第15話 黒の姫騎士②
今回はすごく短いです。なかなか、筆が乗らなくて……申し訳ありません。
また、前話で『帝国軍』と表記していた部分は、すべて政権軍に差し替えます。ご了承ください。
「やんだか……」
静寂に包まれた戦場にフェスティアの声だけが響く。
政権軍中央部に襲いかかった法術の嵐が止み、政権軍はすぐさま体制を整え直している。特に、乱れていた前衛が一つにまとまるとすぐに前面へと押し出してきた。
法術対策に術師を各部隊に配置していたのであろう。動揺は見て取れるが、兵力の現象はそれほど大きくないようにフェスティアの目に映っていた。
(して、どうする……?)
戦闘を停止した両軍に目を向け、そんなことを思ったフェスティアは、次に動き始めたモノに目を奪われる。
オアシス軍中央の前衛が二つに割れると、そこからそれまでの兵科とは異なる何かが飛び出して行ったのだ。
「な……、なんだアレは!?」
背後で女性神官が声を抑えつつ叫ぶ。
しかし、その声も大地を振るわせながら突撃するそれの奏でる怒号の前に掻き消された。
政権軍の前衛がぶつかる。しかし、程なく兵士もろとも突き崩され踏みにじられさいく。それまでの攻防戦や先ほどの砲撃にも耐え抜いた中央の兵士達がである。
踏みにじられ、肉塊へと変えられた彼らは、結局何が起こったのか分からないままその短い生を終えることになったのであろう。
フェスティアも前衛に突っ込んだそれが、横一列に並んだ動物であると言うことを認識するのはつかの間の時間を要したのだ。
馬ではない。四足歩行をしているとは言え、馬よりも遙かに大型であり、その姿は装甲に覆われて見ることは不可能である。
だが、まとまったまま大地もろとも政権軍前衛を蹴散らし、踏みにじっていく様は、先年に起こったセオトコス山の大噴火を想起させる。
囲うより吹き出た火砕流が、麓のすべてのものを飲み込んでいく。後に残るのは、蹂躙された大地のみ。
ハギア・ソフィア宮殿から垣間見た火山の大噴火は、フェスティアの脳裏に色濃く残っていたのであった。
今、眼下にて政権軍に襲いかかるそれも、正面からまともに当たって止められるようなモノではないのだ。
ほんの一瞬の出来事であったが、政権軍はすでに後退の鐘を鳴らしている。
前進しかしていないとはいえ、中央の騎兵は突破された右翼へと回っており、迎撃に向かえばゴーラ王国軍の餌食になるのは目に見えている。
快速でなる騎兵を差し向けて、全軍の突破を防いだまではよいし、それ以外の手はない。
しかし。圧倒的な圧力を持って前進してくる敵に対抗するには、騎兵による横腹への攻撃が、目先の最善手である。
固い装甲に覆われていては、弓は通じないであろうし、近年登場した銃と呼ばれるモノは命中率がひどく悪い。
とはいえ、中央を襲ったそれも次第に速度を落とし、大地に倒れ込むモノを出はじめている。
「驚異的な速度と圧力の代償は、持久力か」
「初手で相手を潰さねば意味は無い代物ですな。目的は十分果たしておりますが……」
フェスティアの呟きに、ロッツァが答える。
たしかに、政権軍中央は総司令以下は防戦しつつ後退しているが、多くが潰走をはじめている。元々、帝国の崩壊とともに強引に編入された軍である。
それまでは、逃亡とは無縁であった者達とはいえ、仕えるべき主無き今、戦う意志を持ち続けることなど不可能。
「帝国兵にとってみれば、反逆者どもよりはテルノアの方が仕える価値はある。当然の結果だな」
フェスティアは潰走する兵士達の心情をそんな風に代弁する。
国家への忠誠が国軍の兵士には求められるとはいえ、今の彼らにそれを求めるのは不可能であった。
そうして、残された両翼の兵士達が徐々に包囲され、その輪が小さくなっていく。中央に背後を抑えられ、両翼に押し込まれる格好になっているのだ。
戦の趨勢は、すでにオアシス側に傾いていた。
「で、我々はいつまでここにいればよいのだ?」
相手を擁護するようなフェスティアに対し、不信の目を向けた女性神官に背中越しに問い掛ける。
今のフェスティアは、あくまでも共和政権側の客将扱いである。戦場見物だけをして帰って良いはずもない。
しかし、女性神官はフェスティアから目を背けたまま何も答えなかった。
実際のところ、彼女自身も監視という命令を受けただけで、具体的な指示は名に儲けていないのである。
「何か答えたらどうなんだ?」
そんな神官の態度に、ハインが苛立ちをこめながら口を開く。しかし、彼はその言に対する答えは聞くことは出来なかった。
「動いたぞ」
フェスティアの言がその場にいる全員の耳に届く。
その視線の先では、先ほどまで包囲戦を行っていたオアシス軍同士が激突していたのであった。
◇◆◇
勝利はすでに得ていたはずであった。
中央を潰走させ、両翼を包囲した時点でそれは間違いの無いはずであったのだ。そのために、テルノアは危険を承知で『機甲馬』を用いたのであった。
『機甲馬』は、従来の軍馬や軍用駱駝の交配を重ねて産み出された生物。
軍馬のそれ以上に、脚力や跳躍力、膂力などに優れる半面、持久力に著しく欠ける。
気性も荒く、戦いの時までは興奮を抑える麻薬の類を大量に摂取させているため寿命も極端に短く、一頭一頭操るのは困難である。
そのため、連結した装甲と鎖によって数十頭を固定し、前面への圧力を大きくする。この場合、同じ方向にしか動けず横からの攻撃にも弱くなるが、正面攻勢における威力は飛び抜けているのだ。
そのための時をテルノアは待ち、さらには法術による援護も加えた。
そこまでして得た戦果は上々であったのだ。現に、戦の趨勢はそこで決まった。総大将を討てなかったのは不満だが、帝国に忠誠を誓っていた男である。
こちらに靡かせることは難しくはないとテルノアは予測していた。西方の国家群も挙兵し、旧都を目指しているという。今ここでの勝利によって、やむなく共和政権に従っていた者達もこぞって旗を代えてくることも予測済みであった。
それだけに、目の前で起きている事態までは予測できていなかった。
しかし、調べるべきであったのだ。
皇帝と三皇妃率いるキーリア達を破ったのは、膨大なる兵力ではなく、巫女の転移法術による奇襲が最大の効果を発揮したが故であったことを。
そして、オアシス軍に紛れるようにシヴィラ率いる教団の信徒兵達が侵入し、各所を混乱に陥れていたと言うことを。
「イナルテュクの馬鹿さ加減を見誤っていたと言うことかな?」
「敵の力量を侮ったと言うことでしょうな」
自嘲気味に口を開いたテルノアに対し、ヤラオチが遠慮無しに口を開いた。
現在、イナルテュクに率いられた左翼軍がゴーラ王国軍を中心とする右翼に責め掛かっている。
直接の原因は、ゴーラ王国兵による機甲馬への攻撃であり、そこにゴーラ国王ギアスディールの娘、セミョア王女が現れたことである。
ゴーラ王国側から湧き出るように現れた彼女とその麾下の騎兵達は、包囲されていた政権軍右翼の包囲網を解き放つと、残っていた機甲馬を攻撃、ついで自分達中央部へと襲いかかってきたのだ。
絶望的な包囲下からの脱出のかなった敵右翼は、当然死兵となる。
確実な死から可能性のある生への扉が開けたのだ。人はそこへと群がっていくのは当然とも言える。
そして、戦前からギアス等に不信感を抱いていたイナルテュクは、その原因であったセミョア姫が現れたことと、味方への攻撃に激高。麾下の兵力を持ってゴーラ王国軍への襲いかかってしまったのである。
両軍に伝令を送っているが、間者の妨害のためか、一向に停止する気配は見えない。
「まあよい、私が直接行って止めるとしよう。ヤラオチ、貴様は一旦戻れ」
「なんですと?」
「万一のこともある。メリカを伴い、王都の守りを固めるのだ」
機甲馬を指揮したメリカも全身を赤く染め上げながらここまで戻って来ていた。
「お待ちください。ここは、退くことも肝要ではありませぬか?」
「もちろんだ。この状況下では戦にならん。だが、イナルテュクとゴーラ兄弟を仲違いがさせたままではな」
「こうなってしまった以上、止める手立ては…………もしや」
「うむ。騒ぎの首謀者であるセミョア姫を私が直々に討ち取る。それで納得せねば、イナルテュクは斬るがな」
「し、しかし、愛娘を斬られてギアス様が納得をされるでしょうか?」
「すでに話はついている」
「なれば……っ!!」
「馬鹿息子の教育係は貴様だろう。お前が死んだら誰があの者を導くのだ? 私は、その気はないぞ」
「ですがっ」
「もうよい、メリカ」
「御意」
主君を残しての撤収にヤラオチは反問するが、これ以上の話は無用とばかりに突き放したテルノアの命に短く答えたメリカによって身体を抱きかかえられる。
テルノアと同種族たるレア族である彼女は、膂力の類は成人男性のそれを凌駕する。一般の文官出身のヤラオチがそれに抗うことは不可能であった。
「サリクスを頼んだ。妹の忘れ形見だ……」
駆け去っていく二人に対してそう呟いたテルノアは、振り返ると傍らにある愛馬へと乗り込む。
――――そして、眼下における混乱に終止符を打つべく馬腹を蹴った。
風が顔にあたる感覚が妙に心地よい。
馬上の人となって丘を駆け下りるテルノアは、そんなことを考えながら眼前にて交戦する兵士たちに目を向ける。
イナルテュクに率いられた左翼に対し、ギアスディール率いる右翼は防戦一方といった様子であった。
傍から見ても、右翼に攻撃の意思は見られず、左翼側の頭に血が上った指揮官の失態であることはあきらかであったが、お互いの不信感を拭っておけなかったテルノア自身の失態も隠せるものではない。
オアシス一の勇者であり、統率力に優れた猛将。加えて兵士からの信望も厚い。
更迭するには困難な要素が多く、平時であればそれほどまでおろかな人物ではないのだが、やはり気位が高く、短慮なところのある人物の限界でもあるのかもしれなかった。
「いまさら言ったところで詮なきことよ」
そう呟いたテルノアは、前方に目を向けたまま右腕を掲げると握り開きを五度繰り返した。
合図を受け、疾駆する騎兵たちが手にした獲物を逆に構え始める。
穂先を自身に向けたことで、殴打による攻撃のみに切り替えるのだった。
それを受け、テルノアは掲げた右腕を振り下ろす。
すると、テルノア麾下の騎兵たちは、一生横との距離を詰め、互いの鐙どうしが触れ合いそうになっている。
テルノアを先頭に、一本の巨大な槍のようになったそれは、大地を揺らしながら両翼がぶつかり合う最前線へと突入していった。
「まずは、お仕置きからだ」
そう呟いたテルノアは、速度を緩めることなくはじめの一騎を馬から叩き落とす。
意識をしたのはそれだけで、その後は駆け抜けるだけで、相手から触れてきた時のみ、容赦なく叩き落とすか蹴倒した。
次第に圧力は消え、両軍の兵士は道を開けるようにテルノア率いる騎兵たちを見送る。
終点が見え始めたテルノアは、今度は左腕を掲げるとそのまま真横へと振り下ろす。
彼女の背後に続く騎兵たちは、左に転進した彼女の後を戸惑うことなく駆け抜けていく。現時点で抵抗するものはほとんどいない。
いたとしても、ゴーラ兵の衣服に身を包んだものが大半で、それらは倒すべき相手であることは明白であった。
「まったく……っ!! だが、馬鹿の頭を冷やすのはこれが一番だ」
見え始める本陣。イナルテュク。唖然とした様子でこちらを見ている。
テルノアは、そう呟いたのち両の腕を左右に振り下ろすと、一気に速度を上げる。イナルテュクの姿。すでに目と鼻の先という距離になっている。
それを確認すると、テルノアは鐙から一気に跳躍すると、着地と同時にイナルテュクの両の頬を交互に張った。
「頭を冷やせ。馬鹿者」
一瞬の静寂に包まれた戦場に響く頬を張る小気味の良い音と女性の声。
その静寂に終わりを告げるように、テルノアは背後にまで飛び退くと、愛馬に身を預けてその場を後にする。
散開していた騎兵たちもその後を追い、最初のように緩やかな密集状態となってテルノアの後に続いていく。
「さて……、大人への悪さが、拳骨じゃすまないってことを、小娘に教えてやるか」
背後に続く軍馬の足音に耳を傾けつつ、テルノアはそう呟く。
再び右腕をかざすと麾下の騎兵たちは再び獲物を構えなおす。今度は穂先を前面に向け、明確に敵を討ち果たすための体制をとる。
彼らの眼前には、左翼フォルシム軍勢に紛れるように移動するゴーラ王国兵の一団とその先頭に立つ少女姿が映っていた。
◇◆◇
「おいおい、あっというまじゃねえかっ!!」
水晶に映った戦況を見つめるユマの耳に、軽薄そうな男の声が届く。
先ほどまでこの場にて戦況を見つめていたセミョアとアルスラン率いる偽装ゴーラ兵たちのかく乱も、敵左翼と右翼の衝突を生んだだけで終わっていた。
敵の新兵器は、政権軍中央を潰走させた時点で役目を終えたのか、すでに戦闘を放棄していたため、背後からの攻撃は死体にに鞭を討つという意味のない結果を生んだだけであった。
そして、両翼の衝突による混乱を期待したのもつかの間、敵総大将テルノアによる中央突破と左翼指揮官イナルテュクへの折檻によって衝突自体が沈静化してしまい、今はテルノア麾下の騎兵集団にセミョア等は追い立てられるという状況を生んでいた。
「情け容赦のない攻撃だな。馬鹿王子も王女も生きた心地がせんだろうな」
テルノア達に背後を追い立てられ、その場にとどまった歩兵たちは身体を獲物で突き刺された上に、騎馬によって蹂躙されていく。
さきほどまで、友軍を殴り倒すだけにとどまっていた部隊と同じ人間とは思えぬほどの容赦のなさであった。
「だが、これで十分だ。テルノアも冷静でいるように見えるが、勝ち戦に水を差されてそうとうご立腹な様子だ」
ダルトスの言に、ロジェスが口元に笑みを浮かべながら答える。
初めこそ、温和な貴族風青年であったのだが、最近ではこのように蛇を想起させるような邪気に満ちた笑みを浮かべるようなことが多くなってきている。
(『西の女帝』を討てることがそんなにうれしいのかしら?)
その様子に、ユアはそんなことを考える。
実際に、反旗を翻し自分たちに明確なる敵意を抱く相手であるが、その統治や統率力は尊敬に値するものである。
帝国の統治が限界を迎えていた現実の中でも、不満を最低限に抑えていた政治力は、少なくとも全てを切り捨てようとしているようにしか思えない、冷酷な宰相とは違っているように思える。
実際、彼女の妹であると謂われていた第3皇妃にも、悪印象を抱いたことはなく、姉妹どうしである以上、分かり合えるとも思っていたのであったが。
(私の思いなど、考慮すらされないのであろうが…………)
そんなことを考えているユマの心情など知りもしないロジェスは、彼女の眼前にたる少女へと視線を向ける。
「さて、巫女様。最後の仕上げと行きましょう。まず、はじめの一隊を敵左翼中ほどに……」
「……ん」
ロジェスの言にそう答えた少女、天の巫女、シヴィラ・ネヴァーニャであったが、いささか声が弱弱しい。
改めてみると、全身がかすかに震えている。
「お、お待ちくださいっ!!」
「ん? 何事かね? 女官長」
「…………?」
突然、声を上げたユマに対し、ロジェスとシヴィラが目を見開く。声の調子は落ち着いているが、彼なりにずいぶん驚いた様子だった。
「巫女様、お身体は?」
「……大丈夫」
「おいおい、突然どうしたっていうんだ?」
「悪いのですね?」
「……ううん」
ユマはそう言ってシヴィラの顔色を窺う。普段から色の白い美しい肌をしているが、今はやや青みがかった表情をしている。
転移法術による肉体の疲労であろう。すでに複数の部隊を遠く離れた戦場へと送り込んでいる。
スラエヴォ事件の後、しばらく身動きすらもとれなかったのは、肉体に負った傷だけではなく数万単位の人間を転移させた為でもあったのだ。
そして、その日以来、法術の使用に際して、急激な疲労を覚えるようにもなっていたのだった。
「女官長。事は急ぐのだが?」
「しかし、巫女様のお身体は……」
「悪くなければ、否定などしない。――そう言いたいのであろうが、今はそのような事情など聴くことはできない。信徒兵はそれこそ、死を前提に戦っている。巫女様が命を賭けず、信徒達が命を捧げると思うかね?」
そう言って、ロジェスはシヴィラの肩に手を置き、ユマを睨み付けるように口を開く。
法術が巫女の身体を傷付けていることは当然知っているはずであったのだが。
「ですが……」
「ユマ。いい。そんな気遣いいらない」
「巫女様……」
「ロジェ。はやく、兵士達を用意させて……」
表情を変えずにそう口を開いたシヴィラであったが、その顔色の悪さは変わることはなかった。




