第24話 蒼天の御旗の下で②
大広間から通じる先はかつての自分達の住まいである。
皇族の私室が置かれているが、アイアース等の祖父には一〇〇人近い皇子と皇女がおり、専用の私室が用意されていた。
継承権のない皇族は、基本的に母親の実家や屋敷で暮らすのだが、式典や戦の前には皇宮での暮らしが求められる。
虜囚となれば味方に不利に働くことがあるため、もっとも警備の厳しい皇宮へと匿われるのだ。故に皇宮は非常の広大になっていた。
そして、皇宮にも蔓延る信徒兵達。アイアースは姿を見せると同時に斬り伏せていたが、そのためにシヴィラ達の姿を見失っていた。
「………………どこに行った?」
息をひそめつつそう呟いたアイアースであったが、突如感じる小さな気配。
物陰に息を潜めてそれを待ち、自身の側を通過すると背後から口を塞ぎ、物陰へと引っ張り込む。
何かの衝動を感じて内腑を振り上げたアイアースは、鼻先に当たるふわりとした感触に動きを止めた。
彼の目には、さらりと流れる銀色の髪と鼻先をくすぐる漆黒の翼が映っていた。
「フェルミナっ!? お前、なぜ??」
「ひっ!? …………ご、ごめんなさい」
「謝るなっ。なんで、来たんだっ?」
声を抑えつつ、フェルミナに対してそう問い詰めるアイアース。しかし、彼女はうるんだ瞳を向けながらアイアースに抱きついてくるだけで、口を開こうとしない。
今回の戦いは間違いなく激しいものになる。本来であれば、アイアースですら足手まといになる状況。そんなところに、フェルミナを連れてくるわけにはいかなかったのだ。
そう思いつつ目を向けると、彼女の手から離れたところに転がる小型の槍。両手用の短槍をさらに軽量化した彼女の装備が血に塗れている。
「…………一人で待っていられるな?」
「えっ?」
「お前を連れて行くわけにはいかない。ハイン達のところに連れ戻す時間もないしな」
そう言うと、アイアースは付近の様子を確認した後、フェルミナの額に指をかざす。
「あっ!?」
柔らかな光が灯るとフェルミナが静かに声を上げる。そして、アイアースは剣を手渡しながら口を開く。
「必ず戻ってくる。――――俺以外が来たらためらわずに刺せ。いいな?」
フェルミナに槍を握らせ、そう言ったアイアースはゆっくりと立ち上がり、通路の角から上階へと繋がる階段を睨みつける。
(この先は…………)
そう思いながら、床を蹴ると一気に階段を駆け上がっていく。
「殿下っ」
背後からのフェルミナの声。しかし、振り返ることも立ち止まることもせずに、アイアースはひたすら階段を駆け上がり、眼前に現れた扉を蹴破った。
破られた扉が生き物のように転げ回り、やがてそれがゆっくりと倒れていく。
それを待ってアイアースはゆっくりと室内へと足を踏み入れる。すると、血の匂いに混じり、懐かしさを感じさせる匂いが鼻腔へと届いた。
ここは、皇族のためのサロン。歴代の皇帝の趣味に合わせたのか、広めの作りになっており、書物や調度品に紛れて鍛錬用の器具が置かれていた。
「姉上……」
そう呟いたアイアースの眼前に立つ三人の男女。二人の青年が、少女を守るように室内中央部に立っている。
そして、その背後。ちょうど、シヴィラの背に隠れるように寝かされている一人の女性。先ほどまでの黒い鎧を脱ぎ去り、ドレスのような衣服に身を包んでいる。
「どうです? 美しいでしょう? 皇子殿下」
「懐かしい場所に美しい姉。死に場所としては、もってこいじゃあないですか?」
そして、そんな二人の声は、どことなくアイアースを馬鹿にしているような響きであった。
全身が熱くなるのがアイアースは分かった。そして、鞘から剣を抜き、両の手に構える。
「ふふふ、我々を痛めつけたくなりましたか?」
「そんな趣味はない。だが、…………お前達の命をもらう」
そう言って、両の手に力をこめると、一気に床を蹴り、中央のシヴィラへと躍りかかる。シヴィラは動かぬままそれを見つめ、一気に距離が詰まっていく。
思いきり振り下ろした剣が、シヴィラの首を跳ばす。そう思った瞬間、片腕の剣が弾き飛ばされた。
「俺達も居ることを忘れちゃいけないぜ? 皇子殿下」
アイアースの剣を跳ばした男、ジェスがさわやかな笑みとともにアイアースへと斬りかかってくる。その背後では、ロジェスが全身に光を纏いながらこちらに冷笑を浮かべている。
二人からすれば、暇つぶし代わりの生意気な子どもと遊んでやっている。実力差に加え、連携も可能な状況となれば当然であるかも知れなかった。
「このっ!!」
「おっと。そんなんじゃあ、俺は倒せないぜ?」
片手で剣を跳ね上げ、返す刀で懐を狙う。動作は一定であるが、タイミングを代えて攻め立てていく。
しかし、そのすべてがジェスの剣によって防がれ、体力ばかりが削られていく。
そして……。
ロジェスの手が光を放ったとき、無数の風が刃となってアイアースへと向かってくる。
慌てて横へと飛び退ると、そこに今度は無数の氷の刃が浮き上がりはじめる。
わずかに手をついて身体を跳ね上げるが、アイアースを追うように伸びてきた刃が固や足を切り裂いていく。
「ぐうう……っ!?」
痛みをこらえながら着地した先に再び風、動くことなく全身にそれを受ける形になった。
「つうっ、ぐぅっ、があああっっ!!」
致命傷にならぬよう制御された威力の風が肌を嬲るように切り裂いていき、その度に激痛が全身に走る。しかし、急所は外れているため、痛みだけがアイアースを支配していく。
「ふふふ、さて、いつ弱音を吐くのでしょうね」
「こいつ等兄弟は我慢強いしなぁ。お姫様をやったときの悲鳴でも聞かせてやりたいところだったが、あいにくと我慢しとおしだったし」
「………………っ!?」
嬲る様を楽しげに見つめるロジェスと過去のことを思いかえしながら笑みを浮かべるジェス。すでに、勝利を確信しているのか、何も言わずにその光景を見つめるシヴィラ。
だが、アイアースの耳にはその軽口がたしかに届けられていた。
「相変わらず、下品なヤツだ」
「なんだよ。一応、お前がやれって言うからやったんだぜ?」
「まったく。…………む?」
ふつふつと身体の奥底から込み上げる何か。
二人を睨み付けた時、全身に刻まれる痛みは感じなくなってきていた。
「ほう? 痛みを超越したのかな?」
試すような口調でそう呟いたロジェスに対し、アイアースは一気に間合いを詰めると鳩尾に蹴りを見舞う。
驚きに目を見開き、腹から空気を吐き出し、膝を折ったロジェスの後頭部に肘を入れて強引に床へと叩き伏せる。そのまま顔を削ぐように引きずると、身体を跳ね上げて壁へと放り投げる。
「がはっ!!」
「あ、てめえっ!!」
ロジェスが倒されたことに、驚きの表情を浮かべていたジェスが声をともに剣を振るってくるが、寸前でそれを交わしたアイアースは後方へと跳び退る。
しかし、一気に間合いを詰めたジェスは、連続で剣を繰り出してくる。
「くっ!!」
歯を食いしばりながらそれを交わすアイアースであったが、先ほどの風に切り裂かれた傷を剣が掠め、激痛とともに血が舞い上がる。
思わず剣を取り落とすと、鼻先にジェスによって剣を突き付けられた。
「やってくれるじゃねえかよ小僧っ!! だけどな、これで終いだ。ややこしいことなんでしねえで、兄弟仲良く処刑台に吊してやるよっ!!」
その整った美しい顔を見にくく歪ませながらそう言い放ったジェスは、憤怒の情を隠すことなく剣を振り上げる。しかし、怒りは制御できなければ隙を産む。今回の彼の行動はまさにそれであった。
「っ!!」
アイアースは一か八かと思い、全力で床を蹴るとジェスの顎に向かって飛び跳ね、頭部を思いきりぶつけた。
「ふぐっ!?」
予想外の攻撃をまともに顎に受けたジェスは、身体を大きく仰け反らせる。
それを見たアイアースは、がら空きになった腹部に拳を見舞っていく。小さな身体にあっては、一撃の重さは期待出来ない以上手数の勝負になる。
無数の拳を叩き込むと蹴りを見舞って後方へと突き飛ばすと、アイアースはそのまま後方へと下がる。
「ぐうっ…………」
アイアースが着地し、取り落としていた剣を拾ったちょうどその時、先ほど壁に叩きつけられて気を失っていたロジェスが身を起こしたところであった。
背後に顔を向け、天井から下がった鎖を目にしたアイアースは、それを引っ張って手に取ると、ロジェスに向かって投げつける。
「っ!? があっ!!」
再びの攻撃を受け、口から血を吐き出したロジェスは、再び床に突っ伏す。
そのまま鎖を引き、今度は立ち上がったジェスに対して鎖を叩きつける。右、左、右、左と続けざまに鎖を叩きつけ、次第にその目に視点が合わなくなり始める。
それを見たアイアースは、鎖を投げつけてジェスに首に巻き付けると、勢いに任せてそれを思いきり引く。
すでに意識を刈り取られたジェスはされるがままにアイアースに向かって身体を跳ばす。その向かってくる身体に、拾い上げた剣をためらうことなく突き刺した。
ビクビクと痙攣する身体から剣を抜き、床に転がす。
「はぁはぁはぁ…………」
無茶苦茶な戦い方であり、怒りにまかせて剣を振り、暴れ回った反動からか、全身に痛みと疲労が襲いかかる。
今にも崩れそうな身体を叱咤し、アイアースは剣を構えて事の成り行きを見守っていた少女へと向き直る。
「……そこをどけ」
「いや」
「二人は倒した。お前を戦わせている人間はもういないぞ?」
疲労と痛みとの戦いである。アイアースは謎をかけるつもりでシヴィラにそう問い掛けるが、彼女から帰ってきた反応は、ある意味では予想通りのモノだった。
「戦わせている? 私は、自分の意志で戦っているんだけど?」
「……そうかよ。まあ、そうだと思った」
そう言って、アイアースは剣を構える。シヴィラもまた、表情を変えることなく剣を構えた。
お互い、身体も出来上がっていない少年と少女。
今までの戦い方を考えれば、双方ともに身体が壊れていても不思議ではない者どうし。それでも、運命の悪戯か、こうして剣を構えて対峙をしている。
「一つ聞かせろ。なんで、俺の正体を?」
「答えると思うの?」
「隠す必要もあるまい?」
「自分の胸に聞いてみたら?」
と、口を開いたアイアースであったが、シヴィラははじめて表情を曇らせてふて腐れたようにその問い掛けに答える。
しかし、そのような答えをアイアースが分かるはずもない。
むしろ、こうしてシヴィラに対して声をかけている事すらも不思議であったのだ。
リアネイアをだまし討ちにした敵。それがアイアースにとってのシヴィラであり、父やメルティリア等の仇、帝国を奪い取った恨みは、シヴィラ以外の人間達にぶつけてきた。
「胸か……、俺にとっては、お前は母上の仇以外の何物でもない。いくら問い返したところでな」
「ふーん……。それだけなんだ……」
「何?」
アイアースの答えにシヴィラは興味を失ったかのように、答えると静かに剣を降ろす。
「何のつもりだ?」
「…………」
しかし、アイアースの問い掛けに答えることなくシヴィラは歩き出す。
「つまらないわ。私を苦しめるだけ苦しめて……。あとは、お姉さんと一緒に遊んでれば?」
「――――っ!? ふざけるなっ!!」
「きゃっ!?」
そう言ってアイアースの下から去ろうとしているシヴィラに対し、アイアースは胸ぐらを掴んで引き倒す。勝手なことだけを言い、そのまま逃がすつもりなど無い。
「自分がしたことが何か分かっているのか? 貴様がどれだけ苦しんだかは知らぬが、母上を討ったという事実は消えん。正当な裁きの場に引きずり出してやる」
そう言って、シヴィラの下から身を起こしたアイアースの耳に、聞き覚えのある凛とした声が届く。
「アイアースっ!!」
「姉上ぇっ!!」
振り返った先には、目を覚ましたフェスティアが、ベッドから立ち、こちらへと視線を向けている。久しぶりの、それも生き別れとなった後の再会である。
甲冑や軍服姿が強く印象に残っているが、今のドレス姿も清楚な美しさを強調していた。
ゆっくりと段を上がり、フェスティアの待つ壇上へと歩くアイアース。
傷を負った身体は、駆け上がることすらも不可能なほど疲弊していた。
だが、後のことはフェスティアが何とかしてくれる。シヴィラに戦う意志はなく、他の二人には重傷を負わせている。
後は、宮城を制圧した国軍兵達が雪崩れ込んでくるのを待つばかりであるのだ。
…………しかし、アイアースはこの状況を甘く考えすぎていた。
否、戦いを知ったからこそ今の状況が彼の心に安堵を与え、それ以上のことを考えさせなかったのかも知れなかった。
「えっ!?」
突如、フェスティアの姿が陽の光を受けたように輝きはじめ、周囲の景色が歪みはじめる。ついで、全身に感じる浮遊感。そして、全身が熱くなり始める。
刹那、アイアースの眼は、無数の陽が一気に炸裂したような猛烈な光によって支配された。
◇◆◇
かしゃりと音を立てて、一対の剣が床に落ちる。
フェスティアは、今眼前で起こったこの状況が理解できなかった。ただ一つ、認識していたのは、目の前でアイアースが消えたという事実だけであった。
「え? え? 何、何が、起こった??」
そう呟きつつも身体は自然と剣の下へと歩み寄る。全身から力が抜けており、そのわずかな距離であっても足取りは重く、たどたどしい。
「…………っ!?」
ようやく剣の下へとたどりついたフェスティアは、震える手でそれを掴む。剣は燃えるように熱く、彼女の手を焦がしてゆく。
不意に涙がこぼれた。熱いのではない。全身を襲う喪失感が、それをこぼしたのであった。
「ふ、ふふふふ…………はははははははは。これが、これが屈辱に耐え、生き続けてきた者を待つ結末か。はっはっはっはっはっ…………」
自分の意志とは関係無しに、笑みがこぼれはじめる。頭の中が白くなり、すべて壊れていくように思えた。
それでもなお、胸に剣を抱き続けているのは、失った者に対する温もりを少しでも感じていたかったのかも知れない。
「灰になった人間は、もう戻ってはない」
「ふふふふふふ…………」
「逃避をしている暇があったら、自分にできることをしたら? 皇帝陛下」
「ふふふふ…………はぁはっはっはっはっは……」
「うるさい」
そう言って、シヴィラはフェスティアの頬を張る。すると、光を失っていた瞳に、炎が灯りはじめる。
「そう。そうやって、私に恨みを抱きながら生きてみれば? 簡単に首を跳ばしたら、不満でしょ? 行っておくけど、私達だって長い年月をかけて反乱を用意してきた。玉座を奪い取ったからって、全盛期の帝国が戻ってくる訳じゃないわ」
「貴様……っ。私から大切な者を奪っておいて、何を言うかっ!!」
「奪われたのはお互い様。あなたのお祖父様が、戦争のために何をしたのか……、カズ、アイアース殿下は知らなかったみたいだけど、あなたが知らないとは言わせないわ……」
「お祖父様……? どういうことだ?」
「徐々に思い出してみれば?」
突き放すようにそう言ったシヴィラは、室内にて倒れる二人の元へと歩み寄り、治癒を施してゆく。
その姿を一瞥したフェスティアは、剣を手にしたままゆっくりと立ち上がる。
先ほどまでの身体が嘘のように、自分の思うように身体は動いてくれた。
そのまま、サロンを後にしたフェスティアは、階下へと続く階段をゆっくりと下りてゆく。所々に落ちている血痕。アイアースは、全身に傷を負いながらも自分の下へとやって来たのだ。
…………あの小さな身体で。
「うっ!?」
突如、頭痛とともに脳裏に走る白黒の情景。
ほんの一瞬だけであったが、一つの家族が笑顔を浮かべているような、そんな情景であった気がする。
そして、階段を下りると、わずかな気配を感じた。
「だれか、居るのか? 私は、フェスティア。フェスティア……ラトル・パルティヌスである」
自身の名を名乗る際、フェスティアは一瞬押し黙る。すでに、自分は皇女ではなく、これから復活する神聖パルティノン帝国皇帝である。
心の喪失は大きいが、すべてを支配され、自由を奪われていた身分とは天と地ほども差がある。
「出てきたくなければ、それでよい。私は手を出さぬ」
そう言って、歩き出したフェスティアの眼前に、のそりと姿を表したのは、銀色の髪と漆黒の翼を持つ飛天魔族の少女。フェルミナ・ツェン・フォートであった。
「フェルミナ? そなたまで、このような場所に?」
「…………はい。あ、あの……殿下は?」
飛天魔族の特性故か、以前見た時よりも遙かに成長した姿となっているフェルミナであったが、その性格は変わっていない様子である。
おそらく、アイアースのことが心配で仕方が無く、後をつけてきたのであろう。
「…………これを持って行け」
「えっ? あ、あの…………」
フェスティアは、腰に下げた自身の剣をフェルミナへと差し出す。
アイアースが持っていた、リアネイアとイレーネの剣。フェスティアとしては、これだけは手放したくなかった。
「フェルミナ……。アイアースは……死んだ」
「っっっ!? そ、そんな…………。う、嘘です。殿下は、殿下は必ず戻るからここにいるようにってっ!!」
その大きな目をさらに見開き、同時に大粒の涙をこぼしながらそう叫んだフェルミナに対し、フェスティアは何も答えずに再び口を開く。
「それは、弟への餞。そなたが持っていてもいいし、弟が好きだった場所に埋めてやってもいい……」
「そ、そんなっ!? フェ、フェスティア様っ!!」
「お前は晴れて自由の身だ。元々、結印の外れていない者は主の死によって解放される。その後の扱いは帝国のひいては皇帝の自由。すなわち、そなたは今から自由の身だ。つらいとは思うが、祖国へ帰れ」
そう言い放って、大広間へと向かうフェスティアは、もうフェルミナを見ることはなかった。背後から聞こえるすすり泣きに、フェスティア自身もゆっくりと涙を流していたのだ。
凱旋式典の際に巻き起こった騒乱はこうして終わった。
式典の際、黒騎士の手によって共和政権首脳達は処断され、生き残りも掃討を終えた国軍によって残らず処刑され、しばらくは国軍による治安の回復が待たれることになる。
そして、乱の立役者であるアイアースは、部下のハイン、エナ、ミュウとともに姿を消し、その場に存在していたという事実すらも歴史上から抹消されていくことになった。
そして、すべてが終わった日の夕刻。帝都の上空から一人の少女が無言の虚空へと旅立とうとしていた。
彼女の脳裏に浮かぶ、姿無き敵。そして、愛しく思っていた人の姿。
胸に抱いた剣がその敵の姿は知っている。しかし、今の彼女にはどうすることもできなかった。
その細い腕は、失ってしまった愛しい人にすらおよばぬ小さな力が宿るのみであったのだ。
「殿下……。許さない。絶対に、許さないっっっっっ!!」
その叫びともに、少女は北の空へと消えて行く。瞳からこぼれた大粒の涙を虚空に残して……。
その後の彼女の行方は、ようとして知れなかった。
◇◆◇
華やかな式典を持って皇帝に即したフェスティアは、まずは懲罰行動として親征に乗り出す。
手始めに共和政権を裏で操っていた商業国家ヴェネディアを中心とする内海国家群を攻撃、そのほとんどを討伐することに成功する。
それは、長年にわたって帝国経済を支えてきた内海における水運業の崩壊を意味し、以後、帝国経済はセラス湖を中心とする内陸経済へと転換していく。
結果として、群島地帯をはじめとする外貿易は目に見えて縮小していくことになる。
しかし、帝国の民は、帝政の復活という巨大すぎる時代の変化に歓喜し、内海国家群の崩壊によって得た膨大な戦利品による経済の活性化によって、それらの打撃が目に見え始めるまでの間、この世の春を謳歌することになる。
また、天の巫女シヴィラ・ネヴァーニャ等、教団の関係者達は、フェスティアが囚われの身にあった際に、経験した慈善事業の評価によって、信徒兵の国軍への加入と事業の継続、ついで、教団の本部を辺境の地へと以上することを条件に助命され、そのすべてが帝国の中枢から追放されていく。
ただ一人、天の巫女シヴィラ・ネヴァーニャは、信徒達の象徴としてパルティーヌポリスに残り、以後、年一度の行事を除いて教団との関わりは制限されることになる。
ただし、フェスティアによる国事行為の際には、必ず臨席し、祭事への参加も命ぜられたため、その影響力は消えぬままであった。
とはいえ、、シヴィラの助命は結果として、恐るべき忠誠心を持つ信徒兵が味方となることを意味し、精鋭揃いの国軍によって鍛えられた信徒兵達は、次第に恐るべき戦闘集団へと成長。
懲罰行動としての西方、東方のへの親征の際には、各国の主力部隊を瞬く間に撃破していくことになる。
そして、在位から6年余。
衛星国の討伐を成し、真の意味での大陸制覇を為したフェスティアは、その巨大な経済圏を一つにまとめ上げ、様々な公共事業や法政の整備、国民の慰撫を短期間に行っていく。
その先頭を切って国を導いていく姿に、人々は感銘し、さらなう国の発展へと尽力していく。
しかし、その影では、滅ぼされた衛星国群の民や巨大な権限の下に迫害を受けた民が教団の信仰へと走り、帝国の地盤を緩やかに浸食しはじめていく。
その他にも、社会的な格差や加速的に増え始めた対外戦争による経済の圧迫が年を追うごとに顕著になっていた。
◇◆◇
弟の死を目の前で見せつけられた女帝。
その心の悲しみは、やがて自身を滅びの方向へと導きはじめているのである。そして、その悲しみが向かう先は、帝国の住む数多の民をも巻き込んでゆくのであった。
時代は、まだまだ多くの生き血を必要としていた…………。




