち合いであったが、先ほどまでのようにミュラーが優勢のままではなかった。今では、カズマも剣を打ち込んでおり、その様子はまさに互角でもあった。
(ほう……、逆境にて力を出すか。それにしても、双剣と鎌か……)
「なかなか頼もしいじゃないか」
二人の戦いの様子に満足げに頷いたシュレイは、次に起こったことに目を剥くことになる。
ミュラーがカズマの剣を弾き飛ばすと同時に、鮮やかなオレンジ色の光が二人を包んだかと思うと、巨大な火球が二人を包んだのである。
◇◆◇
剣を跳ばされるまでは計算通りだった。
自爆に近いやり方であったが、相手に一泡吹かせるには十分だと大鎌をいなしながら思ったのだ。
そして、周囲を包むオレンジ色の光。熱気と風が周囲を包み込む。
その光景を見ながら、アイアースは全身に激しい睡魔が襲ってくることに気付いていた。
◆◇◆
目に飛び込んできたのは、青白い光に包まれた空間であった。
「う、ん……。つぅっ!?」
目覚めとともに身体を動かしはじめるが、途端に全身を襲う鈍痛。それ故に身体を動かすこと敵わず、ベッドに身を預けるしかなかった。
「こ、ここは……?」
動かない身体であったが、手足の感覚が何やらおかしいように思えた。
何がと言われれば答えようがないのだが、おかしな感覚に全身が襲われている。
「おや? 目が覚めたかい? まったく……、敵の本拠地にかちこむとわねえ。無茶をする子だよ」
声とともにアイアースが寝かされている室内へと入ってくる一人の女性。
切れ長の涼しげな目元、妖艶さと華麗さを織り交ぜた美貌、そして、艶やかな黒髪の間から伸びる一対の羊角。
「お曾祖母様……」
「誰がばあさんだって? ふふふ、とはいえそう呼ばれるのも悪くはないねえ……。肉親がいなくなるのは、魔后の私でも寂しいもんだ」
アイアースの言にそう言いながら微笑んだのは、彼の曾祖母、ヒュプノイアであった。
◆◇◆
(あの時……、おばあ様が助けてくれていなければ……)
“天の巫女”シヴィラ・ネヴァーニャによる火炎法術。
アイアースのそれよりも遙かに強力なその法術によって、傀儡子と同じようにアイアースの肉体は灰となっていたことであろう。
側近の男二人を戦闘不能に追い込んだだけでも奇跡的であったのだが、あの時は感情が暴走していた。
結果、油断を招いてシヴィラに敗れたのだった。
(あれから7年か……。よく生きていたものだ)
魔后の力を持ってしてやっと生きながらえたという事実。それは、シヴィラと自分の間にある越えることの出来ない力の差であった。
しかし、差があったとしてもシヴィラとアイアースがともに天を戴くことはない。
あの後、シヴィラが失脚したとの話も聞いていたが、そんなことは関係が無い。
不意討ちで母リアネイアを討ち、父ゼノスや宰相メルティリアをはじめとする多くの人間達の命を奪った。
直接手を下したわけではないが、彼らの死はすべてがシヴィラの名のものとにもたらされたのである。
(結局、あのままではヤツとの差は開く一方だった……だから、俺は)
教団の懐に入りこみ、人たる身を超えた力を身につける。
それと同時にいつ刻印が暴走し、肉体が消滅するのか分からない恐怖との戦い。そして、全身を襲う得体の知れない苦痛。
だが、それらはすべてシヴィラを討つための手段であった。
(シヴィラっっ!!!!!)
思わず、手に力が入る。
「あいててててっっ!?!?」
と、同時に耳に届く男の悲鳴。目を見開くと、自分が背をわれたまま何かを握りつぶしかけている事に気付いた。
「て、てめえっ!! 起きたんだったら下りやがれっ!!」
「あ、すまん」
声の主はミュラーである。どうやら、先ほどの立ち合いは自分の負けであったようだ。
「ったく。火傷はするし、よけいな傷はできるし……。ついてねえぜ」
「仕掛けてきたのはあんただろ。…………てか、あん時と様子が」
アイアースは先ほどまでのミュラーの姿を思いかえしながらそう問い掛ける。
大鎌を振るうミュラーの姿は、それまでの軽薄なものから一変していたのだ。そして、そんあアイアースの言に、ミュラーは再び表情を引き締め、目には尋常ではない光を称えている。
「軽薄と思われていた方が便利でな」
「なんでだよ……」
「堅苦しい人間と親しくしたいと思うか? 情報源を得るには、少し足りないぐらいの方が良い。もちろん、女も口説きやすいしなあっ!!」
そして、再び下の態度に戻る。なぜかは知らないが、ひどく興奮しているようにも思えた。
「まあ、さっきは悪かった。お前の実力を信じ切れなかったんでな」
「いや、それは当然だ。俺とて、無茶をする以外になかったし」
「自爆ってのは関心せんがな」
「使うときは決めてある。あのぐらいのはったりができないとな」
「ふうん……。ま、明日の戦いは期待しているぜ?」
アイアースの意味深な言に、ミュラーは一瞬目を光らせるが、すぐに興味のなさげな表情を浮かべる。彼にとっては、アイアースが自爆してでもどうにかしたいような状況には興味もないのだ。
そして、再び口元に笑みを浮かべると、握りしめた拳をアイアースに対して掲げる。
アイアースもまた、差し出された拳に力強く自分の拳を合わせた。




