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第17話 黒の姫騎士④

 熱狂うずまく戦場に、地を揺るがすかのような歓声が響き渡っていく。


 歓声の主は、政権側の兵達であり、オアシス側の頑強な抵抗に押され気味であったのがウソのように相手を押し返しはじめている。


 テルノアは血の海となった戦場に佇み、静かに伝令の到着を待っていた。


 歓声の正体。それはおおよそ見当はつく。すでに、伝令のための騎兵達を側に待機させてもいるのだ。

 敵の勢いの前に、各国軍や部隊の抵抗は弱まり、次第に包囲の輪は縮めれていく。しかし、彼女とその麾下を取り囲む敵兵達の輪は、一向に縮む気配は無かった。

 全身を血に染め、それに飢えるように戦い続けた精鋭騎兵達。勝利が現実の物となり始めた政権側の兵士達にとって、わざわざ死に行くような行為に走る理由はなかったのだ。


 そんな戦場の様子を表情を動かすことなく見まわすテルノアの顔に、一粒の雫が舞い落ちる。

 先ほどまで、鮮やかな夕陽に照らされていたアルテナ丘陵は、厚い雲に覆われはじめていたのだ。

 そして、雫の数は次第に増してゆき、すぐに周囲の血の海を流しはじめる。



「これは……っ。閣下……」



 騎兵の一人が降り始めた豪雨を受け、口を開く。

 だが、テルノアはそれに答えず、豪雨によって塞がれつつある眼前へと視線を向ける。


 すると、程なく伝令の旗を掲げた騎兵が姿を現した。



「報告……。右翼にて、敵奇襲部隊の攻撃を受け、ゴール王国軍本隊は、壊乱。敵指揮官によって、国主ギアスディール様も討ち死にされました……!!」



 そう言って、伝令兵はゆっくりと崩れ落ちる。


 彼の身体には幾本もの矢が突き立っており、乱戦のさなかを駆け抜けてきたのであろう。背後の騎兵達がすぐに駆け寄り、その死を確認する。



「閣下……」



 騎兵達が押し殺した声を向けてくる。


 ギアスディールが討たれたという事実はすでに全軍に伝播しつつある。包囲網への抵抗が弱まっている現状を鑑みれば、間違いはない。

 右翼の要を担う将を失ったことが、ギリギリのところで耐えていた力を奪い取ったのであろう。――すでに戦線は崩壊したと見て良かった。

 背後のキズマウルス川は、豪雨によって氾濫することが多く、撤退は非常に困難。何より、周囲に群がる敵兵達がそれをさせてくるとは思えなかった。

 その押し殺したような声には、決断を促す強い思いも含まれていたのだ。



「陣笛を吹け……」



 そして、テルノアの口から出た命令は、“全軍退却”であった。

 その命令に、騎兵達は顔を見合わせ、困惑したままテルノアへと視線を向ける。玉砕おも覚悟したその視線を受けたテルノアは静かに目を閉ざした。

 彼女としても彼らの覚悟は十分悟っている。そして、血路を開くのも自分達の役目であることも。

 であれば、逡巡は禁物であり、即断が求められる状況でもあった。


 だが、彼女は総司令官。


 自国の兵士ならいざ知らず、彼女を信じて付き従っていた各国の兵士を死地へと誘うことはできなかったのだ。



「伝令。退却はイナルテュク率いるフォルシム本国軍が先頭。渡河地点を確保した後、全軍の退却まで持ちこたえよ」


「はっ!!」



 テルノアの命を受け、最初の伝令が駆け去っていく。


 テルノアは今この状況にあっても、麾下の猛将に対してもっとも困難な命令を与えた。失態を取り戻す機会を与えると同時に、自身が今この場においてもっとも信頼する指揮官であることの証明でもあった。



「各国軍は、フォルシム軍の渡河地点の確保を確認した後、キズマウルス川の流れに身を任せよ。武具を捨て、防具を捨て、荷駄を捨て、己が恥を捨てよ」


「ははっ!!」



「閣下、荷駄を捨てては例え渡河に成功したところで餓死者が続発するのではありませぬか?」



 駆けだしていく伝令達を見送った騎兵の一人が口を開く。


 彼らの言う荷駄とは、今戦場にともなっている補給部隊ではなく、キズマウルス川周辺に隠してある物資のことである。

 次なる戦に備え、用意をしておいた物資であったが、今となっては兵達の命を繋ぐもの。それを放棄せよとの命令であった。



「撤退戦を知らぬのか? 弱き者から死にゆくは当然のこと」


「…………っ!?」



 騎兵の言に、静かにそう告げたテルノアの目は、すでに豪雨の先へと向けられている。

 それは、騎兵達が普段目にしていた気品と優美さを兼ね備えた女王ではなかった。



◇◆◇



 陣笛が戦場に響き渡る。


 フェスティアは、討ち果たしたギアスディールの首を打ち捨てたまま、泥濘と化しつつある戦場を駆けていた。

 ギアスディールの仇を討つべく殺到してきたゴーラ王国兵。それらを斬り伏せながら突き進む彼女の耳に届いた陣笛。

 オアシス側がくだした全軍撤退の合図であったが、それは即ちテルノアの居場所を彼女に教える形になったのだ。



(誘っている…………)



 馬を駆りながらそう思ったフェスティア。

 それは、同じ女であり、どこかで戦を愉しむ性分を持っている人間同士が通じあうモノであったのかも知れない。



(だが……、ヤツは私とは違う)



 敗北を悟り、部下達を撤退させているテルノアに対し、フェスティアは部下の屍を踏み台にして生きながらえた。

 状況を鑑みれば、敗北した事実以外を責められることはないが、彼女の心には深い傷として残り続けている。


 だが、今彼女を誘っている者は、純粋なる戦いそのものであった。


(ふっ…………)



 無意識のうちに、彼女は笑っていた。


 仇である者達に組し、屈辱の中に生きるだけであった彼女にとって、戦場とはもうひとつの故郷であったのかも知れない。

 今、この時にあって、彼女を優しく抱きとめてくれるものはない。だが、この時、この場所こそが、彼女が帰る場所であったのかも知れなかったのだ。



「テルノアーーっ!!」



 両の手に握られた剣に力をこめる。

 腹の底からわき上がる感情を抑えることなく解き放ったフェスティアは、その整えられた美しい表情に笑みを浮かべていた。



◇◆◇



 大地を濡らしていた豪雨が止み、あふれていた血が洗い流されていく。残されたのは、泥濘の中でもがき苦しむ人の姿のみ。

 そんな中を駆けるテルノアは、撤退する友軍兵達に追いすがる信徒兵達を駆け抜けざまに斬り伏せ、両断し、首を虚空へと跳ね上げていた。


 津波の如き勢いはそこで消え、友軍兵達が逃走する時間が産み出されていく。



(どこにいる?)



 しかし、彼女にとって、すでに友軍のことは事の足しに過ぎなかった。


 撤退の命令を下したのちは、自分の関与することではない。と、総大将にあるまじき事でありながらも、彼女はそう思っていたのだ。


 今の彼女は、盟友ギアスディールを討った者の姿だけを追い求めていた。


 思えば、どこかで通じるところのあった盟友。

 互いに伴侶を亡くし、その傷跡を埋めるために国を溜め尽くしてきた。それが、オアシス周辺の発展に繋がり、帝国とのさらなる友好にも繋がっていった。

 だが、思いかえせば、それは心に空いた隙間を埋めるために抗いに過ぎなかったのかも知れなかった。

 国を、時代を、民を、まるで御曲を奏でるかのごとく舞、導いた来た者同士であったのだ。しかし、その同志はすでに無い。


 再び空いた虚空。


 そして、それを埋めるための者はすぐ側にいるのであった。



「テルノアっ!!」


「……ほう。セルーカの小僧か。今になって何のようだ?」


「知れたこと。行くぞっ」


 そんなテルノアの眼前に現れた若者。


 偽装部隊を率いてオアシス側を散々かき回していたローム・セルーカ第3王子アルスランであった。



「小僧が。貴様などに用はないっ!!」


「っ!? うおっ!?」



 アルスランの剣を受け止めたテルノアは、そう言いながらアルスランを睨み付けると、手を伸ばして胸ぐらを掴み虚空へと放り投げる。

 自身の身に何が起こったのか理解できなかったアルスランは、大地に叩きつけられることでようやく我に返り、身を跳ね起こす。


 しかし、テルノアはそんな余裕を与えてやるほどの慈悲は持ってはいなかった。



 立ち上がったアルスランの傍らを駆け抜ける。

 振るった剣によってアルスランの首が虚空へと舞い上がる。はずであった。



「ん?」



 しかし、跳ね上がったのは首ではなく、テルノアの手にした長剣であった。アルスランは咄嗟に身を転がし、剣を折ったのである。

 剣は基本的に斬ることに特化して作り出されている。そのため、多くは切れ味を追求するが故に強度に劣ることがあるのだ。

 剣を折る。というのは、自己防衛の手段としてはじめに教え込まれる事でもある。だからこそ、それを知らぬ、一般兵は剣ではなく得物を持つのである。



「ふん、やるではないか」



 そう呟いたテルノアは、今もこちらを睨み付けているアルスランに対して、小僧という評価を取り消した。

 長く憎しみあっていた敵であったが、戦士として優れる人間は尊敬する。それが彼女のやり方であった。

 


 そして、厚い雲間から降り注ぐ陽光。


 それは、テルノアともう一人の人間の姿を映し出していた。



「…………」



 テルノアの眼前には、白馬に跨がり、漆黒の鎧を身に纏った騎兵。漆黒の鎧が陽光を反射し、鮮やかな光を放っている。そして、異彩を放つのは、頭部から腰まで延びた鮮やかな銀色の髪であった。



(女……、であったのか……)



 そう思ったテルノアに対し、黒騎士は両の手に剣を構えると、部下達を率いてこちらへと向かって疾駆しはじめる。

 自分が誰なのかを理解している。むしろ、自分の姿を待っていたかのような姿。

 剣を捨てたテルノアは、高揚とともに伸び始めた爪を振るうと、背後に控えた騎兵達とともに馬腹を蹴った。


 速度が上がり。徐々に大きくなってくる黒騎士。

 そのまま勢いを殺さずに互いに馳せ違う。

 互いに武器を弾きあったまま、通り抜けると、テルノアは黒騎士の背後にいる騎兵達との距離が意外なほど空いていることに気付いた。


 そして、勢いそのままに黒騎士配下のもとへと飛び込む。


 先頭を走る白髪の男。思わず全身に泡が浮かぶほどの剣戟を向けてくる。“キーリア”衣服は異なるが、白髪の髪と自分をおぼやかすほどの技量に、テルノアはすぐに気付いた。



「ということは……」



 一気に駆け抜けると反転して黒騎士の下へと向かうテルノア。視線の先では、自慢の騎兵達が切り崩される様が目に映った。



「…………まさか、ここまでとは」



 テルノア自身、絶大な信頼おく騎兵達が崩されている様は信じられなかった。とはいえ、黒騎士も同様のようであり、互いに自分を討てるのは相手だけだと理解し合ったのである。


 そして、付けいる隙の存在も。


 駆けてくる騎兵達と合流したテルノアは、先頭に立って馬を駆る。反転した黒騎士を取り囲むように駆ける。


 黒騎士とその部下達も自分達の後方を獲るべく馬を駆ってくる。


 テルノアは黒騎士が最後尾へと食いついたことを確認すると、さらに速度を上げる。

 脱落しはじめた騎兵は、追ってくる黒騎士によって斬り伏せられて、生き残りもその背後の騎兵達によって沈められていく。

 馬が泥を跳ね上げる。顔にこびりついたそれは、心地よい冷たさを持っていた。そして、飛び散る泥濘の先に黒騎士率いる部隊最後尾が見え始める。

 お互いがお互いの最後尾に追い付き、両者が高速に回転する車輪のような状況になっていた。


 そんな状況を作り出したテルノアは、速度を落とすことなく次第に車輪を小さく縮めてゆく。

 騎兵の速度はこちらが上。そして、黒騎士側でそれを追ってこれるのは、黒騎士と側近の二騎だけであるのだ。


 テルノアが見つけ出した付けいる隙。それは、速度の優勢と黒騎士の馬の技量であった。



(今っ!!)



 そして、待ち焦がれていた間隙がテルノアの目に映る。手綱を握りしめ、馬腹を蹴ると一気に加速し、その間隙へと馬を走らせる。


 敵。何が起こったのか分からない様子で、こちらへと視線を向けている。有無を言わさず両断すると、テルノアは旋回して黒騎士等の背後へと回り込んだ。


 一部を敵騎兵に突っ込ませたテルノアは、精鋭達をともに黒騎士を囲む。


 刹那。黒騎士を乗せたまま、白馬が虚空へと跳び上がると、自身に向けて舞い降りてくる。包囲網の完成がなったのはその直後。しかし、疾走する騎馬にできる芸当ではない。



「…………っ!!」



 テルノアは振り下ろされた剣を止め、爪を振るう。

 かわした黒騎士の銀色の髪が幾本か舞い上がる。だが、黒騎士もそれに怯むことなく剣を繰り出してくる。

 双剣が光となって舞、両の爪が鋭く牙を剥く。


 先ほどまでの騎兵同士の疾駆合戦は、完全に両者の一騎討ちへと移り変わっていた。

 互いの武器が交錯する。激しい火花を上げて両者はバランスを崩し、馬から転落した。

 それでも、受け身と同時身体を跳ね起こし、互いにぶつかり合う。


 双剣を重ね、こちらの爪ごと斬り裂こうと企む黒騎士。

 その真っ直ぐな戦いぶりは、顔を覆う仮面の間から垣間見える若さ故の事であろう。

 そう思いながら、テルノアは両腕に力をこめて、双剣を押し返す。

 黒騎士。目を見開いてこちらを見つめている。自身が押しきられたことが理解できないのであろう。


 そして、がら空きになった腹部に蹴りを見舞う。



「ごふっ!?」



 血を吐き出しながら後方へと跳ぶ黒騎士は、そのまま大岩へと叩きつけられた。



「これで終わりだっ!!」



 そう呟きながら地面を蹴る。


 ――――一撃で首を跳ばす。


 全身にダメージを負った黒騎士は、身を起こすのも一苦労な様子。確実に首をとるつもりだった。



 しかし、……時代は彼女を選ばなかった。



「――――――っ!?」


 背中に感じる衝撃。跳躍していた身体が、地面に叩きつけられる。


 同時に感じる全身の痛みと腹部から何かが抜けるようなおかしな感触。身を起こして、視線を向けると腹部から槍の穂先が飛び出していた。

 何の感情も抱くことなくそれを引き抜く。柄の部分を真っ赤に塗らしたそれを大地に捨て去ると、傷口から血が噴き出していた。



「…………ごふっ」



 口からも吹き出す血。そして、身を起こした視線の先では、地面を蹴った黒騎士がこちらへと跳躍していた。

 両の手とともに振り下ろされる光。傷口を中央に、身体を斜め十字に斬り裂かれていた。


 不思議と痛みは感じなかった。



「黒騎士……名は?」



 振り返り、そう口を開くと、黒騎士はおもむろに顔を覆う仮面へと手をかける。



「フェスティア・シィス・パルティヌス」



 手に取った仮面越しに現れた美しい顔。それは、テルノア自身も良く知るモノであった。

 そして、それを見たテルノアは、ゆっくりと腰を下ろした。



(時代は……彼女を選んだと言うことか)



 ゆっくりと瞑目し、顔を上げる。


 苦悶の表情を仮面で隠したフェスティアは、ゆっくりと剣を振り上げる。



(時代は、音曲の如き調和ではなく、濁流の如き混沌を選んだのか)



 テルノアが勝利すれば、帝都に蔓延る共和政権は駆逐され、強大な力を持つ巫女もまた抗うことなく時代に屈したであろう。

 一大の動乱の象徴として、歴史に名を刻み帝国民から罵倒されるという運命に身を落としながら。

 そして、復活した帝国は苦しみの中を表面上の平穏と調和を楽しんでいくはずであった。


 しかし、時代が選んだもの。それは、“黒の姫騎士”と言う名の劇薬。すなわち、時代はさらなる混乱と流血を求めたのだった。



(混乱と調和…………空は、どちらのために泣くのであろうな)



 豪雨が去った空。それは、蒼く澄み渡っていた。



◇◆◇



 かくて、戦は終わった。


 テルノアの戦死の報は、矢継ぎ早に各地へともたらされ、多くの民衆を悲嘆の底へと誘っていく。

 そして、テルノア、ギアスディールの両名を討ち取り、わずか200の兵で戦線を立て直した“仮面の黒騎士”の名も急速に広まっていくことになる。



 そして、それは新たな動乱の火種が灯されたことを意味していた。

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