第22話 帰る場所
大通りを舞う紙吹雪が、陽の光を受けて美しく輝いていた。
フェスティアは、顔を覆う仮面越しに広間に集まる民衆に視線を向ける。以前よりも人の数は増えてきたようであった。
スラエヴォ事件からまもなく一年半が経とうとしていた。
フェスティアもつい先日に18を迎えたばかり。帝国が健在であれば、婚姻話の一つも出ていたのかも知れなかった。
しかし、あの一夜の出来事がすべてを変えてしまった。
生まれて初めての敗北と二度と消えることのない屈辱にあいながらも折れることの無かった彼女であったが、彼女は変わらずとも時代は動いていく。
共和政権と教団による血の粛清。皇帝ゼノス、宰相メルティリアをはじめとする多くの要人が斃れ、それまで帝国のあり方が一掃されていった。
その後は巫女を頂点とした民衆による共和政体が国を動かしはじめるはずであったが、相次ぐ衛星国群の反乱や政権運営の混乱により、今では元老達の半独裁状態となって国が動かされている。
生き残った文武の官僚達が奮闘し、民衆生活が破綻することはないが、それでも困窮は事件の前を比べて目に見えて進んでいる。
特に、皇帝の膝元であり、皇帝を慕う帝都の民は目に見えて反発をすることはなくとも、日に日に進む困窮に、帝国の復活を祈り続けていたのだ。
そこに現れたのは、東の女帝テルノアを討ち取った“仮面の黒騎士”。
それまで、戦う意義を見いだせずにいた国軍の士気が復活し、西方国家群の反乱鎮圧にも大きな戦果を上げたその存在に人々は惹かれはじめていたのだ。
そして、多くの民衆は、口のこそ出さぬが、心の奥底で一つの事実を察していたのだった。
“仮面の黒騎士”の正体が、“黒の姫騎士”フェスティア・スィン・パルティヌス皇女であると言う事実を。
だからこそ、それまで沈黙を保っていた帝都の住民達は歓喜を以て凱旋軍を迎え、それまで交流の機会がほとんどなかった流入者達とも肩を組んでそれを祝っている。
流入者達も同様であり、困窮からの脱出を夢見た彼らにとって、夢にまで見た帝都は共和政権の混乱とふさぎ込んだ民衆達の姿であった。
その多くが、スラエヴォ事件前夜の皇室による行幸啓の際に姿を垣間見ただけであったのだが、その姿に希望を見ていた。
そして、その時の光景を無意識の内に眼前の仮面の黒騎士に投影している者が多かったのである。
とはいえ、等のフェスティアはそのような事実を知ることはなく、これから待ち受ける屈辱を日々を前に、人々の笑顔によってその心に救いを与えている最中であった。
◇◆◇
信徒兵達によってハヤトやロッツァ達と引き離されたフェスティアは、使い慣れた自室へと戻された。自由が許されるのは戦の間だけ。
帝国を思い、民を思って起った者達を討ち果たす。その責務を果たすときだけが、彼女に与えられた自由であったのだ。
「お疲れ様でした。どうぞ」
「…………ふん」
女官達の手を借りずに鎧を脱ぎ、身を清めるとはかったかのようにユマが飲み物を差し出してくる。
フェスティア自身、毒ごときで倒されないと自覚しているため、ためらうことなく喉を潤す。
目の前の女官が年齢の割に高位にあることは知っている。今も各地で行っている慈善活動の指揮をとり、巫女への信心を広めているという。
フェスティアからしてみれば、“慈善”ではなく“偽善”の間違いだとも思うが。善意だけの者よりも、実際に活動する偽善者のほうが遙かに有益という事実も存在していた。
「失礼致します」
そして、フェスティアが一息ついたころ合いを待っていたかのように、室内に3人の男が入室してくる。その姿に、フェスティアは毒のこもった視線を向けた。
「入室を許した覚えは無いが」
「許可を必要とした覚えもありませぬ」
フェスティアの嫌味を嫌味で返した男ロジェスは、遠慮無くフェスティアの対面へと腰を下ろした。
物腰は柔らかいが、他人を見下すような視線は常にフェスティアの癇に障る。
「巫女様の体調は、いくらか回復致しました」
「そうか。興味ないな」
ロジェスの言にフェスティアは素っ気なく答える。
アルテナ丘陵の戦いの際、信徒兵の大軍を転移によって送り込んだ巫女は、肉体と精神を消耗させ、床に伏せっていると聞いていた。
自身がもてはやされてばかり居るが、あの戦いの勝利は間違いなく巫女の功績。自分はそれを横取りしたに過ぎないとフェスティアは思ってもいた。
だが、同情する理由はない。精々苦しみ続ければよい。というのが、率直なフェスティアの気持ちだったのだ。
ロジェスもそんなことは百も承知であり、眼前のフェスティアの反応を楽しんでいるふしがあった。
「そうですか。なれば、巫女様のお言葉にはなんの障害もなく従えますなあ」
「民を害せと言う言葉にはしたがえんがな」
「ほほう、では第4皇子の首を…………痛いですよ?」
「斬り飛ばすことはいつでもできる。忘れるな」
フェスティアに対して揚げ足をとるように言ったロジェスの首には、陽の光を鮮やかに反射する双剣が首元を掠めるように突き付けられ、わずかに血が滲んでいる。
皮一枚を残して切り裂くことも彼女にとっては容易であった。
「なるほど。…………そんな、フェスティア様に贈り物がございます」
「なに?」
「……すいませんね。言い訳する分けじゃないけど、こいつは趣味が悪くて」
ロジェスの言に、小山のような大男ダルトスが白い布に包まれた人の頭ほどの大きさの物体をフェスティアの前に置く。
ロジェスに対して視線を向けたフェスティアは、試すような笑みを浮かべるロジェスを一瞥すると、双剣を振るった。
「ひっっ!?」
「きゃあああああっ!?」
途端に、悲鳴を上げるユマや女官達。
ふわりと跳ね上がる白布と白き髪。そして、その場に残されたのは、白き髪と白き肌。そして、眠るように目を閉ざす女性の首であった。
「…………っ!?」
一瞬、フェスティアの思考が停止する。
「たしか、キーリア№7イレーネ・パリスでしたかね? 逃亡先を特定し、ようやく粛正が叶いましたよ。キーリアたる者、皇族や民をほっぽって逃亡するなど言語道断ですのでね」
再び試すような視線を向けてくるロジェスを一瞥したフェスティアは、沈黙したままイレーネの首の前へと座り込んだ。
それを見たロジェスは、席を立つと再び口を開く。
「それでは、二週間後。あなたの凱旋式が執り行われます。巫女様のお言葉の件、お願い致しますよ?」
「………………」
沈黙を肯定と受け取ったロジェスは、ジェスとダルトとともに部屋から出て行った。
「…………まさか、そなたが」
それを見送ったフェスティアは、絞り出すかのような声をその首へとぶつける。
イレーネがアイアースの縛となったことはフェスティアも知っていた。それ故に、もっとも危険な逃避行となることも。そして、アイアースは生き残った。
フェスティアを操る以上、アイアースに手を出すことはない。フェスティア本人だけでなく、ロジェすらもそれを理解しているからこそこのような手を打ったのであろう。
アイアースの死は、フェスティアと自分達の死であることは理解している。だが、それをフェスティアが許容できないことも理解しており、アイアースの命すらも自分達の手の中にあるという遠回しな宣言でもあったのだ。
(イレーネを討てるほどの者が? 巫女とて、あの者相手に無事に済むはずはない)
「イレーネ・パリス…………。自らの生命のためだけに剣を振るい、粗暴で知られるキーリアでありますね」
そんなことを考えているフェスティアの耳に、ユマの苦々しげな声が届く。
慈善を行動規範にする彼女には、イレーネの本心などを知る気もなく、軽蔑の対象でしかないようであった。
「…………」
「っ!? な、なんですか」
そんなユマに対して、フェスティアは怒りと侮蔑を含んだ視線を向ける。それにたじろぎつつも、強気ににらみ返すユマであったが、その身体ははっきりと震えていた。
フェスティアの覇気に当てられて平然としていられる者は少ない。
「去ね」
短くそう言ったフェスティアは、しばらくユマをはじめとする女官達を睨み付けると、彼女らは逃げるように部屋をあとにした。
「そなたとは、話す機会もなかった。しかし、よくぞアイアースを…………。ありがとう」
目頭が熱くなるのをなんとかこらえたフェスティアは、目の前の首に頭を下げた。
◇◆◇
久方ぶりに床を離れた少女の姿は、以前よりも遙かに近づきがたいものなっているように思えた。
「シヴィラ様……」
「大丈夫」
ユマはその小さな背に声をかけるが、シヴィラは短くそう応えただけである。
そして、それを合図に厳かな楽器の音が二人の耳に届く。式典の開催を告げる合図でもあった。
「座っているだけだから」
そう言って、シヴィラは幕の裏側より大広間へと出て行く。ユマは他の女官達とともにそれに続き、巫女が玉座へと腰掛けるのを脇に控えつつ見つめた。
少女の小さな身体に対して、不釣り合いなほど大きな玉座。歴代の皇帝達が座した場所であり、至尊の地位に就いた人間のみが座することを許される場所であった。
そして、開式を告げる元老の声が大広間に響き渡ると、全員が立ち上がり、巫女へと頭を垂れた。
共和政権であれ、巫女は象徴たる存在としてその頂点にたつ。共和と平等はすべて巫女の元において実現されることになるのだった。
「………………」
しかし、今回は少し様子が違っていた。
全員の一礼を待ち、シヴィラからの言葉があってはじめて式は開始される。だが、そのシヴィラ本人が口を閉ざしたまま、視線を天へと向けているのだった。
ほどなく、大広間がざわめき出す。
(…………? 何かおかしい……)
ユマは広間のざわめきに耳を傾けながらもそう思う。今のところは、元老や列席者には告げられていない事であるが、ロジェスが用意した台本の通りに動いている。
だが、ユマの目に映るシヴィラの様子は、とても演技には見えないのだった。
「天は告げます…………。秩序が動くと……」
静かに、そう口を開いたシヴィラに、それまでざわめいていた者達が一斉に口を閉ざす。そして、それを待っていたかのように大広間の扉が開かれる。
そこの立っていたのは、全身を漆黒の鎧に身を包んだ騎士。漆黒の鎧と黒き仮面が全身を覆うため、その性別や素顔を知る事は出来ない。ただ、兜と鎧の隙間から流れるように伸びる銀色の髪が、闇の中を通り抜ける光の束のように周囲に思わせる。
「天命を受けし者よ…………ここに」
シヴィラの言に、鎧に身を包んだフェスティアが堂々たる様子で大広間の中央を歩き、玉座の下へと辿り着くと、その歩みを止める。
そして、シヴィラが元老達へと視線を向ける。
その視線に、ピクリと全身を震わせた元老達は、ハッと我に返り、口を開いた。
「アルテナの英雄にして、今回の戦での戦功、見事なものである。よって、その栄誉を称え英雄勲章の授与を行う。猊下……こちらを」
元老の一人がそう口を開くと、勲章と小箱を差し出す。段を降りた女官の一人がそれを受け取り、シヴィラの下へとそれを持っていく。
「前へ」
女官が傍らに立ち、用意が整うと再び元老達が口を開く。しかし、フェスティア、仮面の黒騎士は、そこに立ったまま動こうとしなかった。
「どうしたのだ?」
元老の一人が思わず口を開く。そして、そちらに視線を向けたフェスティアは、静かに口を開いた。
「勲章の授与。…………下賤なる私には過ぎたる栄誉にございます。それ故、此度の授与は辞退させていただきたく思います」
はじめて口を開いたフェスティアの声に再び大広間がざわつきはじめる。
勲章授与の辞退もそうであったが、何よりも黒騎士の正体が女性であることへの驚きの方が列席者には大きいことのようであった。
「黒騎士殿。たしかに、貴殿は名も名乗らずに戦功を上げ、そのみを知る者は少ない。だが、今回の授与は巫女猊下をはじめとするすべての民の意志でもある。辞退を認めることは……」
「では、勲章を私が望みたるモノへと代えていただきたい」
そして、元老の一人が黒騎士を嗜めるように口を開くが、黒騎士はそれに怯むことなく口を開いた。
「猊下の御前で無礼であろうっ!! 何より、仮面や兜も脱がぬとはどういったつもりかっ!!」
それまでの態度に元老の一人が激高したように口を開く。
鎧に身を包むのは、戦を生業とする人間であれば致し方ない面もある。だが、ここにいたって兜や仮面をつけたままというのはあまりに礼に失する。
何より、今回の式典がシヴィラ側のごり押しという面もあって、元老達にとっては黒騎士の態度が余計に気に障るのであった。
しかし、彼らが居丈高な態度をとることができたのはそれまでであった。
「ほう…………? ずいぶんと偉くなったものよの。ヴェネディアの守銭奴如きが」
「なんだとっ!? 貴様、何様のつもりだっ!?」
「何様だと? そうか…………、私の声すらも忘れてしまったと言うことか」
そう言って、黒騎士は小さく笑う。
「なれば告げようっ!! 私が望むモノは、神聖パルティノン皇帝の冠と帝国の復興であるっ!!」
声を張り上げながらそう叫ぶ黒騎士は、光とも同等の速さで背に隠した剣を取り出すと、一気に元老達の元へと駆けその首を虚空へと跳ばした。
一瞬の静寂。吹き上がった血に、広間に集まる者達が我に返るのはそのすぐあとのことであった。そして、それを待って黒騎士は自信の顔を隠していた仮面と兜を脱ぎ捨てた。
「我が名は、フェスティア・シィス・パルティヌス。巫女による天命を受け、天命に逆らいし者達を成敗いたすっ!! 蒼天と狼虎の御旗に導かれる者よっ!! 逆賊を討てっ!! 天命を受けし巫女の従う者よっ!! その導きに従い、剣をとれっ!!」
鮮やかな銀色の髪が吹き込んだ風に靡く。
大広間にあった者達が見たモノは、死したるはずの第一皇女の姿であった。
◇◆◇
フェスティアの宣誓を受けると同時に、大広間には武装した国軍兵と信徒兵が雪崩れ込んできた。はじめは呆気にとられていた共和政権の首脳達であったが、これがフェスティアと教団による謀と気付いたとき、すでに事態は最悪の方向へと動いていたのであった。
一方的な虐殺と暴行の嵐。くしくも帝国を崩壊させたスラエヴォ事件を見るかのような事態が目の前で繰り返されていたのだ。
「これで、満足か?」
玉座の傍らに立ち、事態を見つめるフェスティアは、玉座に腰降ろしたまま口を閉ざす少女とその取り巻き達に向き直った。
「はい。十分ですよ……。皇帝陛下」
「…………」
「そのようなお顔をおなさらずに。あなた様が心のどこかで望まれていた地位が手に入ったのです。もう少し喜ばれても良いのではないですか?」
「ふん」
ロジェスの言に、フェスティアは鼻で笑うように答え、そっぽを向く。
憧れていた至尊の地位であるが、自分には過ぎたるモノというのは理解している。なにより、操り人形でしかない至尊の地位に何の意味があるというのか。
そんな思いを抱くことしかフェスティアにはできなかったのだ。
「巫女様、お疲れのところをご苦労さまでした。あとのことは我々が引き受けますので、事が収まるまでお休みください」
「…………駄目」
「はっ?」
「来るわ」
ロジェスの言に巫女はそう呟くと、玉座から立ち上がる。
そして……………大地が揺れ、広間へと通じる扉が巨大な火球となって爆発した。
広間にて交戦する兵達が倒れ込み、シヴィラとフェスティアを除く玉座の周囲の者達も一斉にバランスを崩す。
「戴冠式に呼んでくれないとは…………。ずいぶん冷たいモノですね」
一瞬の静寂。それを破ったのは、広間に響き渡った少年の声であった。
「――――迎えに来ましたよ。……姉上」
フェスティアの耳に届く、懐かしさを覚える少年の声。その目に映ったのは、白地に青の装飾を施した皇室の正装に身を包んだ少年。
その目には涙が光り、全身を震わせながらも、こちらをしっかりと見つめていた。
フェスティアは、目頭が熱くなることを自覚していた。
彼女とその場にいるすべての者の目に映った少年。それは、公式には死亡したとされている神聖パルティノン帝国第四皇子アイアース・ヴァン・ロクリスであった。
次回で流転編は終わりです。
今回はもっともっと盛り上げたかったんですが、自分の演出が未熟なのが憎い。




