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第14話 黒の姫騎士①

 旧神聖パルティノン帝国本国 アルテナ丘陵



 勝利に酔う軍というモノは脆い。


 精鋭であり、数多の戦に勝利をしてきた常勝の軍であっても、勝利というモノの甘美な味に身をほだされる。

 戦を愉しむモノであればその傾向は一層強かった。



「テルノアが如何な名将であれ、全員が彼女というわけではない」



 そう呟いたフェスティアは、仮面越しにてはためく旗指物に目を向ける。目元を多う仮面であったが、視界は特に問題はない。

 それ以上に、顔を隠さねばならないと言うのが腹立たしかったのだが。



 オアシス軍と帝国軍の対峙は20日ほど前から始まっていた。


 アルトリア高原の中央部に位置し、乾燥した草原がなだらかな丘陵に沿うように続くアルテナ丘陵。

 古くは始祖帝が、中東に覇を唱える古代帝国を打ち破った地でもあった。

 今回もその故事に倣うかのように、中東方面からの侵略に対する祖国防衛戦争という側面を見ることができるが、皇帝の仇討ちという大義名分を抱げたのはむしろオアシス側であり、単純な侵略と防衛という図式ではなかった。

 実際、中東軍管区政庁エクバラーナの陥落以降、中東方面はあっさりとオアシス側へと靡いていった。

 共和政権への反発とオアシス側が掲げる『パルティンの戦い』が有効に作用した結果であった。


 パルティノンの大陸制覇の過程では、当然のように大量の血が流れた。


 抵抗する敵には一切の情けをかけず、住民の虐殺と都市の完全破壊を持って侵略を進めたからである。しかし、一方では戦いの前には、必ず相手に対して通告されたことがある。



『服属を受け入し者は、それまでの富貴を保障し、さらなる栄達の機会を与える』


『抵抗をする者は、そのすべてを滅する』



 分かりやすい降伏勧告であり、後者はともかくとして前者が正しく履行されたことは、それまでの歴史上では、稀でしかなかった。

 当然、多くの都市が抵抗を続け、文字通り滅ぼされた。今、それらの都市が存在していたとされる場所は、荒涼とした大地か乾ききった草原が広がるのみである。


 だが、気骨のある者も中には存在した。


 自身の身を捧げて服属を受け入れる領主や王も無慈悲な殺戮行が続くうちに出はじめたのである。


 それらが、現在の衛星国群である。


 結果として、領土は割譲されたものの、住民に対する虐殺も富の強奪も都市の掠奪も発生せず、パルティノンの法に基づいた不正のみが正されただけであった。



 今回のオアシス都市の挙兵に際しても、同様いやそれ以上に穏健な攻撃が繰り返されたのである。攻略された直轄領も、最後まで抵抗した兵士や軍人は残らず殺されたが、住民に対する被害はほとんどなく、軍規違反による蛮行を徹底的に粛正しているに留まる。

 そのため、軍管区の中枢部隊が敗れた後は、さっさと旗を揚げる都市が続発しているのである。

 種族や文化、風習、気候などが異なる大陸にあって、その覇者たらんと欲するならば、求められることは君臨することと寛容であることなのであった。


 とはいえ、オアシス側の順調な侵攻の背景には、革命後に有効な統治をせずに、血の粛清に酔った共和政権側の失策がかなりの面を占めてもいるのであったが。



 そして、それに狼狽した共和政権側は、それまで沈黙を保っていた本国軍の精鋭をパルティーヌポリスに呼び寄せると、かまうことなく全軍を出撃させた。


 近衛軍やキーリアなき帝都の守りは、悪名高き傭兵部隊の手に委ねられることになったが、これは共和政権の背後にいる勢力を衆目に晒す結果となっている。

 フェスティアとすれば、復讐対象の一つがはっきりしたことは満足いく結果であったが、革命以来共和政権の横暴に静かに耐えてきた帝都の住民達を思うと、自身の無力さをまざまざと見せつけられることでもあった。



「何をお考えですか?」



 傍らにて馬を休める男が口を開く。


 フェスティアに与えられたキーリアであり、唯一の生き残りでもあった。


 元々は、彼女の母親であるメルティリアの下におり、帝都陥落の際に捕えられていた。今もその名残からか、顔をはじめとする全身には無数の傷が刻まれていた。

 他にも数人のキーリアが捕らえられていたと言うが、激しい拷問を生き残ったのは彼だけだという。


 皇帝が倒れ、宰相も処刑された後も続けられた拷問に、大きな意味合いはなく、単に勝者の驕りをぶつけられ続けただけなのであった。



「…………」


「見事な戦ですな。許されるのならば、我々も彼らに合流し、再びパルティーヌポリスに蒼天の御旗を掲げたいモノです」


「言うな、ハヤト。うるさいのが見ているぞ」


「はは、無抵抗な女性斬る趣味はないですよ。ロッツァ殿」



 ハヤトと呼ばれたキーリアに、ロッツァと呼ばれた壮年の男が、顎に貯えられた髭を撫でながら口を開く。


 その視線は、フェスティアに寄り添うように馬を休める女性に向けられており、ハヤトに視線を向けていた女性がたじろぐ。



「…………お好きなように為されれば良いでしょう」


「戯れ言だ」


「む…………」



 ロッツァの言に、たじろいだ女性神官は少々ムッとした様子でそう答えたが、フェスティアの言に口を閉ざす。



「二人も自重しろ。私と行くというのならば」



 そう言って、フェスティアは二人やその背後に連なる騎兵達に視線を向ける。


 総員で200名ほど。


 全員がフェスティアの正体は知っているが、その真意は誰も知ることはないし、彼女も語るつもりはなかった。

 ただ、かつては忠誠を誓った皇族の生き残り。その事実が彼らを動かし、フェスティアはそれに苦悶している。

 ここに選抜された者は帝国軍でも精鋭で知られた者。帝都防衛やスラエヴォ事件の際に捕らえられ、服属要求という形の拷問に耐え続けてきた者ばかりなのである。彼らに希望を与えたフェスティアであったのだが、結局は、彼らを地獄へと誘いかねない真実が彼女の心のうちにはあった。


 もっとも、監視役として教団の女性神官が付いていることを鑑みれば、彼らもフェスティアが何らかの事情を抱えているとは察している。

 それでも、生き残りの皇族のために死ぬ。それだけの覚悟は彼らにはあった。



「――っ!? 動いたっ!!」



 そんなフェスティア達の眼前で、オアシス軍の一部に変化が起きる。


 それは、オアシス軍中央部。

 そこを中心として、空は分厚い雲に覆われはじめ、突風や激しい震動に周囲が包まれていく。


 両勢力の激突は、今終局に向かって動き始めていた。



◇◆◇ 



 数刻前 旧神聖パルティノン帝国本国 アルテナ丘陵 オアシス国家連合軍本営


 戦いは順調であった。


 テルノアは小高い丘の上より、眼下にて行われる戦闘に眼を細める。


 相手は共和政権の下にいるとは言え、元々は精強を誇ったパルティノン帝国本国軍。

 主力を大親征で失ったとは言え、根付いた伝統は残り、すぐに精鋭を揃えてきている。

 凡庸と呼ばれた皇帝であるが、その評価は誤りでしかないとはテルノア個人の感想である。

 如何に優秀な臣下に恵まれようと、凡人を頂点に仰ぐ軍が精強たることなどあり得ない。

 継承戦争の勝利がそれを証明し、現状の政権軍をこちらが押していると言う事実がそれを証明している。


 明朝より始まった戦であったが、正午を回った今も激しい戦闘が各所で続いていた。

 お互い、弓騎兵を主力とするため、補給の間に激しい剣戟を交わし、やがて弓の撃ち合いになる。

 右回りに駆ける騎兵の激突に、歯車の激しいぶつかり合いが中央では展開されているのだ。


 この場合は、どちらの左翼が崩れるかが勝利を左右していた。


 騎射を主に戦う騎兵の場合は、前述の通り車状に回転しながらの激突になり、それは基本的に右旋回となる。

 すなわち、攻撃を終えた部隊が補給をするのは自軍右翼。その間は敵に背を晒し、無防備となるのである。


 そんなときに右翼が崩され、敵左翼の浸透を許せば緩やかな包囲が完成することになるのだ。



「ゴーラ軍の様子はどうだ?」


「敵の防御を一枚一枚剥がしていっております。中央と左翼は一進一退ですが、こちらは確実に敵を押しておりますな」



 テルノアは参謀のヤラオチに向き直る。


 書類と眼下の様子に視線を落としたヤラオチは、声を抑えつつも表情にはわずかながらの興奮が見られる。


 はじめはわずかな戦力差に胃を痛めていたようであったが、こうして自軍に優勢が傾きつつある状況に安堵しているのでもあった。



「ふふ。やはり、男に戻ればあやつは頼りになる」


「ですが、イナルテュク殿はやきもきして居るのではありませぬか?」


「ギアスを疑って掛かったのはヤツだ。その分の反省もさせねばな。エクバラーナの件はまだ許しておらん」


「怖い御方だ」



 そう言って方すくめるヤラオチ。


 左翼では、敵右翼の猛攻をイナルテュク率いるフォルシム本国軍が必死に抑えているところであった。


 先日の一件以来、何かと血気にはやる面が多く、エクバラーナの攻略に際しても強引な攻勢で自軍によけいな損害を出した。

 元々、猪突猛進を信条とする猛将であり、損害を顧みない猛攻によって加須多くの戦果を上げてきた男である。


 とはいえ、前回の失態は他軍への不信感が前面に出たことは明白であった。


 その懲罰もかねて、今回は苦手な守勢を担当させている。


 それも、本来であればテルノアが率いる本国軍。加えて、オアシス諸侯もまとめさせている。信用していなければできないことであるが、それでも直情径行の人間にとっては苦痛であるだろう。

 問題も起こっていない点を鑑みれば、彼の優秀性の証明でもあるのだが。



「して、本当にやられるのですか?」


「うむ」


「危険だとは思いますが」


「一回だけだ。それで決める。何が起こるのが分からぬのが戦。機を見つければ一気に勝負を決めねばならん」



 傍らにて心配そうに口を開くヤラオチに対し、テルノアは静かにそう口を開く。



「メリカに伝令を出せ。時はそう遠くないぞ」


「御意に」



 ヤラオチに対してそう口を開いたテルノア。

 そんな彼女の視線の先にて、ゴーラ軍の旗指物がはためき、歓声が彼女の耳へと届いていた。



◇◆◇

 

 同時刻 旧神聖パルティノン帝国 帝都パルティーヌポリス



 眼前にて黒衣に身を包んだ騎兵達が光に包まれて消えていく。


 ユマはその光景に息を飲みつつも、眼前にたたずむ少女へと視線を向けた。その小さな背中から放たれる覇気。

 それは、戦う者が纏う独特のものではなく、この世に存在するモノとは隔絶された不気味な何かであるように思えた。



「さて、埋伏はこの辺りでよろしいでしょう。仕上げはお二人に掛かっておりますよ?」



 シヴィラの肩に手を置いたロジェスが、眼前に整列する一隊に対して視線を向ける。


 その先頭には、若い男女が馬を並べていた。



「まあ、任せて。おもしろそうでワクワクするわ」


「……ふん、戦も知らぬ小娘が何をほざく」


「なによ? ヤル気?」


「かまわぬぞ?」



 明るい声でそう口を開いた女性は、セミョア・ティモーシャ。


 オアシス国家群の一つ。ゴーラ王国の王女であった女性である。しかし、今の彼女は王女ではなく、第三王子妃という立場であったが。


 そんな、セミョアに対して、おもしろくなさそうな表情で口を開いたのは、アルスラン・ローム・トグリル。

 ローム・セルーカ朝第三王子であり、反オアシス派の筆頭格で大親征前に行われたフォルシムとの地域紛争の際に初陣を飾り、敵の猛将イナルテュクと引き分けた剛の者である。



 そんな彼も、目の前で戦に目を輝かせる年下の伴侶が気に入らないのか、毒のこもった言葉が口をつくのである。


 そして、そんな夫に対して食って掛かる気の強い妻。


 どちらも似たような者であり、ある意味では似たもの夫婦と言える様子であった。



「喧嘩禁止」



 そんな二人に対し、突き付けられる殺気と平坦な声。現在、パルティンの頂点に立つ少女、天の巫女シヴィラ・ネヴァーニャであった。



「戦うなら、私が相手。どうする?」



 そう言って、腰に下げた長剣を抜き放つ。


 少女の細腕で支えるには巨大すぎるその剣も道端に転がる枯れ枝のごとく軽々と振り回している。



「ご冗談を。あの性悪ババアに一泡吹かせるまたとない機会。よけいな戦いをする気はありませぬ」


「私はやってみたいけどな~」


「黙っていろ。売女」


「あんですって~っ!?」


「なんだ? 父親を裏切って敵対陣営に組する女が売女でなくてなんだと言うんだ?」


「はんっ。そんな女に、主導権を握られっぱなしだった男が何を言ってんですかねぇ?」


「売女で欲望を満たすなど当然のことであろうが」


「はっは。なんだか興味深いですねえ。詳しく聞かせてくださいよ。って、あぶねえっ!!」



 再び口論をはじめた両者を、ジェスが茶化すと、二人は同時に剣を抜き去って彼がいた場所へと振り下ろす。この辺りの連携も完璧であったが、ジェスはその動作にどこ吹く風で後方へと下がっている。


 本来であれば、四枚に降ろされた男の骸が転がるはずであったのだが。



「ふう、お二人とも、その辺にされたらいかがです? 戦況をご覧下さい」



 二人のやり取りにため息をついたロジェスであったが、魔の前の水晶球に映る映像に目を落とすと、再び二人に目を向ける。


 この大型の水晶は、ロジェスが持ち込んだモノで刻印学の応用であるという。

 刻印どうしの共鳴を利用して、遠視を可能にしており、遠きアルトリア高原での戦闘の様子を簡単に把握できるのであった。



「う~む。さすが、ギアスディール。あの鉄壁を打ち破ったか」



 それまで黙って戦況を見つめていたダルトスが、そう口を開く。軍部のとりまとめを行う彼にとって、今回編成した軍はその手腕が試されるものであったが、今は敵の攻勢に素直に感心しているようであった。



「そうでしょ、さっすがお父様っ!!」


「ふん、あの程度。私ならば半刻速い」



 自分の立場を忘れて胸を張るセミョアに対し、アルスランがそう毒づく。



「おい、王子さん。大言はそれぐらいにしとけよ。あんたの腕じゃあ、あの防備は破れねえよ」


「なにっ!?」


「少なくとも、大親征の敗北の際に、ゼノスを守りきった連中を配置しておいたんだ。オアシスの連中相手に好き勝手暴れただけのあんたじゃあ無理だよ」


「貴様っ!!」


「おっとっと。悪いけど、あんたらは、属国の人間だってことを忘れんなよ? こっちからしたら、セルーカを干上がらせることなんざ訳ないんだぜ?」


「ぐっ……!!」



 アルスランの大言が癇に障ったのか、ダルトスがアルスランを睨み付ける。

 少なくとも、今回の正規軍の編成を滞りなく終わらせ、諸将を納得させた上で出陣させたのは彼の功績である。


 そして、長く大陸に君臨してきた国家の軍であり、尊敬すべき点もあるところに小国の王子の大言であった。



「うわっ!! すげえ、砲撃」



 そんな険悪な空気をジェスの軽口が突き破る。


 水晶に目を向けると、政権軍中央部に対して激しい法術による攻撃が行われていた。

 地中より突き出る岩塊、鋭く尖った氷塊、砂塵とともに巻き上がる竜巻、天より落ちる落雷、空より堰を切ったかのように舞い落ちる火球。


 そのすべてが、政権軍の中央部に降り注いでいく。



「な、なぜ動かないのでしょうか?」



 水晶の映像に目を奪われていたユマは、息を飲みながらそう呟く。

 たしかに、広い原野であるのだ。友軍のいる左右ならばともかく、後方へと下がることは十分にできる。



「今下がったら追撃される……。将軍もそれが分かっている」


「あっ」



 シヴィラの言にユマも合点がいく。


 そもそも法術の類は、扱える人間に限りがあり、長時間連続で使えるモノではない。

 だからこそ、長きに渡って刻印を用いた『火器』と呼ばれる武器の研究が続けられているのである。

 無限に沸き続ける魔力があれば、そのようなモノは必要もないのだが。



「止んだようですな」


「むう……。陣の立て直しが速いな」



 ロジェスの言を受け、アルスランがそう呟く。

 今回の総指揮官は、歴戦の将軍である。革命の後、軍を辞して隠棲していたところをロジェス達が引っ張ってきたのであったが、ダルトスが時間をかけて説得していた人物である。


 簡単に崩れるような指揮はしていないのであろう。



「さて、どうでるかな?」



 水晶を見つめながら、ジェスがそう呟いたとき。


 水晶内の大地が激しく揺れた。



「えっ!? あれって……」



 そう呟いたユマの目に映ったモノ。


 それは、大地を踏みにじり、すべてのモノを飲み込んでいった。

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