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第18話 安穏

 かざした剣が陽の光を浴びて眩く輝いていた。


 武具の手入れは他人に任せたことはない。戦を生業にする人間であれば当然のことかも知れなかったが、あいにくと自分はまだその地位にはない。

 アイアースは手入れを終えた剣を置くと、もう一本の剣を手に取り、砥石へと滑らせはじめた。

 やり方はすでに身についている。異なる世界にあっては、調理包丁すらも研いだことも無かったのだが、一度身についてしまえば楽しく思えるときもある。

 ただ、楽しく思えたときは大抵上手くいかないのであったが。



「つっ!?」



 と、よけいなことを考えていたためか、手の平に痛みが走る。目を向けると、ジワリと血が滲みはじめていた。



(今回の戦でもたくさんの血が流れたんだろうな……)



 それを見つめるアイアースは、先日もたらされた戦のことを思いかえす。

 共和政権に取り込まれた旧帝国本国軍20万をオアシス国家連合軍18万が打ち破ったが、その後の“教団”軍の奇襲によって敗れ去ったという。

 イレーネをはじめとするキーリア達やドゥア以下のオルクス首脳達は、オアシス側の勝利を予期していたのだが、予想外の結末に皆が困惑しているように見える。

 アイアースの前では上手く取り繕っているようだったが。



「仮面の黒騎士ねえ……」



 アルテナ丘陵――両軍が激突した地――の戦いにて、オアシス国家連合軍総帥のテルノアとゴーラ国王ギアスディールを討ち取り、わずか200の手勢でもってオアシス側を突き崩したという猛者。

 その仮面に覆われた素顔は知られていないのだが、全身を漆黒の鎧に包んだ姿は、両軍の将兵や姿を目にした民衆に深く刻まれているという。


 そして、姿を見たわけではないアイアースやキーリア達もまた、その姿にある人物の姿を思いかえしたのだった。


 もっとも、誰もその名を口にすることはない。

 すでに失われたはずの人間の名であるのだ。何よりも、その人物が教団側にあるという理由がまず思いつかなかったのだ。

 流れる血は、その黒騎士によってもたらされたであろう、血の流れを想起させていたのだった。



「失礼しま……、で、殿下っ!? 大丈夫ですか?」



 ノックとともに室内に入ってきたフィリスが、血に染まった手を見て声を上げた。



「ちょっと引っかけただけだよ。何か用か?」



 慌てた様子のフィリスに、アイアースはヒラヒラと手を振るってそう応えると、傍らにあるタオルでそれを拭う。


 深くはないため、血はすぐに止まりそうであった。



「お、お待ちくださいっ」



 しかし、それを見ていたフィリスは、慌ててアイアースに駆け寄ると手の平に青い光を浮かべはじめる。そして、その光が小さく収束しやがて一粒の雫ほどの大きさになるのを待つと、フィリスは指先をアイアースの手にこぼす。

 雫がアイアースの手の平ではじけると、心地よい冷たさの後で痛みが退いていく。


 水魔法の第一段階である『癒しの雫』である。


 水魔法は、水の刻印によって使役され、回復が主体の法術であった。



「失礼いたします」



 そして、血が止まったことを確認したフィリスは、室内の救急具を手にすると手際よく傷を処置していく。その手慣れた様子は、アイアースにとっては以外なものだった。



「――上手いな」


「えっ!?」


「いや、処置の仕方がな」


「そうですか? 手慣れてはおりますので」


「慣れていてもこんなにきれいにはできないもんだよ。正直、俺もここまで上手く包帯を巻いたりできない」



 謙遜するフィリスに対してアイアースは巻かれた包帯を見せる。学生時代に見たことがあるが、子どもの内だとどんなに手慣れていても隙間ができたり、必要以上にきつく巻いてしまったりするモノであったが、それもないのだった。



「包帯……ですか」


「あっ…………」



 少し困惑したような様子でそう口を開くフィリスの様子に、アイアースは自分の不注意に気付く。今、アイアースの手に巻かれた布は、治療用の柔らかい布であり包帯と呼んで間違いではないのだが、この世界で日本語の類が通用するはずもない。



「あ、えっと、だな……、スメラギではそう呼ぶそうでな」


「そうなんですか」



 アイアースはとっさに大陸東方に位置する日本によく似た国家の名を口にする。もっとも、そこで包帯と呼ぶモノがあるのかどうかは知らなかったが。



「スメラギと言う国ではそう呼ぶのですか……」


「ああ、らしいけどな」


「……私も聞いた覚えがありますが」


「そうなのか……。それより、何か用だったのか?」



 アイアースの言を繰り返し、興味深げな表情を浮かべたフィリスであったが、アイアースはそれ以上話を続けるつもりはなく、話題を変えた。



「あ……、そうでした。殿下、もしよろしければ外で夕食になさいませんか?」


「外で?」


「はい。狩りが上手くいったそうで」



 遠慮がちにそう言ったフィリスに対し、アイアースはバーベキューみたいなモノかと思いながら口を開く。



「なるほど。まあ、俺達はここに世話になっている身だ。食事についてはそちらに任せるよ」


「そうですか? 良かったですっ!!」



 アイアースの答えに、フィリスはうれしそうに笑顔を浮かべる。


 その表情に、アイアースは普段の物静かな彼女の様子しか知らなかったため、少し驚きを覚える。とはいえ、年相応の少女のそれであれば違和感はないのだが。



「キーリア達も誘ったのか?」


「一応これからです。まずは殿下の了承をとらねばと思いましたので」


「そうか。まあ、普通は臣下を通じてうかがいと立てるモノらしいけどな。それじゃあ、一緒に誘いに行くとしようか」


「いえ、私が参りますので、殿下は用意ができるまでお待ちください」


「そう言うな。こういうのは、準備から見るのが楽しいし、一人気難しいのがいるからな」



 苦笑しながらそう言ったアイアースに対し、フィリスも納得した様子で頷いていた。



◇◆◇



 少女の額に浮かび上がった汗を拭う。


 ユマは眼前の寝台に横たわる少女の様子に深い溜息を吐くと、傍らに控える典医達に頷きかけるとその場を後にした。

 暗がりの中を進み、広間へと出ると数人の男女がこちらへと視線を向けてきた。



「どうだ? ご様子は」


「いまだに目覚めません。熱もある様子で……」


「無理が祟ったと言うことか」


「おそらくは」



 男の一人、ダルトスが口を開く。その表情は、純粋に少女のことを心配しているようにユマには見えた。



「どうするつもりだ? 巫女が居らねば、あの姫騎士を止められるとは思えぬぞ?」



 やや居丈高な様子で口を開いた男は、イサオキスである。

 はじめは高慢な小才子でしかなかったのだが、共和政権の成立以降、どこか精悍な姿が目立つようになっている。

 追い求めた玉座をあっさりと手放した時は驚きもしたのであるが、それがこの男の中の何かを解き放ったのか、今では皇族特有の威厳染みたなにかを感じさせる。



「…………閣下。我々にわざわざ頭を下げさせようと言うことですか?」



 イサキオスに対し、冷静を装って口を開いたロジェスであったが、その表情と声には押し殺した何かを感じさせられた。

 普段は貴公子然とした優美な物腰であったが、それは表面を取り繕っただけというのは、ユマも分かっていた。その辺りに関しては、軽薄でしかないジェスの方がよほど上手い。

 今回も巫女が倒れるという予想外の事態と相手に主導権を奪われている事への苛立ちが隠しきれていなかった。



「そういうつもりはない。だが、そなた等の強引な引き留めにすっかりへそを曲げてしまっていてな」


「くっ…………」


「おい、ロジェ。ここは意地を張っているところじゃないぞ?」


「そうそう。あんな事やこんなことも通じない鋼鉄の女だぜ? こっちはいつでも、殺れるってことを教えとかないと後々やっかいだぜ?」


「うるさいぞ。…………アンゲル卿。相手は、あのイレーネ・パリスだ。確実に仕留められるのか?」



 ダルトスとジェスの言に、二人を睨み付けてそう言ったロジェスは、再びイサキオスに向き直る。


 ジェスの言う“鋼鉄の女”。黒の姫騎士フェスティア・スィン・パルティヌスは、現在凱旋の途上である。元々の武勇は聞き及んでいたが、ギアスディールとテルノアを揃って討ち取ったという事実は、ロジェスをはじめとする教団幹部に衝撃を与えていた。

 危機を乗り切ったと安心しきっている共和政権の幹部達と違い、いつこちらに刃を向ける分からぬ黒き剣を解き放ってしまったことを彼らは危惧していたのだ。


 そして、それの鞘となる人物は、今は遙か極北の地にいる。



「さてな。自分の目で確かめてみたらどうだ?」


「のんきなことを……。かの姫騎士がその気になれば、あなたの首など即座に跳ね飛ばされるのですぞ?」


「それは、貴様らも同様ではないのか? ロジェスよ。イレーネの腕を跳ばしたとは言え、所詮は不意打ち。怒りを糧にしたフェスティアはどれほど恐ろしい存在であろうかのお?」


「ぐ…………分かり申した。我々はまだ死ぬ分けにはいかぬ。アンゲル卿。グネヴィア殿にすべてを委ねまする」



 あの夜のことを思いだしたのか、ロジェスはあきらめたかのようにイサキオスに対し頭を垂れる。たしかに、今意地を張ったところで意味は無い。



「承知した。フェスティアには、いつでも消すことのできることを教えておかねばなるまいしな」



 イサキオスの言に、ユマはひとまず安堵する。


 結果はどうであれ、フェスティアをこちらに繋ぎ止めるための鎖は手中に修めておかねばならない。万が一、刃向かうようなことがあればその鎖は永遠に失われる。


 その事実を突き付ける必要性が、先日の勝利によって明確になったのだった。



◇◆◇



「たまにはこういうのも良いだろう?」


「…………」



 牧を歩くアイアースの言に、イレーネ沈黙を持って答える。


 オルクス近郊の牧場である。


 アイアースやイレーネの馬も放されており、手入れのたびに足を運んでいる場所でもある。たまにはと言われたところで何か感慨深い事があるわけでもなかった。

 夕刻になり、食事の時まで初見でもしようと思った矢先、一応の主君であるアイアースと領主の娘フィリスの訪問を受けたイレーネは、はじめこそ気乗りがしなかったものの、しつこいほどの二人の態度に折れ、こうして牧へと足を運んでいた。


 今もアイアースに従い、自分の馬の所へと行って来たところであった。



「ここは最近増やした所なんだそうだが、すごい広さだな」


「そうですね」



 アイアースの言にそう応えたイレーネは、改めて牧場を見まわす。


 厩舎の傍らには、石造りの小屋が建てられており、そこには冬場に馬に食べさせる秣が大量に用意されているという。イレーネも、任地で聞いたことがあったが、貯えている間に熱を持ち、やわらかなくなるという。

 それを子を腹に持っている牝馬には多く、これから孕む予定の牝馬には少なく、普通の干し草に混ぜて与えるという。

 食事のやり方によって繁殖の差も出てくるし、生まれてくる子の質も変わるという。遊牧民独特ののやり方であるという。


 そんなことを考えつつ、牧を回ってくると独特の匂いが鼻腔に届けられる。

 兵士達による調理がはじめられたのであろう。



「すごい量だな」



 調理と手伝うフィリス等の下へ行き、そう口を開いたイレーネに対し、フィリスがやや緊張した面持ちで答える。



「は、はい。三月に一度、大猟を祝ってのものですが」


「ふむ……。その細かく切られた野菜はどうする?」


「こちらですが? 今から豚の体内に入れるんです。血抜きも終わって、内臓とかも取り出してありますからたくさん入りますよ」


「ほう」



 イレーネが興味を持ったことがうれしかったのか、笑顔を浮かべながら答えるフィリスは、妹二人は兵士達ともに調理に取りかかる。

 開かれた豚の体内に大量の野菜が次々に詰められ、豚の腹は当初よりも膨れあがっていく。その後は、固そうな葉に白色の細かな粒と調味料を包み込んだものをいくつか作った後、それを突っ込み、固く紐で縛る。

 同じような豚が数頭できあがり、兵士達が重そうに持ち上げている。



「ふん、貸してみろ」



 そう言って、イレーネは両の肩に豚を抱える。運んでいた兵士達は、その様子に呆気にとられているが、アイアースをはじめとする面々はおかしそうに笑っているだけであった。



「それで、どうするのだ?」


「あ、向こうで火をおこしていますので、そこでひとしきり焼きます」


「ふむ。なるほど」



 一通りの説明を聞くと、イレーネは豚を火の中に放り込む。


 派手に燃え上がっていた火柱が落ち着き、豚の毛がきれいに燃えていく。他のキーリア達もそれに倣うと、周囲からなぜか感嘆の声が上がっていた。

 その後は、フィリス達が一度とりだし、三本で組んだ丸太に後ろ足を縛って火の上につるす。しばらくすると、豚の脂が火の中に滴り、小気味の良い音がし始める。


 フィリス達が砂をかけて火を小さくするが、熾火は十分にできており肉の焼ける匂いが鼻腔に届きはじめた。

 その後は、手際よく表面に岩塩をかけていくと油が落ちるのが少し弱まっていく。



「あと少しで、浅く切り込みが入れられます。それで、熱の通りは早くなります。その後はお腹がしぼむまで待つことになります」


「ほう? どうしてだ?」


「お腹の中の野菜に肉汁が染みこんで柔らかくなるからです。皮を切ってしまうと肉汁が落ちてしまうんですよ」


「今垂れているのは違うか?」


「はい。それらは旨みは含んでいない油ですので」


「ふむ……」



 兵士やフィリスの妹であるリコリスとシルウィスが丁寧に皮に切り込みを入れている。少女達のそれはどこかぎこちないが、懸命に取り組んでいることはよく分かった。



「そんなに難しいものなのか? 薄く切るのだろう?」



 イレーネは、包丁を受け取り、剣を振るように豚の腹に傷をつけていく。しかし、その豚はまわりと異なり、勢いよく肉汁を落として火元から湯気が立ち上る。



「あーあ。イレーネ、戦いじゃないんだからもっと丁寧にやらないとダメだろ」


「ふむ」



 アイアースがあきれた様子で口を開き、なぜだが頭にわずかに血が上ったことを自覚したイレーネは、そう言って包丁を渡す。

 生意気を言うならやってみろと思ったのであったが、アイアースは特に問題なく切れ込みを入れていく。



「うわあ。皇子様上手~」


「意外……」



 それを見ていたリコリスとシルウィスが声を上げる。



「まあ、何回かやったことがあるからな」



 笑みを浮かべながらそう言ったアイアースに対し、賞賛を向ける姉妹達。

 ハインをはじめとする他のキーリアやミュウとフェルミナも素直に驚いているようであった。



 その後は、切れ込みを入れられた豚が火の上でゆっくりと回され、表面が固くなると、薄く削がれて次々に皿に分けられていく。よく見ると、焼けたところを順番に削いでいるため、中の肉も同様な焼け方をしている様子であった。


 皿を渡されたアイアースやハイン達がむさぼるように肉を口にしている。

 イレーネもフェルミナやミュウとともに肉を口に含む。



「うまいな」



 口に広がる塩と肉の味に、そう口に出していた。

 周囲では酒の入った兵士達が楽しげな声を上げており、ハイン達もその輪に加わって騒ぎはじめている。



「ハインさんはああいう所に入るのが上手ですね」


「元々兵卒上がりだ。おかしいことではない」



 傍らに腰を下ろしていたフェルミナがそう口を開く。このような場になれないのか、その声はどこか緊張しているように思える。



「でも……、失礼なことをお聞きしますけど、キーリアはお酒に酔うことがあるのですか?」


「自らの意志次第だ。我々は、アルコールや毒素などを体内に取り込むかは自由に行うことができる。酒に酔うか酔わないかも、本人の自由というわけだ」


「イレーネさんは……」


「一応、入れてはいる」


「そうですか」



 イレーネの言に、フェルミナは表情を明るくしながらそう応える。



「どうした? うれしそうな顔をして」


「い、いえ。……イレーネさんの楽しそうな顔……はじめて見たので」


「そうか」



 フェルミナの楽しそう。という言にイレーネは短くそう応える。

 たしかに、今の自分はこの場を楽しんでいるのだろう。とイレーネは思った。

 だろう。というのは、イレーネ自身にその感覚が思いのほか理解できないからであった。キーリアとなってから、否、故郷を襲った大飢饉と混乱以降そのような感情を抱いた覚えがなかったからである。

 それ以前の記憶は遠い過去であるし、とある出来事によってすべてを忘れ去っても居た。

 そんなことを考えていたイレーネは、火元にてフィリス達と歓談しながら食事を続けるアイアースに視線を向ける。

 この一年で、より大人びたが、今のその表情は幸せを知る少年のものでもある。

 あれだけの悲劇の中で、過去を忘れることなく背負い続けている。それでも、時間によってあのような表情を浮かべることもできているのだった。



(やはり、貴様はこの地で平穏に生きるべきなのだ…………。そのためには)



 アイアースの姿に、改めてそう思ったイレーネは、月明かりの浮かぶそれを見上げる。

 夜空に浮かぶ星は、月明かりに隠され、その姿を見ることができるのはわずかである。そして、イレーネの視線の先にある星は、他の星よりも激しく光を放っているようにも見える。


 そして、その星の上部には、仲良く並んだ双星の姿が見て取れるのだった。



(ついに…………来たのか……)



 激しく瞬く星。冷たく流れる風。それらが、迫り来る脅威の存在を告げていた。

昨日(17日)は投稿できずに申し訳ありませんでした。

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