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第20話 さらば、イレーネ

 空が白み始め、鮮やかな緑に彩られた草原が続いている。


 イレーネは、無言で馬から下りると、剣で馬の尻を叩きオルクスへと戻らせる。

 自分にはもう必要無い。自身にそう言い聞かせながら、イレーネは眼前に広がる草原に顔を向けた。


 ところどころに背の低い木とやや高めの草むらがある以外は、平坦なる草原が広がっている。だが、視線の先にある草原は殺気と害意に満ちていた。


 人が放つ殺気は向かってきた際に斬り伏せればよいが、地の放つ得体の知れぬ害意はどうしようもない。下手に踏むよりはかわす方が最善であった。


 そんなことを考えながら長剣を抜き、地を蹴る。

 数歩ほど駆けたところで、跳躍するとそれに合わせるかのように地から黒い影が舞い上がっている。

 近づいてくる白刃。ゆっくり見えるそれであったが、自分の動作も同じで意識ばかりが先行している。もどかしさを感じながらも、剣を振るうと、舞い上がってきた三体の影が腰から両断され地に落ちる。

 着地をすると、草木の匂いに混じり、血の匂いが周囲を覆っていた。


 さらに、先ほど跳躍をした場所が崩れ、周囲から数人の兵士が飛び出してきていた。

 落とし穴に加えて兵を埋伏させ、落ちたところをなぶり殺しにするつもりであったのだろう。



「見え透いたことを」



 呟いたイレーネに対し、槍を構えた6人ほどの兵士達が二方向より突っ込んできた。

 それぞれの背後にも同数の兵士が組になって続いている。



「ちいっ!!」



 思わず舌打ちをしたイレーネであったが、まとめてかかってこられるよりもずっとやっかいであった。人数的のも連携するのにちょうどよく、背後に控える者達が跳躍などの際に援護することもできるのだ。


 槍衾の下へと飛び込むと、一気に身体を跳ね起こしながら、3人の膝から下を両断し、勢いそのままに跳ね起きると残った者達を腰から両断した。

 倒れ込んだ膝を切られ兵士達は、首を踏みつけて骨をへし折ると、そこを踏み台に背後の組を飛び越える。

 突然消えたような形になったイレーネの姿を所在なく探す者達を、全員まとめて撫で斬りにする。

 上半身を斜めに滑り落ちさせた兵士達を乗り越え、落ちた槍を思いきり踏みつける。

 慌てて近づいてきたしてきた兵士達がその跳ね上がった槍に貫かれるのを無視し、転がる一本の槍を拾ったイレーネは再び跳躍する。目の前に突き出される槍。頬を斬られ、全身にも小さな傷が作られる。


 しかし、そんなことを無視して着地と同時に思いきり槍を投げつけた。


 慌てて振り返った兵士達は、まとまっていたのが災いし、次々に槍に腹を貫かれていく。


 再び大地を蹴る。生き残った兵士が慌てて槍を繰り出し、それが脇腹に突き立つ。だが、痛み無視してその兵士を両断する。

 それを待っていたかのように、頭上に害意。横に跳ぶと、網がふわりと地面に落ち、それに合わせて落下してきた黒ずくめの者達が地面に刃を突き立てる。身を起こしざまに一人を切り捨て、返す刀でもう一人の首を跳ばす。

 斬撃。剣で弾いて、胴を両断し、次いで、迫ってきた者を蹴倒すと背後にいた兵もろとも剣で串刺しにする。そのまま剣を振るうと二人の身体が高速で飛来し、地から湧き出てきた兵士達の列をなぎ倒した。それに怯んだ兵士達を馳せ違いながら両断していく。


 見えるのは人、人、人。


 駆け抜け、剣についた血糊を振り払うと、全員が赤い血をまき散らしながらその場に崩れ落ちた。


 再びの害意。慌てて跳び伏せると先ほどまで立っていた場所に炎が舞い上がっている。休むことなく疾駆し、害意が無くなるとことまで一気に跳躍した。

 炎や岩塊、氷塊、竜巻などが舞い上がり、やがて下の大地へと戻る。しかし、脇腹に受けた傷が災いしたのか、氷塊を腿に受けてしまっていた。



「随分、手が込んでいるじゃないか。グネヴィア」



 転がる骸の数は200体を超える。足元に転がる兵士の亡骸を足蹴にイレーネは口を開く。眼前に立っている者は5人。その中の一人は良く知る者であった。

 イレーネにグネヴィアと呼ばれた女は、その濡れた目元に狂気を含ませた妖艶さを浮かべながら口を開く。



「本当は私一人で来るつもりだったんだけどね。小僧どもがうるさくてね」


「だろうな。貴様が、人と群れることなどあり得ぬと思っていた」


「それはそうよ。だって、一人で狩らなくちゃ、美味しく無いじゃない」


「……相変わらず、タチの悪い趣味だ」


「そうかしら? あなたみたいな、血に染まることが趣味な人も同類でなくて?」


「一緒にするな。そもそも趣味じゃない」


「あら、残念」



 ぺろりと舌を出しながら、戯けるようにそう告げたグネヴィアに対し、イレーネや他の者達は嫌悪を隠す気にならなかった。


 グネヴィアの周囲に立つ者達も、二人と同様に白の装束に身を包んでおり、どういう地位にある人間かを端的に示していた。


 相手はキーリア五人。単純な計算では、五〇〇〇の兵力が必要になる相手。さらに、付近から感じる殺気にさらなる埋伏の兵がいる者と思われた。

 とはいえ、イレーネは守るべきものためには、彼らを倒す以外に手はない。



「今更ながら、小僧一人を討ち取るためにずいぶん周到ではないか。その割に、我らに一年という時間を与えたようだが」


「うーん、捕捉自体は逃げた後すぐにしていたわよ? 何でか知らないけどスラエヴォなんかに寄るんだもん」


「むっ…………」


「まあ、なんで生かしておいたのかは知らないわよ。それに、今回の目的は殿下じゃないもん」


「何っ!?」


「聞きたい? だったら、この四人を倒してみてね。私は手を出さないから。でも、まわりの弓兵達はどうするか知らないけどね」


「ちっ!! ――――さっさと、来な……三下」



 グネヴィアのおちょくったような言動に苛立ちを覚えたイレーネは、得物を構える四人のキーリアを睨み付ける。


 その眼光に、四人はわずかに身じろぎする。


 見たところ、下位№が中心のようであり、イレーネは知らなくとも彼らはイレーネの武勇をよく知っている。それ故に、上位№の恐ろしさをよけい感じているのだった。


 そして、その内の女性キーリアが、何かに気圧されるかのように地を蹴り、イレーネへと迫る。

 上段から振り下ろした斬撃をイレーネが受け止め、一合ほど渡り合った後、腹に蹴りを見舞う。同時に距離を詰め一気にキーリアの脇を駆け抜けた。

 イレーネが剣を降ろすと、対峙した女の顔から全身に二本の縦線が走り、両端が滑り落ちるように前後に倒れ、中心が滲み出た血の海へと落下する。



「うーん、美人の三枚おろし。見事だけど、食べる気にはならないわね」


「お前に食わせてやるほどお人好しじゃない」



 なおも笑みを浮かべるグネヴィアに対し、苛立ちを隠さずに剣を構えるイレーネの姿。



「一人一人の相手など面倒だ。まとめてこい。ザコどもが……」



 その滲み出るような殺気に、残った三人のキーリアは身を震わせると、中央の一人が右手を掲げる。



(法術っ!?)



 刹那、男の手に紫色の光が集まり、巨大な閃光がイレーネに向かって放たれる。



「ぐあっ!?」



 慌てて飛び退いたイレーネは、右足に激痛を覚えて思わず叫び声を上げる。法術の範囲が思いのほか広く、足を焼かれる格好になったのだ。


 そして、着地した場所に振り下ろされる白刃と舞い落ちる矢。


 剣を弾き、再び後方へと飛び下がると、再び無数の矢。


 歯ぎしりとともにそれを睨み付けたイレーネは、大地を蹴ると降り注ぐ矢の雨に向かって突っ込む。

 降り注ぐ矢を叩き落とし、後退するキーリアの懐へと飛び込むと、そのまま後方へと押しのける。男のキーリアが盾となって矢を封じ、兵士達が埋伏している土手へと辿り着くと、キーリアの喉を切り裂いて止めを刺し、兵士達を薙ぎ払う。


 持っていたのは弩。重いが、威力はたしかで、熟達者は連射の速度も凄まじいという。

 肩口に二本、腿に一本の矢が突き立つが、かわせるモノはすべてかわし、落とせるモノはすべて落とした。

 最後の一人を切り伏せると、背中に殺気。振り向き様に胴を両断するが、矢の突き立った肩口を斬られた。



「法術を使った時点で勝ったと思っていたか?」



 残った一人のキーリア。まだ、若い年端のいかぬ女であり、少女と呼んでも差し支えのない顔立ちであった。



「あ、あ、あ…………」



 イレーネが近づくと、腰を抜かしたかのように尻をつき、怯えたようにふるえていた。



「なんだその様は?」


「ひっ!?」



 イレーネが女の様子に苛立ちを隠さずに睨み付けると、女のキーリアは涙をこぼしつつも股の付近を濡らしていく。



「…………ふんっ」


「がっ!? ――――っ!! ぎゃあああっ!?」



 その無様な姿を鼻で笑うと、蹴倒し、両の足を切りつける。


 腱をを断ち、動きを奪うと、イレーネは改めてグネヴィアの前に立つ。



「あらあ、殺しちゃっても良かったのに~」


「殺す価値もない」


「まあまあ、最近キーリアになったばかりなんだし、殺さないんだったら優しくしてあげればいいのにね」


「最近……? ヤツラ、反逆者どもに寝返ったのか?」


「そりゃあそうよ。人の身体を好き放題にもてあそぶのが目的だもん。主君なんて選ばないわよ。それに、ゼノス達はその辺厳しかったけど、今の教団はその辺寛容だから満足なんじゃない? その子も、ずいぶんとお楽しみだったみたいだけど?」



 痛みに耐えかねて地を転げ回るキーリアを見つめながら、グネヴィアは満足げに笑う。

 大地に転がる無数の骸が見つめる中、現存する最強のキーリア同士の戦いが始まろうとしていた。



◇◆◇



「くそっ!! 頑張ってくれっ!!」



 アイアースは、そう言って必死に鞭をいれる。しかし、疾駆を続けた馬の速度は目に見えて落ちていた。



「せめて、もう少しっ……。うわっ!?」



 限界が来たのか、足を折って崩れ落ちた馬から投げ出されたアイアースは、慌てて身を翻すとなんとか着地することが出来た。



「……ごめんな。無理をさせちまって……どうしてやればいいんだろ」



 倒れ込んだ馬の鬣を撫でながら、謝罪の言葉を口にするアイアースは、自身の安易な行動を悔やむしかなかった。



 昨日、看病を続けてくれていたフィリスとドゥアの会話。それをたまたま耳にしたアイアースは、いてもたってもいられず、街を飛び出していたのだ。

 イレーネの元へ向かったところで何が出来るというわけではない。むしろ、彼女の邪魔になってしまう可能性すらもある。

 そんなことを考えたが、それでも見届けないわけにはいかない。と言う思いが先に立ち、ここまで必死に馬を駆ってきたのである。



「安易だったか……。こんなところを刺客に教われでもしたら……」



 少なくとも、今の自分であれば並の兵士ぐらいになら簡単に勝つ自信はある。とアイアースは思っている。しかし、刺客というのはその種の専門家であり、最悪差し違えることでも目的は達せられると割り切っている。


 そんな者を相手にするのは、さすがに困難であるというのは分かっていた。



『顔を上げろ。小僧』


「へ?」



 突然の女性の声に、アイアースは引っ張られるように顔を上げると、目の前には十数頭の馬の群れがアイアースを見つめていた。



「おわっ!? な、なんだ??」


『私のことを忘れたのか? 小僧?』


「忘れた……??」



 声の主は目の前の白馬のようである。とはいえ、声に出している様子は無く、アイアースの脳裏に直接話しかけてきているようである。一種のテレパシーのようなものかも知れなかった。



『主も貴様は甘やかしほうだいであったからな。あの時の鬣は痛かったぞ』


「鬣?? …………まさか、クランか?」



 そう言うと、目の前の美しい白馬はゆっくりと頷いたように見える。



『ようやく気付いたか……。まあ、よい。乗れ』


「い、いいのか?」


『つまらぬことを言うな。イレーネが死ぬぞ』


「なっ!?」



 クランが苛立ちとともに告げた言葉に、アイアースは身を起こすしかなかった。



◇◆◇



 沈黙に包まれた草原。


 イレーネは全身に粟が立つことを自覚していた。


 それは、グネヴィアも同様であり、柔らかな笑みを浮かべる口元とは対照的に、男を惑わす濡れた目元は、戦を愉しむ戦士の鋭い眼光へと変わっている。


 互いに剣を構えて対峙し、つかの間固着する。その間を柔らかな風が舞い、全身を冷やしはじめる。潮合。柔らかな風が止むのを待ち、同時に前へと踏み出した。

 馳せ違う。お互いの身体から血が吹き上がり、痛みが全身を襲う。しかし、イレーネとグネヴィアは止まることなく相手に躍りかかっていった。

 剣と剣がぶつかり合って火花が散り、隙を見ては互いの身体身蹴りを見舞い、足を払う。ぶつかり合った剣が互いの手を離れ、飛びかかったイレーネが、グネヴィアの整った顔に頭突きを見舞うと、グネヴィアも膝をイレーネの鳩尾へと叩き込む。

 互いの後方へと飛び退り、剣を握ると再び馳せ違い、その度に全身から血が噴き出した。

 傷を負った部位が痙攣し、呼吸も荒くなるが、二人とも戦いを止める気にはならなかった。


 グネヴィアは笑みを浮かべているのに対して、イレーネは顔に憎悪の炎を称えている典は対照的であり、狂気。とも呼べるグネヴィアの笑みがイレーネのしゃくに障っていた。



「ぐうっ……、何を、笑っていやがるっ!!」



 聞いたところで答えはなんとなく予想できる。しかし、問わずにはいられなかった。



「何って? 楽しいからに決まっているじゃない。切り裂かれる肉体、吹き上がる血、口の中に広がる血の味なんて、これ以上にない褒美だわ」


「楽しい……か。私には、理解でないね」


「あら? あなたも同じと思っていたけど。意外ね」


「一緒にするな。私は、貴様のように殺しを楽しんだ覚えは無い」


「でも、そうしないと生きられないっていうのは分かっているわよね?」


「なに?」



 すでに、イレーネから見て、グネヴィアの目に正気の色を見ることは出来そうもない。しかし、どこか挑発めいた言動を繰り返すところ見ると、いまだに意識は正常のようである。



「家族を飢饉で失い、暴徒に陵辱されて、今度は人殺しの道具として生き続けている。でも、そんなことを続けられる人間って、どこかでそれを楽しんでいるのよねえ……。正常な精神だったら、狂って自分を滅ぼしちゃうもの」


「狂っているのは貴様だろう」


「私は違うわよ。生まれた時から、血を見るのが好きだったもの」


「それを狂っていると言うんだっ!!」



 傷の自然回復を待ち、イレーネは再びグネヴィアへと斬りかかる。一合二合と斬り合う中で、お互い無数の傷をその身へと刻んでいく。

 先ほどまで笑みを浮かべていたグネヴィアも、表情からそれを消し去り、お互いに歯を食いしばりながら戦いを再開する。


 そして……。



「あら?」



 イレーネの斬撃が、グネヴィアの剣を弾き飛ばす。目を見開きながら、イレーネを見つめるグネヴィアをイレーネは上段から斬り伏せる。


 肉体を切り裂く感触がイレーネの腕に伝わり、開かれた傷口から血がこぼれ始める。目を見開いたまま、グネヴィアの身体は大地へと崩れ落ちた。



「はあはあはあ……」



 それを見届けた後、イレーネは剣で身を支えながら膝をつく。


 息が上がり、全身を襲う激痛にもなんとか耐えるしかなかったが、出血量を考えると生き残れるかどうかは五分もあるかないかであると思えた。



「まさか、勝ったと思ってる?」


「なっ!?」



 そんなイレーネの耳に、先ほどとは変わらぬグネヴィアの声が届く。視線を向けると、倒れ血を流したままグネヴィアは笑みを浮かべていた。しかし、それまでの狂気じみたどこかふざけたような笑みではなく、何が得体の知れぬものが乗り移ったかのような、そんな笑みであった。



「うーん、この痛み。死を感じさせる恐怖。たまらないわぁ」


「化け物が……」


「うーん、こいつらを圧倒したあなたに言われたくはないわよ?」



 そう言って、グネヴィアは手にした剣を振るう。それは、肉体を掠め、全身に浅い傷を作っていく。



「ぐっ!!」


「ほらほら、早く立ち上がってよお……。私はまだまだ戦い足りていないんだから」


「ううっ!! …………っ」



 なんとか剣を弾き、身を起こしたイレーネであったが、先ほど斬られた傷口から血が噴き出し、膝を折る。



「何よ……。それだけなの?」


「はあはあ……」


「武勇だけならばリアネイアと並び称された割には……物足りないわね」


「……殺せ」


「言われ無くってもそうしてあげるわ。あらっ……とと」



 つまらなそうな表情を浮かべてそう言ったグネヴィアであったが、彼女もまた剣を構えると同時に身を揺らす。

 全身に刻まれた傷から噴き出す大量の出血。グネヴィア自身は意識していなかったが、身体はすでに悲鳴を上げているようであった。



「私も駄目ねえ。これじゃあ……。とりあえず、イレーネさん。あなたの首だけで戴いていくわ」


「くっ……」



 なんとか、意識を保ったグネヴィアは、そう言いながら両の手で剣を持ち、それを振り上げる。そして、覚悟を決めたイレーネは静かに目を閉ざす。

 そして、剣が振り下ろされた刹那。一陣の風が、両者の間を通りすぎた。



「えっ?」


「むっ?」



 振り下ろされたグネヴィアの両の腕は、手首から先が無くなっていた。



「あらあら。無くなっちゃった……。やるじゃない」



 静かにそう言ったグネヴィアの視線の先には、美しい白馬に跨がった一人の少年の姿があり、表情に怒りの色をたたえたまま、グネヴィアを睨み付けている。



「イレーネを返してもらうぞ」


「まあ、頼もしいわね。でもね、殿下。あなたはもう死人なの。命令に従う義務は私にはないわ。それに……」



 そう言うと、今し方アイアースに斬り飛ばされた両の手がグネヴィアの元へと飛んでいくと、顔に数丈の欠陥が浮かび上がり、肩口から脇腹にかけての傷とともに手首の傷も修復される。



「あなたのような子どもに倒されるほど、私は弱くないの」



 と、笑みを浮かべたままそう言ったグネヴィアをアイアースは目を見開いたまま見つめる。



「あら?」



 しかし、全身を覆っていた傷が消えていったにもかかわらず、グネヴィアの口元や鼻から血が垂れ始める。



「うーん、身体はもう限界みたいねえ……、仕方ない……か」



 そう言うと、グネヴィアはアイアースへと向き直る。その表情には、それまで以上に不気味な笑みが浮かんでいる。

 それを見ていたアイアースが地を蹴り、一気にグネヴィアへと躍りかかる。



「今、首をとっても良いんだけどねえ……、それをやっちゃうとあの小娘に言うことを聞かせられなくなっちゃうのよね」


「小娘?」



 渾身の力をこめる双剣を片手で難無く押さえるグネヴィアの言に、アイアースが眉を潜める。



「あら? 知らないの? あなたの愛しのお姉様。フェスティア姫様よ」


「ば、ばかなっ!!」


「ウソじゃないわよ。最初は馬鹿どもに色々とやられたみたいだったけど、今じゃ気丈に剣を振るっているわ。良いわねえ、純粋で」


「貴様っ!! 姉上を馬鹿にしているのか?」


「だったら何? 私を殺そうっていうの? 心意気は買うけどできもしないことをやるべきじゃないわよ」


「くっ…………。何が目的だ?」


「目的? そうねえ……。あいつらは、帝国の完全なる滅亡を願っているみたいよ~?」


「完全なる滅亡?」


「今のように……、帝国の復活を祈る民の心すらも完全に失わせる。ということだろう」


「イレーネっ!? 大丈夫か?」


「どうなのかしらねえ? 私としたら、血をいっぱい味わえればそれで良いんだけど~」


「何てヤツだ」


「何って、こういう女よ? さて、おしゃべりはここまで。あなたは殺すなって言われているけど、イレーネさんの首は持っていかないとね」


「させると思っているのか?」



 不敵な笑みを浮かべながら、剣を構えるグネヴィアに対し、アイアースはイレーネの前に立ち、その行く手を阻む。



「まあ、好戦的だこと……。じゃあ、やめておくわ。近づいたところで、差し違えるつもりみたいだし」


「ちっ」



 立ちふさがったアイアースの姿に、笑みを浮かべたグネヴィアであったが、急に剣を下げる。見ると、イレーネが右手に刻まれた刻印を輝かせている。

 命を糧に上位段階の法術を発動し、グネヴィアもろとも死ぬつもりであったようだ。しかし、アイアースが立ちふさがったことでそれもかなわない。



「ねえ、殿下。私はもう手を出さないから、イレーネさんの髪を一束もらえない? せっかくの機会だし、お互い生き残るってのも悪くないわ」


「そんな言葉を信じると思っているのか?」


「そりゃあ、信じる信じないは殿下の勝手よ。でも、正直ふらふらだからねえ。じゃあ、交換条件といきましょう」



 身体を左右に微動させながら、戯けた調子でそう言ったグネヴィアは、さらに言葉を続ける。



「今から、半年後。帝都ではフェスティア様の凱旋式が執り行われる。その場で、共和政権の首脳とヴェネディア総領や商人、傭兵団は見せしめのために処断され、帝政の復興が宣言される。で、ここからが本番。巫女は今病に伏せっているけど、フェスティア姫の戴冠には病を押して出席する方針だと言うこと」


「な、なんだとっ!?」


「一応、予定に過ぎないけど、テルノアとギアスディールを討った英雄だもの。しかも、死んだと思っていた皇女が生きていて英雄として凱旋し、皇帝に即位する。これ以上になりセレモニーだわ」


「ふざけているのかっ!?」


「いや、そんなつもりは本気でないわ。正直、身体もいっぱいいっぱいなのよ。疑うんだったらそこに転がるヤツにでも聞いてみてよ」



 さらりと言葉を続けるグネヴィアに対し、アイアースは小馬鹿にされているモノと思い、両の手の剣をきつく握りしめる。

 しかし、最後のグネヴィアの言は、本当に意味で切羽詰まっているようであった。



「イレーネ。すまん」


「気にするな」



 信じるしかない。と思ったアイアースは背後にイレーネに向き直ると、イレーネも頷く。髪の一部を剣で斬るが、目に映った彼女のその表情からはすでに生気は失われているように見えた。



「ふう……。これで、ドヤされずにすむわ」



 そう言うと、懐から小さな封印球を取り出すと、足元へと落とす。

 地面に落ちた封印球は、小さくはじけるとグネヴィアの身体を包み込む。



「信じるか信じないかはあなたの自由だわ。今日、戦えなかった連中を連れてきてくれるとよりありがたいけどね」



 アイアースに対して片目をつぶりながらそう言ったグネヴィアは、イレーネへと視線を向ける。



「勝ったわけじゃあないけど、あなたとの戦いは面白かったわ。もう戦えないのは残念だけどね……。それじゃあね。皇子、今度はあなたが私を楽しませてね」



 そこまで言うと、グネヴィアの姿は光に包まれて消えていった。その場に残ったのは、一人の少年と二人の女。そして、一頭の白馬であった。



「…………イレーネ」


「何しに来た。って、聞くまでも、ない、な……」



 息も絶え絶えの様子で、そう口を開いたイレーネであったが、アイアースは無言で横たわった彼女を抱きあげる。



「……なんの、真似だ?」


「昨日の礼だ。あの後、わずかに感じた温もりは……、……あれ?」


「ふん、私のために泣くか? 母親の温もりが恋しくなったか?」


「母は二人もいらない。だけど……」


「ふん、ちょっとは顔つきが男になったと思ったけど……」


「…………はじめは、お前の態度とか言動が気に入らなかったが……」


「…………」


「剣を交わしていくうちに、なんとなくそんな態度の理由とかそう言うのが分かったような気がしてきた。剣を交わしていくうちに、お前が心に抱える悲しみというか何かを……」



 そこまで言うと、アイアースは口を閉ざすことになる。イレーネがアイアースの口に指を当てて、言を封じたのである。



「やめてくれ。他人に、心のうちを、ひけらかされたくは……ない」



 そう言うと、イレーネは目を閉ざす。最後ぐらいは自分の口から語らせろ。と、イレーネは思っていた。



「お前とリアネイアや、幸せそうに暮らしている者達を見た時、私が抱いたのは、羨望だった。だが、それを求めることを、どこかで、恐れてもいた。いずれは失う時が来る……。お前達は、まさに、その通りになった……」



 再び見開いたイレーネの目は、アイアースだけを見つめていた。



「とはいえ、お前と過ごした半年間は、悪くはなかった……。強さを求め、日に日に力をつけていく、お前を見ているのは、本当に楽しく思えた……。だが、それもこうして、失ってしまう。…………なぜであろうな。小生意気な、ガキとしか思っていなかったのに、今は……すごく寂しい」



 そこまで言うと、イレーネはアイアースの顔に手を当てる。



「果たして、お前は、どんな人生を歩むのだろうな……、今更だが、見守って、やれ、ないのがとても、口惜しい…………」



 そこまで言うと、イレーネの腕はゆっくりとアイアースの元から離れていく。



「イレーネ?」



 アイアースは、涙を拭って彼女を名を口にするが、それにイレーネが応えることはなかった。

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