第13話 届けられた凶報
放たれた矢が風を切り裂いていく。
それが視界から消えると、白色の何かが跳び上がるのが見えた。馬を進めると、胴を射貫かれた野ウサギが倒れている。
フィリスは、フッと息を吐くと弓の弦を指で弾き、倒れたウサギの前に跪くと目を閉ざす。
狩りの獲物にも生きる理由がある。それを、こちらの都合で奪う以上、葬送の礼は欠かしてはならなかった。
「すごーい、お姉ちゃん。あんなに遠くから」
「近づきすぎると逃げてしまうからね」
「そうなんだ~。私なんか真っ直ぐ矢が飛ばないのに」
兎を鞍に縛り付けると、同じように川魚を鞍に下げたリコリスが歩み寄ってくる。
最近覚えた法術によって、魚を上手くとることが出来たようであるが、あいにくと弓の腕前はからっきしである。
「そなたは単に狩りをサボりすぎなだけよ。皇子殿下がいらっしゃってからやけに張り切っているようだけど」
「そ、そんなことないよ~」
「サボりすぎってところを無視しないの」
フィリスの言に頬を赤く染めるリコリスであったが、照れる方が先に立ち、姉の苦言の類はどこかへと吹き飛んでいる様子である。
フィリスは、1歳下の妹の様子にため息をつきつつ、やや耳年増な妹にチクリと口を開く。
「変なことを考えているみたいだけど、そなたに席はないと思うわ」
「え? え? ええーーっ?? どうしてえ??」
フィリスの言に目を見開いて声を上げるリコリス。
幼さ故の戯れ言ではあるが、こうもはっきりと告げられれば傷つきもする。しかし、フィリスはそんな妹の心情を気にすることもなく口を開いた。
「あの飛天魔の子や刻印師のお姉さん、キーリア達を見てみれば?」
「ええと……。みんな、美人でなんかすごく礼儀正しくて」
「キーリアのお姉さん二人は武勇もあるし、法術もできる。刻印師のお姉さんは、お父様よりもすごい法術を使えるみたい。それと、飛天魔の子は多分、お姫様よ」
「お、お姫様っ!?」
「昨日、お父様とイレーネさんが話しているのを聞いたんだけどね……。多分、皇子とは婚約者ってヤツなんじゃない?」
「こんやくしゃ?? 大人になったら結婚する人だっけ?」
「そう。だって、皇子様にべったりだったし、訓練の後もすぐに飛んでいくし」
「でも、普通お姫様が、着替えを持っていったり身体を拭くのを手伝ったりする~?」
「相手は帝国の皇子様だもん。小国のお姫様は臣下みたいなモノよ」
「ふ~ん」
「だから、あなたも高望みしないことね」
「うう~~」
「ほら。さっさとシルのところに行くわよ」
そう言って、フィリスは馬を進める。リコリスも不満げな表情を浮かべつつ後から付いてくるため、徐々に速度を上げていった。
しばらく進み、丘を越えて湖の畔に差し掛かる。
「あれ~? あそこにいるのが、シルじゃないの?」
「今日はずいぶん町に近いところにいるんだな」
二人の視線の先には、馬から下り、一人たたずむシルウィスの姿が目に映る。
普段は無口で呆けているように見えるが、今は無表情のまま何かを見つめている。
首を傾げながら馬を進めるフィリスとリコリス。
やがて、二人の視界に一頭の魔物が姿を現した。
「ひっ!? あ、あれって??」
「――っ!? ……ベッカルスだったかしら?」
慌てふためくリコリスに対し、フィリスは一瞬の驚きの後、普段と変わらぬ態度で応える。
大型の肉食獣で、猪のようなずんぐりとした体躯と馬のような鬣。そして、鼻柱から生えた鋭い角は、人間の身体などあっさりと貫いてしまう。
畑や家畜などを荒らしまわるため、狩りの対象にもされているが、10数人が掛かりでも毎回怪我人が発生するほどの手強い相手であった。
「お、お姉ちゃん。そ、そんなにゆっくりしていていいの?」
「そなただったら、慌てて助けにも入るが……シルならば大丈夫だと思う」
そんな猛獣相手であったが、フィリスとリコリスの態度は対象的でもある。お互いに妹を心配しているのだが、フィリスは妹の力を信頼しているが故の平静さであり、リコリスは純粋に心配が勝っているが故の動揺でもある。
そんな二人の視線の先で、シルウィスは静かに右手をベッカルスに向かってかざす。
すると、彼女の周囲から柔らかな風が舞い上がりはじめ、短く切り揃えた黒髪がふわりと持ち上げられていく。
「うわあ…………本気だ」
「いや、手は抜いているだろう」
二人も同様に髪を靡かせる風を受け、馬を止める。下手に近づいて巻き込まれるわけにも行かない。
そして、シルウィスのかざした右手に赤紫色の鮮やかな光が灯りはじめる。
徐々にまばゆさを回していく光。そして、右手の周囲を雷のような何かが踊り始める。
そうにまでなって、少女の異変に気付いたのか、突進してきたベッカルスが動きを止める。しかし、そこまで来て気付いたところではすでに手遅れであった。
シルウィスの腕から放たれた閃光が、蛇のように踊りながら舞い上がると速度を上げてベッカルスへと向かっていく。
恐怖のためか、死を覚悟してなのか、動きを止めたベッカルスはそのまま雷撃によって全身を焼かれていった。
「――――ふっ!!」
その様子を目にしたフィリスは、一気に馬を走らせる。
案の定、最後の力を振り絞ったベッカルスが、突進を再開したのである。
シルウィスとベッカルスの間に入りこんだフィリスが引き絞った弓を解き放つと、矢は真っ直ぐにベッカルスの眉間へと吸い込まれていった。
音とともに崩れ落ちるベッカルスの巨体。
それは表面の毛はおろか皮膚までも焼き尽くしているように見えた。
「…………ありがと」
「いや、そなたの法術のおかげだ」
「ほえ~。二人ともすごいね」
口元に笑みを浮かべたシルウィスにフィリスも動揺の笑みを浮かべる。
そんな二人の元に、ゆっくりとした速度で馬を進めるリコリスが感嘆の声を上げながら近づいてきていた。
姉妹との力の差を見せつけられた格好であるが、それはそれで二人のすごさは、彼女にとっても誇れることである。
しかし、はじめは興奮気味に笑顔を浮かべていたリコリスも、ベッカルスの身体の脇へと馬を進めると、我に返ったような表情を浮かべた。
「でも……、これどうやって持ち帰る?」
そんな、リコリスの言に、フィリスもシルウィスも黙って顔を見合わせるしかなかった。
「痛ててて……」
「殿下、大丈夫ですか?」
全身を襲う痛みに呻き声を上げるアイアース。それを間近で見ていたフェルミナが、痛みを取る膏薬を丁寧に塗っていく。
「すごかったです…………」
「痛かっただけだ」
手でアイアースの全身をさすりながら、素直に感嘆の声を上げるフェルミナに対し、アイアースはぶっきらぼうに応える。
弓に対抗するための訓練である。
先を布で丸めた矢を至近距離にて放ち、それをかわすか叩き落とす。それも、1本ではなく複数の矢をである。
弩弓の類で不意を討たれた際に対処出来るようにすると言うが、正直なところ人間に可能な動作とは思えなかった。
しかし、手本を見せるといったイレーネはハイン等の全力をすべてよけきって見せたのだった。
ハイン以下の4人のキーリアも同様である。
「まあ、撃たれるって分かっているわけですからねえ。これがよけられなきゃあ、戦場じゃ射られてお終いですよ」
にこやかにそう口を開いたハインであったが、アイアースは結果として前進に痣を作っている。帝国最強の先頭集団であるキーリアと比べるのはさすがにおこがましいが、距離が長いとは言え、フェルミナも対した怪我を負っていないというのは、さすがにアイアースも傷ついていた。
「叩き落とした方が速いことに気付くべきだったな」
「正面のモノは下手によけない方が良い。とのことでした」
強引によければ目線がブレ、わずかな移動でかわすことの出来る矢も受けることになるという。正面の場合、距離感が掴みにくいが木製の矢であれば叩き落とすことは難しくはない。
鋼鉄製であれば、必死に避けもするがそのような矢を連続で撃ってくるほどの余裕がある軍はなかなかない。
斉射によって的を射貫くのであれば、量産が効く矢の方が効果があり、鋼鉄製などの威力の高いモノは狙撃手に任せるというのが定番であった。
「で、殿下、いかがなされました?」
「ん? フィリスか。狩りだっていってたな。ご苦労様。ちょっと張り切りすぎた」
「は、はあ……」
「矢をかわす訓練とのことです。それで、こんなに」
「な、なるほど」
話が見えていなかったフィリスに対し、フェルミナがなぜかアイアースの服を軽く掴みながら口を開く。
はじめは何が起こったのかと同様気味であったフィリスも、それに納得したようである。
「何か慌てているようだけど、どうかしたのか?」
「そ、それが……」
◇◆◇
広げられた地図には、簡単な装飾が施されていた。
「現時点での勢力図はこんな感じですな」
その地図に視線を落としながら、ドゥアが口を開く。
反乱から一年。帝都を覆っていた殺戮の嵐はいったんの小康を迎えたが、各地で衛星国の自立や挙兵が目立っている。
もっとも大規模なオアシス国家群の反乱はすでに大陸行路の玄関口であるエクバラーナを抑え、帝国本国にまで侵入している。
共和政権の軍備の惰弱さを考えれば、このままオアシス側によるパルティーヌポリス攻略は時間の問題とも思える勢いでもあった。
「パルティーヌポリスを勢いだけで落とせるほどの甘い考えはテルノアも持っては居るまい。あそこには、政権の中枢が居座っている。帝国に忠誠を誓う人間が多くいるエクバラーナとは違う」
ヴァルターの言に、室内にいる者達が一様に頷く。
オアシス全土からかき集めた攻城兵器による一気呵成の攻撃であったと言うが、守備隊もはじめの抵抗だけですぐに門を開いたのだという。
一部、シヴィラに忠誠を誓う信徒兵が頑強に抵抗したと言うが、オアシス軍と住民の手によって虐殺されたという。
「この信徒兵というのもやっかいですよね。結局、シヴィラ以外で我々を追い詰めたのはこいつ等なわけです。中心にいる奴等は精強と見て間違いないです」
「シヴィラの側近も同様にな」
ハインの言に頷きながら、イレーネは忌々しげに左腕を撫でる。
ようやく神経が繋がり動かせるようにはなってきているが、あのロジェスと名乗った男に腕を飛ばされた屈辱はいまだに忘れ得ぬモノであった。
「それで、オアシス国家が手を結ぶとすればこちらのエウルプ州の国家群でしょう。情報によると共和政権の背後にはヴェネディア商人をはじめとするエルゲ内海国家群がいると言われております。中央アルピュア山脈を挟んで経済的な対立を続ける関係ですからな」
エウルプ州は、ハインやヴァルターの出身地である。
スラエヴォを中心とする山岳地帯の北部は草原地帯と沼と湿地からなる湿潤地帯がオリかなるようにあり、その先は深き森の広がり、それを抜けると肥沃な大平原地帯がある。
人口も比較的多く、農業や林業が盛んな地域で、商業が発達しているエルゲ内海沿岸とは潜在的な対立が続いていた。
「西方国家群を動かすとして、政権側の対応はどうなっているんだ?」
「烽火台からの報告ですと、討って出るとのことですな」
「ほう? 巫女を引っ張り出したか」
「いえ、信徒兵の出撃は確認したようだが、巫女本人は宮殿に留まっているという」
「ふむ。テルノアもなめられたモノだ」
「それから、城の守備にはヴェネディアの傭兵部隊が入ったとか」
「なに? 政権の連中は馬鹿かそれとも間抜けか?」
「両方ですよ」
「加えて、凡愚だ」
ドゥアの言にイレーネをはじめとするキーリアが口々に暴言を言い放つ。
たしかに、ヴェネディアの傭兵部隊を帝都に招き入れることなど、前例がなく住民の反発が容易に予想される。
傭兵部隊といっても、基本的には商業都市ヴェネディアの軍隊である。商業にて身を立てているため、軍の維持費も自分達で稼ぎ出させているという体裁をとっている。
そのため、軍規は極めて悪く。掠奪の類をもっとも得意とするとまで言われている。雇い主であるヴェネディア側がそれを奨励しているのだからよけいにタチが悪い。
結果として、もっとも稼ぎ時となる大親征には同行させてもらえなかったのである。
先々帝は、戦を好むが、その分兵士の質には厳格な態度を貫いていたのである。
「治安の悪化で住民は反発。ヴェネディア側からは法外な請求をされて骨の髄までしゃぶられ尽くす。名にもしなくても勝手に自滅していくじゃあないか」
「所詮は、力を持った少女を祭り上げなきゃまとまれない連中ですよ」
イレーネの言に、ハインも頷く。
たしかに、意図が理解しきれないやり方でしかなく、共和政権が自分達で破滅の道を歩んでいるようにしか思えなかった。
「ふむ。たしかに、共和政権は御しやすいでしょう。しかし、巫女をはじめとする者達は」
「なんだ?」
「巫女を信仰の対象とする信徒達は、爆発的に増えて居るのですよ。反乱の時に身に染みたと思いますが、信徒兵は死を恐れませぬ。精鋭兵ならいざ知らず、それまで鍬を片手に農作業に従事していた農民がです」
「…………というと、共和政権にすべてを押しつけて、自分らが最終的な支配者に成り上がる気か?」
「革命の初期より、巫女は傀儡という立場が衆目に一致しておりました。そのため、批判の矛先は共和政権に向かい、血の雨が降った。……そんな抗争に興味を示すことなく、信者達を帝国各地に派遣しておったようです」
「なんとも複雑な話だな」
「ふん。テルノアに勝てなければ意味もない。あの女が、そんな危険なモノを放置しておくはずがなかろう」
「ずいぶん、信頼しているのですな」
「そんなつもりはない」
そう言ったイレーネであったが、この地に身を捧げさせるためにアイアースを連れてきたのであったが、件の皇子はいささか頑固でもある。
これで、テルノアが巫女に取って代わったとして、素直に彼女に国を譲り渡すとも思えなかった。
テルノアも話の通じない相手ではない故、後ろ盾としての候補にもあったのである。
最終的には本国からの距離でドゥアを選んだのであるが。
と、そんなことを考えていたイレーネの耳に、何やら騒がしいやり取りが届く。
ほどなく、乱暴に扉が開かれ、数人の子どもと友に一人の青年が部屋に飛び込んできた。
「失礼致しますっ!!」
「何事だ?」
「はぁはぁはぁ…………。一大事でございます」
伝令兵である青年は、そう言って言葉を切る。
全身に傷を負い、満身創痍といった様子であったが、アイアースに肩を支えられ、何とか姿勢を保っている。
「帝国本土にて動きが」
「何があった?」
「…………本日未明、共和政権軍とオアシス国家軍がアルトリア高原中部アルテナ近郊にて激突。――激戦の末、オアシス国家軍が敗北。総司令官のテルノア・ハトゥン・フェルシムアも、戦死致しましたっ!!」
伝令兵の言がその場にいた全員に耳に届く。
一週にして凍り付いた室内に、湖によって届けられた陽の光が差し込みはじめた。
本来ならば明るい未来を指し示す陽光。しかし、今の彼にとって、それは湖がこの先の運命をあざ笑っているように思えたのだった。
地図とかもUpした方がいいですかね?
次回辺りは、アイアースの出番はない予定です。戦の場面を気合いを入れて書きたいと思いますので、皆様よろしくお願いします。




